第19話 誘拐と監禁2
そしてブティックに来てから四時間経ち──
「カイラス様、この衣装でよろしいでしょうか?」
「……あぁ……ほんとにもう、なんでもいい…………」
「それでは、こちらでお願いいたしますわ」
「かしこまりました。この度は数ある中から当店をお選びいただき、誠にありがとうございました」
キラキラと輝く笑顔でご満悦のアフロティーナと、魂が抜けてげっそりとしたカイラスは、ブティックの応接室のソファに腰を下ろしていた。
真逆の二人を眺めながら、店員は内心「リッツバーグ様は相当お人好しで苦労性だな」と今日一日を通して得た評価を下す。もちろん、そんなことを考えていることはおくびにも出さず、上品な笑顔を浮かべたままカイラスに書類一式を手渡した。
「こちら、契約書でございます」
「……はい」
「ご確認いただき、問題なければサインをお願いいたします」
「……」
カイラスは書類を受け取ると、死んだ目をしながらもパラパラと紙を捲る。そして隅から隅まで目を通していった。
不備はないか。口頭説明と記載内容とで相違点はないか。こちらに不利益になり得る追記はされていないか。どんな小さなことでも契約書にサインをする以上、念入りなチェックは欠かせない。貴族として、何よりゼノスの側近候補として過ごしてきた数年で身についたことだ。
カイラスは全ての記載内容の確認を終えると、サラサラと契約書にサインし、店員へと渡した。
「ありがとうございます。お召し物は手直しが終わり次第、前日までに学園寮までお届けいたします」
「よろしくお願いします」
そんな二人のやり取りを横で眺めながら、アフロティーナは納得できないといった不満げな顔で口を開く。
「カイラス様。やはりわたくしがお誘いしたのですから、こちらで持ちますわよ」
アフロティーナは当初、カイラスの衣装代は全て侯爵家で持つ予定だった。自分から誘ったこと、爵位も侯爵家の方が上だから当然だと。金に糸目をつけないから、好きに選んでほしいと伝えた。しかし、カイラスから返ってきたのは断固としての拒否だったのだ。
「さっきも言っただろう。年下の女性に、しかもエスコートする相手に払わせるなんて、面目が立たないことをさせないでくれ」
「……分かりましたわ」
そこまで言われてしまうと、無理やり払うことなんてできるわけがない。渋々ながらも大人しく引き下がったアフロティーナに、カイラスは珍しいなと目を瞬かせた。
だが、彼女がそう簡単に引き下がるはずもなく──
「では、それ以外の本日試着したものを全てわたくしが買い取って、プレゼントいたしますわね」
「何着あったと思ってる⁉︎ そんなに着られるか!」
「いっそのこと、ブティックごと買収した方が早いでしょうか」
「いい加減人の話を聞いてくれ……」
「光栄なお申し出ではございますが買収は……出資か共同経営ということであれば交渉のテーブルをご用意いたしますが、いかがでしょう」
「なんであなたも乗るんですか……!」
ビジネスチャンスと見たのか。上品な笑顔からキリッとした商売人の顔に変化したしたたかな店員に、「ここにも味方はいないのか⁉︎」と嘆くことしかできないカイラスだった。
「あ゛ーー……やっっっと終わったぁ……」
他の礼服は買わないこと。そして買収及び出資話もしないこと。二点を強く念押しし、カイラスは疲弊し切った体を引きずって試着室に戻った。ようやく監禁という名の衣装選びから解放された……! と、誰もいない試着室のソファーにだらしなく横になる。
そう、誰もいない──はずだった。
「──おい腑抜け」
「うぉわッ!」
突然背もたれの向こうからにゅっと現れた顔に、カイラスは悲鳴と共に飛び上がった。
不審者か⁉︎ と反射的にソファーから距離を取る。冷や汗がたらりと頬を伝うも、改めて見たその正体が見覚えのある男だと分かり、一気に脱力した。盛大なため息を吐くカイラスに、鋭い視線が突き刺さる。
「はぁー……警戒して損した……」
「終わるのが遅過ぎる」
「その文句は他に言ってくださいよ、ウィラー卿」
そこにいたのは、不機嫌さを隠さずに漆黒の瞳で睨みつけてくる男──ゼノスの近衛であるクロノ・ウィラーだった。
「いつここに入り込んだんですか?」
「お前があの侯爵令嬢に鼻の下を伸ばしていた時だが。すでに腑抜けのくせに、恋愛にまで現を抜かすなんて。いい気なものだな」
「鼻の下なんて伸ばしてないし現を抜かしてもな……ちょっと待て。まさか俺が着替えている時もずっといたんですか……?」
「いたが」
「どこに⁉︎」
「天井裏」
「怖いわっ! というかいたなら声をかけてくださいよ……!」
「知るか。腑抜けているから気づけないんだろ。お前が悪い」
クロノは元孤児の平民で、ゼノスに拾われ跡取りがいない男爵家に養子入りした経歴を持つ。そこから近衛まで登り詰めた叩き上げで、拾われた恩義から主に絶対的な忠誠を誓う番犬だ。そのため、友人のような距離感でゼノスと接するカイラスを快く思っていない。顔を合わせれば嫌味が一つや二つ飛んでくるのは、もはや日常茶飯事だった。
そんな近衛が、なぜこんなところに侵入してまで会いに来たのか。その理由は、一つしかない。
「……世間話をしに来たわけないですよね」
「当たり前だ。誰が好き好んでお前に会いに来るか」
「はいはい、分かってますよ。殿下絡みですね」
「チッ」
不機嫌さを隠そうともせず盛大に舌打ちをするクロノからは、さっさとここから去りたいというのがあからさまに透けて見える。
だが、主から託された命令を遂行しないという選択肢は、クロノには存在しない。早急に終わらせて主のもとへと帰るため、渋々といった様子で口を開いた。
「……ゼノス殿下からの伝言をお預かりしている」
部屋の空気が、一段重くなる。
「ありがたく拝聴しろ」
漆黒の瞳が、ナイフのように鋭さを増した。
「──『僕の名前は好きに使ってくれて構わない』。以上だ」
「……は」
その言葉の重さを、カイラスは嫌というほど理解している。
『名前を使う』ということは、この国の最高権力の一角である『ゼノス・フォン・ディ・アルトバル』の名を矛として、そして盾としての使用を許すということ。
つまりこの伝言は、カイラスにゼノスの権威を行使することを許し、それに伴う責任は全てゼノスが被るという、とんでもない許可証だった。
「……王宮で何かあったんですか、ウィラー卿」
「お前が知る必要はない。……と言いたいところだが、殿下は面倒なことが起こりそうだと危惧されておられる」
「だから、これは保険の一つだ」と補足し、クロノは役目を終えたとばかりにすたすたと窓際まで足早に進むと、窓枠にガッと右足を掛ける。
「じゃあ俺は行く。……精々殿下の期待を裏切ることだけはするなよ」
「ちょっ、ウィラー卿⁉︎」
そう言い残すと、クロノは何の躊躇いもなく窓から飛び降りた。カイラスは思わず駆け寄り下を見るも、そこにはすでに人っ子一人いない。
「ここ二階だぞ……」
着地音も、その痕跡すら残さない身体能力の高さに、驚嘆よりも呆れが先にくる。
カイラスははぁ……と重たいため息を吐き、窓を閉めるともう一度ソファーに横になった。今度こそ確実に一人になり、天井を見上げながら先ほどの言葉の意味を考える。
「殿下の名前を使っていいって……荷が重い……」
できることなら使いたくない。だがゼノスがこういう言葉を口にする時は、決まって面倒事が起こる前触れ。
そしてその予感を、ゼノスが外したことは一度もなかった。




