第53話 モブ、〈沈鐘堂の鐘守、カロン〉をする
暗い。そして、臭い。
巨大カエルの腹の中で、ぬるいものに全身を包まれ、ぐにぐにと押されている。
最悪だ。
だが、慌てる必要はない。
レバガチャでノーダメ。
ゲームならボタンを連打するだけだった。現実にはボタンがないので、とにかく手足を動かして暴れる。
腹の外から、くぐもった声が聞こえた。
「モブ!」
「ソウゴ様、待ってください!」
二人ともいる。
問題ない。
さらに手足を動かすと、巨大カエルの腹が大きく縮み、体が一気に上へ押し戻された。
来た。
口が開き、俺は大量のぬめりと一緒に吐き出された。
石床を転がる。
「モブ!」
ソウゴがこっちへ駆けてくる。
「後ろ!」
巨大カエルはまだ生きている。
俺を吐き出した反動でよろめいている。
ソウゴがすぐに後ろ脚に一撃を入れる。
巨大カエルが跳ぼうとするが、後ろ脚のダメージ蓄積で失敗。
大きくよろめいた。
ソウゴは追撃しかけたが、剣を止めて一歩下がった。
直後、巨大カエルが最後の力で前脚を振り回す。
ソウゴの目の前を空振りした。
「よし!」
ソウゴがもう一度踏み込み、後ろ脚を深く斬った。
巨大カエルが低く鳴き、そのまま腹から石床へ倒れる。
ソウゴはすぐには剣を下ろさず、完全に動かなくなるまで様子を見てから、ようやく息を吐いた。
「……倒した」
ソウゴが息を切らしながら呟く。
「モブ、今のはどうだった?」
「よかった。三発目を欲張らなかった」
「そこは気をつけたからな」
入るから殴る。
入ったから、もう一発。
それで死ぬ。
死にゲーではよくある。
「上手でした、ソウゴ様」
ユーフェリアが笑う。
倒した後なら、いくら褒めてもいい。
ソウゴが剣を納め、俺を見る。
「それよりモブ、大丈夫なのか?」
「言っただろう。レバガチャでノーダメだ」
「だから、そのレバガチャって何なんだよ」
そういえば説明していなかった。
「これがレバガチャだ」
俺はその場で腕と脚をばたばた動かす。
腹の中ではもっと必死にやった。
ソウゴとユーフェリアが無言で俺を見る。
そして、ユーフェリアが吹き出した。
「ブフッ、も、モブ、何をふざけているのですか」
「ふざけていない」
ソウゴが神妙な顔でうなずいた。
「なるほど、そうやって暴れればいいのか」
「そうだ」
ソウゴが俺の隣に並んで、バタバタと腕と脚を動かす。
「どうだ?」
「もっと身振りを大きくしろ」
バタバタ。
バタバタ。
「ちょ、ま、ブフッ、二人とも真面目な顔で何を……」
顔を引くつかせている聖女にソウゴが真顔で言った。
「レバガチャでノーダメです」
「レバガチャでノーダメだ」
「ヒッ、ヒーッ! やめてください! 真顔! 真顔でやることではありません! ブフフゥ!」
聖女が落ち着くのを待って、俺たちは水路の奥へ進んだ。
その先にも水路の徒はいたが、もうルールはわかっている。
正面に入らず、触らなければいい。
ソウゴもいちいち俺の指示を待たなくなった。
二体並んでいれば巡回を見て抜け、狭い場所では足元まで確認している。
途中でもう一体、巨大カエルがいた。
「俺がやる」
ソウゴが先に剣を抜いた。
「後ろ脚だろ?」
「ああ」
今度はほとんど説明する必要もなかった。
前脚を避けて横へ回り、後ろ脚を二回斬って離れる。舌が来れば、自分から横へ避ける。
食われることもなく倒した。
「レバガチャを覚える機会を逃したな」
「こうだろう?」
「フヒッ、やめてくださいー!」
そのまま長かった水路を抜けると、前方に巨大な黒扉が現れた。
ソウゴが足を止める。
「この扉は……」
黒い石の表面には、大鐘と、その前に跪く人影が刻まれていた。
扉の中央には掌を当てるための窪みがある。
ユーフェリアが表情を引き締めた。
「この先に……レガリアが」
ソウゴは黙って黒扉を見上げる。
二人にとって、レガリアを手に入れることは使命だ。
そして俺にとっても、ここから先は道中ではない。
ボス戦だ。
「ソウゴ」
中央の窪みを指す。
「開けてくれ」
「ああ」
ソウゴが窪みに掌を当てた。
しばらくして、刻まれた波紋に淡い光が走る。
光は水面を伝うように広がり、大鐘へ、その前に跪く人影へと昇っていった。
ごおん。
扉そのものが鳴ったような低い音が響く。
巨大な黒扉が、ゆっくりと左右へ開いていく。
その先は円形の広間だった。
床の半分ほどが浅い水に沈んでいる。
正面には、扉に刻まれていたものと同じ巨大な鐘。
その鐘の真下に、一人の男が跪いていた。
黒く濡れた法衣をまとい、肩と胸だけを緑青の浮いた金属板で覆っている。
頭には鐘を逆さに被せたような青銅の覆面があり、顔は見えない。
腰から垂れた鎖には、いくつもの小さな鐘が吊られている。
その傍らには、巨大な鐘を鳴らすための長い撞木が置かれていた。
「……あれが」
ソウゴが声を落とす。
「ああ」
俺が広間へ一歩入る。
ちゃぷ、と水が鳴った。
鐘守の指が動く。
ゆっくりと顔を上げた。
青銅の覆面には、目の穴すらない。
鐘守は長い撞木を掴み、それを杖代わりに立ち上がった。
濡れた法衣が水の中を引きずられ、腰の小鐘が初めて鳴る。
ちりん。
鐘守は俺たちには向かず、背後の大鐘を見上げた。
そして、撞木を振るう。
ごおん。
腹の底まで響く音が広間を満たした。
水面に幾重もの波紋が走り、壁の燭台へ青白い火が一つずつ灯っていく。
最後の火が灯る。
鐘守が撞木を肩へ担ぎ、こちらを向いた。
ゲームなら、ここで名前が出る。
「〈水路の鐘守、カロン〉」
何百回も戦ったボスだ。
周回では邪魔だから毎回飛ばしていた。
だが、こうして久しぶりに見ると、やはりテンションが上がる。
俺は錆びた長剣を抜く。
「モブ、俺も――」
「手を出すな」
「……やっぱりか」
ソウゴは少しだけ俺を見て、それから剣から手を離した。
「わかった」
ユーフェリアも俺を見る。
「回復はしますからね」
「したければすればいい」
「えっ、いいのですか?」
「ああ。どうせ一撃で死ぬからな」
ユーフェリアが黙った。
「……それは、回復以前の問題では?」
「ああ」
だから避ける。
ヴァルガが撞木を構えた。
俺も錆びた長剣を構える。
初動は叩きつけだ。
少し遅らせて前へ入ればいい。
「モブ!」
ソウゴの声が飛んだ。
「後ろからも来るぞ!」
「何?」
視線だけを後ろへ向ける。
開いた黒扉の向こう、今まで通ってきた水路から人影がこちらへ歩いてくる。
水路の徒だ。
しかも一体ではない。
「……なんでだ」
ゲームでは来ない。
そこでようやく、入口が開いたままだと気づいた。
「霧壁がない」
「霧壁?」
「ボス戦が始まれば、あそこは塞がるはずだった」
現実だから出ないのか。
まずい。
ヴァルガが正面から来る。
後ろからは水路の徒が迫っている。
最初から雑魚が出るボス戦ならいい。
それ込みで作られてるからだ。
雑魚のボスのうちだ。
だが、ヴァルガ戦に雑魚は出ない。
だったらあれはボスじゃない。
ただの雑魚だ。
しかも乱戦だ。
「モブ、ボスには手を出さない」
ソウゴが剣を抜き、俺の横を通る。
「でも、こいつらは俺にやらせてくれ」
最初の水路の徒が広間へ入ってきた。
ソウゴがその前に立つ。
「……わかった」
ヴァルガが水を蹴って踏み込んでくる。
俺は正面へ向き直った。
背後でソウゴとユーフェリアが戦っている音がする。
ボス戦と雑魚戦は分かれた。
これなら乱戦ではない。
ただし、ソウゴとユーフェリアが死んだら困る。
ヴァルガの攻撃を見ながら、二人の位置も見る。
HPが危なくなればポーションを使わせる。
間に合わなければ、俺が頭からぶっかける。
ボスを攻略しながら、二人も死なせない。
これは共闘イベントだ。
そして、変則的な護衛イベントだ。
それなら話は違う。
「ソウゴ」
「何だ!」
「死ぬなよ」
「ああ!」
俺は〈沈鐘堂の鐘守、カロン〉へ向き直る。
初期武器。
最低レベル。
そのうえ護衛イベント追加。
悪くない。
望むところだ。
「死にゲーの始まりだ」
俺は剣を構えた。




