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『緋色の傭兵団の物語』「西方動乱編」  作者: 嵗(sai)
第十六部:斜陽の王都とピレルの嵐

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第5章:チェス盤の異物

「ハンス、街へ繰り出した連中をただちに呼び戻せるか?」


シンは立ち上がり、机の上の簡易地図を叩いた。


「ここに集結させるか?」


「いや、ここに全員を集めれば、軍のまとまった餌食になるだけだ。部隊を分散させる。オットーさん、ノイン、ゲルドさん、そして工兵隊と後方支援の女性・子供たちはただちにここを離脱。戦闘能力の低い彼らを、狩人隊、歩兵隊、弓隊の一部で厳重に護衛しろ。オットーさんとイエーガーさんに全体の指揮を執らせ、ダンクの東にある『旧城塞跡』へ逃げ込ませ、そこに立て籠もるよう指示を出してくれ」


「分かった。だが、ヤミルとクリスは丸腰で街の中央へ向かっている。至急、伝令を出して合流させるが――」


「ヤミルとクリスには別の役割を与える。武器を持たずに遊びに行った二人はまだそこら辺にいるはずだ。ハンス、特務隊の足の速い奴に、二人の得物を持たせて街の中へ走らせろ」


「了解した」


「残る戦闘部隊――遊撃隊とクリシュ・アランをここに集結させてくれ。迫り来る正規軍の相手をさせる。そして特務隊は……ハンス、最悪だが、街の闇に潜む暗部どもの相手を頼む」


「承知した」


ハンスが深く頷いたその瞬間、彼の身体が凍りついた。鋭い視線が、テントの入り口へと向けられ、その手にはいつの間にか逆手に握られた短刀が握られている。


(――もう暗部がここまで迫っているのか!?)


シンも即座に腰のナイフを抜き払い、身構える。


だが、テントの薄い布越しに聞こえてきたのは、緊張感を木っ端微塵に打ち砕くような、ひどく間の抜けた、聞き覚えのある声だった。


「待ってくださいなぁ〜。私ですよぉ〜。ななですぅ〜」


「……漆?」


シンとハンスは顔を見合わせた。


「はいなぁ〜。漆さんですよぉ〜。入りますねぇ〜」


布がめくられ、ひょっこりと顔を出したのは、ブリタニアで別れたはずの密偵の少女だった。


「お前……いつの間にブリタニアからこちらへ渡ってきた?」


シンはナイフを収めながら、眉を顰めて問い詰めた。


「ん〜? シンさんたちが船でどんぶらこってやって来るぅ〜、三日くらい前ですかねぇ?」


「何をしに大陸へ戻ってきたんだ。俺たちとの契約は、ブリタニアを出た時点で終わったはずだろう」


漆は困ったように眉を八の字に下げた。


「シルカさんから命令されちゃいましてぇ~。曰く『緋色の傭兵団に協力してきなさい』って~」


「協力? 理由が分からない。『Z』がなぜそこまで俺たちに執着する。金貨の貸し借りは、グラス・ガレスの支援で相殺されたはずだぞ」


漆の表情から、一瞬だけ「間の抜けた面」が消え、底知れない密偵の目が覗いた。


「シルカさんが言うには、まだ後『金貨三枚分』の借りがあるとのことですが~……それは建前ですね~。本音を言えば、あなた方『緋色の傭兵団』という不確定要素が、これからの西方諸国にどう影響を及ぼすのか、特等席で観察したいのですよ~。ただぁ、皆さんを取り巻く状況がぁ、思った以上に芳しくないようでしたのでぇ、助け舟を出しにきました~。……ここからは、真面目な話をしましょうか」


シンは目を細めた。「………君は単なる下っ端の密偵でも、シルカさんの使い走りでもない。何者だ?」


「ふふ、シンさんからいただいた『漆』という名前、とっても気に入っていますので、そのまま名乗らせていただきますよ。私は『Z』の大陸西方地域統括。ブリタニアへ赴いたのは、島国担当のシルカと今後の情勢についての打ち合わせをするためでした。そこで、裏社会でとんでもない噂になっている緋色の傭兵団と遭遇し、動向を注視するために近づいた……。これが真実です」


「ちっ……これだから、裏の組織の人間は信用できねえ」ハンスが忌々しげに舌打ちする。


「身分を偽り、状況に応じて仮面を付け替えるのは、裏に生きる者の常道でしょう?」


漆が妖艶に微笑むと、ハンスは不快そうに顔を背けた。


「……それで、本題というのは何だ?」


シンの催促に、漆は笑みを消し、低い声で告げた。


「オルレアン伯爵。あの男は、あなた方のゲルマニア、ブリタニアでの行動をすべて把握しています。そして、大陸に戻ってきたあなた方を、明確な『国家転覆の危険因子』と見なしました。大陸で次の行動を起こされる前に、このダンクの地で確実に息の根を止めると決断したのです。現在、街の闇には、オルレアンの直属暗部『蛇の眼』約百二十名が、蜘蛛の巣のように張り巡らされています」


「『蛇の眼』か……!」ハンスの顔が驚愕に歪む。その悪名を知っているのだ。


「それだけではありません。オルレアン伯は、自身の影響下にあるフランク国軍『西方方面軍』の先遣隊二千を動員しました。軍の物量によってダンクの街を完全に包囲・封鎖し、緋色の傭兵団の退路を断って閉じ込めた上で、『蛇の眼』による容赦のない市街暗闘戦を仕掛け、あなた方を擦り潰す気です」


「市街地での圧殺戦か……」


シンは天を仰ぎ、猛烈な勢いで脳内の戦術盤を組み立て直した。


「よし。ハンス、先ほどの指示通り、ただちに全員を動かせ」


ハンスは無言で頷き、弾かれたようにテントを飛び出していった。


最悪の戦場だ。


完全に先手を取られた。立地も最悪、ダンクの街の構造をまだ把握しきれていない。敵の『蛇の眼』の実力も未知数。何より、非戦闘員である後方支援隊が戦場のド真ん中に取り残されている。彼らの安全な退避を最優先にせねばならない。


軍の包囲網が完全に完成する前に、支援隊を北西の旧城塞へと逃がす。そのためには、戦闘部隊を「囮」として街の中央へ晒し、敵の全注意を引きつける必要がある。


「さて、漆……いや、大陸担当代表殿」


「はいなぁ〜、漆でいいですよぉ〜」


「真面目な作戦会議だ。非戦闘員はただちに歩兵・弓兵・狩人の護衛をつけて西の城塞へ退避させる。軍の包囲が成る前にな。そして、残る戦闘部隊、遊撃隊とクリシュ・アラン、特務隊で暗部どもの相手をする。市街戦だと? 望むところだ。緋色の傭兵団流の、地獄の市街戦をたっぷり味あわせてやる」


シンは漆の目を真っ直ぐに見据えた。


「漆、事前にこの状況を知らせてくれたことに感謝する。他に、この劣勢を覆すだけのカードはあるか?」


「……ふふ、ダンクの『詳細な地図』はいかがですか?」


「地図?」シンの眉が動く。「その地図には、何が記されている?」


「表の通りはもちろん、『あらゆる裏道、地下道、隠し通路』のすべてを」


漆は、古びた羊皮紙をテーブルの上に広げた。シンはその上に身を乗り出し、記された無数の網の目を指でなぞった。


「……こんな隠し通路があるのか。よくこれほどのものをお前たちが持っているな。流石は『Z』というべきか」


「お褒めに預かり光栄です、シン副団長。……いえ、『戦場の天秤』殿?」


「その二つ名で呼ぶのはやめてくれ」


シンは地図から目を離さずに答える。地下道、そして下水道のルートを頭に叩き込む。


撤退経路の確保。そして、奇襲のルート。


「よし……これならやれる。ハンス! ガーブ!」


シンの怒声に応じ、ハンスと、大刀を肩に担いだガーブがテントに飛び込んできた。


「シン、オットーたち支援隊の離脱が始まった! 特務隊十名も街の中へ先行させた。戦闘員は中央広場に集結しつつある。準備は完了した。それで、そいつの情報は?」


「ハンス、この地図を見ろ。漆が提供してくれた、ダンクの完全な裏地図だ。これで行動半径が跳ね上がる。頭に叩き込め」


ハンスの目が驚愕に見開かれ、すぐさまルートを精査し始める。


「ガーブ。敵はオルレアンの暗部『蛇の眼』。遊撃隊とクリシュ・アランは、支援隊を逃がすための『囮』であり、この戦の『殿しんがり』だ。中央広場で派手に立ち回り、敵の目をすべて俺たちに釘付けにする。ハンス、特務隊は広場の外周の闇に潜み、外から敵の首を狩る『矛』となれ」


「了解した。特務隊を展開させる。この地図は持っていくぞ」ハンスは地図をひったくるように掴むと、瞬時に闇へ消えた。


オルレアンの名を聞いたガーブの顔から、いつもの野性味が消え、凍りつくような凶暴な笑みが浮かんだ。


「シン……全員、殺っていいんだな?」


「ああ。存分に暴れろ。俺たちを使い捨てた連中に、緋色の傭兵団が何たるかをその骨の髄まで教えてやれ」


「――応ッ!」


ガーブは獰猛な牙を見せて笑うと、大刀を握り締め、殺気の嵐を纏ってテントを出て行った。


「ガーブ!」シンがその背中に声をかける。ガーブが首だけを振り返らせた。


「逸るなよ。死んだら元も子もない」


ガーブは「フン」と鼻で笑い、そのまま闇へと消えていった。


その一部始終を見ていた漆が、感心したように口を開いた。


「指示が驚くほど短いですねぇ」


シンは漆を冷たく睨みつけた。


「あいつらは、自分が何をすべきか、言葉にされずとも理解しているプロだからな」


「それでは、私たちも準備をしましょうか。ハンス殿と特務隊の面々に、私の一味を面通ししてきます」


「ん? ……お前たちも戦うのか?」


漆はにやりと笑った。


「このまま包囲されれば、私たちも『蛇の眼』にまとめて消されますからね。ここは一蓮托生、共闘といきましょう。それに、オルレアンの暗部をここで少し削っておけば、今後の私たちの活動も楽になりますから」


「そうか……頼りにしてるぞ、漆。では――反撃開始だ」


緋色の傭兵団は、わずか一時間足らずで野営地を完全に撤収。非戦闘員と工兵隊は、歩兵・弓兵・狩人の厳重な護衛の元、夜陰に乗じて西の旧城塞へと音もなく出発した。


そして、残された戦闘特化部隊――遊撃隊とクリシュ・アランは、殺気を敢えて隠すことなく、ダンクの「中央広場」へと堂々の進軍を開始した。


道中、街の中で武器を受け取って合流したヤミルとクリスに対し、シンは一言だけ告げた。


「敵は、あのオルレアンの暗部だ」


その言葉だけで、二人の表情から一切の余裕が消え失せ、戦鬼の顔へと変貌した。

「ヤミル、クリス。支援隊を頼む、歩兵隊と弓隊で彼らを守ってくれ」

「!」

前に出て何かを言おうとしたヤミルをクリスが止める。

「…分かった。支援隊は任せてくれ」二人はそう言って支援隊の跡を追っていった。


全員が完全な戦闘態勢のまま、松明の光が揺れる中央広場へと足を踏み入れる。


その瞬間、周囲の建物の屋根、窓、路地の影から、無数の無機質な「視線」が突き刺さるのを感じた。『蛇の眼』の監視網だ。


影から滑り出てきたハンスが、シンの横で低く囁いた。


「敵の暗部、およそ百二十」


中央広場に陣取る俺たちは、シンを含めてわずか五十名余り。外周の闇に潜むハンスの特務隊二十名と、支援部隊の『Z』。


対する敵は、倍以上の数を誇るオルレアンの暗部『蛇の眼』。そして、ダンクの街の外壁をじわじわと包囲しつつある西方方面軍二千。


この圧倒的な劣勢の中、俺たちわずか五十人の一団が、すべての敵を引きつける巨大な「生贄(囮)」となる。支援隊の離脱が完了するまでの、命懸けの盤面。


(厳しい戦いになるな。……だが、誰一人として死なせはせん。全員で生き残るぞ!)


シンは腰の剣の柄を握り締め、闇の奥の敵を睨み据えた。


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