第5話 腐れ縁と裏の話3
「──貴女、どういうおつもり?」
険のある声が響いたのは、当時──五年前のお茶会での一幕。それまでの穏やかな雰囲気は一転、冷たい緊張感が走った。
「聞こえておりますの? どういうおつもりかと聞いているのですけれど」
「あっ……わ、わたし、」
ガクガクと異様に震える令嬢を、アフロティーナが冷たい眼差しで見下ろしている。あまりの剣幕に周りは歓談をやめ、ハラハラとその様子を見守っていた。
そんな二人の傍には。
(……マジかよ、勘弁してくれ)
はからずも当事者となってしまったカイラスが、濡れた服の袖を見下ろしながら内心頭を抱えていた。
事の発端は数分前。お茶会も中盤に差し掛かった頃、飲み物を運んでいた給仕人に、キョロキョロと余所見をしていた伯爵令嬢がぶつかってしまったのだ。幸い、給仕人のトレーから飲み物が零れることはなかった。しかし令嬢が持っていたグラスが宙を舞い、交流という名の腹の探り合いをしていたカイラスの袖に、見事な放物線を描いたグラスの中身が飛び散ったのだった。
突然の冷たい感覚に目を瞬かせたカイラスの元に、件の令嬢が慌てて近寄ってくる。
「も、申し訳ございませんっ!」
顔を真っ青にした令嬢は、今にも泣き出しそうな声で頭を下げた。相手は伯爵家の令嬢。今まで会った限りでは、相手を陥れようとする性格ではないはず。今の姿からも、これは本当に偶然起こってしまったことだと推察できた。
ならば、大事にするのは得策ではない。それに相手は伯爵家、子爵家の自分よりも身分が上なのだから。
しかし──
「いいえ、気にしなくていい──」
「気にしなくていい、で済む話ではございませんわ」
穏便に場を収めようとしたカイラスの言葉は、冷酷に遮られた。そして人垣から現れたのは、圧倒的存在感を持つアフロティーナだった。
「貴女、どういうおつもりなの?」
あまりにも冷ややかな声が、伯爵令嬢に降りかかる。
その声は自分に向けられていないのに、背筋が凍りそうになるほどに冷たい。それを直接浴びせられ、震えて何も答えられない令嬢にさらに問いかける。
「聞こえておりますの? どういうおつもりかと聞いているのですけれど」
「あっ……わ、わたし、」
「ここは非公式の場ですけれど、殿下もおられる神聖な場ですのよ」
「──ッ」
呼吸を忘れる令嬢に、アフロティーナの容赦のない追撃は止まらない。
「もしここが、公式の場だとしたら。このような失態を晒してみなさい、貴女の家の格が落ちますわ」
「ぁ、」
「そして先ほど貴女がぶつかった使用人。彼がトレーからグラスをこぼし、誰かにかけてしまったとしたら。クビでは済まないでしょうね」
「っ、」
「それだけではありませんわ。ここに他国の方々もいれば、国の威信にすら関わるもの。つまり、貴女の行動で美しいわたくしの品位までも損なわれてしまうのよ?」
「そ、そんなつもりはッ」
「恥を知りなさい」
ピシャリと言い切ったアフロティーナに、ついに令嬢の瞳から一筋の雫がこぼれ落ちた。
どれだけ幼くても、ここは王族が主催した場。非公式な場だとしても失敗を軽んじていい場ではない。アフロティーナが指摘していることは、決して間違っていなかった。それだけ貴族社会とは、些細なことで簡単に足元を掬われる世界なのだから。けれど──
(言い方ってものがあるだろうに……)
思わずカイラスは眉を顰めた。
相手を思いやる気持ちが皆無な言い方だが、今回集まった者の中では王族に次いで地位が高く、周囲で庇える者はいない。
唯一この事態を治められるはずの人物は、なぜか優雅に紅茶を飲んで静観する構えでいる。どうするんだ、と視線を送るカイラスに、ゼノスは一度だけ視線を合わせると一瞬口角を上げた。
それは、「お前ならこの場をどう収める?」という、ゼノスからの明らかな挑戦状である。
(こんの、性悪王子……!)
ゼノスに気に入られて以来、何度もカイラスを試すようなことをさせられていた。これもその一つなのだろう。何て性格の悪い王子なんだと、心の中で悪態を吐く。
こうなると、カイラスがどうにかするしかないのはいつもの流れだ。従うのは大変癪だが、こんな居心地の悪いお茶会など早急に終わらせるしかない。
「今日はこの辺で解散にしましょう」と提案し、自分も着替えを理由にさっさと退散してやる。そう決意して口を開いたカイラスだったが。
「──っ」
恐怖で涙をポロポロとこぼし、今にも崩れ落ちそうな令嬢が視界に入った瞬間、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
そして気が付けば、違う言葉を口にしていた。
「ヴェルシェ嬢」
突然割って入ってきたカイラスの声に、アフロティーナは怪訝そうに目を細める。
「あなたの言うことは正しいです」
「当然ですわ。何も間違ったことなんて言っておりませんもの」
「けど──」
カイラスはさりげなく怯える令嬢の前に一歩踏み出し、温かさの欠片もないルビーの瞳を真っ直ぐに見据えた。
「正しいっていうのは、他人に何を言っても許されるって意味じゃないんですよ」
「……何が言いたいのかしら?」
「分からないでしょうね。自分が正しいと酔いしれて、他人を思いやれないあなたには」
己に対する明確な批判に、アフロティーナの美しい顔が僅かにわななく。
「……このわたくしを愚弄してますの?」
「いいえ、そのようなことは。事実を言っているだけですから」
先ほどまでそちらがやっていたことだ。暗に告げられ、アフロティーナはついに顔を歪ませ、怒りの表情を浮かべた。
美人の怒った顔の迫力たるや。周囲が怯むのを肌に感じながら、カイラスは冷静に、静かな声で、彼女の絶対的なプライドに刃を立てる。
「あなたはいつも、自分を美しいと誇っていますね」
「えぇ、事実ですもの! それがなんだというのですかっ」
「確かに、あなたの容姿は綺麗ですよ。──けど」
そして感情的に言い募るアフロティーナに、トドメの一撃を放った。
「今のあなたは、全く綺麗じゃないな」
その瞬間。赤い瞳の奥が、信じられないものを見たかのように激しく揺れるのを見た。
これが、留学前最後に会ったアフロティーナとの出来事である。
(……我ながら女性に対して酷いこと言ったよな)
その後、カイラスはアフロティーナの反応を待つことなく、怯えていた令嬢を連れて退場した。泣く令嬢の傍で、やってしまった……と後悔したのをよく覚えている。留学中も少し罪悪感が残っていたほどだ。
ちなみに地獄と化したお茶会は、「僕のお茶会で争い事が起こるのは本意ではない。今日のところはお開きとしよう」とさらりと丸く収めて収束したのだとか。あとからそれを聞いて、最初からそれをやれよ! と詰めたのは仕方のないことだった。
(本当に思い返せば思い返すほど、好かれる理由がなさすぎる)
どう考えたって嫌われる要素しかないだろう。ここから何がどうして、あんなに好意を持たれることになるというのか。あの日から何回考えても、答えに辿り着くことはなかった。
「……殿下、あの」
もしかしたら、自分がいない間に何かあったのかもしれない。カイラスがゼノスに尋ねようとした時。
「──まぁ。こんなところにいらしたのですね、カイラス様」
花の香りを引き連れるように、軽やかな声が庭園に落ちる。思わずガシャンッと音を立てて、乱暴にカップをソーサーに叩きつけてしまった。振り向かなくても分かる。というより、振り向きたくない。
そんな心情など知らないとばかりに、足取り軽くやって来たアフロティーナは、カイラスにぐいっと顔を近づけた。
「わたくしも誘ってくださればよろしいのに」
「なんで何度も顔を合わせなきゃいけないんだよ。というか近いっ!」
「あら。何度でも見たくなる顔ではなくて? カイラス様、わたくしの顔好きでしょう?」
「話を聞けっ!」
(うわっ、まつげ長……肌も白……って違う! 流されるな俺!)
自信満々なアフロティーナに、五年前の面影はない。美しさはより洗練され、自己肯定感はネジが外れてるとしか思えないほどに高まり過ぎている。
いいように翻弄されるカイラスに、二人のやり取りを特等席で眺めていた男はわざとらしくクスクスと肩を揺らして笑った。
「やぁ、アフロティーナ嬢」
「ゼノス殿下、ごきげんよう」
アフロティーナはカイラスから一歩下がると、スカートの裾を掴み優雅で美しい淑女の礼を返す。
「うん。さっきから僕もいたけれど、綺麗に無視してくれたね」
一国の王子に礼を欠くなど、本来あってはならないこと。本来なら追及すべきところだが、言葉とは裏腹にゼノスに責める雰囲気はない。アフロティーナもそれを察してか、顔だけは神妙な面持ちで、しかしながらルビーの瞳は嬉々として輝き、言葉だけの謝罪をした。
「大変申し訳ございません。カイラス様という存在がわたくしの目を惹きつけるあまり、殿下のお姿が見えておりませんでした」
「そうか。カイラスのせいなら仕方ないね」
「えぇ。本当に罪なお方ですわ」
「おい、俺のせいにするな!」
大真面目にため息を吐くアフロティーナと、面白がって全力で乗っかるゼノス。挟まれた犠牲者のカイラスは、二人には何の効果もなさないだろう反論をすることしかできなかった。




