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『緋色の傭兵団の物語』「西方動乱編」  作者: 嵗(sai)
第十八部:沈黙の山脈、開かれた災厄

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第8章:影からの解答

「こんばんわ〜、お久しぶりですぅ。シンさんが直々に名付けてくださった、この『なな』、呼び出しに応じて参上いたしましたぁ〜」


パタパタと手を振りながら、漆は緊張感という言葉を母親の腹の中に忘れてきたかのような調子で挨拶をしてきた。


「漆、相変わらずだな」


「おかげさまでぇ〜」


漆は猫のようにきょろきょろとテント内を見回し、「あれぇ?私の天敵のハンス君はぁ?」と首を傾げた。


「天敵はお前だろうが。ハンスはちょっとした野暮用で出かけている」


「そう、ざぁんねん。でぇ〜、わざわざ私を呼び出されたのは何故なんでぇ〜?」


「……分かっていて聞いてるだろ。まず、ダンクの件では世話になった。礼を言う」


「どぅいたしましてぇ〜」


「それで、今回お前を呼んだ理由だが……。とその前に、お前がフランク王国にいるなら、この印を見てからここに到着するまでにもう少し時間がかかると思っていたんだがな?」


シンが尋ねると、漆は不敵な笑みを浮かべ、人差し指を唇に当てた。


「それはぁ〜、シンさんがこの大陸のぉ『台風の目』だからですよぉ〜」


「台風の目?」


「あ、こちらの大陸ではぁ、その言い回しは伝わらないのでしたねぇ。すべての『歴史の変革』の中心に~、いつもシンさんがいるんですぅ。だから、私たちは最初からシンさんの近くで、ずーっと見てることにしたんですよぉ〜」


「なるほどな。裏を返せば、今回のヒスパニアの一件も、最初からすべて把握しているってわけか」


「はいな〜。大体、みぃ〜んな把握してます~」


シンは無言で、懐から金貨を三枚、いや、さらに追加して計六枚の純金貨をテーブルの上に静かに並べた。鈍い黄金の輝きが、漆の目を一瞬だけ細めさせる。


「金貨六枚だ。これで何が買える?」


漆は嬉しそうに微笑み、その細い指先で金貨を一枚、愛おしそうに撫でた。


「分かりましたぁ〜。では、商談成立ということでぇ。

(キリッ)……事の起こりは、十五年前のアギラドス公爵家暗殺事件です。これを起点にして、ヒスパニアの歴史は過去へも現在へも、何者かによって『誤った論理』として綺麗に塗り替えられました」


「そこまでは俺たちも自力で辿り着いた。俺が知りたいのは、――『なぜ、誰が』それを行ったかだ」


「うふふぅ〜、悩んでますねぇ〜。でも、シンさんなら本当はもう気付いているはずですよぉ?」


「それが判らねぇから、わざわざお前を呼んだんだよ」


「そうですかぁ〜、光栄ですぅ」


「で、誰が、何のためにやった」


漆は金貨をもう一枚、そっと手元に引き寄せた。


「十五年前のヒスパニアの盤面を思い出してください。アギラドス家の役割、そして……『どことどこが』一番激しく血を流して争っていたかを」


シンの脳裏に、電撃のような閃光が走った。


「……!そういう、ことか……!」


「はいな〜。そういうことになりますぅ」


漆は楽しげに小首を傾げるが、シンの直感はその声音の裏にある微かな違和感を逃さなかった。


「……待て。妙に含みのある言い方だな。まだ裏があるのか?」


「あると言えばぁ〜、あるかもですぅ」


「出し惜しみするな。教えてくれ」


シンが促すと、漆はさらに三枚目の金貨を手中に収め、その表情から僅かにふざけた色を消した。


「コルディア首長国は、この二十年間、大内海の南側における覇権争いで深刻な劣勢を強いられていました。同じ教えを信じる隣国との間で、内陸部の貴重なオアシスを巡る血生臭い争いが起きていたのです。それが、やがて教義の解釈の違いによる、泥沼の『宗教戦争』へと発展しました。聖遺物は聖杯か聖槍か、といった、外部の人間から見れば些細な諍いですが、当事者にとっては命懸けです」


「神聖十字教と人智十字教の宗派対立のようなものか」


「はい。コルディア首長国は大内海沿岸という豊かな貿易拠点を持つゆえに裕福でしたが、水も食料も乏しい隣国にとっては、オアシス一つが生死に直結します。ゆえに、隣国は死に物狂いで攻めてきた。裕福なコルディアの土地は、彼らにとって喉から手が出るほど欲しい『祝福の地』だったのでしょう。

結果、コルディア本国は完全に劣勢に立たされ、前線への兵力の増強が急務となりました。そこで本国は、マナ・ラルタル海峡を挟んだヒスパニアの地に派遣していた精鋭兵力を、すべて本国へ引き上げるという決定を下したのです。……そこで最も困窮したのが、ヒスパニアの最前線を任されていた、コルディアのイシュビリア・デ・アルナハル総督でした」


漆の語る歴史の真実に、オットーも息を呑んで聞き入っている。


「アギラドス家騎士団による猛攻は、日に日に激しさを増していく。だが、本国からの援軍はなく、手元の兵力は撤退していく。絶望的な状況の中で総督が選択したのが、かつて――『緋色の傭兵団』が得意とし、大陸の戦術を一変させた凶悪な戦法でした」


「『首狩り』か……」


シンの声が低く響く。


「その通りです。総勢五十名からなる、コルディアの最精鋭暗殺部隊が、密かにアギラドス家の屋敷へと放たれました。彼らの本来の標的は、軍の頭脳であるアギラドス当主ただ一人。……ですが、運悪くその日は、屋敷に家族全員が揃っていました。その後の惨劇は、もうご存知の通りです」


アギラドスを襲ったのは、王家の刺客ではなく、追い詰められたコルディア人の絶望の一手だったのだ。


シンは漆をじっと見据えた。


「……まるで、その場で見てきたかのように話すな。一体どうやってそこまで調べ上げた?」


「それはぁ〜、乙女の秘密ぅ〜?」


漆がウィンク混じりに茶化す。


ぶちっ、とシンの頭の中で何かが切れる音がした。シンは無言で、テーブルにまだ残っている残りの金貨に手を伸ばし、回収しようとした。


がしっ!


その手を、漆が驚異的な速度で掴み取った。漆はシンの目をウルウルと見つめ、『取り上げないでぇ〜!』と無言の強烈なアピールを寄せてくる。


「……真面目にやれ」


「真面目にやってますぅ〜」


シンが手を引くと、漆はコホンと一つ咳払いをして、居住まいを正した。


「我が『Z』がこの大陸の影に根を下ろしてから、すでに長い時間が流れています。西方、大内海沿岸、北方、ブリタニア、中央アゼリア、モーランデス、……それぞれの国家の『血液の流れ』を私たちは常に観察してきました。ヒスパニアで起きたあの事件についても、当時の暗殺部隊の生き残りの末路を含め、かなり詳細な記録を保持しているのです」


「分かった。話を戻す。つまり、アギラドス家を滅ぼしたのは、完全にコルディア人の仕業だった、ということで確定だな?」


「はい。……事実としては、そうなります。ですが――そこに『疑惑』が残るのです。アギラドス家急襲というあの無謀な作戦を、あの慎重派…臆病者で知られたイシュビリア総督が、本当に『自分一人の頭』で思いついたのかどうか」


シンの目がギラリと光った。


「……裏で総督の背中を押した、黒幕パペットマスターがいると?」


「確定的な証拠はありません。ですが、私たちの見立ては違います。元々、総督には本国からの厳格な帰還命令が出ており、彼自身も直前までヒスパニアを放棄して本国へ帰る準備を進めていました。しかし、ある日を境に、彼の行動は一転します。本国命令を事実上無視し、全戦力をアギラドス暗殺という博打に投入したのです」


「その心変わりの原因は?」


「記録によれば、その決断を下す前夜、総督の私室で、彼が『謎の人物』と深夜まで密談を交わしていたという複数の証言があります。ですが、その人物が誰であり、何を話したのかを知る者は誰もいません。総督は事件の後、本国に強制送還され、命令違反の罪で即座に処刑されました。彼から直接情報を引き出す術は、もうありません」


シンは深く息を吐き出し、椅子の背にもたれかかった。


「……本当に、あんたら組織の情報網は、とんでもねぇな」


「いえいえ〜、それほどでもぉ〜」


漆は再び元の軽い調子に戻り、テーブルに残った金貨を素早く懐へと収めた。だが、最後の二枚だけを器用にシンの前に押し戻した。


「ありがとうですぅ。でも、この二枚は持って帰ってくださいな〜」


「ん? 今の情報に対する対価だ。受け取ってくれ」


漆が真顔になる。「それはできません。私たち『Z』は、提供した情報に見合うだけの正当な対価しか受け取りません。余分な欲は、命を縮めますからねぇ〜」


漆は綺麗な一礼をした。


「それではぁ〜、またのご用命をぉ〜」


そう言い残すと、漆は滑るような動作でテントの幕の向こうへと消えていた。シンが慌ててテントの外へ出た時には、すでに漆の気配は森の闇の中に完全に消失していた。


テントに戻ったシンは、資料で溢れかえるテーブルの前に座り、漆の残していった言葉のパズルを頭の中で組み立て直した。


確かに、当時の利害関係を冷徹に分析すれば、アギラドス家を最も消し去りたかったのはレオン家ではなく、最前線で破滅の危機に瀕していたコルディア人だ。動機としては完璧に筋が通る。


当時の状況が、シンの頭の中で鮮明な絵図となっていく。


アギラドス先代当主の容赦ない攻勢により、コルディアの総督たちは追い詰められていた。そこへ本国からの撤退命令。絶望したイシュビリア総督の元へ、夜陰に紛れて訪れた『誰か』が、甘い毒を囁いた。――『アギラドスの首さえ取れば、戦況は覆る。本国も撤退を撤回するだろう』と。


唆された総督は暗殺部隊を放ち、アギラドス家は崩壊した。だが暗殺部隊も全滅し、総督自身も本国の逆鱗に触れて処刑された。


アギラドス家当主が消えたことで、ヒスパニアの南方奪還は一時的に停滞。そして、真実を知り得ないヒスパニア国内では、事件の背景に『二百年の因責』という最もらしい嘘が一人歩きを始めた。


先王はその嘘(復讐の幻影)に怯えて発狂し、身の危険を感じた現国王アルフォンソは実父を刺殺した。そして今、現国王と三大貴族は、その嘘の延長線上で、戻ってきたシンシオ(シン)をどう排除し、宙に浮いた南方の利権をどう山分けするかで躍起になっていた。


そして今日、シンが王城で聞かされた話は、その『嘘』で完璧にコーティングされた、限りなく事実に近い、誰もが納得してしまう極上の物語だった。国王アルフォンソも、宰修グスマンも、三大貴族も、全員がその心地よい物語に酔いしれ、己の都合の良いように解釈して未来へ歩もうとしている。


(もし……、俺が今掴んだこの『真実』を世にぶちちまけたら、この国はどうなる?)


シンは漆の言葉を反芻した。


『十五年前の状況、アギラドス家の役割、どことどこが争っていたか』


視座、視野、視点。これらが違えば、見えてくる世界はまったく異なる。


アルフォンソ国王、グスマン宰相、メンドーサ侯爵、サントス子爵、アルバ伯爵、そしてヴィアナ騎士団長。誰もが、それぞれの立場で「自分が見たい都合の良い現実」だけを見ている。


ここに、俺が『他国の介入による完全なる謀略』という最悪の爆弾を投げ込んだ場合、ヒスパニア王国を襲う衝撃は、生半可なものでは済まないだろう。



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