第15話 不変の想いと可変する想い
「あ゛ーー……行きたくない……」
子供のように布団に包まり駄々を捏ねるカイラスは、かれこれ一時間近くこの状態を続けていた。
理由はもちろん、昨日の庭園で起こった出来事。アフロティーナに対し、心配して差し伸べてくれた手を払いのけ、怒鳴るような真似までしてしまった。年下の女性に対してあんな八つ当たり、最低にも程がある。気まずすぎて会いたくないし、こんなことゼノスに相談すらできない。
一晩経っても罪悪感は消えるどころか、じわじわと増していく。
それはきっと、宝石のような瞳の奥に、五年前と同じ揺らぎを見てしまったから。
「あの時のことだって、まだ謝ってすらいないのに……」
『今のあなたは、全く綺麗じゃないな』なんて言葉で、彼女の誇りに傷をつけた。そして、好意を伝え続けてくれた彼女を、今また傷つけたのだ。
いっそのこと、怒りの感情を返してくれたら良かったのに。あの日と同じ揺らぎを見せたのに、返ってきたのはあの日と真逆の反応。
怒りに歪んでいた顔は、静かで美しい微笑みに変わって。
自らの非を認めなかったのに、何も反論せずに頭を下げて。
高慢だった令嬢は、どこまでも気高く気品ある令嬢となっていた。
五年で美しい変化を見せた彼女に対し、自分はどうだ。
「……何も変わらないどころか、酷くなってるな」
ゼノスもエリシスだって、前を向いて成長しているのに。
カイラスだけが、四年前の楔に囚われたままだった。
「……いっそこのまま、諦めてくれたらいいんだが」
今の自分に幻滅して、嫌ってくれたら。
身勝手な願望を口にして、一瞬だけ胸がちくりと痛む。その痛みの理由には、気付かないふりをした。
──だというのに。
「ごきげんよう、カイラス様」
「……うっそだろ」
まさか学生寮の前でアフロティーナが待ち構えていようとは、一体誰が予想できようか。
重たい足を引きずって何とか寮の玄関までたどり着いた瞬間、朝日に煌めく白金色を目にして、悲鳴を上げなかった自分を誰か褒めてほしい。
彼女は王都の侯爵邸から通学しているため、本来なら学生寮に来る用事なんてないはず──カイラスのこと以外では。つまりはそういうことだ。
(昨日の今日だぞ……いくら何でも早すぎる……)
まだ何の覚悟も準備もなく、カイラスは気まずさから視線を逸らすことしかできなかった。なのに──
「まぁ、目の下に隈ができていますわ。昨夜はあまり眠れませんでしたのね。よろしければお昼休みに膝枕いたしましょうか? 安眠をお約束いたしますわ」
「いらんっ!」
アフロティーナは怖いくらいに、いつもと何も変わらない。
「……なんでここまで来たんだよ」
「カイラス様にお会いするために」
「そうじゃない。……昨日のこと、忘れたわけじゃないだろ。なのになんで、」
「だからですわ」
「……は?」
「ふふ。カイラス様ならきっと昨日のことを気にされて、お一人で色々と抱え込んでしまうのではないかと思いましたの」
「……」
「寮まで来て正解でしたわ」とアフロティーナは得意気に笑う。図星過ぎて反論のしようがないカイラスに、彼女はさらに畳み掛けた。
「あのままわたくしが諦めてくれたら。なんて、お考えでしたのでは?」
「──ッ」
「これも当たりですわね」
身勝手な願望すら見透かされ、二の句が継げない。息を呑んだカイラスに、アフロティーナは舞踏会の翌日に会った時と同じ挑戦的な笑みを浮かべた。
「言いましたでしょう? 一度や十度断られたくらいでは諦めませんと」
「……十度とは、言ってないだろ」
「同じことですから」
やっと絞り出した言葉さえも、さらりといなされる。いつだってアフロティーナとの会話では、主導権を握れた試しがない。でも、昨日のことなどまるでなかったかのように笑う彼女を見て、胸の奥に居座っていた重苦しさが微かに軽くなる。少しだけ息がしやすくなった気がした。
「……はぁ。五年前も、昨日も……あんなこと言われて、まだ俺がいいのか?」
「もちろんですわ」
「即答かよ。……二回も傷つけられてるくせに、なんでそんな」
「仕方ないではありませんか」
一度瞬いた瞳は、とろりとした甘さを含んだ熱を持つ。そして一歩、アフロティーナは足を踏み出した。
「その落ち着いた赤みがかった黒髪に触れてみたくて」
伸ばした指は髪に触れることはなく、すぐ隣をなぞり。
「誰にも臆することのない灰色の瞳の中に映してほしくて」
瞳の中にいる自分の姿を見て、愛おしげに目を細め。
「……少し筋張ったその手を、差し伸べて欲しくて」
すっと下げた視線はカイラスの手に辿り着き、一瞬だけ物欲しそうな眼差しを向けると、最後に目を合わせて優雅に微笑んだ。
「迷惑かける女も結局は許してしまわれるお人好しなところも。少し強引に迫られるのが弱いところも。あなたの全てを、愛おしく思ってしまうのですから」
「最後のは褒めてない……! それにお前のは絶対少しじゃないだろっ」
今までのが『少し』というのなら、『本気』を出したら一体どうなるのだろうか。想像した未来に、思わず身の毛がよだった。
(……やっぱり、理解できないな)
自分の何に、こんなにも彼女は惹かれているのか。
舞踏会で「選ばせる」と宣言されてから、もう何百回と考えてきた。そして、いまだにその答えは分からずじまい。
考えれば考えるほど分からなくなり、思考が徐々に白金色に侵食されていく。拒絶しようにも抗し難いそれは、どうすることもできない。だから──
「……なぁ。そろそろ、ちゃんと教えてくれないか」
いつか、全てが染まりきって抜け出せなくなるその前に。
「どうしてそんなに固執するのか──俺に執着する理由を」
「それは……」
真っ直ぐに問われたアフロティーナは、少し考えるように小首を傾げる。そしておもむろに立てた人差し指を、薔薇色に色付く自らの唇にそっと押し当てた。
「──秘密、ですわ」
「……は?」
ようやく答えがもらえると思っていたカイラスは肩透かしをくらい、端正な顔を盛大に顰めた。
「何でだよ! 今のは教える流れじゃないのか⁉︎」
「もったいないですもの」
「はぁ⁉︎ むしろ普通は知ってもらいたいって思うものだろ⁉︎」
「そんなことありませんわ」
少しだけ拗ねたように頬を膨らませるアフロティーナは、いつもより幼気な印象を抱かせる。しかしそれは瞬く間にかき消え──
「……だって秘密にしたら、わたくしのことをずっと考え続けてくださるでしょう?」
艶やかな微笑みを携え、ルビーの瞳を妖しく光らせた。
「カイラス様にはわたくしと同じくらい、わたくしのことで頭がいっぱいになっていただきたいのです」
宝石のような輝きの中に、どこか仄暗さを感じるのは、気のせいだろうか。
「なので、秘密ですわ」
「……重たすぎるだろ」
「あら、軽い女に見えまして?」
ふふ、と妖しくも嬉しそうに笑うアフロティーナ。揺らがないその不変な態度に、カイラスも気付けばいつもの調子を取り戻していた。
何があってもこの想いは変わらないと言葉で、態度で告げる彼女の姿が、カイラスの背中をそっと押す。
「……ヴェルシェ嬢、昨日は失礼なことをして申し訳なかった」
一度小さく息を吐き、頭を下げた。罪悪感から逃げ回り、この重たくも真っ直ぐな好意から目を背け続けるわけにはいかない。
昨日の無礼も、五年前の言葉も。きちんとけじめをつけないと、先に進むことなんてできやしない。
「構いませんわ。ご迷惑をおかけしているのは、本当ですもの」
許されるのも、予想できていた。でも、アフロティーナの優しさに甘えてばかりでいいわけがない。謝罪の言葉だけではなく、『選ぶ』こと以外で彼女が喜ぶ何かを返すべきではないか。
カイラスは思考を巡らせながら、ゆっくり顔を上げ目線を合わせた時。朝日に照らされた通学路で、彼女が『選ばせる』の次に望んだことを思い出した。
あの時はにべもなく断ったが、これくらいなら──
「……あれは完全に八つ当たりだ。ヴェル…………ア、アフロティーナ嬢には何の非もない。全て俺の責任だ」
「……え」
アフロティーナはまるで時が止まったようにピタリと凍りつく。
「五年前も、酷いことを言った。今更だが、本当に悪かった。…………だから、」
「いえ、五年前のことはむしろ……それよりも今、」
カイラスは謝罪する中で、もう一つ思い出したことがあった。
──『僕はこれから、来月行う夜会の件で教員たちと話をしなければいけないんだが?』
それは、手紙を持って行った時のゼノスの言葉。そこから思い浮かんだ、もう一つのお詫びの形。
これはさすがに踏み込み過ぎだろうか。でも、何も変われていない自分が、少しでも前に進むために。そのためにできることは──
「……………来月、」
「来月? いえ、あの、今、わたくしの」
決意が鈍らないように、アフロティーナの反応はあえて無視をする。
「学園主催の……夜会が、あるだろ」
「えぇ、ございますが……な、名前を」
ゴクッと喉を鳴らし、戸惑いと喜びに揺れるルビーの瞳をじっと見つめ、最後の方は消え入りそうな声になりながらも言い切った。
「……それに、一緒に行く……というのは、お詫びになるだろうか……?」
「………………ぇ」
二人の間に、世界が停止したかのような沈黙が落ちる。
口を小さく開けて呆然とするアフロティーナと、少し居心地の悪そうにするカイラス。そんな二人の横を、他の寮生が不審げな顔で通り過ぎていく。
たっぷり十秒静止し言葉の意味をしっかりと理解したアフロティーナは、微かに震えた声でカイラスに確認するように問いかけた。
「……それは、わたくしをエスコートしてくださる、ということでよろしいのでしょうか」
胸の前で両手を握り希う姿は、神からの祝福を待つ聖女のように美しかった──のは一瞬のこと。
「あぁ」
カイラスが小さく頷くと、聖女のような神聖さは即座に霧散し、その姿は獲物を捉えんとギラギラと熱を宿した肉食獣に様変わり。そして絶対に逃さないとばかりに、じりじりと追い詰めていく。
「頷きましたわね」
「あ、あぁ」
「嘘だと言われても聞きませんわよ」
「……あぁ」
「二言はありませんわね、言質は取りましたわよっ!」
「ッ、圧をかけてくるな!」
興奮して詰め寄るアフロティーナは勝手に言質を取ると、「こうしてはいられませんわ!」といそいそと鞄から手帳を取り出しスケジュールを組み始めた。
「さっそく今から準備をしなくては!」
「いや、来月だぞ……」
「何をおっしゃいますの! 来月までにわたくしがどれほど美しくなるかを計算し、ドレス選びからヘアメイクの調整、その他にも最高のコンディションにするためにやることは山積みですのよ? 時間なんていくらあっても足りませんわ!」
「まずは今日から食事制限ですわね」と夜会に向け全身全霊で準備を始めるアフロティーナに、カイラスは早まったかもと若干後悔しかけるが時既に遅し。
嬉しそうに手帳にペンを走らせていたアフロティーナは、ハッと何かに気づいたように動きを止めると、再びカイラスへと詰め寄った。
「あ、あと、先ほど、名前を! わたくしの名前を呼んでくださいましたわよね? 幻聴ではございませんよね?」
「……そうだな」
「あぁ……! こんなに嬉しいことはありませんわ!」
「──ふはッ、流石に大袈裟だろ」
あまりのはしゃぎっぷりに、思わずカイラスから気の抜けた笑みがこぼれる。
それを見たアフロティーナは、泣きそうになるほどの幸福を感じた。
──それは、アフロティーナに向けられた初めての笑顔だったのだ。
気を抜けばどこまでも緩む口元を必死に必死に抑え、手帳をしまうと、自他共に認める世界一美しい顔を乗せ優雅な淑女の礼を一つ。
「改めまして……カイラス様。アフロティーナ・ヴェルシェ、この度のお誘い、喜んでお受けいたしますわ」
そこまでは、完璧な侯爵令嬢だったのに。
「まずは早速、本日を国の記念日にできないか、ゼノス様に相談しないといけませんわね」
「それは絶対にやめろ!」
浮かれすぎてとんでもない事をやらかそうとするアフロティーナを、必死の形相で止めに入るカイラスだった。




