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第51話 モブ、間に合わない

 水路を進む。


 じゃぶ、じゃぶと音が響く。

 だが、水路の徒は反応しない。


 こいつらが反応するのは視界と接触だけだ。

 正面に入らず、触らない。それだけ守ればいい。


 単純だ。

 だからこそ、間違えると死ぬ。


 俺が先頭で、その後ろにソウゴ、最後にユーフェリア。


 基本隊列だ。


 ただし、ユーフェリアだけは水の中を歩いているのに裾が濡れていない。

 加護らしい。


 ずるい。


「最初に言っておく。ここは時間制限がある」

「時間制限?」

「鐘が鳴るたびに水位が上がる」


 ごん。


 ちょうど遠くで鐘が鳴った。

 水面が震え、足元の水がわずかに増える。


 ユーフェリアが下を見る。


「これですか」

「ああ。だから遅すぎると駄目だ」

「急いだ方がいいのか?」

「急ぎすぎても見つかる」


 ソウゴが難しい顔をした。


「面倒だな」

「そういうステージだ」


 見つかっても即死ではない。

 倒して進むこともできる。


 だが、最低レベルに錆びた長剣では処理に時間がかかる。

 時間がかかれば水位が上がり、動きにくくなって、さらに見つかりやすくなる。


 だから、見つからないのが一番早い。


「止まれ」


 前方に水路の徒が二体いる。

 一体は奥を向き、もう一体はゆっくり左右を見ている。


 右の壁沿いなら抜けられる。


「二体目が左を向いたら行く。正面に入るな。触るのも駄目だ」

「わかった」


 顔のない頭がゆっくり左を向く。


「今だ」


 壁沿いを進む。


 じゃぶ、じゃぶと盛大に音が鳴る。

 目の前にいるのに、水路の徒は振り向かない。


 背後を抜ける。

 ソウゴも続き、最後にユーフェリア。


 全員通った。


「本当に音は平気なんだな」

「ああ。視界と接触だけ覚えればいい」

「わかった」


 理解が早い。

 それなら楽だ。


 ごん。


 また鐘が鳴った。


 水が足首から、すねのあたりまで上がってくる。


「本当に増えましたね」

「ああ。まだ余裕はある」


 ゲームでは、かなり余裕があった。


 俺たちは先へ進む。


 次は三体。

 左の壁と水路の徒の間に、人一人分ほどの隙間がある。


「ここを抜ける」

「狭くないか?」

「通れる。ただし服にも触るな」

「服も駄目なのか」

「当たり判定がある」

「……触らなければいいんだな」

「ああ」


 それでいい。

 当たり判定を理解する必要はない。


 俺が先に抜ける。


 壁には苔。

 反対側には、水を吸った巡礼服。


 どちらも嫌だが、死ぬよりいい。


 肩を壁に寄せ、そのまま通り抜ける。


 次はソウゴ。

 俺より体が大きい分、少し狭い。


 あと少しというところで、ソウゴの足が苔で滑った。


「……っ」


 体が水路の徒へ傾く。


 俺はすぐに袖を掴んで引いた。


 巡礼服の寸前で止まる。

 水路の徒は動かない。


 見つかっていない。


 ソウゴが小さく息を吐いた。


「助かった」

「ああ。次から足元も見ろ」

「わかった」


 ユーフェリアは俺たちより簡単に抜けた。

 服が水を吸って広がらない分、こういう場所では有利らしい。


 やはり加護はずるい。


 ごん。


 また鐘。


 水位が膝近くまで上がった。


 さっきより歩きにくい。

 ゲームと違って水の抵抗があるうえ、服も靴も水を吸う。


 その分だけ移動が遅い。


「……思ったより面倒だな」

「余裕があるんじゃなかったのか?」

「ゲームではな」


 現実はクソだ。


 だが、出口はもう遠くない。


 前方に、水路から上がる石段が見えている。

 あそこまで行けば、この区画は終わりだ。


「次の鐘までに階段へ行く」

「わかった」


 速度を上げる。


 走らない。

 走れば足を取られるから、できるだけ速く歩く。


 水路の徒の背後を抜け、段差を越える。


 ごん。


 鐘が鳴った。


 水が一気に膝を越え、太ももまで上がってくる。


「早くないか?」

「現実だからな」


 水が重い。

 思った以上に進まない。


 階段は見えているのに、距離が縮まらない。

 さらに水位が上がり、もう腰まで来た。


「なあ、モブ」


 ソウゴが水をかき分けながら言った。


「泳げば早いんじゃないか?」

「泳げない」

「え?」

「泳げない」


 ユーフェリアが驚いた顔をする。


「カナヅチだったのですね」

「違う」

「違うのですか?」

「泳げたら別ゲーだ」


 ソウゴとユーフェリアが黙った。


 泳げたら、水場ステージではなく水泳ステージになる。

 潜ったり浮いたりできれば、通れる場所も探索範囲も変わるし、ショートカットだって増える。


 操作体系そのものが変わる。

 だから泳げない。


「またツベコベ言ってる……」


 ユーフェリアが何か言った。


 ごん。


 また鐘が鳴った。


 水が胸まで上がる。


 まずい。


「モブ!」

「階段まで進め!」


 水を押して進む。


 あと少し。


 だが、次の一歩で足が床を離れた。


 終わった。


 水没して操作不能。

 戻される。


 死ぬ。


 そう思った。


 ぷかり。


「……」


 浮いた。


 普通に浮いている。


 顔は水面から出ているし、息もできる。

 足は床についていないのに沈まない。


「……モブ」


 ソウゴも隣で浮いていた。


「浮いてるな」

「ああ」


 ユーフェリアも浮いている。

 しかも濡れていない。


「泳げないのでは?」

「泳げない」

「ですが、浮いています」

「ああ」


 現実では、人間は浮くらしい。


 ゲームでは水位が一定以上になると行動を奪われる。

 場所によってはそのまま死ぬ。


 だが、現実にはそんな処理はない。

 人間なので浮く。


 現実はたまに便利だ。


「壁を掴め」


 俺は石壁の出っ張りを掴み、そのまま腕で体を引く。


 ソウゴも真似をした。


「これ、泳いでないか?」

「泳いでない。壁を掴んでるだけだ」

「そうか……?」

「ああ」


 泳ぎではない。

 だから別ゲーではない。


 たぶん。


 壁伝いに進み、石段へ手を伸ばす。


 届いた。


 体を引き上げると、服から大量の水が落ちた。

 服は重いし、靴も最悪だ。


 だが、生きている。


 ソウゴも階段へ上がってくる。


「助かった……」

「ああ」

「泳げないのに」

「浮いたからな」

「そうだな……」


 ソウゴは納得していない顔だった。


 ユーフェリアは涼しい顔で上がってくる。

 一人だけ乾いている。


 ずるい。


 階段の上は広い前室になっていた。

 ここまで来れば、水路の徒は追ってこない。


「ここからはルールが変わる」


 ソウゴが濡れた髪をかき上げる。


「また変わるのか?」

「ああ。水路の徒は音に反応しなかった」

「それは覚えた」

「次の敵は──」

「へっくしょん!」


 ソウゴが大きなくしゃみをした。


「ああ、悪い。冷えたみたいで――」

「ソウゴ」

「ん?」

「次の敵は音に反応する」

「……え?」


 前室の奥。

 大きな水たまりの向こうに、丸い影がある。


 今のくしゃみに反応して、その影がゆっくりこちらを向いた。


 暗闇の中で、二つの目が光った。

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