第6章:緋色の追憶、そして帰還
それから1年。俺たちは『憂国の傭兵団』の一員として、数多の戦場を文字通り暴れ回った。「憂国には、若いが手に負えないほど強いはねっ返りがいる」と囁かれるほどに。作戦の多くでは、団長の指示の下、俺たちは敵陣深くへ切り込む“首狩り”を任された。成功率は極めて高く、たとえ首を獲り損ねても、その一撃が相手の戦術を根底から狂わせ、結果として『憂国の傭兵団』に勝利をもたらした。
特にガーブは、その容姿から味方には“緋色の傭兵”と称えられ、敵からは“首狩り”、あるいは畏怖を込めて“首狩りの女狼”とまで呼ばれるようになった。いつしか「憂国の六番隊(俺たち5人)には気を付けろ」という警告が、傭兵たちの間で暗黙の共通認識となっていった。
そして、運命の時を迎える。フランク王国と対東ロマヌス帝国の戦争。30日に及ぶ激闘の地、オルレアン伯爵軍の戦線。そこには8つの大規模傭兵団が招集され、俺たちもその中にいた。
「東ロマヌス帝国軍は弱い。足止めさえすれば勝てる」
そんな甘い言葉は、致命的な誤算だった。敵は16倍もの兵力を有していたのだ。倒しても倒しても、地平線の彼方から敵影が湧き出てくる。俺たちの第六部隊はガーブを槍先として首狩りを敢行したが、敵は即座に陣容を立て直し、圧倒的な物量で押し寄せる。
多くの傭兵団が砕け散り、俺たちの団も着実に消耗していった。あの豪快に笑っていた突撃隊長も、20日目に戦死した。消耗戦とは、投入した数の多い側が必然的に勝つ残酷な地獄だ。それを覆す方法――皆無ではなかったはずだが、フランク王国軍を主導するオルレアン伯爵は、決してその手を使わなかった。
「正規軍が間もなく到着する。それまで死に物狂いで耐えろ」
そう命じ、伯爵は俺たち傭兵を使い捨ての駒としてすり潰していった。
そして最後の日。伯爵は非情にも「では、死ね」と言い放った。
そんな裏側を知る由もない俺たち第三部隊は、バルロ団長に起死回生の策を具申した。敵陣奥深くに陣取る敵軍総司令官の“首狩り”だ。
「だめだ。それではお前たちは全員生還できない。許可するわけにはいかん」
団長は鋭く断じ、代わりに敵右翼の混乱を命じた。その日、俺たちは使命を全うして生き残ったが、団長の太ももには大きな傷が刻まれていた。周囲を見渡せば、ほとんどの団員はもう、そこにはいなかった。
『本日これをもって、団は解散する』
団長はそう宣言し、俺たちを戦場から離脱させた。すべてはそこから始まった。ゲルマニアに行き、海を越えてブリタニアへ渡り、ヒスパニアで基盤を固め、これからという時。
俺は、ガーブを失った。
(ガーブ。あのころは、本当に楽しかったな……)
俺の目の前には、初めてガーブと出会ったあの日と同じような、寂れた村の廃墟が広がっていた。
……意識を失っていたようだった。
気づけば、あたりは深い夕闇に包まれていた。俺は……これから、どうする。何をすべきか。何も考えられなかった。
そんな時、微かな子供の声が耳に届いた。
「えい、えい、えい……」
声のする方へ、俺はふらりと首を傾ける。そこにいたのは……。
小さな女の子が、木の棒を懸命に振り回していた。
「えい、えい、えい、やぁあ……」
俺は目を見開く。あまりの既視感に、胸が締め付けられる。ゆっくりと、重心を上げて、その背中に近づいた。
「えい、えい、えい、やぁあ……、きゃあ!」
均衡を崩し、その子はべしゃりと地面に倒れる。俺は手を伸ばした。
「……大丈夫か?」
女の子は俺の声に驚き、びくりと振り返る。
「え、えへへ、ころんじゃった」
そう言って無邪気に立ち上がる少女。
「なにを、しているんだ?」
「んー、やっとう?」
「きみは、この近くの子か?」
「んーん。ここに住んでるの」
「ここ?お父さん、お母さんは……」
「おっとー、おっかー、いない」
「いない?」
「死んだ」
「死んだ……のか」
「ころされた。こるであじんに」
「……そう、か」
「だから、一人で生きるの」
「だけど、誰か親戚とか、おじさんやおばさんとかは」
「……いない」
「誰も……いないのか?」
「みんな死んだ。みんな、殺されたんだ」
ぽろぽろと、幼い瞳から涙がこぼれ落ちる。
「ご、ごめん。泣かせるつもりはなかったんだ」
女の子は汚れた服の袖で、ごしごしと涙を拭う。
「だから、強くなる」
「強くなって、こるであ人をやっつけるの」
「あの……」
「あの人のようにつよくなるんだ!ひいろのようへいのように!」
俺は、その場に腰から崩れ落ちた。
(ひいろのようへいのように?……緋色の傭兵のように、だと……?緋色の傭兵の様に!!)
(ガーブのように……)
突然動きを止めた俺に、女の子は怪訝な顔をした。だが、右手に持っていた木の棒を思い出すと、また振り始めた。
「えい、えい、えい、やぁあ!」「えい、えい、えい、やぁあ!」
「シ、ン……ご、め、ん……よ、あ、り、が、と、な」
最後のガーブの言葉。あれは口の動きだけだった。謝罪と、礼。あれは何についてだったんだろう。
俺の頬に、涙が一筋伝った。そういえば、ガーブが死んでから、俺は一度も涙を流していなかった。
「ガーブ……。俺は、お前の生き方を否定する者を許さない。必ず報復してやる」
涙を拭う。
「ありがとう。名前も知らないけれど、あんたの努力は否定しない。いつか、その手に望みが叶えられることを祈っている」
俺はそう呟いて立ち上がる。歩き出す。東に向かって。
「えい、えい、えい、やぁあ!」
その声は、まるで俺を奮い立たせるかのように響いた。
マリナの朝は早い。260名以上もの団員の食事を、手早く準備しなければならない。給食隊には10名ほどいるが、それだけでは間に合わず、歩兵や弓隊から交代で応援をもらっている。とはいえ、調理の責任は全てマリナら給食隊にある。
そんな忙しい朝に、最近新しい日課が増えた。彼女は毎朝、墓周りを清掃し、花を摘み、ガーブたちの墓前に供えることを自らに課していた。それが戦いを知らない、今の自分にできる精一杯の供養だと思っていた。
今日も掃除道具と花を抱え、墓のある森の際の大木へと向かう。さく、さく、さく。早朝の朝露を孕んだ草を踏みしめる足音。そのたびに、青々とした匂いに包まれる。墓参りではあるが、マリナはこの朝の空気が好きだった。
(ガーブさんと、また一緒に歩きたかったな……)
そんなことを思いながら大木に近づくと、そこに誰かが立っていることに気づいた。
誰だろう。クリシュ・アランの誰かだろうか。そう考えながら近づく。髪が見えた。黒い。クリシュ・アランではない。彼らの髪は紅いからだ。じゃあ、誰かしら。首を傾げながら、後10歩のところで声をかける。
「あのぅ」
男が振り返る。
「やぁ、マリナ。毎日花を捧げているのか。ありがとうな」
マリナは持っていた花と掃除道具をその場に落とした。手を口の前に持っていき、瞳を大きく見開く。
「シン……さん……?」
「ん。ああ、顔がすっかり変わっちまっただろ?暫くまともに食ってなかったからな。時間は早いが、すまない。何か食うものを用意してくれないか」
マリナは、シンの胸へと飛び込んでいた。
「シンさん……!シンさん……!シンさん……!」
「ああ。ああ、ただいま。マリナさん」
その日の朝、いつもならマリナさんたち給食隊が、朝食の準備ができたと鐘を鳴らすはずだが、その朝は静まり返っていた。特務隊の男は、夜番明けで空腹を抱え、食事をする一角に入っていった。並ぶテーブルの上には、普段なら山盛りの焼き立てパンがあるはずが今日はなく、働く給食隊のちびっこたちの姿もどこかへ消えていた。
隅っこに、彼らが固まっている。
「おいおい、今日は食事はま、だ、か……い?」
給食隊の奥で、パンを頬張る男の背中が見えた。
「あ? ああ? ああああぁあああああ!」
男はくるりと後ろを向き、絶叫しながら走り出した。
「シンさんだぁああ!シンさんがぁああ、帰ってきたぁあああ!!!」
あちこちのテントから、幕が跳ね上がる。「シンが!」「シンさんが!」「「「帰ってきたぁああ!?」」」皆が一斉に飛び出してくる。
「本当か!本当にシンさんが帰ってきたのか!!」「どこだ!どこにいる!!」叫んだ男をつかみ上げ、ヤミルが吠える。
「ああ、あそこだ、飯を食ってて……」
ヤミルは男を放り出し、食事場所へと疾走する。
やがて、シンが見えた。
「シン!!!!」
「やぁ、ヤミル。元気にしてたか」
「てんめぇええ!!」
ヤミルはシンの胸ぐらをつかんだ。……軽い。
「お前……お前……っ!」
ヤミルは涙を滂沱と流し、そのままシンを抱きしめた。「おおぉおおおお!!帰ってきた!シンが帰ってきたぁあああ!!!」
「ちょ、ヤミル。うるさいぞ」
「シンさん!!」「シンさん!!!」「シンさん!!!」
その日の早朝、緋色の傭兵団の野営地は、かつてない歓喜の渦に包まれていた。




