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第5話 モブ、〈愚かなる司祭、ガルム〉と戦う

 ボス部屋の扉の前で、俺は足を止めた。

 ここは、獣の頭蓋骨が飾られた古い礼拝堂の最奥だ。

 扉の奥から、鎖を引きずる音が聞こえる。


 ずるり。

 ずるり。


 重く、濡れた音が腹の底に響く。

 初見で聞いたときは、普通に怖かった。

 今も普通に怖い。

 けれど、怖いのと進まないのは別の話だ。


「この先に、何かいるのか」


 ソウゴが剣を握り直した。


「ああ」


 お待ちかねのボスだ。


「〈愚かなる司祭、ガルム〉。かつて邪な存在に祈りを捧げ、身を滅ぼしたといいます」


 そう解説したのはユーフェリアだ。

 聖女は解説役も兼ねている。


「よし、皆で力を合わせて戦うぞ!」

「やめろ」


 即答した。


「なぜだ?!」

「タゲがズレる」

「タゲ……?」


 そこでユーフェリアが前に出てくる。


「確かにあなたは強いです」


 いや、弱い。

 最弱ステータスだ。


「でも、使命を果たすために、ソウゴ様も必死に訓練を積んできたのです」

「知っている。だが関係ない」


 複数でのボス戦も楽しくはある。

 だが、俺が望むのはソロ攻略だ。


 それに、ボス戦で1番怖いのはボスの強さではない。

 予定外の挙動だ。

 タゲがズレれば誘導も距離もズレ、攻撃パターンまで変わる。

 

 難易度が上がるならまだいい。

 基本は下がるから困る。

 誰かが囮になっている間は攻撃し放題だからだ。

 それは俺のやり方じゃない。


 そして、さらに困ったことに、それをやると二人は確実に死ぬ。

 二人が死ねば、進行が止まる。


「壁際で見ていろ」

「見ているだけなど――」

「手を出したら殺す」


 ユーフェリアの顔が青ざめた。

 ソウゴが剣に手をかける。

 俺は続けた。


「俺が、じゃない。ボスがだ。お前らが余計なことをすれば、誘導がズレる。攻撃パターンが変わる。お前らは死ぬ」

「……本当に、1人で勝てるのか」

「勝てる」

「どうしてそう言い切れるんだ」

「1万時間やったからだ」

「またそれですか」


 ユーフェリアは何か言いたそうだった。

 だが、ソウゴが制した。


「ユーフェリア様。今は彼に従いましょう」

「ソウゴ様。ですが……」

「少なくとも、ここまで俺たちを生かして連れてきたのは彼です」


 いい判断だ。

 判断の早さは生存率に繋がる。

 助かる。


 俺は扉を押した。

 重い音を立てて、獣の頭蓋骨が左右に割れる。

 生臭い風が吹いた。


 礼拝堂の中は暗い。

 高い天井。

 左右には折れた柱。

 床には獣と人間の骨、それに黒く乾いた血が散らばっている。

 中央には祭壇があり、その前に司祭がいた。


 いや、司祭だったものがいた。


 痩せ細った人間の胴体に、裂けた法衣。

 背中から獣の前脚が生え、狼のように裂けた口から黒い涎を垂らしている。

 両腕には太い鉄鎖が巻きつき、その先には香炉のような鉄塊。


 祈りの道具だったものを、殺すための武器にした怪物。

 〈愚かなる司祭、ガルム〉。


 こいつは序盤の壁だ。

 トロフィー獲得率71%。

 つまり、3割のプレイヤーがこいつを倒せなくてゲームを投げたということだ。


 ガルムが顔を上げた。

 濁った瞳が俺を捉え、口が開く。


「おお……王よ……」


 壊れた声が、礼拝堂に響いた。


「われらの祈りは……まだ……届かぬのですか……」


 ああ。

 この台詞も覚えている。

 初見では意味がわからない。

 2周目で泣くやつだ。


 だが、今は泣いている暇はない。


 俺は錆びた片手剣を構えた。


「死にゲーの始まりだ」


 ガルムの鉄鎖が鳴った。

 開幕は右腕の横薙ぎ。

 範囲は広いが、見た目より発生が遅い。

 早く避けると追尾に引っかかる。


 だから、待つ。

 まだだ。

 まだだ。

 今だ。


 俺は前へ踏み込んだ。

 鉄塊が背後の空気を潰す。

 後ろに逃げれば死んでいた。

 横に転がっても、鎖の戻りに巻かれて死ぬ。


 正解は内側。

 ガルムの懐へ潜ることだ。


「近づいた!?」


 背後でソウゴが叫ぶ。


 やめろ。

 叫ぶとタゲが移るかもしれない。


 ガルムの腹が目の前にある。

 俺は剣を突き出した。


 刺さらない。

 硬い。

 獣化した皮膚は、錆びた剣を弾く。


 筋力2、技量3。

 当然だ。


 だが、ここはダメージを取る場所じゃない。

 俺はすぐに離脱した。


 半歩進んで柱の影へ。

 直後、ガルムが左腕を振り下ろした。


 鉄塊が床を砕き、石片が頬を裂く。


 血が出た。

 だが、これは敵の攻撃じゃない。

 HPも減ってない。

 だからセーフ。

 かなりセーフ。


「まず1巡」


 俺は小さく呟いた。


 ガルムは開幕後、3択を取る。

 右横薙ぎ、左叩きつけ、噛みつき突進。

 今は叩きつけだった。

 次は距離で分岐する。


 近ければ噛みつき。

 遠ければ鉄鎖投げ。

 中距離なら、祈り。


 俺は中距離に立った。


 ガルムが、壊れた法衣の胸元を掻きむしる。


「王よ……王よ……」


 来る。

 祈りモーションだ。


 詠唱後、周囲に黒い獣犬を2匹召喚する。

 初見殺し。


 犬。

 また犬だ。


「祈らせない」


 俺は走った。

 詠唱開始から1.8秒。

 胸元に埋まった聖印が一瞬だけ露出する。

 弱点だ。


 俺は聖印へ剣を突き込んだ。

 ガルムが苦悶の声を上げる。


「が、あああああっ!」


 犬の召喚がキャンセルされる。


 最高だ。


 犬は出させない。

 絶対にだ。


「今のは……詠唱を止めたのか?」


 ソウゴの声。


 喋るな。

 見てろ。


 これがボス戦だ。


 ガルムが怒り、頭を振った。

 噛みつき。

 発生は速いが、噛みつく前に右肩が落ちる。


 俺は左へ抜けた。

 牙が閉じる音が、耳のすぐ横で鳴った。


 ガルムがこちらを追って回転し、鎖が床を削る。

 次は2連。

 1発目は見せ技で、本命は戻りだ。


 俺は1発目を潜り、2発目に合わせて折れた柱の裏へ走った。

 この2発目は柱に引っかける。

 何度も使った誘導だ。


 鉄塊が柱にめり込み、礼拝堂全体が揺れる。

 ガルムの腕が一瞬止まった。


 これだ。


 このボスは硬い。

 普通に斬っても削れず、初期武器ならなおさらだ。

 鉄鎖を柱に絡ませ、引き抜く瞬間に生まれる硬直へ攻撃を入れる。


 俺は柱の影から飛び出し、ガルムへ剣を突き込んだ。


 狙う場所はどこでもいい。

 大事なのは立ち位置だ。

 ここなら、次に何の動作が出ても対応しやすい。


 ガルムが叫ぶ。

 ダメージは浅い。

 けれど、姿勢が崩れる。


「来る」


 剣を抜いて、すぐ離れる。

 欲張ると死ぬ。

 欲張るやつから死ぬ。


 ガルムの頭が跳ね上がった。


 咆哮。


 礼拝堂の空気が震える。

 ソウゴが1歩踏み出しかけた。


「動くな!」


 俺は叫んだ。

 ソウゴが止まる。

 その足元を、黒い衝撃が走り抜けた。


 もし踏み込んでいたら、直撃していた。

 ソウゴの顔から血の気が引く。


「わかっただろ」


 俺はガルムから目を離さず言った。


「ボス戦で勝手に動くな」

「……すまない」

「謝罪もあとだ」


 ガルムの体が膨れた。


 第2形態にはまだ早い。

 これは怒り移行だ。

 攻撃速度が上がる代わりに、鎖が大振りになる。


 ここからが楽しい。

 そして、1番死ぬ。


 俺は笑った。


 ガルムの鎖が、礼拝堂の柱をまとめて薙ぎ払った。

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