第2章:瓦解する策謀と、静かに忍び寄る「印」の影
【ぎちり】。
「3国だと……?冗談ではないぞ」
「はい。ヒスパニア、ゲルマニア、ブリタニア。この3国が同時に動き出しました」
「結託して、我がフランク王国に刃を向けたというのか。前代未聞だな」
オルレアン伯爵は苛立ちを隠せず、家令の顔を射抜くようにして問い詰めた。彼の執務室には、王国を震撼させる不穏な空気が渦巻いている。この事態は、彼が積み上げてきた20年の策謀のすべてを揺るがすものだった。しかし、返ってきた答えは、オルレアンの想定をさらに大きく裏切るものだった。
「いいえ、お館様。結託したわけではないようです」
「違うというのか?まさか、このタイミングで別々に……?」
「はい。3国は、それぞれ全く異なる言い分を掲げて宣戦を布告しております」
オルレアンは無言で思考を巡らせる。その冷徹な沈黙を、家令は詳細を報告せよという無言の命令と解釈した。
「ヒスパニアは、東部地域にてフランク王国の策謀により当該領主の離反を唆され、多大な損害を被ったことに対する報復。ゲルマニアは、政情不安なフランク王国には信を置けず、暴動が国境を越えて拡散することを防ぐための自衛。そしてブリタニアは、100年戦争の遺恨と、ドルベス海峡の大陸側領地の奪還を目的としております」
【ぎちり】。
オルレアン伯爵は、室内で緊張を隠せずにいる二人の配下に顔を向けた。「……クロウド。どう読み解く?」
クロウド・ヴィヨンは家令から伯爵へ視線を移すと、顎に手を当てて深く考え込んだ。その表情は沈痛そのものである。
「閣下、申し訳ありません。これは私の計算を完全に逸脱した事態です。3国は理由は別々ですが、これほどまでに同時期に宣戦が重なるなど、ただの偶然として片付けることは不可能です。誰かが裏で精緻な糸を引いています」
「当たり前だ。それくらいは分かっている。問題は『誰が、どうやって』だ」
「それは……現時点では情報不足と言わざるを得ません。ベアトリス殿、あなたの配下からの報告はどうなっている?」
ベアトリスは、クロウドの鋭い指摘にピクリと身体を震わせた。
「……まだ、具体的な報告は届いておりません」
「正規の軍事報告よりも遅いだと?お前が何をしているのかね」
オルレアンの冷ややかな言葉に、ベアトリスは血の気を失い、青ざめた。
「申し訳ありません。至急、配下を飛ばし情報の詳細を……!」
「後手に回ったな。遅すぎる。無能は不要だ」
「申し訳ありません……」
「クロウド。全情報を即座に更新し、状況を再構築しろ。何が何でも裏を探り出せ」
「はい、承知いたしました」
オルレアン伯爵は思考を巡らせる。何が起きているのか。この連鎖の起点、すべての始まりはどこにあったのか。
――3国の宣戦。その暴動の起点は『ルテティア大虐殺』。その根底にある王侯貴族の暴政を、私は増長させた。民衆の怒りを王都へ向けさせるために。計画は順調だったはずだ。だが、微妙に制御が外れている。5色の出動は空振りに終わり、暴徒は意図的に騎士団との衝突を避けている。これが最初の計算外だ。
――周辺国への工作は万全だった。ゲルマニア傭兵団への支援、ブリタニアへの資金提供、ヒスパニアへの圧力。これらは3国を疲弊させるはずだったが、予想よりも遥かに早く事態が鎮静化している。なぜだ。答えはひとつしかない。『緋色の傭兵団』。
――彼らがゲルマニアの傭兵群団を壊滅させ、ブリタニアのイライザを支援し、4国をまとめるきっかけを作ったとの報告。真偽は不明だが、奴らが歴史の回廊の舵取りを狂わせている。遊撃隊の主要人物を毒殺し、団長の捕縛にも成功したのに、あの女は死んだはずだ。それなのに……。
――この2年、ヒスパニア南部に引きこもっていた奴らは、何をして過ごしていた?情報が遮断されている。まさか、奴らは“生きている”のか?
【ぎちり、ぎちり、ぎちり】
オルレアンは自らの思考に驚愕した。これまで一度として合理的な推論以外の可能性など認めなかった男が、初めて深い疑問を抱いている。緋色の傭兵団。あの東ロマヌス戦役の逃亡傭兵たちがゲルマニアで旗揚げした6名の組織。あの時、確実に取り逃がしたことがすべての元凶だったのか。
オルレアンは思考を断ち切った。過去の分析は無駄だ。敵対者を明確に「緋色の傭兵団」と固定し、奴らを排除するための最適解のみを導き出す。
「クロウド、ベアトリスを呼べ」と部屋の外に控える従卒に伝える。これからは、緋色の傭兵団を中心に状況を再構築する。
と、オルレアン伯爵が思考の迷宮に沈んでいる頃――。
俺たち「緋色の傭兵団」は、全員フランク王国西側、ピレル山脈の麓にある深い森の中に潜伏していた。ヒスパニア軍の進軍に続き、国境を越えて直後に分隊し、この地に影を潜めたのだ。
ヒスパニア軍はフランク王国をいったん南下し、西部地域を通って王都ルテティアを目指す。俺たちはその軍の更に南西側、ピレル山脈の際まで突出し、大所帯でありながらも卓越した機動力で誰にも気づかれぬ場所へと身を隠した。
「さて。後は特務隊が持ち帰ってくる情報を元に行動する。ハンス、頼んだぞ」
ハンスは黙って頷く。俺はこの数ヶ月、フランク王国の動向について考え続けていた。王都の貴族たちの放蕩三昧、重税に苦しむ庶民。それを加速させるように流布される悪意ある噂。それを加速させていたのは、オルレアンの『蛇の眼』だった。
だが、そこに『Z』が介入し、噂を巧妙に変質させた。
“王侯貴族の蛮行、知っていて黙っている者がいる”
“俺たちが苦しむのは暴政のせいだが、それを見て見ぬふりをする者はどうなのか”
“俺たちを使い捨てにして、漁夫の利を狙う者が南にいる”
じわりと噂は流れる。じわりと噂は変質する。
“南にいるお方は王都の蛮行を憂いていると言うが、その実、私たちを操って宮廷を倒そうとしているだけではないか?”
という噂は、
“王都の暴政を許すな。だが、甘い言葉で私たちを扇動する輩も信用するな”
というものに改変されてゆく。そろそろオルレアンも気づくだろうな。否定できないだろうさ。事実は、奴が南の領地から一歩も動かずに我々を監視しているのだから。
『Z』にはもうひとつ、庶民に流させたことがある。
“なあ知っているか?「今の体制」に真に楯突く者たちがいるそうだ。そいつらは『ガーベラの印』をつけている”
“逃げるなら『ガーベラの印』が掲げられている場所を頼れ”
準備は整った。
暴徒、いや「王政反対派」と呼ぶべき集団に対し、俺たちは逐一5色の騎士団の動向を流した。いつどこに現れるか、徹底した情報戦だ。
――戦争屋、王政の暴力装置。互角に相対しても損害は大きくなるだけだ。いいか、王政打倒を目指すのは良いことだが、それが全てではない。それは始まりに過ぎない。君たちは生き残らなければならない。戦いに命をかけるのではなく、生き残ることが勝利なのだ。だから、正面から戦うな。逃げるのは間違いではない。正しいことだ。恥と思うな。『ガーベラ』と『Z』を掲げる者に助けを求めろ。
――相手は戦いに特化した異常者だ。奴らの両手は血に塗れている。それに比べてあなた方の両手はモノを創り、人を育てるための手だ。勝ちに拘るな。生き残ることを最優先に考えろ。奴らの相手をする者は別にいる。その者たちはすぐそこまで来ている。それまで、死ぬな。生き残れ。生き残って、王政が倒れるのを眺め、凱歌を上げろ。
この様に情報を流したことで、暴徒や王政に反対し手を上げた人々は、5色の騎士団との接敵を徹底して回避した。
そして『Z』は、彼ら5色を、ゆっくりと気づかれないように、南に、オルレアン領へと誘導した。
西、北、東、ヒスパニア、ブリタニア、ゲルマニアが起こした軍の進入路から、最も遠く離れた、オルレアン伯爵が本来安息の地と信じていたはずのその場所へ。
俺たちはただの傭兵じゃない。憂国の騎士団の、“緋色の傭兵”、ガーブの無念を晴らす。オルレアンの汚れた野望を地獄の底へ突き落とすために、この大陸の運命を書き換えるのだ。風が鳴る。戦いの火蓋が切られるその瞬間まで、俺たちは牙を隠して獲物を待つ。




