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第29話 モブ、現実の恩恵を受ける

 長い腕が、俺に振り下ろされる。

 剣は抜けない。

 抜けないなら、抜かない。


 俺は錆びた長剣から手を離し、左へ転がる。

 ローリング。

 低く。

 短く。


 黒い腕が地面を叩く。

 岩が砕け、破片が飛ぶ。


 錆びた長剣の柄が、がきん、と嫌な音を立てる。

 折れない。

 装備耐久値は仕事をしている。

 だが、抜けない。

 黒い肉と結晶の隙間に噛んだままだ。


「モブ!」

「モブ!」

「問題ない」


 死んでない。

 大丈夫だ。


 俺は立ち上がる。

 手には何もない。

 錆びた長剣は結晶亀に刺さっている。


 ゲームでは、剣が抜けないことはない。

 攻撃モーションが終われば、武器は手元に戻る。

 敵に噛まれて、その場に残ったりしない。


 現実は不便だ。

 かなり不便だ。


「モブ、これを使え!」


 ソウゴが自分の剣を投げようとする。

 ピカピカのロングソード。

 継承者用の、ちゃんとした剣だ。


 普通ならありがたい。


 普通なら。


「投げるな」

「なぜだ!?」

「初期武器じゃない」

「え!?」


 錆びた長剣は刺さったまま。

 俺の手には武器がない。


 仕方がない。

 今だけは縛りを変える。


 小石と蹴りならどうか。


 蹴りは初期武器ではない。

 そこは問題だ。

 かなり問題だ。


 だが、小石と蹴り。

 錆びた長剣を装備してもできる動きだ。

 それに難易度も上がる。


 差し引きで妥協できる。


 たぶん。


 こういう変態プレイも、たまにはありだ。

 結晶亀だしな。


「モブ、本当に剣はいらないのか!?」

「ああ」

「では、どうするのですか?」


 ユーフェリアが青ざめた顔で聞く。


 俺は小石袋から、投擲用の石を取り出す。


「小石と蹴りだ」

「また!?」

「結晶亀だからな」


 小石は弱い。

 かなり弱い。


 だが、使い道はある。

 数発当てれば怯みを取れる。

 一瞬だけモーションを止められる。


 その隙に蹴る。


 筋力2の蹴り。

 もっと弱い。


 かなり時間はかかるが、できなくはない。

 岩陰も十分ある。


 結晶亀が首を持ち上げる。

 連続噛みつき。


 1回。

 2回。

 遅れて3回。


 俺は小石を投げる。

 1発目は頭。


 コツン。


 止まらない。


 2発目は首。


 コツン。


 まだ。


 1回目の噛みつきを横へ避ける。

 2回目は後ろへ抜ける。


 3回目。


 小石を投げる。


 だが、首が動く。

 外れた小石が、結晶亀の横へ落ちる。


 コツン。


 結晶亀の首が、そちらへ向く。


「……」


 3回目の噛みつきがずれる。

 牙が俺の横を通り過ぎる。


 今のは何だ。


 ゲームでは、こんな挙動はしない。

 戦闘中のボスが、外れた投擲物に気を取られることはない。

 小石は当てて、怯みを取るものだ。


 俺はもう1個取り出す。

 今度は、わざと結晶亀の左へ投げる。


 コツン。


 首が動く。


 もう1個。

 右。


 コツン。


 また見る。


「……なるほど。少しわかった」

「何がですか?」

「石が強くなった」

「何を言っているのですか」


 違う。

 石が強くなったわけではない。


 使い道が増えた。


 ゲームでは、石は怯ませるためのものだった。

 現実では、それだけではない。

 飛んできたものを見る。

 音がすれば、そちらを向く。


 現実の亀は、石が気になるらしい。


 ゲームと違う。

 つまりこれは。

(現実パッチの仕様追加だ)


 仕様なら使わない手はない。

 フルに使わせてもらう。


 俺は次の小石を、結晶亀の右前方へ投げる。


 コツン。


 首がそちらへ寄る。

 噛みつきの軌道がずれる。


 俺は反対側へ抜け、戻り際に首の側面を蹴る。


 ドン。


 弱い。

 筋力2だ。


 だが、入る。


 離れる。


 結晶亀の右腕が持ち上がる。

 薙ぎ払い。


 今度は腕の内側へ石を投げる。


 コツン。


 結晶亀の頭がそちらを向く。

 体もわずかにつられる。

 薙ぎ払いの軌道がずれる。


 半歩。

 止まる。


 黒い腕が目の前を通り、結晶片が飛ぶ。


 待ってから抜ける。

 蹴る。


 ドン。


 離れる。


 使える。

 ゲーム通りに石を当てて怯ませてもいい。

 外して、気を引いてもいい。

 選択肢が増えた。


 結晶亀が体を低くする。

 突進だ。


 ゲームなら、引きつけて反対へ抜ける。

 俺は左前脚の先へ小石を投げる。


 コツン。


 結晶亀の首が左を向き、体もわずかにつられる。

 突進の角度が変わる。


 俺は右へ出る。

 まだ早い。

 早すぎれば追ってくる。


 引きつけてから──ここだ。


 ローリング。


 突進が横を抜ける。

 終わり際には結晶破裂があるので、追わずに見送る。

 結晶亀が壁に激突した。


 大きな硬直。


 走って距離を詰め、首へ蹴りを入れる。


 ドン。


 筋力2だ。

 たいしたダメージではないが、確実に削れている。

 時間さえあれば、このままでも倒せる。


 だが、時間はない。


 岩陰は残り2つ。

 咆哮は岩陰で防げるが、そのたびに岩は壊される。

 全部なくなれば、次の咆哮を防げない。

 実質的な時間制限だ。


 蹴りだけでは間に合わない。

 だから石を使う。

 当てて怯ませる。

 外して気を引く。

 攻撃できる回数を増やす。


 ゲームにはなかった選択肢だ。

 現実で増えた選択肢。


 悪くない。


「……不思議です」

「剣でもなく、聖術でもなく、小石を投げて、蹴っているだけなのに」


 結晶亀の横へ小石を投げる。


 コツン。


 首がそちらを向く。

 反対側へ抜けて、蹴る。


「不格好で、洗練されていないのに」


 今度は腕が上がる。

 小石を立て続けに3発当てると、結晶亀の動きが止まる。

 短い怯み。

 その隙に踏み込み、もう1発蹴る。


 ドン。


「まるで――美しい舞いを、見ているようです」

「俺も……ああなれるのか」


 答える暇はない。


 結晶亀の目が青白く光る。

 次は咆哮。


 俺は右奥の岩へ走り、滑り込む。

 直後、咆哮が空洞を揺らす。

 頭の奥まで響く音が、岩の向こうで弾ける。


 届かない。


 続けて黒い腕が持ち上がる。

 岩破壊。


 俺は岩陰から飛び出す。

 直後、背後で岩が砕けた。

 破片が背中をかすめる。


 被弾ではない。

 たぶん。


 これで岩陰は残り1つ。

 次の咆哮までは耐えられる。

 その次はない。


 石で怯ませる。

 気を引く。

 蹴る。

 それでも、あと少し足りない。


 なら、残っているものを使う。


 錆びた長剣。


 黒い肉と結晶の隙間に、刺さったままになっている。

 ゲームでは、剣が敵に刺さったまま残ることはない。

 だが、現実では残っている。


 さっきもそうだった。

 ゲームでは、ボスは外れた石なんて見ない。

 現実の結晶亀は見た。


 ゲームにない挙動があるなら、ゲームにない攻略もできる。


 抜けないなら、抜かなくていい。

 押し込めばいい。


 剣はもう中に入っている。

 あとは、もっと奥へ入れるだけだ。


 結晶亀の腕が、岩を砕いた姿勢で止まる。

 大きな硬直。


 ここだ。


 俺は走る。

 狙うのは結晶亀ではない。

 その体に刺さった、錆びた長剣の柄頭。


 結晶亀が動き始める。

 硬直が終わる。


 間に合う。


「押し込む」


 柄頭を蹴る。


 ドン。


 錆びた長剣が、黒い肉の奥へ沈む。

 結晶亀の巨体が震え、砕けた結晶の隙間から青白い光が噴き出す。


 通る。


 もう1発。

 これは欲張りではない。

 必要な攻撃だ。


 もう1度、柄を蹴る。


 ドン!


 剣がさらに奥へ入る。

 結晶亀の体が跳ね、黒い腕が俺へ伸びる。


 現実は不便だ。

 ゲームでは、剣が抜けなくなることなんてない。

 腹も減る。

 足も痛い。

 小石だって拾って持ち歩かなければならない。


 だが、外れた石を亀は見る。

 刺さった剣を、蹴って押し込むこともできる。

 ゲームではできないこともある。


 現実はクソだ。


 だが、たまには悪くない。


「終われ」


 3度目の蹴りを入れる。


 ドガッ!


 錆びた長剣が根元まで沈む。


「~~~~~~~~~~ッ!」


 結晶亀が咆哮する。

 俺は岩陰へ走らない。

 これは攻撃ではない。


 撃破の咆哮だ。


 青白かった目から光が消え、黒い腕が地面へ落ちる。

 全身を覆っていた結晶も、乾いた音を立てて崩れていく。


『結晶亀を撃破しました』


 よし。


 俺は息を吐く。

 足がかなり痛い。

 腹も減った。

 小石も減った。


 錆びた長剣は、結晶亀の中に埋まっている。

 あとで回収する。

 たぶんできる。

 できなかったら困る。


「モブ!」


 ソウゴが駆け寄ってくる。

 ユーフェリアも続く。


「すごい……本当に、すごかった」

「無事ですか、モブ!?」

「生きている」

「それは見ればわかります!」


 ユーフェリアが俺の足元を見る。


 蹴りすぎた足。

 落下で痛め、さっきから酷使している。


「あなたは、本当に……どうして、そんな戦い方ができるのですか」

「結晶亀だからな」

「説明になってません」


 元気そうだ。

 問題ない。


 ソウゴはまだ、結晶亀が崩れた場所を見ている。


「小石と蹴りで……ボスを倒した」

「錆びた長剣も使った」

「それでもだ。俺には、信じられないものを見た気がする」


 大げさだ。


 結晶亀だぞ。

 汎用ボスだ。

 行動も読みやすい。


 小石と蹴りでも倒せる。

 時間はかかるが。


「モブ」

「何だ」

「俺も、いつかああなれるだろうか」

「なれる」


 ソウゴの目がわずかに見開かれる。


「本当か?」

「ああ。死ななければな」

「……またそれか」

「だが、今日は死なずに覚えた」


 ソウゴは少し黙り、ゆっくり頷く。


「ああ」


 いい。

 かなりいい。


 経験値より大事なものが入った。


 たぶん。


 俺は崩れた結晶亀を見る。


 勝った。

 だが、胸の奥に引っかかりがある。


 縛りが崩れた。

 錆びた長剣を手放した。

 小石と蹴りで第2形態を削った。

 最後は、刺さった剣を蹴り込んだ。


 クリアはクリアだ。


 だが、納得はしていない。


「行くぞ」

「え? どこへだ?」

「別の坑道だ」


 ソウゴとユーフェリアが同時に固まった。

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