第18話 誘拐と監禁1
王都の中心街には、会員制の高級ブティック店がある。宝石から舞踏会の衣装まで、幅広く品質の良い品々を取り揃えるそこは、たとえ高位貴族であろうと簡単に足を踏み入れることは許されない。その店で買い物ができるというだけで一目置かれる、老舗中の老舗だ。
普段は静かで落ち着きながらも、どこか緊張感を漂わせるブティック店。だが今日は、華やかで耳心地の良い声が店内にふわりと広がっていた。
「今着ているものとは違う雰囲気のものはございます?」
「それでは……こちらはいかがでしょうか」
「そちらも似合いそうですわね。では次はそちらの準備をお願いいたしますわ」
「かしこまりました」
「………………」
扉の向こうから聞こえてくる会話にげんなりとしたカイラスは、気怠げな動作で手触りの良いジャケットに袖を通した。
「……どうして俺は高級ブティックで着せ替え人形になっているんだ」
目の前の大きな鏡に映るのは、豪華な礼服で着飾った自分の姿。そして、その華やかな衣装に似つかわしくない生気を吸い取られた己の顔を見つめながら、カイラスは深くため息を吐いた。
それは遡ること、昨日の放課後。
「カイラス様。明日、わたくしにお時間をくださいませ」
授業も終わり、寮へ向かう途中のカイラスにいつものように突撃してきたアフロティーナは、すでに決定事項だと言わんばかりの眩しい笑顔と共に懇願の言葉を口にした。
この笑顔の裏にあるのは、こちらの意思などお構いなしのお願いである。理解不能なことだらけだが、こういうところは実に分かりやすい。
「……ちなみに、何でだ?」
「二週間後の夜会で着る衣装を選びたいのです」
夜会の衣装選び──つまりアフロティーナのドレス選びのことだろうか。その理由に、カイラスは内心納得した。
先日、お詫びという名のエスコートを約束した時の異常な喜びようは、記憶に新しい。そんな彼女が、今回の夜会で気合を入れないわけがなかった。
そこまでは理解できる。だが、それに自分を誘う必要はないはずだが。
「別に俺が行く必要はないんじゃないか」
「カイラス様がいないと意味がありませんもの」
「何でお前のドレス選びに、俺が付き合わないといけないんだ」
「違いますわ」
「ん?」
いつものことではあるが、どうにも噛み合わない会話に首を傾げる。するとアフロティーナは口元に大きく弧を描き、ルビーの瞳を煌めかせて爆弾を投下した。
「わたくしのではなく、カイラス様の衣装選びです」
「…………俺の?」
考えてもいなかった言葉に、一瞬思考回路が停止する。
確かにエスコートの約束はした。だが、なんでそこから自分の衣装選びの話になるのか。何となく嫌な予感が、カイラスの背筋を這い上がる。
「……いや、礼服は持ってるから必要ない」
「新しいものを仕立てましょう」
「いらない」
「いります」
「何でだよ」
「カイラス様は今のままでも大変素敵ではございますが、より洗練された、その魅力を一層引き立てる衣装を身に纏っていただきたいのです」
真っ直ぐな眼差しでそう言い切られ、カイラスは言葉に詰まった。迷いなく伝えてくる想いの強さと有無を言わせぬ勢いに、調子を狂わされてばかりだ。
いつもなら、そう言われたところで素っ気なく断っている。だが、こちらから夜会に誘った手前、侯爵令嬢をエスコートするのであれば相応しい礼服を新調するべきかもしれない。子爵家の令息として、恥をかかせるわけにもいかないし……と、心の天秤が少しずつ承諾に傾きかけていると。
「あとは世界一美しいわたくしをエスコートするのでしたら、当然相応しい装いが必要ですもの。生地からオーダーメイドで仕立てますので、カイラス様がいらっしゃらないと始まりませんわ」
「やめろやめろいくらかかると思ってる⁉︎ せめて既製品にしてくれ!」
天秤の皿は一気に断る方へと沈んだ。
しかしこの時、失敗したと気づいたのはすぐのこと。
「そこまで言われるのでしたら、今回は既製品で構いませんわ。それでは明日、侯爵家御用達のブティックでお待ちしておりますね」
「あッ、ちょっと待て!」
「お迎えを手配いたしますわ」と言い残し、返事を聞かずに軽やかな足取りで去っていった。
その背を見送りながら、完全に誘導されたことを悟り「やられた……!」と頭を抱える。あまりにも鮮やかな交渉術に悔しさと感心が入り混じる、複雑な感情になるカイラスだった。
そして次の日の今日。
いっそのこと籠城してやろうと思っていた。アフロティーナは返事も聞かずに去っていったのだから、こちらに非はないだろう。そう考えベットで寛いでいたのだが、そんなカイラスの思考などお見通しだったのだろう。
「リッツバーグ様、失礼いたします。アフロティーナお嬢様より命を受けて参りました」
「お帰りください」
「申し訳ございませんが、必ずお連れするようにと言われておりますので。──失礼いたします」
「は、えっちょ、待て! 降ろせ!」
突如侯爵家の使用人に部屋へ押し入られ、カイラスは抵抗する間もなく担ぎ上げられる。そのまま馬車に押し込められると、問答無用でブティックまで誘拐されたのだった。
そして、ブティックに足を踏み入れた瞬間。
「ごきげんよう、カイラス様」
眩しい笑顔のアフロティーナと、その後ろにずらりと並んだ店員に出迎えられた。
「…….強引すぎないか」
「我が家の者が強引に連れ出してしまい、申し訳ございませんわ。それでは早速、こちらのご試着からお願いいたします」
「おい、話を、」
「リッツバーグ様、試着室までご案内いたします」
「ちょ、俺の意見は無視かッ!」
アフロティーナからは礼服を押し付けられ、店員に背中を押されたカイラスは、寮の自室ほどある無駄に広い試着室に放り込まれた。
そしてブティックに監禁されること、はや二時間。カイラスは完全にアフロティーナの着せ替え人形と化していた。精神を疲弊させる試着地獄は、彼女が満足するまで終わることはない。三十分ほどでそれを悟り、着替えを終えると素直に試着室の扉を開いた。
もちろん、扉の前にはアフロティーナと店員が待機しており、カイラスの姿を見るとぱぁっと花が咲いたように顔を綻ばせた。
「まぁ! 白もお似合いになりますのね。物語に出てくる貴公子のようでとても素敵ですわ。それに黒髪とのコントラストも映えて、カイラス様の魅力をより引き立てますわね」
「はい、とてもお似合いだと思います」
「……どうも」
何を着てもうっとりとした顔で大袈裟に褒めるアフロティーナと、何を着ても同じ言葉で同調する店員。カイラスの返す言葉も同じで、このやり取りが二時間繰り返されている。
これ、本当に今日で終わるのか……? と遠くを見ながら終わりの見えない時間に心の中で嘆くカイラスだった。
「こちらに合わせるとしたら宝飾品は何がいいかしら。カイラス様、こちらへいらしてくださいませ」
カイラスの手を取り、宝飾品の置かれたエリアまで歩くアフロティーナの足は、踊るように軽やかなステップを踏んでいる。どんな物が似合うかと、真剣かつ楽しげに宝飾品がずらりと並ぶ棚を眺める彼女に、今日何度目かのため息を吐いた。
「……そろそろいい衣装が見つかったんじゃないか?」
「どの衣装のカイラス様も素敵でしたわ。けれど、もっと相応しい衣装が他に見つかるかもしれませんので、もう少しお付き合いくださいませ」
「普通こういう衣装選びは、女性がするものだろ……」
「カイラス様、わたくしのドレスが気になりますの?」
「誰もそんなこと言ってないが」
「もちろんわたくしに相応しい最上級のドレスをご用意しておりますわ。早くお見せしたいのは山々ですが、当日のお楽しみにしていただきたい気持ちもあって悩ましいですわね」
「だから誰もそんなこと言ってない。……衣装選びはもう諦めるが、ここまでやる必要あるのか?」
「もちろんですわ」
アフロティーナは棚から一つのブローチを手に取ると、カイラスの胸元にそっと取り付ける。彼女の瞳と同じ色の宝石──ルビーが照明に照らされて、情熱的な輝きを放った。
「一番の理由は、わたくしがカイラス様を着飾りたいからですわね」
「着飾りたいって……」
胸元で煌めく赤色が、まるで自分が彼女の物になったように錯覚させられる。カイラスはどことなくむず痒くなり、さっと取り外すと近くにあったエメラルドのブローチと取り替えた。
自分の色が外されたことに、アフロティーナは微かにむっと唇を尖らせる。だが次の瞬間には「緑色も似合いますわね」と少し眉を下げて微笑んだ。そしてカイラスの全身に視線を巡らせると、白くしなやかな指先が軽く礼服の襟を整えた。
「カイラス様はこんなにも素敵な方ですのよ! と夜会に来る皆様に……いいえ、国中に自慢したいのです」
そして満足げに一度頷くと、ルビーの瞳が一層濃く輝き、周囲を焼き尽くさんばかりの熱を帯びる。
「──そして二度と、冴えないなんて言わせませんわ」
「なんでそっちを根に持ってるんだ……」
どう考えてもアフロティーナに投げられた言葉の数々の方が、酷いものだったのに。カイラスは呆れながらも、自分の名誉を回復するためにここまでやってくれたと知っては、これ以上文句を言うことはできなかった。やり過ぎだとは思うが。
「ヴェルシェ様、リッツバーグ様。次の準備が整いました」
音もなく隣に立った店員が、片手に礼服を持ちながら二人に恭しく頭を下げた。
「ありがとうございます。ではカイラス様、次のお召し物に着替えてくださいませ」
「……ちなみにあと何着あります?」
急かされるまま足取り重く試着室に向かうカイラスは、ふと気になったことを店員に尋ねる。
「今お召しの物でちょうど半分でございます」
「折り返しですわね」
「………………」
聞かなきゃよかったと、白目を剥きながら監獄という名の試着室に足を踏み入れたのだった。
あまりに酷い内容に、エリシスは思わず立ち上がった。その声は静かな図書室に否応なく響き渡り、何事かと他の生徒たちからの視線も集まる。
あからさまな悪意に晒された当人はというと、「……男狂い」と小さく呟き視線を落とした。
「私も噂を聞いた時は驚きましたわ。でも、アロン様との婚約が破談になった途端、別の男性に言い寄られてましたから……ねぇ」
「えぇ。それも、狡賢い第一王子になぜか気に入られている噂の、冴えない子爵家の次男なんて。驚きましたわ」
「身分も見境ないなんて……多くの男性を誘惑する男狂いだと思われても仕方ないかもしれないですね」
「本当に。私たちには到底真似できませんわ」
「……」
キュレナに続き、周りの取り巻きの令嬢たちも代わる代わる口を開く。普段逆らえない侯爵令嬢を見下ろしていることに悦に入る者。中には、以前から抱いていた嫌悪を隠そうともせず睨みつける者もいた。
普通の令嬢であれば恐怖で涙を流してもおかしくない状況だが、アフロティーナは黙り込むだけで何の反応も見せない。しかし、自分の侮辱には微動だにしない頬が、カイラスの名前が出た瞬間だけぴくりと痙攣する。
それを見逃さなかったキュレナは好機と捉えたのか、机に手をつき顔を覗き込みながら嘲笑った。
「反論しないんですね。……もしかして、男狂いという噂、真実だったりします?」
「ま、待ってください! アフロティーナ様はそんな人じゃありません!」
これ以上聞いていられないと、震え声で反論するエリシスは、大型犬に果敢に立ち向かう子犬のよう。実に庇護欲を唆られる姿だが、キュレナや取り巻きは、はっと鼻で笑い飛ばた。
図書室が息の詰まるような空気に包まれる中。ついにその中心にいる人物から発せられた第一声は、誰も予想していない言葉だった。
「エリシス様、お座りなさい」
「えっ……で、でも、こんな!」
「お座りなさい」
「……はい」
有無を言わせぬアフロティーナの圧に、エリシスはぺしょ、と眉を下げて大人しく椅子へ腰掛ける。まさに、飼い主にお座りと命じられた子犬そのもの。あまりに主従めいた予想外なやり取りに、キュレナたちも呆気に取られ目を瞬かせた。
そんな彼女たちをよそに、アフロティーナはさらりと、とんでもない爆弾を投下する。
「怒る必要はありませんわ、エリシス様」
「ど、どうしてですかっ」
「ある意味、真実ですもの」
「ぇ……えぇっ⁉︎」
(はぁ⁉︎)
エリシスの悲鳴と、棚の影で息を潜めるカイラスの心の絶叫が重なった。
──まさか、自分に向けられていたあの執着の全てが、演技だったとでもいうのか。
──いや、そんなはずはない。あれが演技なのだとしたら、世の役者は全員が廃業している。
──しかし、確かに今、本人の口から『真実』という言葉が出た。
(まて……待て待て待てっ! どういうことだ⁉︎)
カイラスの頭の中が大混乱に陥る中、キュレナもまさかすんなりと肯定されるとは思わず、困惑を隠せずにいる。
「へ、へぇ。男狂いであること、認めるのですね」
「えぇ」
虚勢を張り引き攣った笑顔で言うキュレナに、アフロティーナはいつも通り極上の笑みを浮かべながら答えた。
「それはつまり──わたくしの美しさが全ての殿方を狂わせてしまう、ということでしょう?」
『……は?』
この場にいる全員の思考が、綺麗に停止した。
周りの反応に気づいてないのか、あえて無視しているのか。アフロティーナはうっとりと頬に手を添え、ため息混じりに微笑む。
「いいのです。そう思われても仕方ありませんもの。この世に存在するありとあらゆるものの中で、最上級に美しい存在であってしまったわたくしが、いけないのですわ」
誰も何も言えない空気の中、アフロティーナの自己肯定感がイカれた発言だけが図書室に広がる。
「この世にいるだけで殿方を魅了してしまい、あろうことか狂わせてしまうほど美しいだなんて……」
胸元でそっと両手を組み、神に許しを請う修道女のように切なげに天を仰いだ。
「あぁ……なんて罪深いわたくし」
背景にステンドグラスが煌めく教会の幻覚まで見させるアフロティーナに、カイラスは額に手を当て棚にもたれかかった。
(そうだった……こういうやつだった……!)
安堵と呆れが混ざった複雑な感情に、焦った時間を返せ! と心の中で悪態を吐くが、もちろん当該人物に届くことはない。
先ほどまで図書室を満たしていた、張り詰めた空気はどこへやら。代わりに漂っているのは「自分たちは何を聞かされているんだ……」という生徒たちの困惑と戸惑い。
取り巻きたちは呆然と口を開け、エリシスでさえ「そ、それは何か違うような……」と珍しい引き攣った顔を浮かべるしかなかった。
そんな何とも言えない空気の中。
「……ッ」
一人だけ、ぎりりと奥歯を噛み締める者がいた。もちろんそれは、この状況が一番気に食わないキュレナである。
優位に立っていたはずだった。狼狽えたり、言い逃れに窮する、美しさが崩壊したみっともない姿を拝むはずだったのに。まさか『わたくしが美し過ぎるせい』という本人以外理解不能な持論で受け流されるなんて、誰が想像できようか。
キュレナはギリッと手のひらに爪を食い込ませ、苛立ちを隠せず唇を歪ませた。
「……相変わらず自分の都合のいいように変換するのがお上手ですね」
「わたくしが間違っていると?」
「むしろ、あの発言が間違ってない方がおかしいわよ」
「それでは、具体的にご説明いただいてよろしいでしょうか」
ルビーの瞳がすっと細くなり、その鋭い視線にキュレナは息を呑む。
「わたくしは確かにアロン殿下と婚約しておりましたが、白い婚約でしたわ。口付けの一つもしておりません」
美しい指が、薔薇色に色づく唇をそっと撫でる。その仕草はあまりに魅惑的で、男女問わず誰もが頬を染めた。
「カイラス様に好意を寄せているのは認めますけれど、それ以外の殿方に目を向けたことはございませんの」
カイラスだけに向ける激しい熱の片鱗を宿した瞳で見つめると、キュレナの背筋がぞわりと粟立つ。
「日々この美しさを磨き、その他の時間はカイラス様に費やしているわたくしに、他の男性と関係を持つ時間があるとお思いで?」
にこり、と。
有無を言わせぬ笑顔に真っ直ぐ射抜かれ、キュレナの喉がひくりと鳴る。
「それとも──わたくしが一体いつ、どなたに、何をしたのか。具体的な証拠でもお持ちなのかしら」
「う、噂話を聞いただけっ言いましたでしょう? なのにどうして、私が証拠を持っていないといけないのですか。ねぇ、あなたたちもそう思うわよね?」
取り巻きの加勢を期待して声をかけるも、返ってくるのは静寂。アフロティーナの雰囲気に圧倒され、最初の威勢などとうに消え去っていた。全員が視線を彷徨わせ、誰一人としてキュレナへ助け舟を出す者はいない。
完全に孤立無援。味方が一人もいないことを突きつけられ、キュレナの顔は見る見るうちに青白く変わる。逃げ道を失った彼女は悔しげに唇を噛み締め、苦しい釈明をすることしか許される道はなかった。
「わ、私はただ、酷い噂話を聞いたから忠告に来てあげただけよ……!」
「まぁ!」
それを聞いたアフロティーナは感嘆の声を上げると、すっくと立ち上がる。そのままキュレナに顔を寄せ、白くなるほど握りしめられた拳を両手で優しく包み込んだ。
「わざわざ時間を割いてまで、わたくしのために忠告に来てくださるなんて。キュレナ様はそんなにわたくしのことがお好きでしたのね、とても光栄ですわ」
「……ッ!」
それはアロンを慕うキュレナにとって、あまりにも屈辱的な言葉。でも、否定することはできない。否定したら、嫌がらせで噂を伝えたのだと、自白してしまうことになるから。
言い返す言葉もなくただ怒りで震えるキュレナに、アフロティーナは耳元でそっと囁く。
「──ですが、お気をつけを。証拠のない風の便りを吹聴して回っておりますと……うっかり虎の尾を踏むことになりかねませんから」
「──ひッ」
心地の良い声色から発せられた警告に、キュレナは握られた手をばっと振り払った。そして「もういいわ!」と涙声で捨て台詞を吐き、逃げるように背を向けて走り出す。それを見た取り巻きも慌ててその後を追い、図書室はいつも通りとはいかないが、ようやく平和な空気を取り戻した。
笑顔で手を振り見送ったアフロティーナは姿が見えなくなると、何事もなかったかのように優雅に腰を下ろす。エリシスは最後のキュレナの怯えようが気になり、恐る恐る尋ねた。
「……あのアフロティーナ様、最後何を言ったんですか?」
「お気になさらず。それよりもエリシス様、続きを始めましょう」
「え? こ、この空気の中でですか……?」
「あの程度のことで狼狽えていては、カイラス様の隣に立つ資格はありませんわよ? さぁ、ペンをお持ちになって」
「わ、分かりましたっ!」
(お前の中の俺は一体何なんだ……)
騒動を見守り終えたカイラスは、エリシスも納得するなと心の中でツッコミを入れつつ、本を抱え直すと今度こそ図書室を後にした。
「……にしても、どうにもきな臭いな」
西日が照りつける廊下を進みながら、先ほどの出来事を振り返る。
突然に湧いた、悪意ある噂。今回はアフロティーナの規格外過ぎる自己肯定感によって、あの場は収束した。だが、この手の噂は下手したら侯爵家当主が出てくるほどの大問題になり得るもの。カイラスのある種ネタのような噂話とは訳が違う。
そして、キュレナとその取り巻きたち。ゼノスが警戒する生粋の第二王子派閥がほとんどだが、中には初めて見る顔もいた。
──その人物が、やけに冷たい目でアフロティーナを睨んでいたのが気になる。
(もしこれが単なる悪意だけじゃなく、裏で糸を引いてるやつがいるとしたら──)
クラスメイトから噂を聞いた時の、首の後ろの痛みが蘇る。無意識にさすりながら、「あ゛ー……巻き込まれたくない……」とため息混じりのぼやきを吐き出した。
しかし、その言葉とは裏腹に。前を見据える灰色の瞳が、真意を探るように深い色を帯びた。




