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自己肯定感最強令嬢に『選ばせますわ!』と迫られた俺は、もう逃げられない  作者: 綾見 晴


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第16話 不快な会話と悪意ある噂1

 豪華絢爛な調度品が並ぶ一室。磨き上げられた床には高価な絨毯が敷かれ、壁には複数の名画が飾られている。格式高いその部屋には、本来なら静謐さに満ちているはずだった。

 だが、その日は静寂を切り裂くように、耳障りな甲高い怒声が響き渡る。


「あなたは一体何を考えているのッ!」


「……」


 強い言葉をぶつけられた相手は、ただ黙ってそれを受け入れている。


「あいつを引き摺り下ろすためっ、そしてあなたをのし上げるために! 私がどれだけの苦労をしてきたことか!」


「……申し訳ございません」


「謝って済む問題ではないわ!」


 謝罪の言葉を聞いても怒りは収まらない。むしろ油を注いでしまい、さらに鋭さを増した視線が突き刺さる。


「この謹慎が明けたら、今度こそ私の言う通りに動きなさい。いいわね?」


「……はい。心得ております」


「本当に余計なことをして……いいこと? あなたは──」


 扉一枚隔てた向こう側から聞こえた会話を、はぁ、と露骨に嫌悪の混じった息を吐く者が一人。


「……やれやれ。よくもまぁ朝からあんなに喚けるものだね」


 嫌悪感を隠しもせずに眉を寄せるゼノスは、部屋から少し離れた廊下の壁に腕を組んで寄りかかっていた。学園に向かおうと廊下を歩いていただけなのに、朝から不快な声と会話を聞かされて、彼の機嫌はこの上なく悪い。


「殿下、いかがしますか?」


「必要ならば、我々が対処しますが」

 

 同じく不快な会話を聞かされたゼノスの近衛兵は、こめかみに青筋を立てて部屋の扉を睨みつけている。


「……いや、まだ動く必要はないよ」


「ですが」


「今動けば、あの女狐の癇癪に付き合わなければいけなくなる。あれに構うだけ時間の無駄だからね、もう少し泳がせておくさ」


「……畏まりました」


「それじゃあ行こうか」


『はっ』


 最後に一度忌々しい部屋の扉を睨みつけると、くるりと踵を返し、厳かな廊下を近衛を引き連れて歩き出した。


「あれに関わるくらいなら、あいつの恋愛劇を観賞する方が何倍も有意義だと思わないか?」

 

「殿下は相変わらずあいつが好きですね」


「……誤解を招く言い方をするな。僕にまで変な噂が流れたらどうするんだ」


「これは失礼いたしました」


 くすり、と笑う近衛は、カイラスよりも前にゼノスに見出され、以降ずっと隣で付き従う古参中の古参。兄のように、時には父のように見守り続け、ゼノスにとって平時あまり頭の上がらない数少ない人物だ。

 その横で少し若い近衛が先ほどの苛立ちを消せないまま、仏頂面で口を挟む。


「殿下はあいつに甘すぎじゃないですか」


「そうかな」


「そうですよ。いつまであの腑抜けを待ち続けるんですか」


「おい、殿下に向かって口が過ぎるぞ」


 若い近衛を咎める古参の近衛に、ゼノスは「構わないよ」と制した。

 

「君が言いたいことも分かるからね。……でも、あいつも前に進み始めたみたいなんだ」


 ゼノスは振り返らず真っ直ぐに前を見据え、歩き続ける。


「だから決めた期限までは、待ち続けるつもりだよ」


 いつか玉座へと続くこの道を、共に歩んでくれると願って。



 一方、願われていることを知らない当人はというと──

 

「なぁ、カイラス。あの噂知ってるか?」


「……不能と男色に続いて今度は何だ、ついに去勢疑惑でも出たか」


 クラスメイトから声をかけられ、盛大にやさぐれた顔をしていた。噂と聞くと、男として不名誉の極みといえる不愉快なものが記憶に新しい。指を差しながらお腹を抱えて爆笑したゼノスのことは、未だに根に持っている。

 それくらい噂に対して嫌悪感を持っているのに、またとんでもない内容を流されたというのか。まさか去勢なんて話までいったんじゃ……と自分で言っておきながらダメージを受けたカイラスは、机に突っ伏した。


「自分で言って凹むなよ……。というか、お前にはもっと普通の噂はないのか」


「そんなの俺が聞きたい……」


 くぐもった声で応えるカイラスに、クラスメイトは同情めいた眼差しを向けぽん、と優しく肩を叩く。

 

「お前も大変だな……っていうか違う違う! 今回はお前じゃなくて、アフロティーナ様のだよ」


「アフロティーナ嬢の?」


 予想外の名前に、カイラスは少し顔を上げてクラスメイトを見た。

 アフロティーナの噂、と頭を巡らせてみるが。


「あの人の噂とか、あり過ぎて今さらじゃないか?」


 自他共に認める美しすぎる侯爵令嬢には、カイラスとは比べ物にならないほど多岐に渡る噂が流れている。

 隣国の王子に求婚されただの、女神の生まれ変わりだの。真偽不明の与太話まで含めれば、もはや数え切れないほど存在していた。

 どうせまた美しさを賞賛する、おかしな噂なのだろう。カイラスはそう結論づけたが、クラスメイトの顔が僅かに曇った。


「まぁそうだけど。……でも、今回のはいつもと真逆と言うか、タチが悪いというか」


「……タチが悪い?」


 不穏な言葉を聞き、いよいよ完全に顔を上げると、クラスメイトはキョロキョロと周りを見回しカイラスの耳元に近づく。

 そして極限まで抑えた声が、鼓膜に届いた。

 

「──アフロティーナ様が色んな男を手玉に取りまくっているんだと。それに、身体の関係を持ってるやつもいるとか」


「はぁ?」


 思っていたより数段低く、地を這うような声が漏れる。それは確かに今まで聞いた噂とは一線を画す、明らかに悪意が込められた噂だ。

 カイラスの剣幕にビクッと震えたクラスメイトを横目に、噂の真偽を考える。


 ──あの、カイラスに常軌を逸しているほどの執着を寄せるアフロティーナが、他の男を誘惑して関係を持っていると?


「いや、ないだろ」


 主観的に見ても、客観的に見ても、ありえない。呆れを通り越し、鼻で笑うことすら忘れて即座に切り捨てた。

 

「だ、だよな。やっぱりそうだよな。なんたって、アフロティーナ様はお前一筋だもんな」


「……」


 慌てて機嫌を取るように繕うクラスメイトを、カイラスは否定も肯定もせずじっと見つめる。

 チリッと、首の後ろに鈍い痛みを感じた。


 放課後、カイラスは課題の資料を探すため図書室へと赴いた。学園の図書室はアルトバス王国の中でも一二を争う蔵書数を誇り、それに伴って広さも膨大。稀少な本も取り揃えているため、本好きには最高の空間ではあるが、いかんせん一つの本を探すのに時間がかかりすぎるのが難点だ。

 そして、やっと見つけた資料を片手に寮へ帰ろうとした時。


「では、次はこの問題を解いてみてください」


 聞き慣れてしまった声が耳に届き、思わず足を止めた。バレないように棚の影からそろりと顔を出すと、その先には思った通りの人物。


「エリシス様、こちら違いますわ」

 

「え……ど、どこがですか?」


「当てはめる公式が違いますの。こちらには──」


 それは、エリシスの苦手科目の勉強に付き合う、アフロティーナの姿だった。

 カイラスを取り合う仲である二人だが、子犬のような庇護欲を持つエリシスと、貴族としてのノブレス・オブリージュを体現するアフロティーナは案外相性が良い。始まりは最悪、そして今は恋のライバル。でも、それらを除けば姉妹のような、時には飼い主とペットのような、不思議な関係性を築いていた。

 今日は珍しくお昼も放課後になっても姿を現さないと思ったら、エリシスの勉強に付き合っていたらしい。


「うぅ……お手を煩わせてすみません」


「構いませんわ。わたくしのライバルになるのでしたら、同じ高みへ到達いただきませんと張り合いがありませんもの」


(この発言といい、いつも通りだな)


 本人にはまだ届いていないのか、はたまた意に介していないのか。少なくともあの噂を気にした様子は全くない。その普段通りの姿に、ふっと短い息を吐いた。


(……いや、なんで安心してるんだよ俺は。もうさっさと帰ろう)

 

 ここに居るのが知られたら面倒だ、と視線を切って立ち去ろうとしたカイラスだったが。


「あら。こんなところにいらしたのね、アフロティーナ様」


 その声に図書室の空気が僅かに張り詰め、再び足を止めた。

 視線を戻すと、二人がいる机の横で見下ろすように立つ令嬢が一人。さらには逃がさないとばかりに、彼女の取り巻きが二人を取り囲んでいた。


「……ドルトー辺境伯家のキュレナ様ではございませんか。わたくしに何かご用でしょうか?」


 何事かと怯えるエリシスに対し、アフロティーナは一度瞬きをすると、己を見下ろす令嬢──キュレナ・ドルトーに笑いかけた。


(ドルトー辺境伯か……嫌なのが出てきたな)


 その名前と顔に、カイラスは不愉快そうに眉を寄せる。ドルトー辺境伯家といえば、生粋の第二王子派として有名だ。加えて正妃の生家ということもあり、一族郎党、正妃とアロンを盲目的に崇拝している。つまりはゼノスとは壊滅的に相容れず、カイラスにとっても関わり合いたくない一族だった。

 もちろんアロンと婚約破棄となったアフロティーナも、ドルトー家とはすこぶる相性が悪い。もっとも、相手が一方的に嫌っているだけなのだが。


「えぇ。先ほど、アフロティーナ様に関しての面白い噂を聞きましたの。ご存知ですか?」


 キュレナは勝ち誇ったように唇を吊り上げ、取り巻きたちもくすくすとまるで嘲るかのように笑う。居心地が最悪な空間でさらに縮こまるエリシスを横目に、アフロティーナは美しくも愛らしく小首を傾げた。


「噂、でしょうか。なにぶんこの美しさのせいで、噂話はあとを絶たないものでして。全てを把握できておりませんの」


「……でしたら、教えて差し上げましょうか?」


「はい。ぜひ」


 この状況にも全く怯まず、むしろ興味深そうにアフロティーナは微笑みを向ける。

 その余裕綽々な態度が面白くないキュレナは口を引き攣らせながらも、愉悦に浸った顔で声を張らせて言い放った。


「──アフロティーナ様は不特定多数の男性を誑かす、とんでもない男狂いだという噂です」


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