第6章:広場の激突と未知の光
夜とはいえ、まだ宵の口。港湾都市にして交易の要衝たるダンクの街は、歓楽街を中心に大きな活気を見せ、一角には煌々と明かりが灯っていた。しかし、ひとたび大通りから入り組んだ路地へと足を踏み入れれば、そこには深淵のような黒々とした闇が漂っている。
シン、ハンス、ガーブ、そしてクリシュ・アランの精鋭たち、総勢五十三名は、敵暗部『蛇の眼』を迎え撃つべく、中央広場の中心に陣取っていた。
突然現れた、禍々しい殺気を放つ武装集団の登場に、周囲の酒場から出てきた酔客たちは一瞬で顔をこわばらせ、ただならぬ雰囲気を察して一人、また一人と蜘蛛の子を散らすように広場から逃げ去っていく。
やがて、広場からは俺たち以外の気配が完全に消え失せた。
遠くの歓楽街の喧騒すらも、まるで遮音されたかのように遠ざかっていく。しんとした不気味な静けさの中、広場全体に濃度を増した「殺意」が充満していく。
これから、暗闇に潜む暗殺者どもとの命を削り合う夜戦が始まる。誰もが神経を極限まで研ぎ澄ませていた、その時だった。
クリシュ・アランの戦闘隊長であるコナが、大刀を肩に担いだまま、退屈そうにシンへと近づいてきた。
「おいシン。大陸の“しのび”ってのは、この程度なのか?」
シンの眉が動く。「……いや、そんなはずはない。特にオルレアンの『蛇の眼』は王国でも精強を誇る暗部組織のはずだ。だが……確かに、奴らは妙だな。気配を隠すどころか、殺気が漏れすぎている」
「そうだろ? これじゃあ、どこから何を使って襲いかかってくるか、丸見えだ」
コナがそう言い放った瞬間、彼の斜め後方――完全な死角から、空気を引き裂く一本の黒い暗殺矢が放たれた。
だが、コナは振り返りもせず、背後から迫る矢を、まるで煩い羽虫でも捕らえるかのように素手でパシィンと掴み取った。そして、手の中の矢を一瞥すると、つまらなそうに地面へと投げ捨てた。
「シン、どうやら奴らは二陣で仕掛けてくるようだ。表に立っている連中はただの捨て駒(囮)だ。裏の闇に潜んでいる本隊が、俺たちの隙を突いて一撃で仕留めに来るぞ」
「なるほど、暗部らしい陰湿な攻め方だな」
シンは冷たく笑った。広場の周囲の影から、ぞろぞろと黒装束の男たちが姿を現す。弱い捨て駒の暗殺者を前線に押し出し、俺たちがそいつらを相手に疲弊した瞬間、本命が影からすべてを屠る気なのだろう。完全に舐められたものだ。
「ガーブ」シンの静かな声が響く。
「んー?」ガーブが裂けるような笑みを見せる。
「――行け。アインツ、フェン、ガーブに続け!」
「「おうッ!!」」
「コナ、フィニ、コー! 表も裏も関係ない、突っ込んできた奴らはすべて、その場で『殲滅』しろ!」
「「「おおおッ!!!」」」
命令が下った瞬間、ガーブが大刀を豪快に引き抜き、真っ直ぐに前方へと駆け出した。爆発的な突進力。その後ろを、ゲルマニア以来の戦友であるアインツとフェンが遅れることなく追従する。
同時に、コナ、フィニ、コーを筆頭とするクリシュ・アランの一党が、ガーブたちとは異なる三方へと恐るべき速度で散っていった。広場の中心で、肉と鉄が激突する轟音が爆発する。
「フンッ!」
コナが身の丈ほどもある大刀を容赦なく横一線に振り回した。凄まじい風圧と共に、正面から飛び出してきた男と、その後ろの影から奇襲を仕掛けようとしていたもう一人の暗殺者が、まとめて肉塊となって消し飛んだ。コナに続くクリシュ・アランの戦士たちも、その超人的な「剛」の武力と圧倒的な力技によって、次々と暗殺者たちを圧殺していく。
一方、フィニの戦い方は真逆だった。
目の前に立ちふさがる暗殺者の太刀筋を、紙一重の滑らかな動きで完全に回避。そのまま滑り込むような、目にも留まらぬ速度の一撃で、影に潜んでいた男の胴体を一瞬で薙ぎ払う。フィニが避けた正面の男は、背後に続く一党が容赦なく首を撥ね飛ばした。フィニの「速」の極致が、敵の陣形を瞬く間に内側から引き裂いていく。
そしてコーは、まるで戦場に漂う幽霊のようにゆらりと動いていた。
襲いかかる暗殺者の刃を最小限の動きでかわし、その無防備な脇腹へ的確に暗器を突き刺す。さらに、背後から襲いかかる別の男の刃を小刀の腹で受け流すと、そのまま男の顎へと凄まじい掌底を突き上げ、脳を揺らした。怯んだ男の首を両手で掴み、無慈悲にねじ切る。コー率いる一党は、暗部のお株を奪うような冷徹な「理」の戦術によって、暗殺者たちを確実に屠っていった。
中央では、ガーブが文字通りの「嵐」と化していた。
真っ直ぐに突き進み、立ちふさがる暗殺者たちを一刀の下に文字通り両断していく。首が飛び、利き腕が舞い、脚が切断される。凄惨な戦場の中心で、ガーブの後方を狙おうとする影を、アインツとフェンが完璧な連携で叩き切った。二人の動きは、ゲルマニアで団に加入した当時に比べ、恐るべき領域へと成長を遂げていた。
完全な乱戦。だが、シンは一歩も動かず、冷徹に戦場全体を俯瞰していた。
(誰がこの連中に指示を出している? 指揮官はどこだ……)
ガーブが真っ直ぐ突き進むその先、本来なら本陣の指揮官がいるべき場所。だが、状況の圧倒的な不利を悟ったのだろう、敵の指揮官は姿を見せることなく、すでに気配を消して戦場から離脱していた。
広場の外周では、ハンスの特務隊がクリシュ・アランの支援に回り、建物の屋根から放たれる暗器や矢を完璧に叩き落として防御壁を形成している。
その時、特務隊の一人がハンスの元へ駆け込み、何かを耳打ちした。ハンスの顔色が変わり、シンへと激昂の声を上げた。
「シン!『西方方面軍』の本体が、すぐそこまで迫っている! これはただの足止めで、そっちが本命のようだ!」
(なるほどな……。暗殺部隊を贅沢な使い捨ての駒(捨て石)にし、俺たちをこの広場に釘付けにした上で、西方方面軍二千の圧倒的な物量で街ごとすり潰す気か)
オルレアン伯の冷徹なチェスの指し手に、シンは歯噛みした。自分に向かって突っ込んできた最後の暗殺者を、ハンスが鮮やかに組み伏せて首をへし折る。
広場での戦いは、すでに終息に向かいつつあった。地面は『蛇の眼』の死体で埋め尽くされている。ここに留まる理由はもうない。
「全員! 武器を収めて俺の周りに集まれ!」
シンの怒声に、ガーブやクリシュ・アランの一党が、血に濡れた武器を携えて静かに集結した。全員、息一つ乱れていない。
だが、問題はここからだ。情報によれば、西方方面軍の半数は後方支援隊の追跡に向かわず、この広場を目指して包囲網を縮めている。もしここで軍を完璧に引きつけることができれば、西の旧城塞へ向かった支援隊の安全性は跳ね上がるが、代わりに俺たち五十人が軍の濁流に飲み込まれることになる。
(西方方面軍は、俺たちと後方支援隊を同時に潰す二面作戦を選択したか。総数で五対一、しかもこちらの過半数は非戦闘員だ。いくらイエーガーさんやエドワードさんが護衛に回っているとはいえ、あの数の正規軍相手では限界がある。どうすべきか……)
シンが激しく思考を巡らせた、その時。彼のすぐ耳元で、緊迫感を削ぐような声が響いた。
「お困りですかぁ〜? なら、特別にお手伝いしちゃいましょうかぁ〜」
いつの間にか、漆がシンのすぐ隣に音もなく立っていた。シンの戦術眼はともかく、あの気配察知に長けたハンスにすら一切気づかれずにここまで接近するとは。やはりこの女は、『Z』という組織は底が知れない。だが、今は使えるカードなら悪魔の手でも借りるべき瞬間だ。
「漆。……俺たち全員が、誰一人として傷つくことなく、この正規軍の包囲網を完全打破して脱出する方法はあるか?」
漆は不敵ににやりと微笑んだ。
「ありますよぉ〜、完璧なやつがぁ~」
「――やってくれ」
「はいなぁ〜、では、皆さん私の後ろに遅れず付いてきてくださいねぇ〜」
漆がそう言い残して疾走を始めた。シンはハンスと一瞬だけ視線を交わし、力強く頷き合うと、全軍に向かって叫んだ。
「撤退だ! 移動する! あの女の背中から絶対に離れるな!」
シンの命令の元、ガーブも、コナも、クリシュ・アランの戦士たちも、一糸乱れぬ動きで漆の後を追って走り出した。
広場を飛び出した一行は、ダンクの入り組んだ裏路地を、まるで影が走るかのような速度でひた走る。やがて漆は、街の外縁にぽつんと佇む、荒れ果てた一軒の民家へと飛び込んだ。家具一つなくがらんとした建物の最奥、湿気た一室の壁の特定の位置に、漆が手をかける。
ガコンッ。
鈍い音と共に、隠し壁が滑らかに開き、地下へと続く暗い階段が姿を現した。
「これは、かつての戦乱期に造られた、ダンクの街の外へと繋がる古い極秘の抜け道です。道は一本道、真っ直ぐ行けば約百メートル先で街の外壁を越えられます。私が先頭を行きますね」
シンは黙って頷き、漆の後に続いて地下の闇へと滑り込んだ。ガーブをはじめとする全員が音もなく吸い込まれ、最後にハンスが周囲の気配を完全に消去して扉を閉めた。
数刻の後――。
そこはダンクの街から完全に外れた南側、広大な小麦畑の端にひっそりと建てられた、古びた農具小屋の中だった。
小屋の木扉が内側から静かに開かれる。漆が顔を出し、鋭い視線で周囲を一瞥すると、安全を確認して中に向かって手招きをした。ガーブ、シン、アインツ、フェン、コナ、フィニ、コー、そしてクリシュ・アランの一党が、ぞろぞろと月明かりの下へと這い出てくる。
「……街の外ですね。『蛇の眼』の網からは完全に脱出できました。ですが……あちらを見てください。本命のお出ましです」
漆が細い指で指し示した広大な畑の先。シンの目が険しく細められた。
夜の大地に、無数の松明の火が蠢いている。西方方面軍の正規兵たちが、ダンクの街を完全に包囲すべく、重厚な足音と甲冑の擦れる音を響かせて進軍してくるのが見えた。街の中での不毛な暗闘は避けられたが、ここは何の遮蔽物もない吹きさらしの平原だ。今はまだこちらの存在に気づいていないようだが、このまま移動を始めれば、月明かりの下、二千の軍勢に即座に捕捉されるのは火を見るより明らかだった。
ハンスが漆の前に立ち塞がり、短刀の柄に手をかけたまま問い詰めた。
「漆。あんたの道案内はここまでか? この状況をどうする」
「いいえぇ〜、私は皆さんに言いましたよね? 無事に『包囲網から抜け出す』方法があると。私たちはまだ、包囲の網の外には出ていませんよ」
「だが、このまま動けばすぐに発見されて包囲され、なぶり殺しだぞ」
「はい、普通ならそうですねぇ。……なので、ここからは私の『とっておき』を使わせていただきます」
漆は腰に結わえ付けた皮袋から、一本の古びた巻物と、妖しく明滅する一塊の奇妙な「鉱石」を取り出した。
漆が地面に広げたその巻物には、一角が意図的に欠けた、複雑に入り組んだ幾重もの同心円が描かれていた。その線の隙間を埋めるように、人族の言語ではない不気味な記号や古代文字がびっしりと書き込まれている。漆はその巻物を少し回転させ、欠けた一角の向きを、丁度俺たちの支援隊が退避していった北西の方向へと精密に合わせた。そして、その円の中心に、取り出した未知の鉱石を静かに置いた。
「皆さん、私の後ろに固まって、絶対にそこから動かないでくださいね。……いいですか、これから皆さんが目にするものは、我が組織の『秘中の秘』。他言無用、もし他人に喋ったら……シルカさんが本気で皆さんの首を刈りに来ますからね」
漆はそう言い残すと、巻物の前に静かに座り込み、深く目を閉じた。呼吸が不自然なほどに一定の周期へと調えられていく。
やがて、彼女の小さな唇から、ぶつぶつと奇妙な言葉が漏れ始めた。それは、この大陸のいかなる言語とも異なる、不思議な旋律を持った、まるで子守唄のようでありながら、同時に世界そのものを呪うかのような、恐るべき響きを持った「呪文」だった。
「――おい! 敵に気づかれたぞ!」
コナの鋭い声が響く。平原の先、松明の群れがこちらの大勢の気配を察知したようだ。怒号が上がり、騎兵の先遣隊がこちらへ向けて一斉に馬首を巡らせ、猛烈な勢いで突撃を開始した。
漆が何をしようとしているのかは分からない。だが、このまま突っ立って敵の騎兵に踏みつぶされるわけにはいかない。
(クソッ、意を決して正面突破を試みるしかないか……!)
シンが剣を引き抜きかけた、その瞬間だった。
突如として目を見開いた漆が、平原全体を震わせるような、凛とした、鋭い声を張り上げた。
「――“第二位階魔術式”――『焔嵐』!!」
刹那、中心に置かれていた鉱石が太陽のごとき烈光を放ち、パキンッと音を立てて粉々に砕け散った。
その瞬間、世界のすべての「音」が消失したかのような錯覚が一同を襲った。
続いて、猛烈な「風」が吹き荒れる。その風は一方向へ流れる自然のそれではなく、漆が広げた巻物を中心に、目に見えるほどの空気の渦となってぐるぐると狂ったように回り始めた。
ボッ、ボボボボボッ、ゴォオオー!!!
「な、何だこれは!? 火が、地面から火が噴き出していやがる!」
ガーブが驚愕の悲鳴を上げた。俺たちの周囲の地面から、巨大な火柱が次々と突き上がったのだ。その凶暴な炎は、吹き荒れる旋律の風に煽られ、俺たちを囲むように完璧な円を描いて繋がり、巨大な炎の城壁を形成した。
そして――その炎の嵐は、外側へ向かって、爆発的な勢いで一気に「拡散」した。
凄まじい熱波と紅蓮の波動が平原を席巻する。
押し寄せてきていた西方方面軍の騎兵隊、そして姿を消して密かに接近していた『蛇の眼』の残党どもが、一瞬にして容赦のない炎の津波に飲み込まれた。
凄惨な悲鳴が響き渡る。数十人の兵士と軍馬が炎に包まれ、地面をのたうち回って狂い叫んでいる。突撃してきた騎兵の陣形は、その一撃によって完全に消滅した。
(なんだこれは……! こんな兵器、大陸のいかなる戦争でも、見たことも聞いたこともないぞ……!)
シンは、全身から冷や汗を流しながら漆を見つめた。これが、個人の放つ「力」なのか。
漆は地面から巻物を素早く拾い上げると、何事もなかったかのように立ち上がり、シンに向かって平然と告げた。
「さぁ、呆けている時間はありませんよ。炎の壁が消える前に、急いで支援隊の後を追いましょう」
漆が走り出す。驚くべきことに、彼女が走る方向――すなわち、巻物の「一角が欠けていた方向」にだけは、あの狂暴な炎は一切広がっておらず、安全な一本の道が切り開かれていた。術式の範囲を、あらかじめ完璧に制御していたのだ。
「早くっ、早く!」
唖然として立ち尽くす俺たちに向かって、漆が小馬鹿にするように手招きをする。シンは強引に思考を再起動させると、全軍に向かって叫んだ。
「全員、あの女の後に続け! 立ち止まるな、走れ!」
背後を一度だけ振り返る。平原の焔は徐々に勢いを失いつつあったが、西方方面軍の軍勢は完全に大混乱に陥っていた。突然出現した理不尽な炎の嵐に恐怖し、馬を制御できずに逃げ出す者、炎に包まれた仲間を救おうと右往左往する者。包囲網は、完璧に瓦解していた。
(……後で、必ずあの女に問い詰めてやる。今夜見た“あれ”の正体をな。だが、今は生き延びることが先決だ!)
シンは前を向き、夜の闇の先へと、全速力で駆け抜けていった。




