第28話 モブ、想定外の現実に焦る
「死にゲーの始まりだ」
割れた結晶の奥で、黒いものが蠢いた。
結晶亀だったものが、ゆっくりと立ち上がる。
いや、亀だった何かだ。
青白い結晶に覆われた細い腕。
ぬめった黒い首。
砕けた結晶の隙間からのぞく、光のない目。
第一形態は硬く、遅い。
だから小石と蹴りでよかった。
第二形態は違う。
柔らかく、速い。
そして、当たると死ぬ。
「もう手を出すな」
俺は言った。
「な、なぜだ?」
「死ぬ」
ソウゴが息を呑んだ。
ユーフェリアも、何か言いかけて口を閉じる。
いい。
ここで聞き返さないのは成長だ。
説明している間に死ぬこともある。
「ここからは剣が効く」
「なら、俺も――」
「だから手を出すな」
俺はもう一度言った。
「それに、こいつは狙いが散ると事故る。誰を狙っているかわからなくなると、避ける場所がなくなる」
ゲームでは単純だ。
ターゲットが一人なら、攻撃方向が読める。
ターゲットが増えると、首が変な角度で伸び、腕が横に飛び、結晶片が散る。
NPCは死ぬ。
プレイヤーも死ぬ。
つまり、全員死ぬ。
「俺だけを見る形にする」
「……わかった」
ソウゴは悔しそうに剣を下げた。
だが、下がった。
いい。
かなりいい。
手を出したいのに、出さない。
それも攻略だ。
「ユーフェリア」
「はい」
「祈りで自分たちを守れ。俺には飛ばすな」
「……モブには?」
「いらない」
「ですが」
「いらない」
「……わかりました」
ユーフェリアは唇を結んだ。
納得はしていない顔だが、頷いた。
「ソウゴ様と私の防御に集中します」
「それでいい」
「でも、無茶はしないでください」
「無茶ではない」
「今のところ、全部無茶です」
そう見えるのか。
だが、廃人とはそういうものだ。
結晶亀が、首をゆらりと持ち上げた。
来る。
初手は突き。
首を引き、半拍止まってから伸びる。
見てからでは遅い。
覚えていれば間に合う。
「右」
俺は右へ転がった。
低く、短いローリング。
首が槍のように伸びた。
がちん、と牙が地面を噛む。
さっきまで俺の頭があった場所だ。
当たれば死ぬ。
たぶん首だけ飛ぶ。
嫌な死に方だ。
ローリングの終わりに、俺は踏み込んだ。
錆びた長剣を振る。
斬る、というより当てる。
黒い首の根元。
結晶の割れ目。
そこに一発。
ざくっ。
入った。
剣が効いた。
「斬った……!」
ソウゴの声が後ろから聞こえる。
そうだ。
第二形態は効く。
ただし、一発だけだ。
欲張ると死ぬ。
俺はすぐに離れた。
次は左腕。
振り上げからの斜め薙ぎ。
発生は速いが、終わりは長い。
俺は距離を取る。
細い腕が空を裂き、風が鳴る。
腕の先が岩壁に当たり、結晶を削った。
遅れて欠片が飛ぶ。
「結晶片です!」
ユーフェリアが叫ぶ。
見えている。
いや、覚えている。
左腕の薙ぎ払いのあとには、結晶片が3つ飛ぶ。
正面と右。
遅れて左。
初見だと、薙ぎ払いを避けて安心したところに刺さる。
俺も刺さった。
かなり刺さった。
だから覚えている。
正面を避け、右を待つ。
左は遅い。
小さく歩く。
走らない。
走るとスタミナを食う。
結晶片が足元を砕いた。
最後の1つをやり過ごす。
亀が硬直した。
今だ。
踏み込んで、一発。
ざくっ。
すぐ離れる。
欲張らない。
死にゲーで一番大事なことだ。
一発入れたあとに、もう一発いけそうに見える。
いける気がする。
だいたいいけない。
いけても、次で死ぬ。
「モブ……」
ソウゴの声が震えていた。
心配しているのか。
驚いているのか。
どちらでもいい。
結晶亀が体を低くし、砕けた結晶を引きずる。
突進。
見た目より速い。
そして、曲がる。
「曲がるぞ」
「曲がる!?」
ソウゴが驚いた声を出す。
曲がる。
ボスだからだ。
結晶亀が、地面を削りながら突っ込んでくる。
俺は正面から外れる。
まだだ。
早すぎると曲がってくる。
引きつける。
引きつける。
ここだ。
ローリング。
突進が俺の横を抜けた。
だが、終わり際に結晶の破片が弾ける。
これも知っている。
突進の終わりに近づくと死ぬ。
だから追わない。
見送る。
ソウゴが息を詰めた。
「追わないのか?!」
「まだだ」
「隙だらけなのに!」
「あれは隙に見える死因だ」
「……なるほど」
いい返事だ。
かなりいい。
隙に見えるものを隙だと思わない。
初心者が一つ進んだ。
結晶亀が壁にぶつかり、岩が砕ける。
そこで初めて、長い硬直が入る。
本当の隙だ。
俺は走った。
スタミナはまだある。
痛みはない。
今は動ける。
それで十分だ。
錆びた長剣を両手で握る。
砕けた結晶の奥にある黒い肉。
そこに一発。
ざくっ。
もう一発。
いや、やめる。
一発でいい。
俺は離れた。
直後、黒い腕が背後へ振られ、さっき俺がいた場所を通った。
欲張っていれば死んでいた。
「モブ、今の……」
「欲張り死だ」
結晶亀がこちらを向く。
目が光る。
次は連続噛みつき。
一回。
二回。
遅れて三回。
三回目だけ追尾が強い。
俺は剣を構えない。
構えると避けにくい。
避ける。
避ける。
避けてから斬る。
首が来る。
一回目は横へ。
二回目は後ろへ。
三回目。
待つ。
まだ。
まだ。
今だ。
ローリング。
牙が耳元を通った。
腕当ての端が、がり、と嫌な音を立てる。
被弾ではない。
装備に触っただけだ。
たぶん。
「モブ!」
ユーフェリアの声が飛ぶ。
叫ぶな。
そう言いかけたが止めた。
今のは仕方ない。
ギリギリだった。
だがギリギリでもノーダメだ。
俺は立ち上がりながら踏み込む。
首の戻り。
そこに一発。
ざくっ。
黒い血のようなものが飛んだ。
結晶亀が低く鳴く。
効いている。
かなり効いている。
だが、まだ足りない。
ボスのHPは見えない。
ゲージもない。
現実は不便だ。
かなり不便だ。
だが、モーションは覚えている。
鳴き声。
姿勢。
目の光。
攻撃間隔。
その全部で、だいたいの残りはわかる。
半分を切った。
たぶん。
結晶亀の体が震えた。
砕けた結晶の奥から、青白い光が噴き出す。
来た。
咆哮だ。
硬直させてからの首突き。
初見殺しで、かなり嫌いなやつだ。
だが、これは避けられる。
岩陰だ。
咆哮は、狙っている相手へ向く。
今、ターゲットは俺だ。
ソウゴとユーフェリアは離れている。
手を出していない。
だから、動かなくていい。
「そのまま下がっていろ!」
俺は叫んだ。
「モブ!?」
左の岩へ走る。
大きな岩だ。
咆哮の判定を切れる場所。
俺は岩陰に滑り込んだ。
直後、青白い光が空洞を震わせる。
岩の向こう側で、咆哮が弾けた。
耳ではなく頭の奥に来る音。
だが、ここなら届かない。
届かないというより、判定が切れている。
そういう作りだ。
「モブ、無事か!?」
ソウゴの声が遠くから聞こえる。
無事だ。
だが、返事はしない。
次が来る。
咆哮のあと、岩陰にいると必ず岩を壊す攻撃が来る。
安全地帯を安全なままにはしてくれない。
死にゲーは、そういう性格をしている。
黒い腕が持ち上がった。
岩越しでもわかる。
影が動き、音が変わる。
「離脱」
俺は岩陰から飛び出した。
次の瞬間、細い腕が岩を叩き砕いた。
ばきん、と岩が割れ、破片が飛ぶ。
さっきまで隠れていた場所が消えた。
ソウゴが息を呑む気配がした。
「今の岩陰も、ずっと安全じゃないのか……」
「ボスに安全なんてない」
「……!」
その通りだ。
だから面白い。
結晶亀の腕が、岩を砕いた姿勢で止まる。
大きな硬直。
ここだ。
俺は走った。
錆びた長剣を握る。
黒い腕の下を抜ける。
砕けた結晶の奥。
首の根元。
そこに入れば大きい。
大きいが、遠い。
スタミナが減っている。
足りるか。
足りる。
踏み込む。
剣を突き立てる。
ざくり。
深く入った。
結晶亀が大きく震え、黒い腕が地面を掻く。
俺は剣を抜く。
抜く。
抜け……
抜けない。
「クソ」
錆びた長剣が、黒い肉と結晶の隙間に噛んだ。
抜けない。
長い腕が、俺に振り下ろされた。




