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てのひら無双 ~精霊に愛された人形師ときゃわわぬいぐるみ~  作者: 鮪野登呂介
王都アルヴェリア編

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完全顕現

第2章で一番重い回です。書いていて途中で手が止まりました。でも、ここを通らないと次がない。全員が折れかけるから、次の話が生きる。そういう話です。

最初の一撃は、音だった。


石畳が、鳴いた。


老人の体の紋様が完全に光を帯びた瞬間、中庭の石畳に亀裂が走った。中心から放射状に、まるで何かが内側から押し広げるように。その衝撃波が空気を震わせ、柱に沿って立っていた騎士たちが足を取られてよろめいた。


しろが跳んだ。


老人の体へ、まっすぐ。牙を剥き、風の刃を纏って。


着弾した。確かに着弾した——のに、老人の体は動かなかった。


紋様が一瞬だけ揺れて、しろの攻撃を、飲んだ。


弾かれたのではなかった。吸収されたのだ。しろの風が、老人の体の表面で霧散して消えた。まるで最初からそこに何もなかったように。しろは着地して、振り返った。蒼の瞳が細くなった。


「……そうか」


短い言葉だった。でもカエデには、その言葉の重さがわかった。しろが「予想通りだった」と言うときの声ではなかった。「予想より悪い」と言うときの声だった。


---


老人の形をした何かが、ゆっくりと首を動かした。


人間の動き方ではなかった。骨と筋肉の繋ぎ目を無視した、機械的な滑らかさだった。目が——あの縦に細い目が——中庭全体を舐めるように動いた。品定めをするような目だった。


その口が開いた。


出てきたのは言葉ではなかった。音だった。老人の声帯が震えているのに、そこから出てくるのは人間の言葉ではない、低い共鳴音。石造りの中庭がその音を反響させ、壁が、柱が、微細に振動した。


ぽぽが飛んだ。


炎の柱を噴き上げながら、真正面から。ぽぽの炎は熱い。精霊の炎だから、ただの炎ではない。魔術的な防御をも焼き切る。茶会の刺客のとき、それは証明済みだった。


炎が、届いた。


老人の体の半分が炎に包まれた。一秒——二秒。


そして、炎が消えた。


老人の法衣は燃えていた。でも、肌は無傷だった。血で刻まれた紋様の上に、炎の痕一つなかった。紋様が赤く脈打ちながら、ぽぽの炎を吸い取っていた。体全体が、精霊の力を喰らう装置になっていた。


ぽぽが弾かれた。今度は吸収ではなく、反発だった。溜め込んだエネルギーが逆流して、ぽぽの小さな体を吹き飛ばした。ぽぽが石柱に叩きつけられ、ぐるりと落ちてきた。


「ぽぽ!」


カエデの声より先に、ぽぽは地面に手をついて起き上がっていた。でも、いつもの「ぽっ!!」がなかった。


「……ぽっ」


小さかった。かすれていた。いつものぽぽの声ではなかった。


---


ホークが上空から電光を走らせた。


紋様に向けて、精確に。ホークの雷は速い。光より遅いが、目で追えるものではない。


紋様が震えた。一瞬——本当に一瞬だけ——光が揺らいだ。


ホークが「今です!」と叫んだ。


しろが地を蹴った。今度は風ではなく、体重を乗せた突進で。紋様の揺らぎに叩き込む一撃。


直撃した。


老人の体が一歩、後退した。


一歩だけ、後退した。


それだけだった。


しろが再び弾かれた。今度は先ほどより強い反発だった。白い体が弧を描いて飛び、中庭の端の石壁に激突した。壁に亀裂が入った。しろは落ちてきて、石畳に転がった。


動かなかった。


一秒。二秒。


三秒目に、しろは立ち上がった。ゆっくりと。いつもの素早さではなかった。体の右側が、わずかに沈んでいた。


カエデの胸の中で、何かが音を立てた。


---


「逃げろ」


誰かが言った。


騎士の声だった。「市民を避難させろ、早く!」続けて誰かが叫んだ。石造りの柱が一本、根元から折れて倒れた。反対側の壁が陥没した。老人の体からにじみ出る力が、中庭そのものを侵食し始めていた。


ルーチェがカエデの腕を摑んだ。


「カエデ、行こう」


「……」


「ねえ、カエデ」


カエデは動かなかった。


ルーチェの手の感触がわかった。引っ張られているのもわかった。でも、足が動かなかった。


動かせなかったのではない。動かなかった。


しろが、いた。石畳の上に、まだ立っていた。傷ついた体で、傾いた姿勢で、それでも老人の体の前に立っていた。後退していなかった。


ぽぽが、いた。地面から飛び上がろうとしていた。炎が届かなくても、弾かれても、また翼を広げていた。


ホークが、いた。上空で嵐のように旋回しながら、次の一手を探していた。「ぽぽ、右側に注意してくださいまし」「わかった!」短いやり取りが、続いていた。


「……逃げていない」


カエデは、ぽつりと言った。


「しろも、ぽぽも、ホークも。逃げていない」


ルーチェが息を呑んだ。


老人の形をした何かが、また首を動かした。今度はカエデを向いた。縦に細い目が、カエデを捉えた。


その口が、また開いた。


今度は、言葉が出た。


老人の声ではなかった。でも、かろうじて言葉の形をしていた。


「……精霊の、娘」


カエデは答えなかった。


でも、動かなかった。


---


会場の半分が、もう崩れかけていた。


天井の一部が落ちた。砂埃が舞い上がって、月明かりを遮った。暗くなった中庭に、紋様の赤い光だけが脈打っていた。


しろが、カエデを振り返った。


一瞬だけ。


その目に、何があったかは、カエデにはわからなかった。でも、しろはすぐに前を向いた。また、立った。また、前を向いた。


カエデは、ルーチェの手を、そっと握り返した。


「ルーチェ。少しだけ、待って」


「……カエデ」


「少しだけ」


何かが、胸の中で動いていた。


うまく言葉にならなかった。でも、そこにあった。しろがずっとそわそわしていたあの夜から、素体強化の縫い目を一針ずつ入れていたあの時間から、ずっとそこにあった何かが——今夜、初めて形に近づいている気がした。


「……明日、お前には見えるものがある」


しろの声が、耳の中で蘇った。


カエデは、目を細めた。


中庭を見た。紋様の光を見た。崩れかけた柱を見た。戦い続けている三体を見た。


まだ、見えなかった。


でも、もう少し、だという気がした。

しろが壁に叩きつけられる場面、一番書くのが辛かったです。でもあそこで立ち上がらせないといけなかった。次の話、カエデが動きます。

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