第6章:引き裂かれた静寂
ガーブが拉致されてから、すでに1日が過ぎていた。手がかりは一向に見つからない。特務隊を指揮しているハンスの横顔にも、隠しようのない焦燥が刻まれ始めている。
ガーブは無事だろうか。アインツとフィーアが死に至る毒を喰らった以上、ガーブもまた同様のものを摂取させられたはずだ。すぐさま嘔吐して排出を試みたはずだが、いかに彼女が体力お化けとはいえ、無事だとは思えない。
無事でいろ、頼むから無事でいてくれ、ガーブ!
「まだか!まだ分からねぇのか!」
焦燥を滲ませた俺の叫びに、オットーさんが静かに声をかけてくる。
「シン君。焦っちゃだめだ。冷静に、冷静に。分かったかい?冷静さを取り戻すんだ!」
俺はオットーさんを睨みつける。こんな時に何を悠長なことを、と。
だが、オットーさんを見て言葉を飲み込んだ。オットーさんが握りしめた拳からは、皮膚を食い破るほど強く力が込められ、血が滴り落ちていたのだ。オットーさんは俺のために、俺たちのために必死で己の動揺を抑え込み、俺を鎮めようとしていたのだと理解したからだ。
俺は深呼吸をする。肺の中の空気をすべて吐き出し、街道沿いの切り株に腰を下ろして、両手で頭を抱えた。
ハンスは特務隊からの報告を聞きながら、次々と指示を飛ばしている。クリシュ・アランの者たちも、黙々と走り回って痕跡を探している。
コナル、フィニアン、コーマックの3人が、俺の元へ近づいてくる。
「シン、すまねぇ、まだ見つからねぇ」
3人は殺気立っていた。
「だが、見つけたら……無事を確認したら……俺たちがそいつを切り刻んでやる。生まれてきたことを心底後悔させてやる!」
コナルの言葉は鋭い刃のようだった。その姿は怒髪天を衝くという表現がまさに相応しい。眼は血走り、歯を食いしばるあまり、口元から一筋の鮮血が滴っていた。
「……コナル、なぜそこまで」
ぎろりと俺を睨み、コナルが吐き捨てるように言う。
「仲間だからだ……家族だからだ……」
「確かにそうだが、団では訓練以外、そこまで親密だとは思わなかったが?」
「違う!」
「違うんだ!ガーブは、『俺たちの同胞』なんだよ」
「彼女は……『クリシュ・アラン』だ」
「……どういうことだ」
「分かるだろう、あの目、あの髪の色。そして類稀なる身体能力」フィニアンがコナルの言葉を継ぐ。
「ガーブは、ガーベラ様は我々の祖先、鬼族の末裔の、その血を色濃く継いだ、我らクリシュ・アランの始祖の系譜に連なるお方だ」
「詳しく聞かせてください」オットーさんが尋ねる。
「今から17年ほど前、インヴァ・ネスで最も強く始祖の血を引く娘が人攫いにさらわれた。それに気づいた俺たちは必死に探し回った。ブリタニア中を探し回ったが見つけることは叶わなかった。俺たちはまだ子供だったから良く分からなかったが、それは一族にとって大変な騒ぎになったんだ」
「あの特徴的な外見、そして身体能力。当時3歳だったその娘は周りから嫌でも浮いてしまう。探し出すのは容易いと考えていたが、結局果たせなかった」
「古老たちは嘆き悲しんだ。『血が絶えた』そう言ってな」
「だが昨年、あんたたちがインヴァ・ネスに現れて、カハル・“テツザン”・マク・ネルは驚愕した。あの失われた血の継承者が、目の前にいたからだ」
「そして手合わせして、確信した。間違いないと」
「ダン・ネルに連れ帰ったカハルは、後の任であるフィーアガーン・”ハヤテ”・ドゥーガルとローカン・“ムジン”・オ・ブライアンにそのことを伝えた。先祖の血が蘇った、と」
「2人はカハルに、彼女をダン・ネスに留め置かなければならないと説いたらしい。対してカハルは、あんたらと仕合って勝ってからだと言って勝負に挑んだ」
「だが俺たちが勝った」
「そうだ。あんたらが勝ったんだ」
「3人は話し合った。元々勝ったら助力するという約束だったから、一族の誰かを郷から出すのは当然のことだ。同行する間に、彼女に郷に帰るように説得できないか、と考えた」
「あんたら……本当は、それが目当てだったのか?」俺は言葉に怒りを滲ませた。
「違う!そうじゃない!」
「俺たちはあの3人とは考え方が違う。彼女を無理に連れ帰るなんて思っちゃいない!」
「ただ……」
「ただ?」
「彼女と接しているうちに……彼女の行動を間近で見ているうちに……ここが、緋色の傭兵団こそが彼女の真の『家』だと分かったんだ」
「家?」
「そうだ。あんたもそうなんだろう?彼女にとって、あんたや団員たちは家族なんだ。大事なんだよ。団にいる時の彼女を見れば分かる。分からされたんだ。だから……俺たちも、その……家族の一員になれたらと思っている」
「だから、この過酷な傭兵という仕事についても喜んでやっている。彼女が、ガーブが喜ぶからだ」
「それだけに……今回の所業をしでかした奴らは……(ギリッ)許さねぇ!!」
それは至極冷え切った、死をも恐れぬ怒りの炎だった。
俺は3人を見つめた。彼らは真実を話してくれたのだろう。これまでの彼らのガーブへの接し方は、ダンクからヒスパニアに入った頃から明らかに変わっていたのは事実だ。稼業に率先して関わり、よそよそしさが消え、バカ騒ぎにも混じるようになった。
「すまん、疑って悪かった」
3人は黙っている。
「すまなかった。早くガーブを見つけて体を治させて、またバカ騒ぎしよう」そう言って、俺は3人の肩に腕を回した。
「頼む。ガーブを見つけてくれ」俺は低く、絞り出すように言った。
「お、おう」
そんな俺たちにハンスが近づいてくる。顔色は死人のように悪い。
「シン。まだ見つからない」ハンスは力なく首を振った。その顔にも、隠しようのない焦りが浮き彫りになっている。
「……ハンス、みんな。捜索範囲を街道沿いにさらに広げよう。見かけない一行、馬車など見なかったか、“見知った顔でも、ここ2日で遠出した者はいなかったか”と聞いて回ろう」
「聞くのは特務隊に任せろ。クリシュ・アランには無理だから、続けて痕跡を頼む」
「「「「「分かった」」」」」
皆を解散させ、捜索を再開する。ハンスは特務隊に指示を出した後、俺の元へ戻ってきた。
「シン、《《あれ》》らに頼まないか?」
「俺もそれは考えたが、ここでは連絡の取りようがねぇ」
「そう、だな」
「どこかの町に入ったらそうしよう。今は藁にも縋りたいんだ」
ハンスは頷くと、黙って走り去った。
俺は空を見上げる。既に夕闇が濃くなってきた。(ガーブ、どこにいる!無事でいてくれ!)
ここはフランク王国の手前、ピレル山脈と北外海に挟まれた国境の街の近く。ガーブが捕えられた村から徒歩で4日ほどかかる場所だ。現在シンたちが痕跡を探している辺りからは遠く離れている。
その馬車は、ぽかりぽかりと馬を歩かせていた。のどかな田園の中で、まるで絵画の一部の様に風景に溶け込んでいる。普通の農家の荷馬車と違うのは、幌に赤で「○に十字」の印が付けられていることだった。
○に十字。十字教の印。十字教会の巡礼または遊行に使われる馬車だ。御者は半分居眠りをしながら、馬を操っているというより、馬に勝手に道沿いに歩かせているように見える。街道ですれ違う者たちは、御者の頭がかくんかくんと動くのを、微笑みをもって見つめていた。
だが馬車の中は、様相が全く違っていた。馬車の中は、極度の緊張状態にあった。
床にはガーブが後ろ手に手と足を縛られ、猿轡を噛まされて転がされていた。まだ意識は戻っていないようだった。
そのガーブを、4人の黒装束の男が立ったまま取り囲んでいる。
馬車がシンたちが探す地域から遠く離れているのは、ガーブを拉致した男たちが複数人で交代しながら、日夜休むことなく馬車を走らせていたからだ。『蛇の眼』実行部隊の男たち、その体力はクリシュ・アランの男たちに匹敵していた。4日かかる距離を、わずか1日半で走破していたのである。
「それにしても暑いな。何でこんなに暑いんだ?」
馬車の中は熱気が籠っていた。それは黒装束の男たちの緊張感がもたらしたものというより、ガーブ自身が発する異常な熱だった。黒装束の男たちも困惑していた。彼ら『蛇の眼』実行部隊は“ガーブを捕えて来い”と命じた人智十字教の大司教とは別に、ラヴァル指揮官から“もしガーブを捕えても、彼女が大司教の手に渡る前に殺せ”と冷酷な密命を受けていた。だから村で毒入りの食べ物を用意したのだ。
だが、ガーブは死ななかった。毒で仲間が二人死んだにも関わらず、だ。「生きて捕えろ」という大司教の命令に対して「毒の効きが強すぎた」という言い訳を用意し、計画を実行した。だが、今ここでガーブが死ななかったからといって、短剣を突き刺すわけにはいかない。それは大司教の命令への明白な違反になる。そしてそれは、彼らの真の主であるオルレアン伯の命にも反することだと考えていた。
彼らが剣を構えているのは、万一ガーブが目覚めて暴れ出した時の用心のためだ。
馬車はぽかりぱかり、ごろごろと進む。やがて御者が馬車の中に向かって声をかける。「そろそろ着きますわ」と言った時、わずかに警備に隙が生まれた。




