第22話 夜会に潜む思惑と潜まぬ悪意1
煌びやかなシャンデリアから無数の光が降り注ぎ、学園の楽団が奏でる優雅な旋律が会場に広がっている。
学生はもちろん、関係者も多く参加する学園主催の夜会は、単なる娯楽の場ではない。これから社交界で生きる生徒たちが、礼節や振る舞いを実践の中で学ぶための大切な研鑽の場でもある。
誰もが洗練された装いに身を包み、互いを見定めよう視線を交わし、夜会は静かな緊迫感に包まれていた。
しかし、一組の男女が足を踏み入れた瞬間──
ざわり、と。会場の空気が揺れた。
「──あの方はもしや」
「ヴェルシェ嬢、だよな」
「……なんて美しいんだ」
会場中の注目を一身に集めたのは、月光を彷彿とさせるシャンパンゴールドのドレスを纏った令嬢──アフロティーナ・ヴェルシェ。
国内外を含めても屈指の美貌を誇る彼女は、常に注目の的であるが、今宵の夜会は一味違う。一段と美しさに磨きがかかり、いつも以上の存在感を放ちながら周囲を圧倒していた。
神々しさすら覚えるほどの美しさ。そして目を逸らすことは許さないと言わんばかりのその姿に、誰もが息を呑んで見惚れていた。しかし、人々の驚愕はそれだけに留まらない。やがてその関心は、彼女の白い手が添えられた右腕──隣に並び立つ青年へと吸い寄せられていく。
「隣にいるのは誰かしら……アフロティーナ様と並ぶと、とても絵になるわ」
「……とても素敵な方ね、お近づきになりたいわ」
「あんな奴、学園にいたか?」
夜空を溶かしたような深いミッドナイトブルーの燕尾服を完璧に着こなし、アフロティーナの放つ輝きを最も美しい形で引き立てている青年──カイラス・リッツバーグ。普段は隠された端正な容姿と凜とした佇まいに、会場中の女生徒たちから感嘆の声が漏れ、男子生徒からは嫉妬混じりの眼差しが突き刺さる。
賞賛、羨望、嫉妬── 様々な感情が入り混じった無数の眼差し。その全てをカイラスの隣で浴びながら、アフロティーナは自慢の宝物を皆に見せびらかすかのように、その腕へさらに身を寄せた。途端に大きくなったざわめきに、美しい唇が小さく弧を描く。
「ふふっ」
「……随分とご機嫌だな」
「えぇ。だってようやく皆様が、カイラス様の魅力に気づいたのですよ? 嬉しいに決まっておりますわ」
「見てる奴らの大半は、俺目当てじゃないと思うが」
「わたくしが注目を集めてしまうのは当然ではございますが……カイラス様、あちらをご覧ください」
小さく袖を引くアフロティーナの示す先へ目を向けると、驚愕した顔でこちらを見つめるキュレナとその取り巻きたちの姿があった。カイラスと目が合うと頬を赤く染め、慌てて視線を逸らす様子に、アフロティーナは満足そうに目を細める。
「ふふふ。今頃、冴えないなどと評した己の審美眼の無さを悔いていらっしゃるに違いありませんわ」
「それは買い被りすぎだろ」
「そんなことありません。今宵のカイラス様は、世界で一番素敵な殿方ですもの。もっとも、わたくしにとってはいつだってそうですけれど」
「……自分の審美眼も磨き直した方がいいんじゃないか?」
小さな復讐を果たして上機嫌なアフロティーナに呆れながら、カイラスは注がれる無数の視線から逃れるように、会場をゆっくりと見渡した。すると、一段高く設けられた貴賓席で来賓と談笑するゼノスの姿が目に入る。隣には異国風の豪奢なドレスを纏った若い女性が控え、微笑みながら言葉を交わしていた。
ゼノスの隣に当然のように寄り添う姿を見て、カイラスは思わず眉を顰める。
(殿下の隣にいる女性……ナーティア聖王国の第一王女だよな。なんでここにいるんだ?)
学園主催の夜会に、他国の王族が姿を見せるなど滅多にない。さらに、ナーティア聖王国は女王統治の国。その第一王女ということは、すなわち次期女王となる人物だ。そんな大物が出席する場合、事前に知らされないはずがなかった。
それに、ゼノスの様子もどこかおかしい。表面上は完璧な笑みを浮かべてはいるものの、長い付き合いであるカイラスには一目見ただけで分かる。貼り付けたような微笑は、警戒している相手に見せるものだということが。
何が起こっているのかと、カイラスが思案を巡らせていれば、隣からドレスが擦れる小さな音が届く。
「──カイラス様、少しお耳を貸してくださいませ」
アフロティーナは自然な所作でカイラスとの距離を詰めると、耳元へ顔を寄せた。白百合の上品な香りが、密やかな密告と共に耳朶を打つ。
「ナーティア聖王国の王女様のことですが……表向きは視察で、本命は殿下との縁談が目的だそうですわ」
「縁談? それは無理だろ、殿下はこの国の次期国王で、向こうは次期女王……あぁ。なるほど」
次期国王と、次期女王。そんな二人の縁談など、どちらかが王位を捨て国を出るか、あるいは国同士の合併でも起きない限り成立することはない。だが、ゼノスをナーティア聖王国へ送り出そうと画策する者がいるとすれば、真っ先に脳裏に浮かぶ人物がいた。
「殿下を婿として、かの国に迎えさせるって魂胆か」
「おそらくは」
「王妃殿下の考えそうなことだな」
思わず漏れそうになった舌打ちを飲み込む。
(まぁ、殿下がそう簡単に出し抜かれることはないだろうが)
それでも、王妃が裏で動いているとなれば一筋縄ではいかない。厄介なことになりそうだ、とカイラスは小さく息を吐く。
「それにしても、そんな話をよく知っていたな」
「お父様が珍しく愚痴をこぼしておりましたの。本来ならヴェルシェ家が対応するはずだった案件を、王妃様が強引にゼノス殿下へ回した、と」
「それで侯爵の機嫌が悪かったわけか」
「えぇ。王妃様のご意向ですもの。お父様も表立って異を唱えることはできなかったようですが、随分と不本意そうでしたわ」
代々王国外交を担ってきたヴェルシェ侯爵家の役目を、王妃はわざわざゼノスへ差し替えた。それだけで、今回の来訪がただの視察でないことは明らかだ。
カイラスはもう一度、貴賓席へ視線を向ける。穏やかに笑みを貼り付けたゼノスと、その隣で優雅に微笑むナーティア聖王国の王女。遠目には和やかに談笑しているようにしか見えない。だが、その裏では多くの思惑が幾重にも絡み合っているなど、ほとんどの者は知る由もないだろう。
社交界とは、華やかな笑顔の裏で駆け引きが交錯する世界。それは学園が主催する夜会であっても例外ではない。それをカイラスが思い知ったのは、貴賓席から目を離した、その時だった。




