3章:綻ぶ千年の栄華――四方より迫る破滅の足音
黒鉄期1741年、春。フランク王国を取り巻く国際情勢は、一瞬にして極限の緊張へと変貌した。西の国境からはヒスパニア王国軍14,000が、過酷な北の回廊と南の回廊という二つのルートを駆け抜け、圧倒的な勢いで王国領内へと雪崩れ込んだ。
東からはゲルマニア公国軍12,000が、中央平原を蹂躙するように突き進む。
そして北からは、ドルベス海峡を制圧したブリタニア連合王権国軍6,000が、鈍い威圧感を放ちながら上陸を果たした。
ヒスパニア軍は二手に分かれ、南下と北上を繰り返しながら、抵抗の兆しを見せる西の辺境領地をことごとく踏み潰し、やがて合流を果たして巨大な軍勢へと膨れ上がる。
中央平原を進むゲルマニア公国軍は、フランク王国の東側に領地を持つ二人の有力領主が指揮する軍と対峙するも、練度の差を見せつけるようにこれを一蹴した。
北外海を越えたブリタニア軍は、ドルベス海峡に面した重要港湾都市ダンクを迅速に占領。都市の外周に堅牢な陣形を展開し、周辺集落に対しては「無益な抵抗は死を招く」と無言の威圧をかけ続けた。
フランク王国ルテティア、天輝黄金宮。その豪華絢爛な装飾が、今は不吉な影を落としている。国王ルイ・シャルル・ド・ヴァロアは、報告された事態の大きさに震撼していた。彼は宰相をはじめとする政府高官を招集し、緊急の対応を諮る。謁見の間ではなく、政府の最上層部のみが入れる円卓の間。国王は椅子に深く腰を下ろすなり、震える声で叫んだ。
「なぜじゃ。なぜ周辺国は余の国を攻める!余の国は千年の栄華を誇る世界で最も高貴な国ではなかったのか!」
「ヒスパニア東部への背信を促しただと?誰がそのような真似をした!暴動の広がりを抑える?暴動とは一体何じゃ!余は、余は何も聞いておらぬ!100年戦争の遺恨?余の国はかつてブリタニアを完膚なきまでに叩き返し、二度と大陸の土を踏ませぬと誓わせたのではなかったのか!」
宰相と軍務大臣は、ルイ国王の放言を聞きながら顔を見合わせた。彼らは内心で「誰がこんな無能な国王に、よりによって事態の悪化を告げたのだ」と舌打ちし、事の成り行きを苦々しく思っていた。宰相は深々と頭を下げ、重々しく口を開く。
「陛下。御身をお騒がせし、筆舌に尽くしがたいご不快を与えましたこと、宰相として謹んで陳謝申し上げます」
ルイ国王は宰相を激しい眼差しで睨みつけたが、何も言い返せない。自身の無知と無策を隠すかのように、宰相は冷静に言葉を継ぐ。
「ですが陛下、これら3国の言い分は、すべて言いがかりに過ぎません。ヒスパニアに対して“王室”は一切関与しておりませんし、国内の一部賎民が騒いでおりますが、ゲルマニアに危惧されるようなものではありません。我が軍の誇る『5色の騎士団』を充てており、制圧は時間の問題です。ブリタニアの要求に至っては、もはや論外。勝手な言い分でしかありません。したがって……」
宰相は一度息を吸い、断言した。
「王室政府としては、3国に対して“極めて遺憾である”と正式に抗議いたします。王国は健全です。陛下がご懸念なさる必要はございません。すべては、この私と閣僚にお任せください」
「……うむ。ならば滞りなく、手際よく収めてみせよ」
「仰せの通りに」
宰相は黙って頭を下げた。国王は「気分が冴えぬ。晩餐には20年物の、あの秘蔵のワインを出すように伝えよ。最高のマリアージュを期待しておる」とだけ言い捨てて、足早に席を立った。
国王の背中が見えなくなり、扉が閉まる。その瞬間、部屋の空気は重苦しい絶望へと変わった。
一人の閣僚が声を震わせる。「宰相、本当にこれで良いのか?3国の言いがかりだと片付けるのは簡単だが、これは単なる抗議文ではない。宣戦布告だ。そして既に、敵軍は侵入してきているのだぞ!」
「軍務を預かる将軍が、そのような弱腰なことを言ってどうするのです?軍を動かすのはあなたの裁量ではありませんか?」
宰相の冷徹な問いに、将軍は言葉を詰まらせる。「その通りだ。だが、内には賎民による暴動、外からは3国の侵軍。その両方を同時に相手にするのは軍として限界がある」
「賎民の徒は5色に恐れをなして逃げていると聞きましたが?それなら、相手にしなければよいのでは?」
「侵入して来る正規軍は退ければいい。だが賎民どもは王国の民だ。根絶やしにする訳にはいかん」
宰相はふっと冷笑を浮かべた。「……すればよろしいのでは?」
「……どういう意味だ」
「躾の悪い家畜は処分するべきでしょう?それが王国のためです。代わりは他から連れてくればよいではありませんか」
将軍は宰相の狂気に戦慄した。「宰相、本気か?」
「ええ。それが何か?」
「……分かった。転戦している5色は一旦王都に戻す。そこで全軍で3国の軍を迎え撃つ」
「個別に叩くのではないのか?」と宰相が問うと、将軍は地図を指差した。「理由は2つ。距離だ。1つを叩いている間に、残り2つが王都に迫る。敵を追うとしても、深入りすれば兵糧が尽き、疲弊したところを各個撃破される可能性がある。各地の領主軍が防戦すれば、それなりの時間稼ぎにはなろう」
「なるほど。では、各地領主に奮戦するよう檄を飛ばしましょう。今日中に命令書を書いて飛ばせましょう」
将軍は満足して会議室を出ようとしたが、扉の前で立ち止まり、最後に宰相へ問いかけた。
「宰相、一つ聞いておきたい」
「何でしょうか?」
「……一体、どうしてこうなった?」
【ぎちり。ぎちり。ぎちり………。】
狂いだした運命の歯車のかみ合わない音が宰相にも聞こえてきた。
宰相は答えない。それは、宰相自身も誰かに教えてほしい問いかけであった。
フランク王国各地の領主は、お抱え騎士団と徴用兵を招集し、防備を固め始めた。徴用兵の中には暴動に参加した農民も多く含まれていた。彼らは、5色の騎士団が近づく前に解散し、元の集落に戻っていた者たちだ。彼らは税の軽減を求めて暴動を起こしたが、他国の侵略は意味が違う。土地の権利も生活も根こそぎ奪われる恐怖が、彼らを再び領主の下へと駆り立てた。
「迎え討て!」領主の命令に従い、街の壁の前に並んだ農民兵たちは、戦慄した。こちらの兵数は数百程度。対して、地平線を覆うほどの、戦いを生業とする軍隊が押し寄せてくる。最初から勝敗など見えていた。
さらに、暴徒を追い回していたはずの『5色の騎士団』が姿を消したことが、彼らの心を完全に折った。領民たちは、5色が守ってくれると信じていた。だが彼らは王都へ引き揚げたのだ。見捨てられた。代わりに届いたのは、王都から届いた「侵入軍を討て」という紙切れ一枚の命令書。
この絶望的な現実は、領主や騎士たちをも落胆させた。力の差は歴然。しかし、降伏すれば王都から裏切り者として処罰されるかもしれない。まずは一戦するしかない、そう考える領主たちは頭を抱えた。領主軍を一つにまとめることなど不可能だ。徴用兵も騎士も、自分の領地を捨てて他領を守る余裕などない。
侵入軍が街に近づくと、「勝ち目はねぇ」と徴用兵から諦めムードが蔓延する。それでも破れかぶれに突撃しようとしたその時、敵軍から白い旗を掲げた一騎が前に出た。
「待て!白旗を持った者に危害を加えてはならん!」という騎士の号令に、足を止める。
――我らは貴殿らと剣を交えるのは本意ではない。愚昧な王と暴政を敷く貴族の王政を正すためにやって来た。道を開けることを要請する。さすれば剣を交えることはない。今までの生活を約す。物資も略奪しない。対価を払う。しかし、交戦を望むのであれば、徹底して殲滅する。返答を請う。
“戦わなくていいのか?”
“今までの生活は保証されるのか?”
人々の間に、さざ波のような安堵が広がる。槍や弓矢を手放し、地面に落とす徴用兵たち。街の門が開かれ、敵軍が粛々と通過していく。領主はただ、その光景を呆然と眺めるしかなかった。
この光景は王国のあちこちで繰り返された。ほとんどの領主は、剣を交えることなく頭を垂れた。すべてではない。勇気ある領主は自ら先頭に立ち突撃したが、敵軍の集中矢で瞬時に討ち取られた。あるいは籠城を試みたが、矢文で威圧され、数日以内に捕えられ、首だけを差し出すことになった。
結局、ヒスパニア、ゲルマニア、ブリタニアの3軍は、王都周辺に辿り着くまでに、一度も本格的な戦端を開くことはなかった。3軍はフランク王国の王都ルテティアの西、東、北の3方向を包囲し、蛇が獲物を窒息させるようにその首を絞め上げた。
それは、宣戦布告からわずか20日後の出来事であった。王国の千年という時間が、あまりにも呆気なく、崩れ去ろうとしていた。




