第7章:紅蓮の瞳と泥中の怒り
それは一瞬の出来事だった。
ガーブの目がぱちりと開く。キョロリと周囲を見渡し、黒装束の男と目が合う。ガーブは体をひねり、黒装束の男の足を刈った。男は不意を突かれ倒れ、短剣を手放してしまう。短剣は偶然にも馬車の床に突き立った。ガーブは短剣に足を叩きつけた。足に傷を負いながらも、足を縛っていた縄に切れ目が走る。ぶちっ。脚力だけで縄を引きちぎる。
3人がガーブを抑え込もうと飛びかかってくる。ガーブは反動をつけて勢いよく立ち上がり、一人に廻し蹴りを放つ。バキッという鈍い音がして男のこめかみに蹴りが当たり、男が吹っ飛ぶ。幌を切り裂き、外に転がってゆく。ガーブは残りの二人に向かって突進し、2人を巻き込んで馬車から転がり落ちる。
素早く立ち上がったガーブは、この場所がとある特徴的な建物、十字教教会の敷地内、礼拝堂の前の広場だと理解した。周囲を見回す。敷地は高い塀で囲まれている。馬車が入ってきた門は、今まさに助祭たちが閂をかまそうとしている。閂がかかれば脱出は困難になる。ガーブは助祭たちに向かって走りだす。
「んんーんー」猿轡を噛まされているので声が出ない。忍びないと思いつつ助祭に蹴りを放とうとしたが、直前でできなかった。助祭の前に、別の黒装束の男が回り込んできたからだ。ガーブは立ち止まり、姿勢を低くする。周りを見る。建物の中から、続々と黒装束の男たちが出てきていた。ガーブの周りに12人。
後ろ手に縛られているガーブは身構えて男たちを見渡す。本来の彼女であれば、縄を引きちぎるのは簡単だった。だが今、ガーブは毒に侵され、体調はすこぶる悪い。体温は上がり、目がかすみ、音もよく聞こえない。五感がことごとく鈍っている。それでも今は逃げなければという思いだけで動いていた。
ガーブと黒装束の男たちの対峙は、あっさりと終わった。男の一人が捕縛用の投網を投げた。体調が万全でないガーブは網にかかり、その後数人がかりで押さえこまれてしまった。
「んーんーんんー」唸るガーブに、一人近づく。馬車から蹴り落とされた男だ。「この馬鹿力女め!」ゴッ!男がガーブの腹を蹴りつけた。「ぐほっ!」
更に蹴りを入れようとした男は、仲間に止められた。「よせ!大司教が見ている!」
「ちっ」舌打ちして男は下がる。
その大司教が広場に出てきた。ガーブが転がされている前までやって来て、覗き込む。
「ほっほっほっ。なかなかに元気のよい娘だのう?活きのよい娘は楽しみじゃ。オル……あの方のところに連れて行く前に、どれ嬲ってみるかの」男たちに命じる。「この娘を地下に連れて行きなさい」
黒装束の男たちは慎重にガーブに近づき網の端を持って、6人がかりで教会の建物の中に運び入れる。
外につながる門の側でそれらを見ていた助祭の2人は、顔を見合わせていた。
「あれ……、何が起きてるの?」
「分からない……でも大司教様が指示なさっていた。俺たちがどうこう言っちゃいけないことなんだ」
「でも、いいのかな……」
「行こう、早くここを出よう。一晩寝て忘れよう。早く!」そう言って2人の助祭は教会から立ち去った。
ガーブは教会の地下のとある部屋に連れていかれた。その部屋は床、壁、天井すべて石で囲われていた。
地下牢そのものだった。
黒装束の男たちはガーブを床に下ろすと、数人がかりで暴れるガーブを抑えつけて縄を外し、壁から垂れ下がっている鎖に、後ろ手に縛られたままのガーブを拘束した。
男たちは下がり、大司教に道を譲る。
「ほっ、ほっ、本当に活がよいのう。どれ……」
大司教はガーブの前に椅子を持ってきて、ドカリと座り、男たちに振り返る。
「貴様ら、邪魔じゃ。この部屋から出ていけ。早く、早く!」
男たちは何か言いかけるが、そのまま出て階段を上がり、1階で集まる。
「おい、どうしたものか。このままではラヴァル様の指示を違えてしまう」
「そうは言っても、御屋形様からは大司教に協力せよと言われている。しかたなかろう」
「それより、大司教は少なくとも今夜はここに留まるようだ。俺はここの守りが心配だ」
「それはないだろう。あそこからはだいぶ離れている。連中がやすやすと来られる訳はない」
「そうだが……嫌な予感もする。相手はあの傭兵団だぞ」
「確かにな……。増援を呼ぶか?」
「そうだな、そうしよう。同時にラヴァル様に伺いを立てる。黙っていたらもっとまずいような気がする」
「お前が一番足が速い。お前が行ってこい」
「分かった。すぐ出る」
「それにしてもあの大司教、あの娘に舌なめずりしてやがった」
「さすがの女傭兵団長も毒で弱った上に両手を拘束されていたらどうしようもないだろうな」
「わかんねえ。あの眼、あの娘のあの眼を見たか?あの赤い眼。まるで紅蓮の炎のようだった。あれで睨まれたら俺は指一本動かせなくなりそうだ。俺には無理だ」
「おい、そこ!任務中だ、注意を怠るな。明日は移動する。今は休息しろ」
「分かりました」
それぞれが警戒、移動準備、休息をしていると、「ギィエエエオォオオアァアアアアア!!」という大司教の絶叫が響いた。黒装束の男たちは、襲撃か!と一目散に地下へ駆け下りた。
だが男たちが見たのは、壁に張り付けにされて荒い息を立てているガーブと、その前で失禁し、股間を抑えて白目を剥き泡を吹いて気絶している、件の大司教だった。
「あはっ」一人が笑いかけたが無理やり抑え、大司教に近づく。
状況を確認する。手をどかすと、前が血にまみれている。
「あちゃー、こりゃ酷い。やり過ぎじゃねぇか」話しながらガーブに振り返った男は、ガーブの眼を見ておののき、声を失う。
「……これ、ダメなんじゃね?」
「あ、ああ、ダメだろうな。これで少しは静かになるかな?」
「「「ははは……」」」男たちは乾いた笑いを漏らす。
「まあ、とりあえず、早くこのおっさんをここから出そう。一応、手当しないとな」
そう言って男たちは大司教を担いで地下から出て行った。
ガーブと大司教に何が起きたか。男たちは容易に理解した。
ガーブは、いやらしく近づいてきた大司教の股間を、力任せに蹴り上げたのだ。
「ギィエエエオォオオアァアアアアア!!」
というわけだ。「日頃の行いの報いを受けたんだ」黒装束の男たちは皆、もうガーブには手を出すことは止めようと暗黙の了解を得た。
だが、どうするか。黒装束の男たちは頭を悩ませた。暴れまわるガーブ、大事なところを負傷した大司教、追いかけて来るだろう緋色の傭兵団の対応。
「マトリードにいる傭兵の数は70を超える。我々だけでは対応できない」
「……ここでは傭兵団への対応はできない。フランク王国へ移動することを提案する」
「救援を呼んだが間に合わないかもしれない。なるべく距離を稼ぐ必要がある」
「だがなあ、大司教は動かせそうか?」
「できなくはない。本人がどう考えるかだ」
目を覚ました大司教は自分の状況を理解した途端に狂った。
「キィヤアアァアアアアアァアアアアア!!!」
「あのおんなぁあああああ!」
「あのおんなのところへつれてけぇ!」
まともに歩けない大司教を椅子に座らせ、3階の宿坊から地下まで男4人で運び連れて行く。ぶくぶくと太った大司教を運ぶのは骨が折れた。
地下に降りた大司教はガーブに向かって怒り狂って叫ぶ。「きさまぁああ!」壁に掛けてあった鞭を振り上げ、ガーブを打ち据えた。ビシッ!ビシッ!ビシッ!……5回、10回……20回、男たちは大司教を恐る恐る止めた。
「大司教、そこまでにされた方が……」
「うぬ!邪魔するなぁああ!」男たちに向かって鞭を振るいだす。「お止めください!大司教!」
鞭打ちはすぐに終わった。体力の尽きた大司教の手から鞭が飛んでいった。
「はあ、はあ、はあっ。うぐ、こ、この娘ぇ!!」
衣服が破れ、鞭の跡が全身に残る。みみずばれどころか皮膚が切れているところもある。
それでもガーブは、何回鞭打たれても悲鳴を上げることなく、燃えるような眼で大司教を睨みつけている。
「こ、殺す!殺す!……焼いてやる!面前で、公開処刑で焼いてやる!!火あぶりじゃぁああ!」
「大司教!お待ちください!」
「やかましい!儂を傷つけた報いを受けさせてやる!生きながら焼いてやる!」
「ここでは狭い、人もおらん、もっと大きな街へ行く。そこでこのおんなを処刑する!」
「すぐしゅっぱつじゃあぁああ!!」
男たちは顔を見合わせた。(願ってもないことだが……動けるのか?いや、動かせるのか?)
これから訪れる困難、大司教の出す無理難題に右往左往させられる男たちであった。




