見舞いの封
小夜は、周防から届いた見舞いを七か月、封のまま長持の底へ置いた。
八月二十三日の夜、本所の九時の鐘が鳴る前に鉄之助が長屋へ来た時も、包みはそこにあった。
鉄之助は片膝を立てたまま話した。
「兵営を離れてすぐ、一ツ橋側の番所へ寄った」
弾薬箱と同じ大きさであること。中身は確かめていないこと。平時より兵が増えていたこと。面会口の門が閉じたこと。
番所ではその四つを口で告げ、紙にも一行ずつ書いて自分の名を入れ、夜詰めへ渡した。同じ四つを書いた紙を、黒田半蔵の所へ走る使いにも持たせたという。
「黒田さまは、受け取ったのですか」
「使いが走る所まで見た。先は知らん」
番所から神田橋を渡り、本所まで来た。その道で何が動いたかも、鉄之助にはまだ分からない。
瀬川宗吉との約束へ行かなかったこと。赤石屋の裏蔵から出た小荷が、五月の四度と同じ姿で周防の勤め先へ入ったこと。包みの中も、受け取った者の名も見ていないこと。
「瀬川さまは」
「待って、兵営へ戻った」
「願いは」
「本人が持っている」
小夜は長持を開けた。
鉄之助が手を伸ばす前に、包みを自分の膝へ置く。
「今まで待ったのは、私です。今夜開けるのも、私が決めます」
小夜は外紐をほどき、糊で留めた所へ小刀を入れた。
内側から、二つ折りの見舞い状と、銀貨の包みが出た。銀貨は包みの形のまま、小夜の膝へ残った。
見舞い状には、小宮小夜の療養へ用い、返す日を急がなくてよいとある。末尾は周防主計。整った字だった。薬問屋で費目を分けた時と同じく、払い手と使途を一行ずつ分けている。
鉄之助が、紙の右端を見た。
「戸田が持っていた空欄の紙と、裁ち幅が近い」
小夜は見舞い状を自分の膝へ押さえた。
「戸田さまと、青柳さまを呼んでください」
「今からか」
「開けたのは、この紙を急いで誰かの物にするためではありません。今夜、見える所まで見ます」
「今津にも、竹橋と小荷の道を知らせる」
鉄之助が言うと、弁蔵は戸田、青柳、今津の三方へ使いを分けた。今津へは口銭控と送金控も持ってくるよう伝えた。
待つ間、小夜は見舞い状を開いた形で膝へ置いた。兄が消えたあと、この包みが届いた。中の銭を使えば薬が何日続くか、数えずに済ませてきた。周防は薬問屋で実際に猶予を作り、赤石屋から長持を取り戻した。その手と、兄の手紙にある名を、小夜は同じ人へ重ねられずにいた。
戸田孝作が先に来た。
懐から出したのは、名と日付の空いた委任紙の持ち主控である。黒田が封じた青柳工房の三綴りとは別に、戸田が自分で持ち続けた一枚だった。
「これだけだ」
戸田は紙を自分の掌へ載せたままにした。
「今夜、この場で見比べる。それが済んだら私へ戻す。役所の封は開けさせん」
「お借りしません。戸田さまの手に置いたまま見ます」
青柳は、新吉を工房へ残して来た。焼けた右手の指は、夏になっても最後まで曲がらない。
本所の九時の鐘が止むころ、最も遠い兜町へ呼ばれた今津が、革表紙の口銭控と紙紐の送金控、小箱を分けて抱えて来た。今津は戸口側へ座り、紙の比較が済むのを待った。
戸田と青柳が揃うと、小夜は見舞い状を灯へ透かした。
薄い繊維の中へ、青灰色の斑が二つある。右の裁ち端は、真っ直ぐ切れた途中でわずかに内へ噛んでいた。横に一度、縦に一度。字を書く前につけた折りが、墨の下を通っている。
「戸田さま。控えを開いてください」
戸田が自分の膝で紙を開いた。
白紙委任紙にも、青灰色の繊維が混じっている。裁ち端の一か所が浅く噛み、先につけた二つの折りは、見舞い状と近い幅だった。
小夜は二枚の間に指一本の幅を残した。
「同じ紙ですか」
青柳は見舞い状の裏と表を灯へ向けた。戸田にも頼み、持ち主控を一度裏返してもらう。
「同じ頃に漉いた紙かもしれない。同じ束から裁ったなら、この斑と刃の噛みは残る」
「同じ束なのですね」
「そこまでは言えない。紙問屋が同じなら、別の束にも混じる。折る幅も、工房の手本を使えば近くなる」
青柳は両手を自分の膝へ置き、爪を見た。
「ただ、この紙と似た一枚を、俺は前にも折った」
鉄之助が顔を上げた。
「いつだ」
「一月十七日」
赤石屋の手代が、宛名だけを書いた私信を工房へ持ってきた。青柳は横と縦へ折りを直し、封をして、森巳代次へ届けたという。
「誰が本文を書いたのですか」
小夜が問う。
「見ていない。俺が読んだのは、森巳代次の名だけだ」
「兄を海運橋へ呼ぶ文でしたか」
「分からない」
「周防さまの名は」
「封の中だ。あったかどうかも知らない」
青柳は小夜の目を受けた。
「五月に、俺は周防主計と言いかけて、口を閉じた。六月に工房を焼き、新吉を連れていかせた。それから今日まで、この私信を胸へしまった」
曲がらない指を、左手で包む。
「官へ納める仕事まで失えば、新吉へ渡す工房がなくなると思った。またあいつの字を持っていかれるのも怖かった」
青柳は一度、戸口を見た。新吉は工房で留守を守っている。
「守るつもりで黙って、新吉の手を長く疑わせた。私信を運んだのは、俺だ」
小夜は見舞い状を開いたまま、両端を押さえた。
青柳の言葉で分かるのは、赤石屋から森巳代次へ一通の私信が渡った道までだった。紙の似方を重ねても、その中に誰の命令があったかは読めない。
小夜は新しい紙へ、見舞い状と戸田の控えで見た物を自分で書いた。
青灰色の繊維。裁ち端の噛み。先についた横と縦の折り。同じ頃、または同じ束から裁った可能性。断定できず。
戸田は持ち主控を自分で折り、懐へ戻した。
「この写しは」
鉄之助が問う。
「皆さまが見たことだけ、お持ちください」
「見舞い状は」
「私が持ちます」
小夜は原物を元の包みへ戻した。銀貨の包みも形を保ったまま隣へ入れ、二つを長持の底へ戻した。
青柳は帰り際、もう一度日を言った。
一月十七日。
兄が海運橋へ向かった夜だった。




