第13話 かくして女は壊れ、生まれ変わった2
「は……え、なに……? ま、さか……わたくし……?」
信じたくない。
こんな美しくないモノが自分だなんて。
けれど鏡の中にいるのは間違いなく、アフロティーナ自身だった。
あまりの衝撃に力が抜け、崩れ落ちるように床に座り込む。呆然としながらも四つん這いになり、恐る恐る姿見鏡の前にたどり着くと、そっと鏡に手を這わせた。
綺麗に纏められている髪の毛は、乱暴に髪飾りをとったせいでボサボサで。
珠のように滑らかで美しい肌は、首まで真っ赤に染まっていて。
形の良い目尻は鋭く吊り上がり、怒りから歪んだ顔は、あまりにも醜い──
『今のあなたは、全く綺麗じゃないな』
「…………っ、ほんとうに……綺麗じゃない、ですわ」
彼の言うことは正しかった。
こんなモノ、綺麗じゃない。美しくなんてない。
「……ッ、」
一筋の涙が頬に伝い落ちる。
吊り上がった目は垂れ下がり、鼻の頭が赤く染まる。なんとも情けない、またしても美しくない自分に涙が止まらない。
自分の涙を見て、ふと先ほどのお茶会の光景が脳裏を過ぎる。
──アフロティーナの叱責に、伯爵令嬢はどんな顔をしていた?
「……わたくしのせいで……泣いていた」
言ったことは間違っていないと今でも思っている。けれど、あのように追い詰めるような言い方は正しかったのか。
『正しいっていうのは、他人に何を言っても許されるって意味じゃないんですよ』
「……正しいだけでは、いけない」
そして、つい先ほどのことも。
──アフロティーナから強い言葉で拒絶された侍女は、どんな顔をしていた?
「わたくしに、怯えていた……」
八つ当たりのように強い言葉をかけてしまった。仕事のため、そしてアフロティーナのために声をかけてくれたのに。
『分からないでしょうね。自分が正しいと酔いしれて、他人を思いやれないあなたには』
「独りよがりで、思いやりがない……」
思い返せば、自分は周りにそんな顔ばかりさせてた。相手のためと思って行っていた言動は、所詮己の価値観の押し付けでしかない。
こんな自分勝手な考え、到底美しくなんてない。
今のアフロティーナは、外側も内側も、全てが美しくなかった。
「……すべてあの方の言った通りですわね」
ぽつりとこぼれた言葉が、涙と共に冷たい床に落ちていく。
誰も指摘してくれなかったなんて、嘆くのも烏滸がましい。誰も指摘できなかったのだ。ヴェルシェ侯爵家の権威を笠にかけ、自分本意の美しさと正しさに胡座をかく。そんなアフロティーナの機嫌を損なわないように、歪んだ『正論』に従うしかなかったのだ。
そんなことにも気付かずに、『正しいことをしてあげた』と思っていたなんて。なんて傲慢だったのだろう。
一人静かに涙するアフロティーナは自問した。
──こんな美しくない自分が、存在していいのか。
「……そんなこと、許されるはずありませんわ」
美しくあることは彼女にとって必然で、絶対的な秩序なのだから。
揺れるルビーの瞳の奥に、激しい熱が宿る。
──美しくないならどうすればいい。
「今まで以上に美しくなればいいだけですわ」
──心も、身体も、己を構築する全てを。
震え出す足に力を込めてゆっくりと立ち上がり、姿見鏡に映る自分を見据える。そこにはもう、床に這いつくばって涙を流すだけの醜い女はいない。
「綺麗じゃない、だなんて。二度と言わせませんわ」
アフロティーナを壊した呪いの言葉。それは同時に、生まれ変わらせてくれた、何よりも大切な言葉になったのだ。
そしてより美しくなると決意してから。アフロティーナが最初に行ったことは謝罪だった。
自分勝手な価値観を押し付け、歪んだ正論で傷付けた他家の令嬢たち。八つ当たりのように強く当たってしまった使用人たち。彼女らに真摯に頭を下げなければ、本当の意味で『美しい自分』になど、なれるはずがないのだから。
しかし、それを反対する者もいる。
「謝罪をするのは構わん。だが、わざわざ頭を下げに赴く必要などないだろう。書簡や相当の品でも送ればいい」
家族──特に現侯爵家当主である父親は、アフロティーナが頭を下げるという行為にはいい顔をしなかった。侯爵家の令嬢が頭を下げて回るなど、家の権威にも関わると考えていたからだ。
けれどアフロティーナは譲らない。
「お父様のお言葉も分かりますわ。ですが、それではダメなのです」
その権威を笠にかけた態度こそが、美しくないのだから。
「わたくしにこれ以上、美しくない行いをさせないでくださいませ」
今まで従順に名門侯爵家の令嬢としての模範的な姿を体現してきた娘の初めての反抗。ルビーの瞳は見たことのない激しい熱を宿している。
そんな娘の姿に、父親はそれ以上反対はせず「侯爵家に泥を塗らないように」と渋々許可を出した。
そうして始まったアフロティーナの謝罪行脚。
突然現れたと思ったら頭を下げて真摯に謝罪する彼女に、された側は目を丸くして驚愕した。あの常に上から目線だった彼女に何があったのか。変なものでも食べたか、はたまた偽物ではないか、という疑いまでかけられたほど。ちなみに偽物疑惑は、「こんな美人が他にいてたまるか」という満場一致の意見で立ち消えた。
とはいえ、本物と判断されてからも相手の反応は様々。
「わ、わたしにも悪いところがありましたからっ! そんなに頭を下げないでくださいっ」
恐縮しながらも、謝罪を受け入れてくれる人。
そして中には。
「……お気になさらず。終わったことですから」
言葉では許していても、その瞳に嫌悪感を隠さない人も少なからずいた。
(自業自得の結果ですもの。甘んじて受け入れますわ)
アフロティーナもその反応は予想していた。貴族社会は言葉一つで許されるほど、簡単なものではない。しかし、だからといって許されるまで頭を下げ続けるつもりはない。許されなくて構わないとも思っている。
(許してもらえないのなら、これからの『わたくし』を見せつければいいだけですもの)
──誰もが認めざるを得ないほど、身も心も美しくなる。
それこそが、アフロティーナの目指すべき姿だ。
自分の行いに反省はすれど、世界一美しいのは自分であることは揺らがぬ事実──この世の真理である。
そんな考えに至ったアフロティーナの自己肯定感は、今回の件で下がるどころかむしろ上がりきったのであった。
そんな謝罪行脚を続けていたが、どうしても会えない人が一人。
「ゼノス殿下」
件のお茶会から一年経った後、アフロティーナは再びゼノスのお茶会の誘いを受けた。もしかしたら二度と誘われないかもしれない。そんな懸念を持っていたため内心安堵し、真っ先に主催に頭を下げに向かったのだ。
「あの時はせっかくの殿下のお茶会を汚すような真似をしてしまい、大変申し訳ございませんでした」
「あぁ、気にする必要はないよ。君の言い分も正しいものだったからね」
外行きの、王子の仮面を貼り付けたゼノスは穏やかに対応する。その瞳には、アフロティーナへの興味は微塵も感じられなかった。
「いいえ。正しいだけではいけないのだと、身に染みて実感いたしましたわ」
「……へぇ?」
しかし、微かに口元を緩ませたアフロティーナに、無機質だった紫の瞳がすっと細くなる。
「正しいだけではいけない、か。どこかで聞いた言葉だね。それにどことなく嬉しそうだ」
「そうですわね。その言葉も……綺麗じゃないという言葉も、わたくしにとって大切なものですから」
「綺麗じゃないなんて、君を否定した言葉なのに?」
「はい」
「……随分と変わったね、アフロティーナ嬢。僕には以前より、君が美しくなったように見えるよ」
「殿下のお言葉、大変光栄に存じますわ」
一分の隙もない、完璧な淑女の礼をゼノスへと返した。
次期国王候補であるゼノスに美しさを認められるのは、嘘偽りなく嬉しい。けれど、アフロティーナにとって一番認めてほしい人は他にいる。
「ところで殿下。本日はリッツバーグ様のお姿がございませんが……まだお見えになっていないのでしょうか?」
ゼノスのお茶会には必ずと言っていいほどの出席率を誇るはずなのに、今日はどこを探してもその姿が見つからなかった。
アフロティーナを否定した男──カイラス・リッツバーグの姿が。
「あぁ、今日は彼は不参加だよ」
「えっ」
てっきり今回もいるものだとばかり思っていたのに、まさか不参加とは。会う気満々で気合いを入れてきたというのに、出鼻をくじかれ珍しく間の抜けた声が漏れた。
「それは……他のご予定がおありで? もしくはお身体の具合が優れないとか、」
「いいや、そういうわけではないんだ。少し色々あってね」
「そう……なのですね。それでは、次はいつ参加される予定ですの?」
「うーん……しばらくは難しいかな」
少し遠くを見つめ寂しそうにするゼノスに、アフロティーナはそれ以上追求することはできなかった。しばらく、とはどれくらいだろう。せっかくあの時よりも美しくなった自分を、早く見てもらいたかったのに。
(……仕方ありませんわ。次お会いした時、さらに美しくなったわたくしを見ていただくため、精進するだけです)
まさかその後年単位で会えないとは。この時は夢にも思わなかった。
その後しばらくして、風の噂でカイラスは他国へ留学したことを知ることになる。ゼノスにいつ帰国するか尋ねても、のらりくらりとはぐらかされた。なぜ留学したのか、どこに留学したのかさえ教えてもらえない。子爵家とも親しい仲でもないアフロティーナは何も情報を得ることができず、改めてカイラスとの距離を思い知らされる。
その事実に、胸の奥がちくりと痛んだ気がした。
「……早く美しくなったわたくしを、見ていただきたいですわ」
胸の痛みの理由も、その言葉に滲んだ熱も、アフロティーナはまだ気づかない。
全ての理由に気づいたのは、件のお茶会から二年後のことだった。
「……アロン殿下と、わたくしが……婚約?」
父親から告げられた言葉に、一瞬、言葉の意味を見失う。呆然とルビーの瞳を見開くアフロティーナに、父親は少し嬉しそうに「そうだ」と言葉を続けた。
「王妃様からの直々の打診だ。お前をぜひ、アロン殿下の伴侶にしたいと仰っていた。よくやったな」
「そ、れは……決定事項ですの?」
「当然だろう。王家から求められることなど、名誉なことだ。何か問題でもあるのか?」
「……いいえ、ありませんわ」
父親の言う通り、王族との婚姻は侯爵家にとってこの上なく名誉なこと。本来なら諸手を挙げて喜ぶべきだろう。
しかし、アフロティーナの胸の奥に広がったのは喜びではなく、じわりと広がる痛みと喪失感だった。
「……婚約。アロン殿下と、わたくしが……」
自室に戻ったアフロティーナは、鏡台の前に一人静かに座る。そっと手を這わせた鏡には、あれからより美しくなった自分が映った。
──誰もが認めざるを得ないほど、身も心も美しくなる。
そんな目指すべき姿は、王家に認められた今、達成したと思っていいのだろう。けれどアフロティーナの心を占めるのは、別の人物だった。
唯一過去の愚かな自分を真正面から否定してくれた──アフロティーナを壊し、そして生まれ変わらせてくれた人。
(あの人に会いたい)
──どうして?
(美しくなったわたくしを見てほしい。綺麗だと、認めてほしい)
──どうして?
(あの日とは違う眼差しを、向けてほしい。あの日、自分を置いていった背中に、振り返ってほしい)
──どうして?
(……あの子に差し伸べられた手が。向けられた優しさが。全てが、ずっと羨ましかった)
──どうして?
(わたくしを、選んでほしいから。だって──)
「……あぁ。今さら気がつくなんて、」
美しくなりたかった、本当の理由は──
「わたくし、カイラス様が好きなのね」




