第3話 腐れ縁と裏の話1
カイラスの学園生活が始まって早数週間。
改めて悟った。平穏な学園生活は、自分に訪れることはないのだと。
ある日の昼食。
カイラスが食堂で一人食事をしていると。
「カイラス様、こちら空いてますわね。失礼いたします」
「おい勝手に座るな」
許可なく当たり前のように正面の席に腰を下ろしたアフロティーナ。カイラスの悪態などどこ吹く風で、彼女は優雅に微笑んだ。
「わたくしの顔を見ながら摂る食事は、格別に美味しくなりますわよ」
「顔を見て味が変わるわけないだろう」
「では試してくださいませ。わたくしをじーっくりと見て、一緒に食事をしましょう」
「断る!」
素っ気なく断ったはずが、何だかんだ押し切られ一緒に食事を摂ること数回。
また、ある日の放課後。
授業も終わり寮へ帰ろうとしたカイラスのもとへ、いつもの如くアフロティーナがやって来た時は。
「カイラス様、わたくし朝と比べて変わったと思いませんか?」
「……? いや……別に何も変わってないと思うけど」
アフロティーナは楽しそうにくるりと回り、制服のスカートを靡かせた。その姿は、認めたくはないが絵になるほど美しい。だが、どう見ても朝との違いが分からず首を傾げると、アフロティーナは少しだけ口を尖らせた。
「まぁ、気付いてくださらないなんて。朝に会ったわたくしより、今のわたくしの方がさらに美しくなっているというのに」
「……はい?」
「わたくしという存在は、毎時毎秒美しくなりますから。カイラス様には、一瞬たりとも見逃してほしくないのです」
「本気で何を言っているか分からないんだが」
相変わらず自己肯定感が最強すぎる主張をするアフロティーナに、カイラスが若干引いたり。
そんな二人の攻防は毎日繰り広げられ、もはや学園の名物となっていた。カイラスにとっては誠に遺憾であるのだが。
ちなみに周りの反応はというと。
「おー今日もやってる」
「なぁ、リッツバーグがいつ落ちるか賭けないか」
「なんでアフロティーナ様を選ばないのよ、あの男っ」
「くそー! 俺もあんな風に愛されたい……!」
(じゃあ代わってくれ頼むから……!)
ある者は面白半分に見守り、またある者は羨望や嫉妬が入り混じった視線を向けていた。中にはカイラスに同情的な視線を送る者もいる。しかし、触らぬ神に祟りなしとばかりに遠くから応援されるだけだった。
ほとんどの生徒が愉快犯のように二人を観察している中、この攻防を最も面白がっている男がいる。
「編入早々に随分と面白いことになっているじゃないか、カイラス」
「全然面白くないんですがね、殿下」
学園の庭園の一画。美しい花々で飾られた花壇の傍に設置されたティーテーブルで、カイラスは金髪を揺らしてニヤニヤと笑う男と向かい合っていた。
男の名はゼノス・フォン・ディ・アルトバル。アルトバル王国の第一王子にして、次期国王の筆頭候補である。そしてカイラスにとっては、昔から面倒事を運んでくる腐れ縁でもあった。
「笑うな、という方が無理じゃないかな。君が振り回されているのを見るのは、実に愉快だからね」
「……この性悪め」
「おや、褒めてくれてありがとう」
「全くもって褒めてませんけど」
仏頂面で紅茶を啜るカイラスに、ゼノスは楽しげに紫の瞳を細めた。その瞳に見つめられるとまるで全てを見透かされているようで、どうにも落ち着かない。カイラスは視線を逸らし、誤魔化すように溜息を吐いた。
「はぁ……。ところで、しばらく学園に来てなかったですが、何をしてたんですか?」
「ん? 事後処理に追われていたんだよ。昨日ようやく終わって解放されたんだ」
「事後処理?」
「あぁ。君もある意味当事者の、アロンが仕出かした婚約破棄のね」
カイラスにとっては悪夢の始まりとも言える舞踏会での婚約破棄。思わず苦虫を噛み潰したような顔をするカイラスに、ゼノスは「今日はよく表情が変わるなぁ」と思いながら続けた。
「そもそもアロンとアフロティーナ嬢との婚約は、王家からの打診──特に正妃様からの強い希望で成立したものだったんだ」
ゼノスの綺麗に手入れされた指が、テーブルをトントンッと叩く。
「それなのに、アロンはあんな一方的な婚約破棄をした。さらには衆人の面前で、だ。もうこちらの面目丸潰れさ」
大袈裟に肩をすくめるが、全く困っている様子は見られない。それどころか、どこか楽しんでいるようにすら見える。
「その割に、随分と余裕そうですが」
「そうかな?」
「あの日、『面白いものを見られる』とか言ってさっさといなくなりましたよね。全部、殿下の思惑通りだったのでは?」
俺のこの状況含めて。そう睨み付けてくるカイラスを一瞥したゼノスは、給仕人が新しく入れ直した紅茶を一口含んだ。
「確かにアロンの婚約破棄は想定内だ。あれは堪え性がないからね、そろそろ仕出かすと思ってはいたさ。ちなみに、アロンは今回の責任でしばらく謹慎させたよ」
「相変わらず、弟に対しても容赦のないことで」
「これも愛ゆえ、かな。分かってもらえないのが悲しいけれどね」
「他には?」
言葉とは裏腹に悲しむ素振りのないゼノスを無視して、カイラスは続きを促す。
「侯爵家との交渉を僕に任されたことかな」
「侯爵家との……。あぁ、恩を売りつけたわけですか」
「さすがの正妃様も向こうに合わす顔がないからね。いやぁ、僕にお願いしてくるあの人の悔しそうな顔、実に見ものだったよ」
「ほんっと性悪ですね」
「これであちら側はしばらく大人しくせざるを得ないからね。性悪でもなんでも構わないさ」
ゼノスは第一王子ではあるが、側室の子供であった。そして、第二王子である弟のアロンは正妃の子。つまりゼノスとアロンは腹違いの兄弟なのだ。
本来、正妃の子が次期国王候補として選ばれるのがこの国の通例。だが、ゼノスは側室の子であることに目を瞑っても非常に優秀で、さらに前国王の覚えもめでたい。その結果、異例で次期国王候補に選ばれた。
もちろんそんなことになれば、アロンと正妃にとっては大変面白くない状況なのは当たり前。第一王子の座、そして次期国王の座を奪おうとするゼノスに、二人は昔から非常に当たりが強かったのだ。
その現場を片手で足りないほど見てきたカイラスは、何とも言えない顔で紅茶をもう一口啜る。
「結局、いつも通り全部殿下の思うがままになったということですか」
「いいや。今回は僕にも想定外なことがあったんだよね」
ゼノスは盤上を操る棋士のように、人の感情すら計算し先回りして行動を起こす周到な性格だ。
だからこそ、『想定外』という言葉がこの男から出ること自体珍しい。カイラスは怪訝そうに眉を寄せる。
「本当に予想ができなくて、さすがの僕も頭を抱えたよ」
「殿下にしては珍しいですね。その想定外って何です?」
するとゼノスは、何とも愉快そうに口角をニヤリと釣り上げる。
その顔に嫌というほど面倒事に巻き込まれたことを思い出し、しまったと後悔するも、もう遅い。
「それはもちろん──アフロティーナ嬢のことしかないだろう」
今や、カイラスにとって目の前の男以上に面倒事を運んでくる人物。
鮮烈なまでに脳に焼きついた白金色の厄災を思い出し、盛大に顔を顰めた。その顔を見て笑いを堪えるゼノスは、テーブルに肘をつけ優雅に指を組むと、カイラスを楽しそうに見据えた。
「まさか婚約破棄された途端、君に猛突進してアプローチをするだなんて、本当に夢にも思わなかったよ。いやはや、恋する乙女の行動力は凄まじいね」
「他人事みたいに!」
「他人事だからね」
「この際殿下の思惑通りの方がまだマシだった……!」
「あっははは!」
頭を抱えたカイラスに、ついにゼノスは声を出して笑った。
「笑ってないで、あの人のこと止めてくれませんかね? 殿下ならどうにでもできるでしょう」
「無理だよ。彼女の行動だけは本当に読めなくて僕には手に負えない。加えて、今回の婚約破棄で侯爵家には借りがある。それを返さない限り、僕が手を出すことはないよ」
「くそ……! 殿下にどうにかしてもらおうと思ってたのに! なんて使えないっ」
「酷い言いようだ。さすがの僕も傷付くなぁ」
「鉄の心臓のくせに何言ってるんですか」
「そもそも、本当に嫌なら適当に理由を作って断ればいいだろうに。何でしないんだ?」
「そんなのとっくにしましたよ……!」
カイラスとて、ただアフロティーナの圧に押されていただけではない。最初に選ばないと断ったし、それでも諦めないため、他に好きな人がいると出まかせを言って諦めさせようともした。しかし、その作戦は──
「婚約者がいないことは知ってますわ。もしも本当に好意を寄せる方がいらしたのなら、もっと早い段階でそうおっしゃられたはず。つまり、その話は出まかせと分かりますわ。最近好きになったというのも考えにくいですわね。だってこんなにも美しいわたくしがいるのに他の女性に好意を向けるなんて、あり得ないことだと思いませんこと?」
「ですから、今のカイラス様のお話ではわたくしの諦める理由にはなりませんの」と、笑顔と圧に押し切られ失敗に終わったのだった。
むすりと不貞腐れるカイラスに、ゼノスはひとしきり笑ったあと、ふと意識を切り替えるようにティーカップへ視線を落とした。
「まぁ、君の災難はさておいて」
「さておかないでほしいんですが」
「留学はどうだった?」
「……まぁ、悪くはなかったですよ。色々と学ぶこともありました」
「そうかそうか。僕の側近になるためにたくさん研鑽を積んできてくれたようで何よりだ」
「そんな約束はした覚えはないですね」
即答すると、ゼノスは「つれないなぁ」と肩を竦めた。そんな軽口を叩きながらも、紫の瞳はじぃっとカイラスを観察している。
「家族には会ったのか?」
不意の問いかけに、カイラスの指がピクリと一度痙攣した。それをゼノスは見逃さない。
「……今は領地にいますから、手紙だけ出しておきました」
「戻る予定は?」
「……まぁ、機会をみて考えます」
何とも歯切れの悪い回答。先ほどまでとは別の意味で顔色を悪くするカイラスに、ゼノスはそれ以上追求することはなく「そうか」とだけ答えて目を伏せる。
まだダメか、と。少しだけ組んだ指に力が籠ったのに、カイラスが気付くことはなかった。




