第4章:理の導きと戦場の真実
「そろそろ、私たちに戦場というものを経験させるか」
バルロ団長が唐突にそう口にした。しかし、オットーさんは即座に反対の意を示した。
「まだ早すぎます」
8歳や9歳といえば、平穏な世界であれば、親の仕事を本格的に手伝ったり、商家や工房へ見習いとして働きに出る年頃だ。だが、私たちが身を置くのはそんな生易しい場所ではない。命のやり取りが行われる戦場だ。失敗すれば親や雇い主、親方からげんこつを浴びせられて終わるような日常とはわけが違う。一度の過ちがすなわち「死」を意味する。オットーさんも団長も、その厳然たる事実は痛いほど分かっていた。
だが、バルロ団長が言わんとした「経験」とは、初陣そのものではない。「戦場という現実を直視させること」だった。「それなら」とオットーさんも渋々同意した。そして私たちはオットーさんに伴われ、団長たちが戦う戦場を安全な場所から見学することになった。
戦場。吟遊詩人や寝物語で語られるような、華々しい勝利や輝かしい英雄譚など、そこには存在しない。実際の戦場はそんな綺麗で生易しいものとは似ても似つかない地獄だ。
俺はバルロ団長に拾ってもらったあの忌まわしい日、すでにその真実を経験している。飛び散る手足や頭。溢れ出る臓物の臭い。地面を這いずり回り助けを求める負傷者、そして虚ろな目で生者を見つめる死体たち。
“次はおまえだ”。戦場に無造作に晒されている屍たちは、まるで呪いのような言葉を無言で投げつけてくるように見えた。
あの場所へ行く。想像するだけで全身に震えが止まらない。
そんな俺を、オットーさんが優しく諭す。
「シン君、大丈夫ですよ。『勝ち方』はあります。生き残るための方法がね。『戦場の理』――これを身に付け、実践すれば、簡単に死ぬことはありません」
「それ、知りたい」
俺の真っ直ぐな言葉に、オットーさんはにんまりと笑い、十数冊もの分厚い“本”を手渡した。
「とりあえず、全部読んで頭に叩き込んでください。戦場の“理”を理解するのです。そして、その理を観る眼を持って戦場を見渡すようにしてください。頑張りましょう」
「うえっ!」
そのあまりの分厚さに、ガーブが露骨に嫌そうな顔をした。ヤミルが「お前、それ全部読むの?」と呆れ、俺は勘弁してほしいと内心で叫び、ハンスは横を向いて関心を示さず、クリスは「難しそう」と肩を落とした。「毎夜、私と一緒に読み込みましょう」
オットーさんの宣言により、俺の夜な夜な“本”を読み合う修行が始まった。
そしてついに、戦場を観戦する日が来た。
それはささやかな小競り合いだった。『憂国の傭兵団』と他の傭兵団による闘い。私たちはオットーさんに連れられ、戦場を一望できる小高い丘の上にいた。
俺は見た。配置、行軍、そして戦闘の推移。小一時間程度の小競り合いは、憂国の傭兵団の勝利で幕を閉じた。ガーブは「うん、すごい。いいなっ!俺も交りたい!」と目を輝かせていた。ヤミルやハンスはそれぞれ思うところがあったのか沈黙を守り、クリスは「……ちょっと苦手だ」と言った。対して俺はというと、「違和感がある」と口にしていた。
――何故あんな配置にしたんだろう、何故あの時に兵を進めたんだろう、何故あの人数をあそこにぶつけたんだろう、何故引かなかったんだろう、何故、何故、なぜ、なぜ……。
俺はぶつぶつと独り言のように呟いていたのだろう。オットーさんが俺の頭にぽんと手を置いた。
「シン君、帰ろうか。君の脳裏に浮かんだ疑問の数々、ゆっくりと噛み砕いて考えるといいよ」そう言って、丘を降りて行った。
その夜、団長とオットーさんが酒を酌み交わしながら話していた内容を、俺は後になって耳にした。こんな話だったようだ。
――団長。シン君についてですが、彼はこの団から抜けさせた方がいい。
――なぜだ。
――頭が切れすぎる。彼は“理”を理解しかけている。あれは傭兵ではなく、軍全体の作戦を考える能力です。その兆しが明確にある。だが、規律の薄いこの傭兵団では、戦いの全体像を考え実行させることはできない。彼の能力は傭兵という枠では無用のものです。
(バルロ団長は無言で宙を見つめる)
――彼はまだ弱すぎる。今の彼を戦場に出せば、理と実践のあまりの落差に混乱し、身動きできなくなり切り殺されるでしょう。彼はまだ自分自身を守る力が足りていない。
(バルロ団長は、指先でテーブルをこつこつと打ち付ける。何かを深く考えている時の癖だ)
――シン君は 《《かつての》》あなたとは違います。騎士団長だったあなたとは出発点が違うのです。彼は一傭兵にしかなりえない。規律のないこの団では、弱いままの彼に従う者はいないでしょう。彼の才能を活かすためには、どこかの正規軍に入れさせることが最善だと私は考えます。
(バルロ団長は口元に笑みを浮かべる)
――昔の話をするな、オットー兵站長。そうか、シンにはそちらの才があるのか……ならあとはどうやって強くさせるか、だな。戦場では個人の力よりも集団戦闘に長けるものが勝つ。彼が今後、その才能をどこまで伸ばすか。見守るとするか。
――あくまでこの団で育てると?
――環境を作る……よし。あの若いの5人で独立部隊を編成する。オットー、お前は兵站関係を後押ししろ。
――よく理解できないのですが……。
――ヤミルの盾、ハンスの耳目、クリスの掩護、ガーベラの突出。それにシンの智謀が加われば、一つの部隊として完成する。うまく育てれば化けるぞ。いずれ、規模を大きくしてもやっていけるだろう。
――それは危なくないですか?
――それをうまくやらせるのがお前の役割だ。
(オットーさんは嫌そうな顔をする)
――命令なら従いますが……、誘導と言っても私は“理を観る”才能などないですよ?
――かまわん。お前はシンに、“この戦場で生き残るにはどう行動すればよいか”と問いかけ、考えさせればいい。ダメな時はお前が止めればいい。他の子どもたちもバカじゃない。嫌なものならシンの言うことを聞かないだろう。
――つぶれませんかね?シン君。
――つぶれたら団を抜けさせて、どこかの職人にでも預けるさ。あの頭の良さ、どこに行っても通用するだろう。傭兵を続けて苦しむだけよりはな。
――……その方がいいかもしれませんね。
二人の話し合いは、そのようなものだったと教えられた。
それから2年近く、戦場観戦の日々が続いた。戦闘が終わった夜、私はオットーさんとその日の戦後評価を話し合った。オットーさんは俺の疑問を引き出し、「何故そう思いますか?」と問いかけ、答えを導き出させようとする。
答えが適切でないと、彼は指摘した。
「考えた通りに敵方が動くとは限りません。味方もです」
行軍の戦闘の問題点を挙げれば、彼はその次を問いて来る。
「では最適解は? どう動けばよかったと思いますか?」
ひとつの答えを挙げても満足してもらえない。
「答えは一つですか? その通りに行かなかった場合、どうします?」
そんな夜を過ごすうち、いつからかバルロ団長も現れては、俺に厳しい問いを投げかけるようになった。時には盤上で駒を動かし、戦いを詳細に再現した。
最初の頃は戦闘のあったその夜だけだったが、バルロ団長が戦いのない日にも参加するようになり、いつからか毎夜繰り返されるようになった。
オットーさんの指摘は的確で、バルロ団長の指摘は容赦なかった。
「なるほど、そう動くか。では、こちらはそれに対応してこう動かそう」
「その配置で来るなら、私はここ、ここに陣を張る。で、どうする?」
「その守りでは右が空くぞ。ほれ、この通りだ」
「シン君。兵はただの駒じゃないよ?疲弊すれば普段の半分以下の力しか発揮できないんだ」
「判断が遅い。敵は既に別の行動に移っている」
「今回は晴天だったが、もし雨が降ったらその作戦はどうだ?代案はないのか?」
「黙り込んでしまっては兵が死ぬぞ!動け!命令しろ!」
「では“首狩り”で一手。お前はもう死んでいる」
訓練の疲れから盤上を見つめながら眠りそうになると、団長の容赦のない拳が飛んできた。
「貴様!作戦行動中に眠りこけるとは何事か!あ、いや、すまん、つい昔の癖が……、済まなかったな」
ある時、団長は突撃隊長を連れてきた。
「今日はこいつとやってみろ」
ニヤニヤしながら俺に言う。駒を進める。うん、趨勢は有利に進んでいる。このまま行けば勝ちは固い……そう、確信していた。
「かぁー、かったるい!これでどうだ!」
突撃隊長は駒を真っ直ぐに正面へ進めた。正面突破?この局面で?
俺は突出してきた駒の周囲を固める。
「次はここ!」「そしてここ!」
俺はめまぐるしく変わる盤面の対応に必死で食らいついた。
「最後はここだぁ!」
たんっ、と置かれた駒。致命的な位置にあった。俺は負けてしまった。
「これは……反則じゃないですか?」
「シン、相手はお前の思い通りに動くとは限らない。覚えておけ。“完璧な作戦なんてない”んだよ」
何百回、何千回とオットーさんとバルロ団長との対話を繰り返したことか。
そして3年後、ついに、俺たちが実戦に参加する日がやって来た。




