第7話 純粋な好意と理解不能な好意1
学園の本校舎一階。そこに貼り出された定期試験の結果を見に集まる生徒たちを、カイラスとゼノスは少し離れた廊下から遠目に眺めている。皆の視線の先には、各学年、上位三十名の生徒の名前のみが書かれた紙が貼られる掲示板があった。
カイラスの学年では、当然の如く最上段にゼノスの名前が燦然と輝く。ちなみに、二つ下の学年の上位にはアフロティーナの名も堂々と記載されていた。顔だけでなく頭まで良いとは。才色兼備とはまさに彼女のための言葉なのだろうなと、不本意ながらも認めざるを得なかった。
「さて。留学帰りで優秀な君の名前がどこにも見当たらないね。体調でも崩していたのかな?」
人の目があるからか、爽やかな王子様の仮面をつけるゼノスは、少し心配そうな様子でカイラスを覗き込む。傍目から見れば、友人を心配する心優しき王子様に映るだろう。しかし本性を知る者からすると、そこには拗ねる子供のような不満げな様子が見て取れる。数少ないそれを知るカイラスは、あえて笑顔で返答した。
「いいえ、体調は問題ないですよ。俺はいたって凡人ですからね、これが実力です」
「出題難易度と各生徒の成績を計算して、わざわざ平均点を取るのが実力というか。そのまま答えた方が楽だろうに、無駄に器用なことをするものだね」
やれやれといった様子で首を振ると、金色の髪がさらりと揺れ、窓から差し込む光に反射する。女性を虜にするような甘いマスクに、神秘的な紫の瞳は、まるで物語に出てくる王子様のよう。それが本物の王子なのだから、ゼノスは国内外の女性たちから圧倒的な人気を博していた。現に、女生徒たちの感嘆のため息や黄色い悲鳴があちこちか聞こえてくる。
「殿下は相変わらずおモテなようで」
「はは、モテない王子よりはマシだろう?」
女生徒たちに手を振り、大きくなった悲鳴を受けて優しげな笑顔を振り撒くゼノスは、自分の魅力を完全に理解し利用することを惜しまない。それが、彼にとって一つの戦術だからだ。
そんなゼノスの横に気配を消すように佇むカイラスは、煌びやかな王子とは対極のような存在だった。僅かに赤く透ける黒髪に、感情の起伏が見えにくい灰色の瞳。二人が並ぶとまさに陰と陽である。
「君だって、もっと笑顔を振り撒けば人気が出るだろうに」
「お世辞をどうもありがとうございます」
「お世辞ではなく、客観的な意見だよ」
自分を凡人だというが、カイラスの容姿も決して悪くない。切れ長の目は知的さを感じさせ、すっと通った鼻筋や形の良い薄い唇は少し大人の色気を醸し出す。周りに派手過ぎる人間が多いため目立たないが、よく見ると端正な顔立ちをしているため、本人が知らないだけで密かに憧れを抱く者もいた。なお、アフロティーナを気にして行動に移す者はいないが。
「あぁ、すまない。君はもう大層モテていたね。一人に、それはもう熱烈に」
「やめろ」
周囲には聞こえないように、しかし強い否定を込めて低く唸る。そんなカイラスの反応を楽しむように、ゼノスは極上の笑顔をそのままに瞳だけを愉快そうに細めた。
「照れることはないだろう。あの絶世の美女に好かれているんだ。もっと自信を持てばいい」
「照れてないですよ。本当にいつもいつも他人事だと思って適当に」
「だから他人事だからね。楽しいものには全力で乗らないとつまらないだろう?」
「……あの悪趣味な賭け事もですか?」
「おや、何の話かな」
ジト目で睨まれてもどこ吹く風。すっとぼけるゼノスに、カイラスはわざとらしく大きめなため息を吐いた。この王子は親しくなればなるほど遠慮がなくなり、子供っぽい言動が増えてくる。それは敵が多く心を許せる相手が極端に少ない彼の、無意識な甘えだ。自分にその姿を見せてくれるのが、実はほんの少しだけ嬉しいと思っていることは絶対に言わない。
とはいえ、揶揄われるのは気分がいいわけもなく。「俺はもう行きますね」とさっさと退散するためゼノスに背を向け、一歩踏み出した時。
「きゃ……っ」
「うわっ」
正面からぶつかってきた軽い衝撃に、カイラスは思わず声を上げた。よろけた相手に反射的に手を伸ばせば、華奢な女生徒がすっぽりとカイラスの腕の中に収まる。柔らかな黒髪が視界の端で揺れ、控えめで可憐な花のような優しい香りが鼻腔をくすぐった。
「も、申し訳ござ、……ぇ、あっ」
青い顔で視線を上げた女生徒は、なぜかカイラスと目が合うと、見る見るうちに林檎のように頬を染め上げる。そして慌ててその腕から抜け出すと、緑色の瞳を潤ませて頭を下げた。
「あ、あの、申し訳ございませんでしたっ!」
「いいえ、気にしなくていい……ん?」
(……なんか、妙に既視感が)
自分に頭を下げる女生徒と、それを宥める自分。いつだったか、同じようなことがあったような──
「……どこか怪我をされましたか?」
覚えた既視感に言葉を止めたカイラスを見て、不安げに眉を下げる女生徒。はっと意識を取り戻し、慌てて謝罪を口にする。
「あぁ、すみません。問題ないです。そちらは大丈夫ですか?」
「は、はいっ、支えていただいたので。本当にぶつかってしまい、申し訳ございません」
「こちらこそ、しっかり前を見ておらず失礼いたしました」
お互いに頭を下げていると、カイラスの後ろから覗き込んだゼノスは女生徒を見て、「あぁ、」と訳知り顔で話しかけた。
「君はテンフォート伯爵家の子だね」
「はいっ、お久しぶりです殿下。エリシス・テンフォートでございます」
女生徒──エリシス・テンフォートは姿勢を正し、完璧な、けれどどこか緊張が残る淑女の礼を執る。そんな彼女に、カイラスは記憶の引き出しをひっくり返していた。どこかで見たことがある。伯爵家であればどこかのパーティーかお茶会だろう。昔は全ての子息女の顔と名前、家柄や派閥までも把握していた。しかし数年留学したせいか記憶が薄れ、成長した彼女らの顔と名前も今一つ一致しない。
ただ、どこかで──泣いている姿が記憶の端に引っかかる。
「あの時のことを思い出すね」
「うぅ……お恥ずかしい限りです……」
「……あの時?」
「なんだ、覚えていないのか?」
二人の口ぶりから察するに、やはり自分と何らかの関わりがあるのだろう。どうしても思い出せないカイラスの様子に、ゼノスは少し意外そうに答えを告げた。
「君が留学前最後に参加した僕のお茶会で、彼女を助けてあげただろう」
「お茶会……あぁ! あの時泣いていた子か!」
「あぁあっ……あの時も本当にご迷惑をおかけしました……!」
ようやく一致した記憶にポンッと手を叩いて声を上げると、エリシスは恥ずかしげに体を小さくし、首まで真っ赤に染めて顔を覆った。
留学前のお茶会──五年前のあの時。カイラスに飲み物をぶっかけ、アフロティーナに叱責されて泣いていた令嬢こそ、今目の前にいるエリシスだ。あまりにもアフロティーナの印象が強烈過ぎて、エリシスのことが記憶の端に追いやられていたらしい。記憶までも侵食しようとする白金色に、カイラスはぶるりと肩を震わせた。
「いやぁ、あれはかっこよかったよね」
「別に俺は何もしてないですよ」
「そ、そんなことありませんっ! 本当にあの時カイラス様に助けてもらって、わたしっ」
「そうそう、まるで正義のヒーローみたいだったよ。ねぇ、エリシス嬢」
「はいっ!」
明らかなからかいを含むゼノスと、純粋に感謝をするエリシスとの温度差が、何とも居心地が悪い。そして何故か自分を見つめてくるエリシスを見ていると、ここから離れた方がいいのではと直感が告げてくる。
「大したことはしてませんが、お役に立てたのなら良かったです。それでは失礼します」
「ぁ、待っ、」
こういう直感には従うべきと、話を切り上げて去ろうとしたカイラスの裾を、エリシスがキュッと握り引き止めた。
「あ、も、申し訳ございませんっ、わたし、」
足を止めたカイラスに、ハッとしたエリシスは慌てて裾を離す。無意識の行動だったのか、視線を彷徨わせ、落ち着きなく手や髪をいじる姿は、まるで恋する乙女のようで。
「え、えっと、……」
「エリシス嬢、カイラスに何か言いたいことでもあるのかな?」
「ぁっ、そ、その、ですね……」
涙目になって言い淀むエリシスと、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべるゼノスを見て確信した。
(……殿下め、分かってやってるな)
エリシスは自分に好意を抱いているのだろう。真っ赤に染まった顔、潤んだ瞳、そして向けられる熱視線。これぞまさに、自分を救ってくれたヒーローに恋をする愛らしいヒロインそのもの。カイラスでなくても気付けるほど、実に分かりやすい。
(どう考えたって、吊り橋効果だろうに)
あのお茶会の後、会場から連れ出してからもエリシスはずっと泣いていた。女の子の宥め方など知らないカイラスは「あなたも悪かったからこれからは気をつけるように」と軽く注意を伝え、最後は伯爵家の遣いに預けただけ。
優しく慰めたわけでもない。だからきっと庇ったことが過剰に美化されて、エリシスの記憶に刻まれてしまったのだろう。
(でもまぁ、この方が正直分かりやすくはあるな)
異性に好意を抱く理由としては、よくある話だ。だからこそ、余計にアフロティーナの異質さが際立つ。
(綺麗じゃないって言われて、好きにならないだろ普通は)
答えを貰いそびれた疑問は、未だに解消されない。
「……あ、あのっ、カイラス様、わたしは──」
思考に耽っていたカイラスに、数回深呼吸したエリシスは覚悟を決めたように声を張り上げた。いや、張り上げようとしたのだが。その言葉は続かず、視線はカイラスの背後に固定され、瞳を大きく見開いた。
それを見た瞬間、直感が告げる。あいつが来る──と。




