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君が遺した種子は、森には還らなかった。──世界を滅ぼす不老不死の夫へ、余命1000年のエルフが最期の奇跡を遺すまで──  作者: あとりえむ


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第9話:老いていく私

太古の森での生活が、九百年を迎えた頃。

私の視力は、ついに暖炉の強い光と影の揺らぎを、ぼんやりとした色の塊として認識できる程度にまで落ちてしまった。


さらに残酷なことに。限界が近づいた寿命と、生命力を前借りし続けた禁忌の代償は、『急激な老化』となって私の肉体に容赦なく現れ始めていた。

かつて月光のように輝いていた銀の髪は、すっかり水分を失って白く枯れ果てた。透き通るようだった肌には深い皺が刻まれ、身体もひと回り以上、小さく縮んでしまった。


ある、静かな夜のこと。

暖炉の火がパチパチと爆ぜる音と、その温かな熱の揺らぎを感じながら、私は革張りの長椅子に座るバロウの隣に寄り添っていた。


目が見えなくとも、彼がどこにいて、どんな優しい表情で私を見つめているのかは、息遣いとマナの揺らぎで手に取るように分かる。私は真っ直ぐに手を伸ばし、彼の頬へと触れた。


──だが、右手の指先は、とうの昔に何の感覚もない。


彼に触れているという確かな実感がどうしても欲しくて、私はそっと手をずらし、かろうじて感覚が残っている手のひら全体で、彼の頬を包み込んだ。

伝わってくるのは、千年前から何一つ変わらない、青年のままの滑らかな輪郭と、力強い命の体温だった。


「……」


ふと、強烈な劣等感と惨めさが私の胸を締め付けた。

永遠の美しさを持つ彼の顔に、骨張り、深い皺が刻まれた老婆のような自分の手が触れている。水鏡など見なくとも、今の自分がどれほど醜く老いさらばえているか、嫌でも分かってしまう。


「……ごめんなさい」


女性としての恥じらいに耐えきれず、私は思わずその手を引っ込めようとした。


「私、まるでお婆ちゃんみたいでしょ。ずっと変わらない、こんなに綺麗な貴方の隣にいるのが……少し、恥ずかしいわ」


「フィア」


自嘲するようにつぶやき、逃げようとした私の手を。

バロウの大きな手が優しく、けれど絶対に逃げられない力強さで包み込んだ。


「……エルフはね、自分の死期を悟ると、世界のどこかにある『世界樹』の根元へと旅立つの」


私は、震える声を落ち着かせるように、彼にずっと隠していたエルフの伝承を語り始めた。


「最期は誰にも見られないように、一人で静かに還っていく。だから、人間には『死の直前まで若々しく、最後は光となって消える』と伝えられているだけで……実際に寿命で老いて、死にゆくエルフを見た者は、人間はおろか、エルフ同士でさえ誰もいないのよ」


今のこの醜い老化が、禁忌の魔法の代償によるものなのか、それともエルフの本当の最期の姿なのかは、私自身にも分からない。少なくとも、私自身、エルフの森にいた時にも老いたエルフの姿は見たことがなかった。

ただ、醜く老いていく自分を、大好きな彼に見られることだけが、たまらなく怖かった。


「……そうか」


伝承を聞き終えたバロウは、静かに頷いた。

そして、私の皺だらけの手に顔を寄せ、節くれだった指先や手の甲に、何度も、何度も、神に祈るようにキスを落とした。


「なら、俺が世界で初めて、エルフの最期を目撃する男になるんだな。……何を恥ずかしがることがある。俺にとっては、出会った日から今日まで、今の君が一番綺麗だ」


眉は上がっていない。一片の嘘も、哀れみもない、真っ直ぐで温かい声だった。


「この皺のひとつひとつが、俺の隣で、俺と一緒に生きてくれた『証』じゃないか」


「あ……ぁ……っ」


白濁した私の目から、ボロボロと熱い涙が溢れ出した。

自分の醜い老いすらも、「一緒に生きた証だ」と全肯定し、愛してくれる彼。その途方もない無償の愛に、私の心は完全に決壊し、声を上げて泣き崩れた。


(遺さなければ。貴方が私をこんなにも愛してくれた証を、絶対に……!)


彼の胸の中で子供のように泣きじゃくりながら。私の『種子』への想いは、もはや愛情を超えた、凄まじい執念へと昇華されていた。


「……バロウ。お願いがあるの」


「なんだ? 何でも言ってくれ」


「もう一度、貴方の故郷の村の話を聞かせて」


涙を拭いながらねだる私に、彼は優しく微笑む気配を漂わせた。

そして、ゆっくりと語り始める。見渡す限りの黄金色の麦畑のこと。吹き抜ける風の匂い。お節介で温かい村人たちのこと。

その流れで、彼は「どうして自分が、平和な村を出て冒険者になろうと思ったのか」を話し始める。


「村の裏山で、迷子になった子供を助けた時にな。ただの木の棒きれ一本でゴブリンを追い払ったんだが、その時に村の奴らが……」


それは、千年前の旅の途中で、野営の焚き火を囲みながら何度も聞かされた話だった。

けれど、バロウはあの頃と全く変わらない、少年のように真っ直ぐな熱量でそれを語ってくれた。その変わらない声の響きがどうしようもなく愛おしくて、私は彼の言葉を聞きながら、もうすぐ完全に闇に沈む己の脳裏に『故郷の村』の景色を深く、深く焼き付けた。


彼と交わした約束

呪いが解けたら一緒に彼の故郷に帰る

それはもう、果たされることはないと噛み締めながら……


     *


フィアが穏やかな寝息を立て始めた後。

俺は毛布を掛け直し、彼女の白く枯れた髪をそっと撫でながら、先ほど彼女が口にした『世界樹』という言葉を頭の中で何度も反芻していた。


『エルフは自分の死期を悟ると、世界のどこかにある世界樹の根元へと旅立つの』


世界樹。

その言葉に、俺の脳裏でひとつの記憶が強烈な閃きとなって蘇った。


以前、フィアと一緒に森の最深部まで冒険したときだ。

あの時のフィアの反応はもしかしたら……もし、あそこに『世界樹』があるのだとしたら、エルフであるフィアにとっては特別な何かを感じたのかもしれない。


(フィアの目を良くする、あるいは、寿命そのものを延ばす『何か』があるかもしれない……!)


じっとしてはいられなかった。

俺は眠る妻の、深い皺が刻まれた額にそっと愛おしいキスをし、明日の朝一番で、森の最深部へ向かう決意を固めた。


しかし俺は、この時気づいていなかった。

規則正しい寝息を立てていたはずのフィアが、俺が背を向けた瞬間に、静かにその白濁した目を開いていたことに。


(……ごめんなさい、バロウ。明日、すべてを終わらせるわ)


俺が彼女のための最後の希望を探しに行こうと決意した、その夜。

最愛の妻もまた、『種子』を完成させるための最終段階に入る、冷たくも愛に満ちた覚悟を決めていたのだった。

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