第2章:死の杯、泥濘に沈む「緋色」
「団長!何でそんなに急ぐんですかぁ!馬が潰れちまうじゃないですか!」
馬上のフィーアが悲鳴のように叫ぶが、先頭を行くガーブは振り返りもしない。
「早くいって、早く帰る!それが一番だ!」
「そんな早寝早起きみたいな理屈で……」
フィーアが呆れ返る横で、アインツも眉間に皺を寄せながら言い募る。
「だけど団長、いつもならシンさんが依頼の詳細を細かく分析して、そこから行動するじゃないですか!今回はあまりにも情報が少なすぎます」
「シンは忙しいんだ!だから俺が決めた!」
「「えー……」」
アインツとフィーアの二人が揃って声を漏らす。不満は明らかだった。
「うるさい!俺は団長!この団で一番偉いんだよ!」
「それはそうですけど……」
「俺が決めたんだ!簡単な討伐依頼だ!アインツ、フィーア、黙って付いて来い!」
「しゃーねーすねー……。行きますよ、行けばいいんでしょ!」
そんな不平とため息を混ぜた会話をしながら、3人は馬を駆っていた。
体力お化けと称されるガーブは、休息を一切挟まず、愛馬を鞭打ってひた走った。その日の夕刻、目的地である村に到着したとき、アインツとフィーアは鞍の上で既に虫の息だった。
「む、情けないな。帰ったら二人とも、みっちり修行してやる」
平然と言い放つガーブに対し、二人は疲労で言葉も出ない。
村人が数人通りかかったが、血気盛んなガーブらの姿を見て、怯えたように足を止めた。ガーブはそんな視線など意に介さず、村の中心にある領主の館の前まで堂々と進んでゆく。そして、腹の底から声を張り上げた。
「依頼を受けて緋色の傭兵団が来た!コルディア人はどこにいる!さっさと場所を教えろ!」
「団長……頼みますから、もう少しだけ……」
アインツが消え入りそうな声で窘めるが、ガーブは既に館の扉を叩きそうな勢いで待ち構えている。
暫くして館の扉が開き、一人の男が出てきた。
「緋色の傭兵団!来て下さったのか!おお、ありがたい!さあどうぞ、中にお入りください!」
「いや、すぐコルディア人を討ちに行く。どこにいるんだ」
「……今からですか?それはちょっと、いかがなものでしょう。コルディア人はここから5キロほど離れた場所に潜伏しておりますが、今から向かっても夜になります。それに……後ろのお二人は疲労で顔色が真っ青だ。今夜は拙宅に泊まり、英気を養ってから明日の朝に討伐されてはいかがですか?」
「む!」
ガーブは後ろの二人を見る。アインツはこれ以上ないほど必死に、むりむりと手を横に振っている。
「……しかたない、明日にするか」
「そうしてください。申し遅れました、私はこの辺りの領主を務めます、ファン・カルロスと申します。ささ、どうぞ中へ。どうぞ、どうぞ」
「世話になる」
そう言ってガーブは、少しの疑いもなく堂々と館の中へ足を踏み入れた。
やがて通された食堂で席に落ち着くと、供された水を3人は一気に飲み干した。領主のカルロスが親しげに話しかけてくる。
「緋色の傭兵団の方、お名前を伺ってもよろしいですかな?」
「俺は団長のガーブ!後ろはアインツとフィーア!」
「おお!団長様自らお出でくださったのですか!これは頼もしい!感謝します、本当に感謝します」
領主はペコペコと頭を下げ、卑屈なほど丁寧に応対する。
「何分、田舎なものですから、粗末な田舎料理しかございませんが、すぐ支度をしますのでこのままお待ちください」
そう言ってカルロスは食堂を出て行く。
「はー、疲れましたー。腹も減ったー」
アインツがぐったりと椅子の背に身を投げ出す。フィーアもテーブルに突っ伏し、動く気力もない。
「ぬ、修行が足りん。お前ら、それくらいでへばるな」
ガーブだけは元気そのものだ。
「明日は朝一で向かい、昼には帰るぞ!」
「はいはい……了解しましたぁ……」
アインツが力なく答える。
そんな会話をしていると、カルロスが男性給仕2人を伴って食堂に戻ってきた。
「お待たせしました!お口に合うか心配ですが、どうぞお召し上がりください!」
料理が盛られた皿が次々とテーブルに並べられる。そして領主は最後に1本の瓶を掲げた。
「こちらは我が家自慢のワインです!ぜひ、勝利の前祝いにお楽しみください!」
「……酒はダメだ。明日に響く」
「は?……そうおっしゃらず。皆さまの健康と、明日の勝利を祈念して乾杯を捧げさせてください!」
そう言って、無理やりワインを杯に注ぐ。
領主は自分の杯にもワインを注ぎ、それを高く掲げて告げた。
「それでは。明日の勝利を願って、乾杯!」
彼は杯を掲げ、飲むふりをする。その瞳の奥で、3人を射抜くように冷酷な光が宿っていた。
ガーブら3人は、疑うことなくワインを飲み干す。
「ではごゆっくりお寛ぎください。私は邪魔でしょうから後でまた参ります」
そう言って領主と給仕は食堂を出て行った。
「あーっ。生き返るー」
アインツがつぶやく。「どれ」と皿の料理を口に入れる。「お!素朴な味だがいける!フィーアも食べろや!」フィーアも口を付ける。「ん、まあまあね」
一日中馬を駆っていた3人は、空腹を満たし、束の間の休息を堪能した。
だが、
暫くして、フィーアの動きが唐突に止まった。
アインツが料理を頬張ろうとして手を止め、声をかける。
「?フィーア?どうした?」
うつろな目をしたフィーアがアインツに向く。手に持っていたフォークがカタンと音を立てて床に落ちる。口元が僅かに動くが、言葉は発せられない。
ぐふっ、とフィーアが激しくせき込む。口から一筋、鮮血が滴った。
そして、彼女は力なく横に倒れた。
ごとりっ。彼女が床に倒れる重い音が、部屋に静寂を突き刺す。
「フィーア!どうした!」
アインツは立ち上がろうとして、バランスを崩し、テーブルに手を突く。眼を大きく見開き、ゆっくりとガーブに首を向け、「だんちょおお……がぶっ」大量の血を吐き出した。
アインツはテーブルに体を打ち付け、そのままずるずると床へ倒れて行った。
ガーブは呆然として二人を見ていたが、やがて「毒!?」とつぶやいた。
彼女は自分の口に指を突っ込み、無理やり食べたものを掃き出した。げっ、げー。
床に膝をつき、必死に胃の中のものを吐き出す。
“常に状況を確認しろ”
脳裏にシンの言葉が浮かぶ。アインツとフィーアを見やる。アインツは痙攣し、フィーアは……動かない。眼は虚空を眺めている。
自分を見る。だるい。体が鉛のように重い。頭は霞がかかっているように意識がはっきりせず、猛烈な発熱に襲われている。
体中の血管が熱い。椅子に立てかけていた大刀を手にして、何とか立ち上がろうとする。
足音が聞こえてくる。食堂の扉が開く。あの男、カルロスと名乗った男が入ってきた。後ろに2人の給仕が従っている。
「……これはこれは。私のお出しした料理は口に合いませんでしたか?」
そう言ってカルロスは、ガーブがすがっている大刀を冷酷に蹴る。大刀はガーブの手を離れて床を滑っていった。ごっ。ガーブは力尽きて倒れる。眼だけを動かし、その男を見上げる。
男がガーブをのぞき込む。
「ほほう、さすが緋色の傭兵団団長、首狩りの女狼殿。他の雑兵に比べて体力があるようですな。普通なら死ぬほどの毒を盛られてまだ息がある」
「……き、さま……ッ」
「まだ口が利けるのですか。さすがだ。あなたの体力は並じゃないと聞きましたがその通りですな。あっさり亡くなるかと思いましたぞ」
「傭兵団に手紙を出した時は誰が来るか分かりませんでしたが、あなたが来てくれた。これでよい土産が出来ました。あの方たちはあなたと会えるのを楽しみにされています」
カルロスが話している間に、給仕に扮していた2人の男がガーブを後ろ手に縛り、足も結わえ、猿轡をかませる。
「おお、用意が整ったようです。では参りましょう。あなたの来訪をお待ちしている方々の元へ」
にたり。そう笑って男は踵を返す。
ガーブは男たちに担がれて運ばれる。とろりとした意識の中で、ガーブは必死に頭を働かせようとしたが、そこでついに意識を失った。
*
ハンスの指示を受けた特務隊の4人は、潰れる勢いで馬を走らせていた。
どどどどどどどど――街道から外れて狭い道を走る。道は平坦ではなく、障害物も多い。それでも4人は速度を緩めることもなく駆ける。
「なあ、シンさんは何故あんなに怒っていたんだ?」
「なあ、どう思う?」
「しゃべるな、舌を噛むぞ」
「そんな間抜けな真似しねえよ。それよりどう思う?ハンスさんも焦っていたし」
「……分からねぇ。なんでも勝手に依頼受けちまったらしいんだが、それがどうもヤバイらしい」
「ヤバイ?でもよう、ガーブ団長なら多少のことなら問題ないと思うんだけど。ハンスさんが焦るくらいだからよっぽどヤバいのかな?」
「……もう、しゃべるな。目的の村に近づいてきた、速度を緩めるぞ。みんな、気ぃ抜くな!」
4人は村の入り口で馬を降りて、1人が中に進んでゆく。あとの3人は馬を落ち着かせて、少し遅れて歩く。
「なあ、そこの人、昨日剣を持って馬に乗った3人組、村に来なかったか?」
男は家の前で薪割りをしていた村人に声をかけた。村人は声に驚いて手を止め、男を見やった。
「3人組?……ああ、確かに来たな」
「今どこにいる、教えてくれ!」
胸ぐらをつかみかけんばかりの勢いで迫る男にのけぞりながら答える。
「どこって、あそこの空き家に入っていったよ」
「空き家に入った?」
「ああ、それっきり姿を見てねえ」
男はその空き家に目をやる。
「ありがとよ」
男は村人から離れて空き家に向かう。後の3人もそれに続く。
特務隊の男は入り口の扉の前に着き、中の様子を探った。音はしない。人の気配も感じない。後から来た3人に手で合図を出す。1人が扉に手をかけ、少し開けてするりと中に入る。「――」中から声がかかると、残りの内2人が入っていく。1人は扉の前で周囲を見張る。
暫くすると、その家の中から悲痛な声が聞こえてきた。
「……!!……ッ!!!」
1人が飛び出してきた。最初の男だった。彼は走って先ほど話をした村人の襟を、今度は本当に掴み上げた。
「おい!!ここにいた奴らはどこに行った!!」
「し、知らねええ!!」
「嘘をつくな!!言え!!!」
「ほ、本当だ!!数日前から何人か空き家に出入りしているのは知っていたが、俺たちと話もしねえ!近寄るのも許さねえ!!」
特務隊の男は黙って聞いている。ぎりっとさらに襟を絞り上げる。
「やめてくれ!ほんとうだあ!」
周囲の村人たちが何事かと家々から出てきた。他の男たちが村人たちに声をかけるが、その“空き家”に居た男たちについて知っている者はいなかった。
空き家の中に入らなかった男が仲間に声をかける。
「なあ!何があった!中はどうなっている!」
「……死んでる」
「は?誰が?」
「……アインツさんとフィーアさんが。ガーブさんの姿はなかった」
「!!!おい!なんだそれは!……っ、大事じゃねえか!!」
男は空き家の中に入り、すぐに戻ってきた。
「毒だ!毒を盛りやがった!!ガーブさんも毒にやられたようだ。引きずった跡がある。ガーブさんは連れ去られた!」
「どこに連れて行かれた!」
「分かるか!!とにかく、ハンスさん……シンさんに急ぎ知らせなければ!」
「おい!おまえ!おめえが一番速く駆けられる!すぐに知らせに帰れ!!替え馬も連れてけ!行け!」
一人が村の入り口に向かい、馬に飛び乗り走り去る。
「俺は跡を見つけて追いかける!お前はアインツさん、フィーアさんをみてろ!お前は村人から詳しい話を聞け!」
3人は散らばって、血塗られた手がかりを追い始めた。




