約束の時刻
鉄之助は、瀬川の願いを読むため神田橋外の飯屋へ向かっていた。
八月二十三日、日が落ちたあとのことである。
兜町を抜ける途中、赤石屋の裏蔵から油紙の小荷を抱えた男が出てきた。
鉄之助の足が止まった。
今津の送金控に綴じられた四枚の荷札は、どれも同じ結び方をされていた。油紙の上へ細縄を横に二筋。荷札は上の縄へ差し、結び目だけを荷の下へ回す。海運橋へ出す時も、鎧橋側で渡す時も、その順だった。
帳面も荷札も、今津の手元にある。
男の手にした小荷も、両腕で抱えるほどではない。油紙に細縄が二筋。荷札の端が上の縄から半分出ている。
中身は見えない。
四度の洋銀と同じ道へ出る荷か、それを似せただけの別の荷かも分からない。鉄之助は男が十歩先へ行くまで待ち、魚籠を担ぐ者の後ろへ入った。
男は海運橋へ下りず、鎧橋を渡った。
暮れた町では、店を閉める戸の音が続いている。鉄之助は右膝を曲げ切れず、角を一つ曲がるたび距離を詰められた。近づけば振り向かれる。離れれば、紺の肩が人の間へ消える。
神田橋外まで来ると、煮炊きの煙が低く流れていた。
汁飯屋の軒に灯がある。
瀬川宗吉は、その下にいた。
入口へ背を向けず、壁際の席に座っている。左の靴には新しい革が当たり、縫い目だけが白い。膝の上に、五月の一枚と十余名の束を重ねていた。
橋の向こうで、白い縫い糸と紙束が灯に浮いた。
鉄之助は息を吸った。
その時、小荷の男が飯屋の前を通り過ぎた。
橋を渡れば瀬川の席だった。男は手前で右へ折れ、周防の勤める役所の塀沿いへ入った。
「瀬川」
鉄之助は呼びかけを喉で止めた。
鉄之助は男を追った。
塀の裏は、昼に荷を受ける口より狭い。男が木戸を二度叩くと、内側から袖口だけが出た。役所の下働きらしい男が半身を見せ、小荷を受け取る。
袖口の男は包みを両腕へ移し、すぐ木戸の内へ引いた。
油紙の包みは、開かれないまま木戸の中へ消えた。
鉄之助が駆け寄った時には、閂の音がした。
塀越しに灯は見えたが、どの部屋へ運ばれたかは見えない。包みの重さも、中に銀があるかも、周防が受け取ったかも分からなかった。
残ったのは、赤石屋の裏蔵から出た小荷が、五月の四度と同じ姿で、周防の勤め先の裏口へ入ったことだけだった。
鉄之助は木戸から手を下ろした。
名乗れば、今津の控えにある道までこちらから教える。そう考えたあとで、自分が瀬川との約束より、この一つを選んだのだと気づいた。
汁飯屋へ戻ると、壁際の席は空いていた。
椀が一つ、伏せたまま置かれている。
「軍服の客は」
店の女が火吹竹から口を離した。
「ずいぶん待ってたよ。紙を二度も広げて、誰か来るたび顔を上げて」
「どちらへ」
「竹橋の方。飯も食わずに」
鉄之助は銭を置いた。女が多いと言ったが、受け取らず外へ出た。
瀬川を追えば間に合うかもしれない。
その言葉を、鉄之助は昨日も持っていた。春から懐へ入れた紙と同じで、持っているだけでは何も戻らない。
神田橋を渡り、一ツ橋へ向かった。
竹橋の陣営へ近づくにつれ、道を行く兵が増えた。二人、三人と固まり、話しかけても顔を上げない。銃を携えていない者まで、右手を空けたまま歩いている。
鉄之助は砲兵営の門外で止められた。
「瀬川宗吉に会いたい」
門番は鉄之助の腰の竹筒を見た。
「今夜は面会なしだ」
門の内側から、木箱を運ぶ音がした。
兵卒が四人で一箱を抱え、兵舎の方へ移している。続いて二箱目が来た。箱の角には鉄帯が回り、大きさは戦場で見た弾薬箱に近い。
鉄之助は西南の戦場で、その運び方を見ていた。
だが、蓋の印は暗くて読めない。中が空でも四人で運ぶことはできる。弾が入っているか、別の重しなのかは、門外から分からなかった。
「受取は誰だ」
鉄之助が門番へ聞いた。
門番の顔が内側へ向いた。
聞こえるのは運ぶ足と、箱の角がぶつかる音だけだった。平時より多い兵卒が門内へ集まり、箱を暗い兵舎の脇へ消した。
「瀬川を呼べ」
鉄之助が門へ手を掛けると、門番が銃床でその手を外した。
「帰れ」
左右の門扉が閉じ始めた。
隙間の奥で、また一箱が持ち上がる。鉄之助が瀬川の名をもう一度呼ぶと、運ぶ足音はその声を踏んで遠ざかった。
門が閉じ、錠金が落ちた。
空箱なら、門が閉じただけである。
弾が入っていれば、朝を待ってから確かめるのでは遅い。




