りんの嘘
りんは、父の銭包みを自分で納屋から出した。
六月十二日の午後だった。
秤の後ろ、板壁と柱の隙間へ、去年の暮から押し込んであった。紙は湿気を吸って柔らかくなり、赤い石の店印だけが濃く残っている。
鉄之助と倉田徳次が来る前に、りんは包みを秤の皿へ置いた。
銀貨が五枚入っていた。受取書はない。何の代かも書かれていない。
「父ちゃんが、赤石屋の男から受け取った」
言うと、納屋が前より狭くなった。
鉄之助は銭へ触らなかった。
「見たのか」
「見た」
「五月十八日に聞いた」
「覚えてる」
——辰五郎が赤石屋から銭を受け取る所を見たことはあるか。
——ないよ。
父の荷を同じ道で運んだ日の問いだった。りんは運び賃の一枚を裏返し、考えてから嘘をついた。
「いつだ」
「十二月の初め。父ちゃんが、海運橋へ三箱運ぶ前」
「誰から」
「赤い石の前掛け。顔は暗くて見てない」
「何を言って渡した」
「聞こえなかった」
「本当にか」
りんは鉄之助を睨んだ。
「そこは本当」
鉄之助はうなずきもしなかった。本当だと言うだけでは足りない。そのことを、りんは自分で作ってしまった。
倉田は戸口に立ち、納屋の中へ入ろうとしなかった。迅平の訂正は今朝出たが、役所へ戻れる見込みはない。着物も昨日と同じで、帳面箱だけを手放していた。
「あなたのお父上だと、私は声で聞いただけです」
倉田は先に限りを置いた。
「顔は橋の灯で見ました。今ここにある荷札の字や、この銭包みについては知りません」
「それでいい」
りんは言った。
鉄之助が倉田へ問う。
「一月十七日、何を見た」
倉田は、九つの鐘より前と繰り返した。
海運橋北詰に、赤石屋の平箱が二つあった。魚の臭いはしたが、蓋の隙間から薄紙の角が見えた。辰五郎と呼ばれた男が、箱を舟へ下ろさず押し戻していた。
赤石屋の男は言った。
三度は運んだだろう。銭も取った。四度目だけ善人になるな。
辰五郎は答えた。
「三度は、俺の仕事として運んだ。だから四度目は運ばねえ」
「それじゃ、拒んだ理由になってない」
りんが口を挟む。
倉田は目を伏せた。
「次の控えへ、娘の名を入れると言われたからです」
りんの指が秤の縁を掴んだ。
「私の?」
「名前までは聞いていません。魚河岸の娘を受取にすれば、辰五郎が消えても荷道は残る、と」
父はその男の襟をつかんだ。箱を一つ倒し、紙包みが路地へ落ちた。倉田は役所の写しを抱えていたため、関わらず通り過ぎた。
「そのあと、戻らなかったの」
「橋の先で一度だけ振り返りました。辰五郎さんは箱を置いて、川とは反対へ歩いていました」
同じ夜、九つの鐘を過ぎて、小宮は海運橋で争った。
父が小宮を見たかは、倉田にはわからない。
「父ちゃんは、四度目を断った」
りんは鉄之助へ言った。
「そう聞いた」
「なら赤石屋の側じゃない」
鉄之助が初めて、りんを見た。
「三度は運んだ」
「中身を知らなかったかもしれない」
「銭を受け取った」
「口止め金か、荷賃か、わからない」
「だから確かめる。先に無実とは決めない」
「あんただって、負傷兵のために名簿へ嘘を書いた」
言った瞬間、父を守るために鉄之助の傷を使ったとわかった。
鉄之助は目を逸らさなかった。
「書いた。別の隊から米を減らした」
「だったら」
「善かったことにしてほしいとは言っていない」
納屋の外を魚車が通った。車輪が板壁を震わせ、秤の皿で銀貨が一枚鳴った。
倉田が戸口から動いた。
「私は、これ以上は知りません。訂正に名を出さない約束を守ってください」
「守る」
鉄之助が答えた。
りんも同じ言葉を返した。
倉田は帰りかけ、戸口で振り向いた。
「辰五郎さんは、娘の名を使わせないために拒みました。それは聞きました。ただ、三度運んだと言ったのも、同じ本人です」
倉田が去ったあと、りんは銭包みを畳まなかった。
「父ちゃんを見つけてから言いたかった」
「見つけて、何を聞く」
「何を運んだか。なぜ銭を取ったか」
「答えが悪ければ」
りんは口を閉じた。
父を先に見つければ、抱きつけると思っていた。生きている顔を見れば、三箱くらいは運んだだけになる。銭も、家を守るためだったと言える。そういう答えを、父の口より先に用意していた。
「魚河岸へ父のことが知れたら、納屋も場所もなくなる」
「だから俺に嘘をついたのか」
「あんたは、すぐ人を決めるから」
「決めた。新吉を連れていかせた。そのあとも、お前は言わなかった」
その通りだった。
鉄之助は辰五郎の二つ折り荷札を懐から出し、秤の脇へ置いた。
「これはお前が持て」
「もう一緒に探さないってこと」
「父探しはお前の物だ。俺が取り上げる理由はない」
鉄之助は銭包みを指した。
「次に何か出た時は、俺が聞くまで隠すな。それができないなら、お前の示す道へは行かん」
「あんたも、小夜ちゃんの手紙を勝手に取りに行かないで」
「行かない」
すぐ答えたことが、りんには腹立たしかった。
二人は同じ時刻に納屋を出た。
いつもなら、りんが魚車の切れ目を選び、鉄之助が右膝で遅れる分だけ角で待つ。今日は待たなかった。鉄之助も追いつこうとしなかった。
次の角で、りんは魚河岸へ曲がった。鉄之助は川沿いを行った。
秤の皿には、赤石屋の銭五枚と、辰五郎が書いた荷札が残った。




