第28話 お茶会と危険な香り1
夜会から数日が過ぎた。
一連の騒動が嘘だったかのように、学園では平穏な日常が続いている。カイラスのもとへ押しかけては、飽きることなく自らの美しさを誇るアフロティーナ。カイラスはそんな彼女に呆れながらあしらい、周囲もまた二人を面白おかしく観察する。
当たり前になったそんな日常に、誰もが夜会で起きた騒動など、忘れかけているようだった。
キュレナも以前と変わらず、数人の取り巻きを従えて学園内を歩く姿を度々目にする。しかし遠くからこちらを見ている気配は感じるが、直接関わってくることはない。
一方セイドは廊下ですれ違えば、カイラスに対して露骨な敵意を隠そうともしなくなった。だがすれ違いざまに睨みつけてくるだけで、それ以上何かを仕掛けてくる様子はない。
カイラスも警戒を緩めることなく周囲へ目を配っていたが、今のところ新たな動きは何一つ見当たらなかった。
だからこそ──
(……静かすぎる)
昼休みの校舎を歩きながら、小さく眉を寄せた。何も起きないこと自体は喜ぶべきことではある。しかし相手が動かない限り、こちらも打てる有効な手もない。近衛側からも新たな情報はなく、歯がゆい膠着状態が続いていた。
「カイラス様」
思考の海へ沈みかけていたカイラスの意識を、澄んだ声が現実へと引き戻す。
顔を上げると、廊下の向こうからアフロティーナが優雅な足取りで歩み寄ってきていた。窓から差し込む陽光を受けた白金色がきらきらと輝き、すれ違う生徒たちが思わず目を奪われているのが見て取れる。
「少しお時間よろしいでしょうか」
「別にいいけど、何かあったのか?」
目の前まで来たアフロティーナは、どこか期待を込めてカイラスの顔を覗き込んだ。
「本日の放課後、小さなお茶会が開かれますの」
「お茶会?」
「はい。薬草学を担当されている先生が主催なさるもので、人数も十数名ほどの気軽な集まりですわ」
「薬草学……スー先生か」
薬草学の教師──ゲラト・スーは薬草やハーブの栽培を趣味とする教師で、授業で使うものとは別に庭園の花壇でも様々な植物を育てている。
希望する生徒には気軽に分け与えてくれる物好きな教師として知られており、カイラス自身もその授業を専攻しているため、馴染みのある人物だ。
「えぇ。そのお茶会にわたくしも招待されておりますの。よろしければ、カイラス様もご一緒にいかがでしょう?」
「分かった、参加する」
「え……」
考える素振りすら見せずに即答したカイラスに、アフロティーナがぱちぱちと瞬きを繰り返す。だが、次の瞬間にはパッと花が咲くような笑みを浮かべ、嬉しさを隠しきれない様子で胸の前で手を組んだ。
「ありがとうございますっ」
あまりにも嬉しそうに笑うものだから、カイラスは照れ隠しに小さく頬を掻いた。以前ならこの距離感にうんざりしていたはずなのに、今は不思議とそこまで抵抗を感じない自分がいる。
(……いや、何を考えてるんだ俺は)
苦笑交じりに胸中で呟き、カイラスは意識を切り替えた。夜会から続く悪意は消えていない。だから、何かが起きた時、近くにいた方が都合がいいだけ。ただ、それだけの理由だ。
──そう自分に言い聞かせるように、胸の奥で繰り返した。
夕刻の柔らかい光が差し込む頃、カイラスはアフロティーナと共に庭園の奥へと足を踏み入れた。
共用庭園から少し離れたその場所には、ゲラトが個人で管理している花壇が広がっている。色とりどりの花々の他、珍しいハーブや薬草が整然と植えられ、風が吹き抜けるたびに清涼感のある独特な香りが鼻腔をくすぐった。
そのすぐ脇にセットされたガーデンテーブルには、既に十数名ほどの生徒が席に着いている。参加者の顔触れは実に様々。学年も違えば、爵位も派閥さえバラバラ。中にはキュレナの取り巻きの令嬢も一人混ざっていたが、キュレナ本人はおらず、こちらを気にする様子もない。カイラスは軽く警戒しつつも、改めて参加者を見渡した。共通しているのは、ゲラトと何かしらの接点のある面々ということだけだろう。
「おぉ、来たか来たか」
花壇の手入れをしていたゲラトが二人に気づくと、土の付いた手袋を外しながら朗らかに笑った。
「先生、本日はお招きいただきありがとうございます」
「突然お邪魔してすみません。参加させていただきありがとうございます」
アフロティーナが優雅に一礼すると、隣でカイラスも頭を下げる。それを見てゲラトは満足そうに頷いて、二人に席に座るよう促した。
「堅苦しい挨拶はいらんよ。それに、君なら歓迎だ。それじゃあ、お茶を飲みながら楽しもうではないか」
二人は勧められるまま空いている席へ腰を下ろす。和やかな空気の中、周囲を何気なく見渡したカイラスは、この花壇に見覚えがあることに気づいた。
(そういえば、ここって……)
庭園の奥にある、教師が管理する花壇。そして隣にいるアフロティーナの姿を見て、カイラスの脳裏に先日の出来事が鮮明に蘇った。
以前この場所で、アフロティーナが教諭から貰ったハーブを嬉しそうに見せてきたこと。
ハーブの香りに過去のトラウマが刺激され、苛立ちと恐怖に任せて強く拒絶してしまったこと。
五年前と同じ、傷つけてしまったあの瞳の揺らぎを見たこと。
(……今思い出しても、だいぶ酷いよな)
自己嫌悪から居心地の悪さに苛まれ、気まずさを隠すように隣へそっと視線を向ける。しかしアフロティーナはあの日の拒絶などまるで気にした様子はない。瞳を輝かせて楽しそうに花壇を眺め、不意に目が合うと、咲き誇る花々さえ霞むほど美しく微笑んだ。
その表情に、過去をいつまでも引きずっているのは自分だけなのだと苦笑する。だけど少しだけ救われた気がして、カイラスは僅かに肩の力を抜いた。
「さぁ、まずは私がブレンドしたお茶だ。どうぞ召し上がれ」
ゲラトがそう言うと、給仕人の手によって参加者たちのカップへ丁寧にお茶が注ぎ分けられていく。
注がれたハーブティーは癖がなく、驚くほど飲みやすい。口の中に広がる清涼感と優しい香りに、集まった生徒たちも自然と表情を緩めた。
「これは……カモミールとミントですか?」
「ほぅ、よく分かったな」
「一応、先生の授業を受けていますから。癖がなくて、とても飲みやすいですね」
「今年採れたカモミールでな。香りが柔らかくて、ミントとの相性もいいんだ」
「確かに、とても良い香りですわ」
「もしハーブが苦手なら、ミルクや蜂蜜を少し入れると、さらにまろやかになって飲みやすくなるぞ」
「そうなのですね。これでも十分美味しいですが、今度はそちらも試してみたいですわ」
思い思いにお茶を味わいながら談笑を続けていると、一人の女子生徒が花壇へ目を向けた。
「先生、あれは何という花なんですか? 初めて見ました」
興味深そうに指差した先。そこには赤や青、紫、白――様々な色の花を咲かせる蔓植物が、支柱へ絡みつくように伸びている。
「あれは東方から取り寄せたアサガオという花だ」
「まぁ、東方の!」
「何だか可愛らしいお花ですね」
「うむ。観賞用として人気が高く、向こうでは夏を代表する花らしい」
他の女子生徒たちも、珍しいその花を目を輝かせながら眺めていた。
ゲラトはその様子を満足げに眺めると、「ただし、気をつけることもある」と言い、すっと笑顔を消す。
「花や葉っぱは問題ないが、アサガオの種には毒性があってな。誤って飲み込むと強い腹痛に見舞われることもあるんだ」
「そんな……花はこんなに綺麗なのに……」
「だからこそ植物は面白い。美しい花が薬にも毒にもなれば、見た目は地味でも人を救う薬草もある。見た目だけで判断してはいかんということだよ」
感心したような頷きが、あちこちから返ってきた。その中で、ふと一人男子生徒が『東方』という言葉に反応して口を開く。
「東方といえば……父の商会が先日東方視察から戻ってきたんですが、向こうじゃ香辛料や薬草が随分値上がりしてるそうですよ」
「ほう、交易路で何かあったのか?」
「権力争いに加えて、周辺国との小競り合いも重なって、交易路や物流に制限がかかっているとか」
「……なるほどな。流通が滞れば、値が上がるのも当然か」
商家の子らしい情報に、生徒たちは興味深そうに頷く。
「どこの国も大変ですねぇ。結局、権力者同士が揉めると苦労するのは下の人たちですし」
「でも、この国も人のこと言えませんよね。王族の方々も最近また色々と揉めてるみたいですし」
「ですよねぇ。上の人たちの喧嘩で、こっちまで面倒事に巻き込まれなきゃいいんですけど」
別の男子生徒が苦笑混じりに肩を竦める。その言葉に、ゲラトは苦笑しながら人差し指を立てた。
「こらこら。その手の話は、あまり大きな声でするものじゃない」
「え?」
「この学園には、いろいろな立場の者がおるからな。どこから誰の耳に入るか分からんぞ」
場の空気がほんの少しだけ引き締まる。何人かの生徒が、窺うようにそっとカイラスへ視線を向けた。
ゼノス第一王子の側近候補。その立場を知る者にとって、今の会話は少々気まずいものだったのだろう。しかし当の本人は、周囲から向けられる視線にも気づかぬふりをして、あえて何の反応も返さない。
(……確かに面倒だよな。早く殿下が王位に就いてくださればいいんだけど)
うっかり口に出せば第二王子派から刃が飛んできそうな本音を胸の内へしまい込み、カイラスは何食わぬ顔でカップを口元へ運ぶ。
庭園に流れた微妙な空気を察したゲラトは、わざとらしく咳払いを一つ。それから、何事もなかったかのように口を開いた。
「あぁ、そうだ。これは独り言なのだが」
「え?」
「今期の薬草学の期末試験……薬草の効能だけ覚えていても点は付かないかもしれないな」
「えぇっ⁉︎」
あちこちから生徒たちの悲鳴にも似た驚きの声が一斉に上がる。
「葉や花の形を見分けられるようにしておくといいことがありそうだ。もしかしたら、実物を見せて答えさせる問題が出るかもしれない。あぁあと、香りの特徴も覚えておいて損はないな」
「スー先生……それ聞いてしまって大丈夫なんですか?」
「おや、私は独り言を言っただけだが? あぁでも、間違っても学園長の耳には入れないでおくれよ」
悪戯っぽく笑うゲラトに、生徒たちからは安堵したような笑い声がこぼれた。先ほどまで漂っていた気まずさはいつの間にか消え、花々の香りに包まれた庭園には、再び穏やかな空気が戻っていく。
その雰囲気は、まさにどこにでもある平和なお茶会そのものだった。
──少なくとも、この瞬間までは。




