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第十四章 九月十三日、君のいない湖


2008年9月13日(土) 午前8時21分


目覚まし時計が鳴る前に、目が覚めた。


窓の外は、まだ少し白っぽかった。


秋が近づいているのだろうか。


九月の朝は、八月の朝よりも、ほんの少しだけ空気が冷たい。


僕は布団の中で、しばらく天井を見つめていた。


今日は九月十三日。


電話の向こうの僕が言った日。


そして、少女と約束した日。


午前九時十三分。


湖へ行く。


僕は起き上がり、机の上に置いていた水色のノートを鞄に入れた。


青いルアーも、忘れずに持った。


金属のリングに指をかける。


小さな傷が、昨日よりもはっきり見えた気がした。


このルアーを、僕はいつから持っているのだろう。


もちろん、釣具屋の老人からもらったのは覚えている。


八月三十一日。


夏休み最後の日。


あの日、老人は僕に言った。


いつか、誰かに渡してほしい。


そのときは、意味がわからなかった。


今も、まだわからない。


けれど、最近は、ときどき思う。


このルアーは、魚を釣るためだけのものではないのかもしれない。


誰かを待つためのもの。


誰かを見つけるためのもの。


あるいは、誰かと過ごした時間を、もう一度、手の中に取り戻すためのもの。


僕はルアーをケースにしまった。


玄関で靴を履き、外へ出る。


朝の空気が、頬に触れた。


今日も、空は青かった。


僕は自転車に乗り、湖へ向かった。


*


午前8時57分 湖畔


湖は、静かだった。


水面には薄い霧が残っていた。


遠くの岸辺に、白い鳥が一羽立っている。


僕は自転車を木に立てかけ、いつもの場所へ歩いた。


少女が座る木。


僕たちが並んで釣りをする場所。


初めて、彼女が小さな魚を釣り上げた場所。


何度も「また、あした」と言い合った場所。


そこに、少女はいなかった。


僕は腕時計を見た。


午前八時五十七分。


まだ、約束の時間には早い。


だから、焦る必要はない。


そう自分に言い聞かせた。


彼女は、少し遅れて来るのかもしれない。


いつもより、家を出るのが遅くなったのかもしれない。


あるいは、途中で誰かに呼び止められたのかもしれない。


僕は木の根元に腰を下ろした。


釣具を取り出す。


糸を通し、仕掛けを確かめる。


いつもなら、彼女が来るまでに、何を話そうかと考える。


今日は、何を聞けばいいのだろう。


君は、何回目の夏を生きているの?


その質問を、どういう顔で口にすればいいのだろう。


僕は、彼女の顔を思い浮かべた。


笑った顔。


歌っている顔。


ノートに何かを書いている顔。


そして、名前を言おうとしたときの、少し悲しそうな顔。


あのとき、僕は確かに彼女の名前を聞いた。


でも、思い出せない。


何度思い返しても、名前だけが、そこから抜け落ちてしまう。


まるで、誰かがその部分だけを、そっと切り取ったみたいに。


僕は、空を見上げた。


午前九時になった。


九時一分。


九時五分。


九時十分。


湖は、何も変わらなかった。


僕は立ち上がり、湖の向こうを見た。


誰もいない。


自転車が走ってくる音もしない。


砂利を踏む足音も聞こえない。


午前九時十二分。


僕は、木の根元に置いていた鞄を開けた。


水色のノートを取り出す。


昨日の最後のページ。


『名前を忘れたのは、十三回目が初めてではない。』


その言葉を、もう一度読んだ。


十三回目。


何の十三回目なのだろう。


電話の回数なのか。


ノートに書かれた繰り返しの数なのか。


それとも、僕たちが過ごしてきた夏の回数なのか。


僕は時計を見た。


午前九時十三分。


その瞬間だった。


湖の向こうから、風が吹いてきた。


水面に小さな波紋が広がった。


木々の葉が揺れた。


そして、僕の足元に、一枚の紙が滑ってきた。


白い紙だった。


端が少し黄色く変色している。


僕は拾い上げた。


紙の表には、見覚えのある文字が書かれていた。


少女の字だった。


ただし、いつものノートに書かれた文字よりも、ずっと小さく、ずっと慎重に書かれていた。


そこには、こうあった。


『今日は、私を探さないで。』


僕は、紙を握りしめた。


その下に、もう一行あった。


『でも、もしあなたがここに来てしまったなら、木の根元を見て。』


僕は、ゆっくりと顔を上げた。


いつもの木。


僕たちが、何度も並んで座った木。


その根元に、何かが置かれていた。


水色のノートだった。


*


ノートは、古びていた。


表紙の角が擦り切れている。


背表紙には細いひびが入り、紙の端は茶色く変色していた。


僕は、そっと持ち上げた。


ずいぶん長い間、ここに置かれていたようだった。


けれど、不思議なことに、表紙には雨に濡れた跡がなかった。


ノートを開く。


最初のページに、日付が書かれていた。


1992年8月32日。


僕は、何度もその数字を読み直した。


1992年。


僕が生まれるよりも前の年だった。


そして、八月三十二日。


そんな日は、暦には存在しない。


あり得ない日付。


冗談だろうか。


誰かが、わざと書いたのだろうか。


けれど、その文字を見たとき、僕は笑えなかった。


胸の奥が、ひどくざわついた。


ページの下には、短い文章があった。


『今日、あの子に会った。』


その下には、別の筆跡で、こう書かれていた。


『今日も、あの子に会えなかった。』


さらに、その下に。


『明日こそ、会えるだろうか。』


僕は、ページをめくった。


次のページにも、同じ日付があった。


1992年8月32日。


その次も。


さらに、その次も。


どのページにも、同じ日付が書かれていた。


ただし、文章は少しずつ違っていた。


あるページには、こうあった。


『今日は、魚が一匹釣れた。あの子は笑っていた。』


別のページには。


『今日は、魚が釣れなかった。でも、あの子は笑っていた。』


そして、次のページには。


『今日は、あの子が来なかった。魚も釣れなかった。』


その次には。


『今日は、あの子が来た。けれど、僕のことを知らなかった。』


僕は、ページをめくる手を止めた。


そこに書かれていた文字が、僕の胸に深く刺さったからだ。


『僕のことを知らなかった。』


少女が、僕のことを忘れてしまう。


その可能性は、昨日、彼女自身が口にした。


でも、これは。


いったい、いつの記録なのだろう。


僕は、ページをめくった。


『今日は、名前を聞いた。』


その下に。


『名前を忘れてしまった。』


さらに、その下に。


『名前を呼べなかった。』


ページの端に、鉛筆で小さく書かれた言葉があった。


『名前を呼べば、ここから出られると思っていた。』


僕は、息をのんだ。


ここから出られる。


何から?


どこから?


僕は、ノートを閉じようとした。


けれど、最後のページに、別の紙が挟まっていることに気づいた。


薄い便箋だった。


そこには、宛名が書かれていた。


真船健二くんへ。


僕の名前だった。


その下には、短い言葉があった。


『これを読んでいるあなたは、たぶん、また忘れているのだと思います。』


僕は、便箋を持つ手に力を込めた。


『でも、忘れたことを責めないでください。忘れたからといって、あなたが大切にしていなかったことにはなりません。』


そこまで読んだとき、胸の奥が痛くなった。


それは、あの手紙にも書かれていた言葉だった。


忘れても、過ごした時間まで嘘になるわけじゃない。


僕は、続きを読んだ。


『もし、今日もあの子に会えなかったなら、湖の向こうを見てください。』


その下に、こう書かれていた。


『あの子は、いなくなったのではありません。あなたがまだ、見つけられないだけです。』


僕は、顔を上げた。


湖の向こう。


霧は、いつの間にか晴れていた。


対岸の木々が、はっきりと見える。


そこに、小さな建物があった。


古い木造の建物。


屋根の一部が傾き、窓には板が打ちつけられている。


僕は、その建物を知っていた。


知っているはずがなかった。


そこへ行ったことなど、一度もないはずだった。


それなのに。


僕の胸の奥に、確かな感覚があった。


あそこへ行ったことがある。


誰かと一緒に。


何度も。


僕は、ノートを鞄にしまった。


そして、湖の向こうを見つめた。


少女はいない。


けれど、彼女が残したものは、ここにある。


僕は、立ち上がった。


対岸へ行こう。


そこに何があるのか。


なぜ、1992年8月32日という日付が書かれているのか。


そして、なぜ僕の名前が、この古いノートに書かれているのか。


確かめなければならない。


*


午前10時04分 湖の対岸へ続く道


湖の周囲を歩く道は、思ったよりも長かった。


いつも釣りをしている場所から対岸までは、近く見えていた。


けれど、実際に歩いてみると、途中に小さな丘があり、木々が道を覆い隠していた。


僕は、何度か足を止めた。


古いノートに書かれていた言葉が、頭の中で繰り返されていた。


『あの子は、いなくなったのではありません。あなたがまだ、見つけられないだけです。』


見つけられない。


僕は、何を見つけられないのだろう。


少女の姿か。


彼女の名前か。


それとも、僕自身が忘れてしまった何かか。


道の途中に、小さな石碑があった。


苔に覆われ、文字のほとんどが読めなくなっている。


僕は足を止めた。


石碑の下のほうに、誰かが彫ったような跡があった。


指で苔を払う。


かすかに、文字が浮かび上がった。


「また、あした」


僕は、動けなくなった。


どうして、ここにもあるのだろう。


青いルアー。


少女の歌。


水色のノート。


そして、この石碑。


同じ言葉が、何度も現れる。


まるで、僕が忘れるたびに、誰かが同じ言葉を残してくれているようだった。


僕は、石碑に手を触れた。


冷たい石だった。


その瞬間、頭の中に、ほんの一瞬だけ、映像が浮かんだ。


夕暮れの湖。


小さな女の子。


青い帽子をかぶった少年。


二人は、石碑の前に立っていた。


少年は、何かを女の子に渡している。


女の子は、それを受け取って、笑っていた。


そして、少年が言った。


――また、あした。


映像は、すぐに消えた。


僕は、目を閉じた。


今のは、夢だったのだろうか。


それとも。


僕は、自分の手を見た。


指先が、少し震えていた。


やがて、道の先に、古い建物が見えてきた。


近づくにつれ、その形がはっきりしていく。


木造の小屋。


壊れかけた窓。


傾いた屋根。


そして、入口の上に、かすれた看板があった。


僕は、その文字を読んだ。


「湖畔釣具店」


僕は息をのんだ。


いつも通っている釣具屋と、同じ名前だった。


けれど、店の様子はまったく違っていた。


こちらは、何十年も前に閉められた店のように見えた。


入口には、錆びた鍵がかかっていた。


窓から中をのぞく。


棚が並んでいた。


古い釣り竿。


埃をかぶった箱。


そして、壁に掛けられた、何枚もの写真。


僕は、窓に顔を近づけた。


一枚の写真に、目が止まった。


湖の前で撮られた集合写真。


大人が数人。


子どもが数人。


その中に、見覚えのある顔があった。


釣具屋の老人だった。


今よりずっと若い。


髪も黒く、顔には深い皺もない。


その隣に、少年が立っていた。


青い帽子。


少し不機嫌そうな顔。


けれど、目だけは、どこか優しかった。


僕は、その少年を知っている気がした。


いや。


知らないはずだった。


僕は写真の端を見た。


裏側に、何か書かれている。


ガラス越しでは読めない。


僕は、窓から離れた。


店の裏手に回ると、壊れかけた扉があった。


鍵はかかっていなかった。


僕は、少し迷ってから、扉を押した。


ぎい、と音がした。


埃の匂いがした。


中は薄暗かった。


床には古い紙が散らばり、棚には、見たこともない形のルアーが並んでいた。


僕は、一歩ずつ進んだ。


店の奥に、小さな机があった。


机の上には、日記帳が置かれていた。


表紙には、何も書かれていない。


僕は、ページを開いた。


最初の日付は、1992年8月31日だった。


その下に、店主らしい人物の字で、こう書かれていた。


『今年も、あの子が来た。』


次のページ。


『あの子は、また同じことを聞いた。』


さらに次のページ。


『どうして、明日は来るの?』


僕は、ページをめくる手を止めた。


どうして、明日は来るの?


そんなことを、誰が聞いたのだろう。


その答えを、誰が知っているのだろう。


僕は、続きを読んだ。


『私は、うまく答えられなかった。』


『明日が来ることは、当たり前だと思っていたからだ。』


『しかし、あの子にとって、それは当たり前ではなかった。』


日記は、そこで一度、途切れていた。


次のページには、別の日付があった。


1992年9月1日。


『少年が、あの子と一緒に来た。』


僕の心臓が、強く鳴った。


少年。


あの子。


僕は、ページをめくった。


『少年は、青いルアーを欲しがった。』


『私は、それを渡した。』


『少年は、あの子に渡すのだと言った。』


僕は、鞄から、自分の青いルアーを取り出した。


小さな文字が刻まれている。


また、あした。


日記の次の行には、こう書かれていた。


『あの子は、笑っていた。』


『少年も、笑っていた。』


そして、その下に。


『二人が、明日も会えるようにと願った。』


僕は、ゆっくりと息を吐いた。


日記の最後のページを開く。


そこには、店主の字で、たった一行だけ書かれていた。


『あの夏は、まだ終わっていない。』


*


午前11時26分 湖畔釣具店・裏口


店を出たとき、風が強くなっていた。


僕は、日記帳を元の場所に戻した。


持っていくことはできなかった。


あれは、誰かが残した記録だ。


僕が勝手に持ち出していいものではない。


でも、頭の中には、いくつもの疑問が残っていた。


1992年。


青いルアー。


少女。


少年。


そして、終わっていない夏。


僕は、湖のほうを見た。


水面は、朝よりも明るかった。


対岸の木々の向こうに、いつもの場所が見えた。


少女が座っていた木。


僕たちが、何度も並んで釣りをした場所。


そこに、誰かが立っていた。


遠すぎて、顔は見えなかった。


けれど、長い髪が風に揺れていた。


少女だ。


僕は、走り出した。


坂道を下り、木々の間を抜け、湖のほとりへ向かった。


息が切れた。


足が痛くなった。


それでも、止まれなかった。


ようやく、いつもの場所に着いた。


けれど。


そこには、誰もいなかった。


木の根元には、何も置かれていない。


砂浜にも、足跡はなかった。


ただ、湖面に、小さな波紋が広がっていた。


僕は、立ち尽くした。


少女は、確かにそこにいたはずだった。


僕は、見た。


長い髪。


白い服。


風に揺れる姿。


でも、今は、誰もいない。


僕は、湖の水際に近づいた。


水面をのぞき込む。


そこに映っていたのは、僕自身の顔だった。


そして、その隣に。


もうひとつ、影が映っていた。


僕は、顔を上げた。


誰もいない。


もう一度、水面を見る。


影は、まだそこにあった。


少女の姿だった。


彼女は、水面の中で、僕を見ていた。


笑ってはいなかった。


泣いてもいなかった。


ただ、静かに、僕を見つめていた。


そして、彼女の唇が動いた。


声は聞こえなかった。


けれど、僕には、何を言ったのかわかった気がした。


――ごめんね。


僕は、水面に手を伸ばした。


指先が、水に触れる。


冷たい。


波紋が広がった。


少女の姿が、ゆっくりと消えていった。


僕は、何もできなかった。


ただ、そこに立っていた。


湖は、静かだった。


風だけが、吹いていた。


*


帰り道、僕は何度も振り返った。


少女が、どこかに立っている気がしたからだ。


けれど、振り返るたびに、そこには誰もいなかった。


家に帰ると、午後になっていた。


僕は自分の部屋に入り、鞄から水色のノートを取り出した。


今日のことを書こうと思った。


1992年8月32日。


古い釣具店。


日記に書かれていた少年と少女。


そして、湖の水面に映った、もうひとつの影。


僕は鉛筆を持った。


けれど、最初の一文字を書く前に、手が止まった。


ノートのページが、すでに埋まっていた。


僕が書いた覚えのない文字で。


ページの上には、今日の日付があった。


2008年9月13日。


その下に、こう書かれていた。


『今日は、あの子に会えなかった。』


僕は、息をのんだ。


さらに、ページの下には、もう一行あった。


『でも、あの子は、ずっと僕の隣にいた。』


僕は、ゆっくりと顔を上げた。


部屋には、誰もいなかった。


机。


窓。


ベッド。


いつもと変わらない部屋。


けれど、背中のすぐ後ろに、誰かが立っているような気がした。


僕は振り返らなかった。


怖かったからではない。


振り返ってしまえば、何かが終わってしまうような気がしたからだ。


そのとき、窓の外から、かすかな歌声が聞こえた。


あの歌だった。


まだ完成していない歌。


少女が、何度も最後の一行を歌えなかった歌。


今度は、はっきり聞こえた。


最後の一行。


それは、たったひとことだった。


「また、あした」


僕は、目を閉じた。


涙が、一粒だけ頬を伝った。


どうして泣いているのか、わからなかった。


何を思い出したのかも、わからなかった。


ただ、僕は知っていた。


この歌を、最後まで聞かなければならない。


彼女が、最後の一行を歌えるようになるまで。


そして、いつか。


彼女の名前を、もう一度、ちゃんと呼べる日が来るまで。


僕は、待つ。


何度でも。


何回目の夏であっても。


何度、明日が来なくても。


僕は、彼女に会いに行く。


また、あした。


*


午後9時13分


その夜、電話は鳴らなかった。


僕は、机の前で、ずっと待っていた。


九時十三分。


時計の針が、その時刻を指しても、何も起きなかった。


携帯電話は静かだった。


公衆電話からの着信もない。


部屋には、時計の音だけが響いていた。


僕は、少しだけ安心した。


そして、少しだけ寂しくなった。


電話の向こうの僕は、もう話すことがないのだろうか。


それとも、次に話すべきことが、僕自身の中にあるのだろうか。


水色のノートを開く。


最後のページに、文字が増えていた。


『十四回目。湖の向こうへ行った。』


その下に。


『でも、まだ、会えていない。』


さらに、ページの一番下。


今まで見たことのない、別の筆跡で。


『明日は、文化祭の録音を聞いてください。午後四時三十二分。』


僕は、文字を見つめた。


文化祭の録音。


午後四時三十二分。


それは、いったい何を意味するのだろう。


僕はノートを閉じた。


窓の外では、夜の風が吹いていた。


遠くで、虫が鳴いていた。


明日は、文化祭の準備がある。


音楽室へ行こう。


あの歌を、もう一度聞こう。


そして、もし録音の中に、僕がまだ知らない何かが残されているのなら。


今度こそ、最後まで聞こう。


僕は、机の上に青いルアーを置いた。


小さな金属の表面に、部屋の明かりが映った。


刻まれた文字。


また、あした。


僕は、その文字を指先でなぞった。


そして、小さくつぶやいた。


「……また、あした」


今度は、誰も答えなかった。


それでも、僕は少しだけ笑った。


明日が来ると、信じたかったから。


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