第20話 夜空と月光1
「ではカイラスさん、さっそく始めましょうか」
「……よろしくお願いします」
拉致監禁同然の衣装選びから二週間。ついに夜会当日を迎えたカイラスの姿は、寮の自室ではなく、学園本館にある貴賓室にあった。
王族や高位貴族が使用する特別室を、子爵家の次男が私用で使うなど、本来ならあり得ない。しかし現在カイラスはその貴賓室を貸し切り、無駄に大きく威厳ある装飾が施された姿見鏡の前で夜会に向けた準備を行っていた。
その理由は、嬉々としてその支度を手伝う女性の存在にある。
「ゼノス様から『カイラスの準備を手伝ってやってくれ』とお願いされた時は、何事かと思いましたよ」
「……すみません、オルシアさん。お手間をおかけして」
「あぁ、いいんですよ。支度の手伝いを任せていただけるなんて、メイド冥利に尽きるというものですから」
カイラスのシャツのボタンを慣れた手つきで留めながら、女性は誇らしげに微笑んだ。しかし、その顔は次の瞬間にはにんまりと意味深なものに変わる。
「それに聞きましたよ? 今回は自分に惚れているご令嬢をエスコートされるとか」
「う゛……」
「ならもう、気合を入れないわけにはいかないですよ。腕によりを掛けて、さらに惚れさせるくらい男前にしますから。安心して任せてくださいね」
そう言いながらサムズアップする女性──オルシア・フィガードに、カイラスはくっ……! 視線を逸らして抗うことしかできなかった。
オルシアはゼノスの専属メイドを務めており、カイラスもそれなりに付き合いが長い相手である。メイドとしての腕は一流。それでいて気さくで面倒見が良く、姉のような存在でもあった。もっとも、そのせいでゼノス共々あまり頭が上がらないのだが。
そんなオルシアがゼノスの命で夜会の支度の手伝いに来たと、寮まで押しかけてきたのはつい先ほど。そして、そのまま貸し切りの許可まで取った貴賓室に連れていかれ、支度をすることになったのだ。
「それにしても、今回の装いは随分と厳選して決めたそうですね。クロノさんが帰って来た時、何時間も待たされたって文句を言ってましたよ」
「それは絶対に俺のせいじゃない……!」
「そんなこと言って。好きな人を着飾りたいなんて、可愛い乙女心じゃないですか。愛されていますねぇ」
「……あれを可愛いなんて、なまやさしい言葉で片付けちゃいけないと思うんですけどね」
ヘアセットのために鏡台の前に座ったカイラスは、後ろに立つオルシアに向けて苦い顔を向ける。
「あらまぁ。随分熱烈とはゼノス様から伺いましたけど、あのヴェルシェ様がねぇ……」
オルシアはオイルを黒髪に馴染ませながら、鏡越しのカイラスの表情を見て不思議そうに首を傾げた。
「何か気になることでもあるんですか?」
「いえ。アロン様の婚約者でいらした時に何度かお見かけたことはありますが、高貴で気品ある立ち居振る舞いしか見たことがなかったもので。だから熱烈にカイラスさんに迫る姿が、あまり想像がつかないんですよね」
「……」
一度あの暴走ぶりを見せてやりたい気持ちと、姉のような存在に見られたくないという気持ち。真逆の感情がぶつかり合うカイラスは、小さく唸ることしかできなかった。
ヘアセットを終えると、オルシアが広げた肌触りのいいジャケットに腕を通す。タイや宝飾品を取り付け、最後にシュッと香水を軽く振った。スパイシーな清涼感から始まり、最後は落ち着きのある甘さを残した香りが、貴賓室に広がる。
「さぁ、できましたよ」
最後の微調整を終えたオルシアは一歩下がると、その視線をカイラスの頭の先からつま先までじっくりと巡らせる。
「これはまた……すごくお似合いです」
カイラスは姿見鏡へと視線を向け、完成した姿を確認した。
夜空を溶かしたような深いミッドナイトブルーの燕尾服。銀糸で施された繊細な刺繍は、その夜空を彩る星のように肩口から裾にかけて静かに輝いている。
オイルで整えられた黒髪は艶やかに流れ、鏡の中には普段よりも大人びた自分の姿が映っていた。
「派手過ぎず、地味過ぎず。バランスも良くて、カイラスさんの端正な顔立ちをより引き立てていて、本当に素晴らしい。これは夜会に参加する令嬢たちの視線を独り占めすること、間違いなしですね」
「……さすがに褒め過ぎじゃないですか?」
「いいえ、本心ですよ。もちろんカイラスさんのお顔立ちがあってこそですが、それをここまで引き立てる衣装を選んだご令嬢のセンスも本当に見事です」
「……まぁ、センスがいいのは認めます」
正直試着地獄を味わっていた時は、アフロティーナのセンスを疑っていた。なぜなら、カイラスから見ても微妙だと感じた衣装でさえ、もれなく褒めちぎっていたからだ。誰が見ても似合っていなかったド派手なピンクの衣装でさえ平然と褒めてきた時は、さすがに店員と一緒に「お前適当に言ってるだろ」と怪訝な顔を向けたのは仕方ないことだろう。
そのため夜会衣装は彼女の趣味全開の、とんでもないものが選ばれるのだろうな、と。カイラスは諦めの境地にいた。
しかし、いざ最終候補として挙げられた衣装は、奇抜なものなど一つも残っていなかった。どれも派手さで目を引くものではなく、自分の長所を自然に引き立てるようなものばかり。
『カイラスの魅力を一層引き立てる衣装を選ぶ』──この一点に関しては、アフロティーナの言葉に偽りはなかったのだ。
そのことを思い出し、少しだけ緩んだ口元を目聡く見つけたオルシアは、くすりと笑う。
「あらあら、満更でもない感じですか?」
「そっ、んなんじゃないですよ……」
「はいはい、分かりました。そういうことにしておきましょう」
素直じゃないなと、弟の恋路を見守る姉のような生暖かい目で見つめられ、気恥ずかしさをごまかすように咳払いを一つ。
そんなカイラスの反応に満足したのか、オルシアはそれ以上からかうことなく一歩身を引いた。
「それでは、これで私の役目は終わりですね。馬車も手配しておりますので、ご活用ください」
「本当に何から何まで、ありがとうございます」
「いいえ、お礼ならゼノス様へお伝えください。もっとも、あのお方ならお礼より、土産話の一つでも差し上げたほうがお喜びになりますよ」
「そうですね。今度お会いした時に退屈しない程度の話は用意しておくと、伝えてください」
「かしこまりました。──それでは、今宵はどうぞ楽しいひとときが過ごせますことを、お祈りしております」
頭を下げたオルシアに見送られたカイラスは、侯爵邸へと向かうため馬車に乗り込んだ。
王家所有の馬車とあって、乗り心地は最高。心地のいい振動を感じながら、ここまでお膳立てしてくれた腐れ縁がサムズアップする姿が脳裏に浮かぶ。
「ここまでしてもらった以上は、さすがにカッコつかない姿は見せられないか」
それに、二週間前のクロノからの伝言も気になる。あの日以降、カイラスはゼノスには会えていないが、面倒事が起こっていると考えるべきだろう。
「……オルシアさんは何も言わなかったけど、ただの支度のためだけじゃないよな」
わざわざ第一王子専属のメイドを派遣し完璧な支度をさせ、さらには王家所有の馬車まで用意をするなんて。からかい半分もあるだろうが、カイラスは別の意味と捉える。
「──付け入る隙を与えるな、ってとこかな」
ただでさえあのアフロティーナのエスコートをしないといけないのに、それ以上の面倒事が起こる予感しかしないなんて。
現実逃避をするように流れる景色を眺めるうちに、馬車は目的地へ到着した。そしてカイラスは使用人にどこか気まずげに迎えられ、応接室へ通される。
──しかし、そこで待っていたのはアフロティーナではなかった。
「……」
「……」
カイラスは何故か、アフロティーナの父──ヴェルシェ侯爵と向かい合って座ることになったのだった。




