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『緋色の傭兵団の物語』「西方動乱編」  作者: 嵗(sai)
第十八部:沈黙の山脈、開かれた災厄

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第6章:王の嘘、王の真実

グスマン宰相は、机の上に広げられた古びた大陸図に指を滑らせながら、静かに語り出した。その声は低く、重く、書斎の空気をじわじわと侵食していく。


「――シンシオ殿。いや、あえて『シン』と呼ばせてもらおうか。ここ数年、西方諸国を揺るがしている激動の大渦を、貴殿も知らぬわけではあるまい」


宰相の目が、鋭くシンを射抜く。


「ゲルマニア公国は、若き天才アレク大公の手によって一極へと統一された。ブリタニア四国連合王権国は、イライザ女王という強烈な楔によって、長年の内紛に終止符を打ち、一つにまとまった。そして我が国とピレル山脈を挟んで隣り合うフランク王国においては、神聖ロマヌス帝国の苛烈極まる侵攻を瀬戸際で食い止めた『オルレアン伯爵』が、いまや王権を脅かすほどの驚異的な台頭を見せている……」


グスマンは一度言葉を切り、組んだ両手に顎を乗せた。


「――そして、この三個国の歴史的転換点のすべてに、ある影が深く関わっている。大陸の戦場を裏から操るかのように蠢く、たった一つの傭兵団。……その名を『緋色の傭兵団』という」


その名が放たれた瞬間、シンの隣でガーブの肩がわずかに跳ねた。ガーブの右手が、無意識に腰のあたりを探る。だが、この王城に入る前に、彼らの武器――ガーブの大刀もシンの宝剣も――はすべて取り上げられていた。


ここはヒスパニア王国の政治の中枢。グスマン宰相が他国の動向、ひいては自分たちの足跡まで徹底的に調べているのは当然のことだ。だが、この老獪な政治家は、一体どんな意図を持ってこの事実を突きつけてきているのか。シンは表情を崩さず、先を促した。


「西方諸国が、新たな『個の英知と組織』の時代へ変わりつつあることは理解できた。だがな、シン。我がヒスパニア王国だけは、他国と同じように変わることができない致命的な『呪い』を抱えていたのだ」


グスマンは自嘲気味に笑い、椅子の背にもたれかかった。


「知っての通り、ヒスパニアは四百年前、南方から攻め寄せたコルディア首長国によって国土の大部分を占領された。当時の南方領主たちはことごとく首を刎ねられ、その中には前王朝の国王すら含まれていた。我が国は、一度完全に滅んだのだ。その地獄の最中、国の中央から東に位置する領地を持っていたレオン家の祖先が“国土回復運動レコンキスタ”を唱えた。北のメンドーサ、東のサントス、西のアルバ……散り散りになっていた貴族の力を結集し、コルディア人を少しずつ押し返してきたのだ。その偉大な功績により、彼は王国を再編し、新たな王家を樹立した。それが、現在のレオン朝ヒスパニア王国だ」


そこまでは、ヒスパニアに生きる者、あるいは歴史をかじる者なら誰もが知る表の歴史だった。しかし、グスマンの口調はここからさらに暗いトーンへと落ちていく。


「だが、二百年ほど前、その国土回復運動は突如として停滞した。原因は外ではなく内だ。王室内で、凄惨な王位継承権争いが起きた。王子兄弟の諍いというより、彼らを担ぐ貴族どもが、どちらを神輿に据えて利権を貪るかで血を流し合ったのだ。この不毛な泥仕合を厭うた弟王子は、自ら継承権を放棄した。そして、停滞した国土回復運動を我が手で盛り返すと宣言し、未だコルディア人の支配下にある危険極まる南方地域へと、わずかな手勢を率いて赴いて行った」


グスマンはふっと息を漏らす。


「これが、アギラドス公爵家の誕生の起こり――公式記録にはそう記されている」


「……だが、実態は違った、というわけだな」

シンが冷ややかに言葉を挟む。


「その通りだ」


グスマンは頷いた。「王家にのみ伝わる秘匿手記には、まったく別の醜悪な事実が記されている。兄王子が王位を強奪し、目障りな弟を合法的に抹殺するために南方に追放したのだ。弟王子は、王家にとって最悪の呪詛を吐いて王都を去った。――『いつか必ず、この血をもって王位を奪い返しにくる』とな。兄王は、臣籍降下させられアギラドスとなった王弟など、南方の過酷な戦場ですぐに野垂れ死ぬと考えていた」


だからこそ、兄王は去り際の弟に冷酷な言葉を投げかけたという。


『――コルディア人から南方を取り返すという、不可能な偉業を成せるものなら成してみせよ。その時こそ、貴様は余よりよほど王に相応しかろう』


「王家以外の三貴族、メンドーサ、サントス、アルバもまた、勝ち馬である兄王に媚び、アギラドス家を見捨てた。だが……アギラドスは生きながらえたのだ。そればかりか、彼らは戦場を血で染めながら、驚異的な執念で生き残り、力を蓄え続けた」


グスマンの言葉に、シンの脳裏に南方の荒涼とした大地が浮かぶ。


「そして十数年前。アギラドス家は南方地域からほとんどのコルディア人を排除し、完全なる国土回復まであと一歩というところまで達した。その瞬間、レオン王家は恐怖に戦慄したのだ。二百年前の、あの呪いの言葉が、現実の牙となって自らの喉元に突きつけられるのではないか、と」



「だから、余の父――先王は、アギラドスの暗殺を命じたのだ」


重厚な扉が開く音と共に、背後から低く傲然とした声が響いた。


振り返ると、そこには現国王、アルフォンソ・ド・レオンが立っていた。グスマン宰相は無言で席を立ち、国王に席を譲る。アルフォンソはその椅子にどかりと腰を下ろし、冷徹な目でシンを見据えた。


「ここからは、余が話そう」


アルフォンソ国王は、自身の記憶をなぞるように、冷たい口調で語り継いだ。


「十五年前、アギラドス家当主から王城に一通の書状が届いた。そこにはこう書かれていた。――『南方地域はほぼ平定した。二百年前の約束を違えぬよう、忘れぬなかれ』とな。アギラドスは、兄王の嘲笑を、二百年もの間、一言一句忘れていなかったのだ。先王は恐怖のあまり取り乱した。何より、アギラドスの南方の治め方が、あまりにも苛烈を極めていたからだ」


国王の目がわずかに細められる。


「アギラドスの先代当主は、南方のコルディア人を徹底的に殲滅した。兵士だけではない。町を焼き、女子供、老人、果てはコルディア人と血を交えたヒスパニア人の住民までもをな。二百年にわたり、泥と血の中で蓄積された王家への怨嗟が、コルディア人への残虐行為として爆発したのだろう。先代当主はさらに、他の三貴族にも使いを出し、『祖先の借りを返しに行く』と触れて回った。驚愕した三貴族は慌てて王城に駆け込み、先王に泣きついた。『アギラドスから守ってくれ』とな」


アルフォンソは自嘲的に唇を歪めた。


「先王は恐れおののいた。アギラドスの刃が、次はレオン家に向けられるのは明白だったからだ。そして、最悪の決断を下した。アギラドス家の屋敷を襲撃させたのだ。『これはヒスパニア王国を守るための、不可避の防衛策である』と、己に言い聞かせながらな」


国王は一度言葉を切り、深い吐息をついた。


「以上が、あの惨劇の顛末だ。だが、先代当主の一子が生き延びたという報せを聞き、先王の精神は完全に崩壊した。復讐の影に怯え、あらゆる手段を使ってその生き残りを探そうとしたが、霧を掴むように見つからない。やがて先王は現実から逃避するように酒に溺れ、暴力に走り、狂っていった。国家の政務など顧みず、ただ蛮行を繰り返すだけの怪物にな」


アルフォンソの視線が、一瞬グスマンへと向く。


「そこにいるグスマンも、命を賭して先王を幾度も諫めた。だが、狂王は聞く耳を持たず、逆にグスマンを剣で切り裂いたのだ。九死に一生を得たが、グスマンの腹には、今もその時の凄惨な傷痕が残っている」


グスマンは静かに目を伏せ、何も語らない。


「狂王の暴力は、やがて余たち家族にも及んだ。余も何度も打ち据えられた。……このままでは、己が殺される前に国が滅ぶ。そう確信した五年前、余は先王をしいした。この手で、実の父の首を刎ねたのだ」


アルフォンソは自身の両手を見つめ、それからふん、と鼻で笑った。


(なるほどな……。要するに、二百年にわたる醜悪な兄弟喧嘩の果てというわけか)


シンは冷徹に状況を分析していた。コルディアから国土を取り戻すという大義名分の裏で、王家と公爵家は互いの呪いと恐怖に縛られ合っていたのだ。


シンは隣のヴィアナに目をやった。彼は微動だにせず、国王の告白を黙って聞いていた。何度か反論しようと口を開かけ、しかしその都度、言葉を飲み込んでいる。彼にとって敬愛すべき存在だったアギラドス家が、過酷な虐殺者であり、王家を脅かす呪いであったという事実――それを信じたくないのだろう。その引き裂かれるような胸中は、シンにも痛いほど理解できた。


アルフォンソ国王の話は、まだ終わっていなかった。


「ここからは、余とお前の話だ、シン。アギラドスの忘れ形見が、生きてこの地に舞い戻ったという報せは、比較的早く余の耳に届いた。同時に、その一子が大陸で名を馳せる『緋色の傭兵団』の副団長であることもな。余は即座にゲルマンに命じ、お前の人となり、そして傭兵団の足跡を徹底的に調べさせた。他国へも密偵を放ち、お前という人間を理解しようと努めた」


国王の目が、品定めするような鋭さを帯びる。


「お前は“天秤”だ。冷徹なことわりを持って利を制し、確固たる義を持って徳を為す。決して感情に任せて復讐を叫ぶ狂人ではない。そう理解したからこそ、余はお前と腹を割って話し合いたいと願っていた。

……だが、国内の状況がそれを阻んだ。ゲルマン、メンドーサ、サントス、アルバの諸公が、余の元に押し寄せ、お前の存在を訴えたのだ。『身分があやふやな者にアギラドスを名乗らせるな』『南方の領地を与えるな』『ヒスパニア国内で力を付けさせるな』とな」


アルフォンソは身を乗り出し、シンの目を覗き込む。


「アギラドスの血を引くお前は、彼らにとって、そしてこの国にとって、いつ暴発するか分からぬ爆弾だ。それゆえ、余はお前たちをこの王城へ招聘したのだ。お前が余に対して、レオン家に対してどう接するか、その出方を見極めるためにな。そして、結果は……」


アルフォンソ国王は一拍の間を置き、深く息を吐き出すと、信じられない行動に出た。

玉座に座る王が、一介の傭兵であるシンの前に、深く頭を下げたのだ。


「思った以上だったよ。感謝する、シン」


シンは眉をわずかに動かした。


「お前はアギラドス家当主の座を拝命した直後、それをすべて返上し、南方の統治権も利権も綺麗さっぱり手放した。お前が復讐のカードをすべて余の元に置いて去ったおかげで、余はついに、三貴族の圧力を排してヒスパニアを真に立て直す大義名分を得たのだ」


王は顔を上げ、満足げに微笑む。


「南方の再開拓は、既にお前の発案によって村々の立て直しが始まっている。コルディア人の勢力は『シウダ・デ・マナ・ラルタル』の街だけに封じ込め、賠償に代わる不可侵条約を交わした。……完璧だ。後は、余ら王家に任せてもらおう」


すべてを語り終えたアルフォンソは、己の勝利を確信したように深く目を瞑り、口を閉じた。


張り詰めた沈黙が書斎を支配する。その静寂を切り裂いたのは、シンの冷徹極まる低い嘲笑だった。


「……ずいぶんと、ずいぶんと都合の良い方向に話を組み立てるもんだな、あんたは」


シンは、玉座の国王に向かって容赦のない言葉を言い放った。


「アギラドス家がレオン家に恨みを抱いていた、そこまでは事実だろうさ。十五年前の襲撃でアギラドス家が崩壊したのも紛れもない事実だ。だがな、――『何故、何が引き金になって事件が起きたのか』、その核心は未だ闇の中だ。あんたがいま滔々と語った美談は、あんたにとって、そしてレオン家にとって最も都合の良い筋書きだ。悪いが、そんなお伽話をそのまま信じるわけにはいかねぇな」


アルフォンソの目が不穏に細められる。


「余の語った言葉が、嘘だとでも言うつもりか?」


「真実だと証明できるものが、ここには何一つねぇと言っているのさ」


「……若輩者は、先人の遺した言葉と歴史に従うべきだと思うが?」


国王の声に、明確な威圧感が混じる。


「嘘八百を並べているとは言わねぇよ。だが、真実のピースがいくつも足りねぇ。だから、俺は俺のやり方で、あの事件の本当の真相を暴かせてもらう。それだけだ」


アルフォンソの表情が、一瞬にして凍りついた。だが、次の瞬間、王の顔は奇妙に変形し、狂ったような笑い声が書斎に響き渡った。


「はっはっはっ!ははははは!――そう、その通りだ!今言ったことは、すべて余の都合で作った作り話だよ」


アルフォンソは笑いを収め、蛇のような目でシンを睨み据えた。


「と、言えば満足か?若造」


シンは一歩も引かず、その目を真っ向から見返した。


「やっぱりな、と冷や汗を流してやれば満足か?おっさん」


「お、お前……!王に向かっておっさんとは非礼極まるぞ!」


グスマン宰相が顔を真っ赤にし、目を剥いて怒鳴った。


「まあ、俺にとってはどうでもいいことだ」


シンは興味を失ったように背を向け、立ち上がった。それに合わせ、ガーブも音もなく腰を浮かせる。


「そうだ。あんた、これが欲しいんだろ?」


シンは胸元に手を入れ、一枚の古びた硬貨を取り出した。それは、かつて神々が去った後の時代に鋳造された、古代ロマヌス帝国の希少なコインだった。


アルフォンソの目が、そのコインに吸い寄せられるように見開かれる。呼吸がわずかに荒くなる。


「ああ。欲しいな……。喉から手が出るほどに」


「そうか。やっぱりこれが、『ヒスパニア王家の正統なる継承の証』だったわけだ」


ヒスパニア国王アルフォンソは、何も答えず、ただ無言でシンを見上げた。その瞳には、隠しきれない執着と警戒が渦巻いている。


「ただではやらねぇぞ。これに見合うだけの価値あるものを、いつか特大の利子を付けていただきに上がる。それまで預かっておいてやるよ」


シンはコインを再び懐に収めると、出口に向かって歩き出した。


「見送りは結構だ。出口くらいは覚えている」


背後から、アルフォンソの低く不気味な声が追いかけてきた。


「――また、会おうぞ。アギラドスの最高傑作よ」


シンは振り返ることもせず、その声を完全に無視して、重厚な扉を押し開けた。


二人が出て行った書斎で、国王アルフォンソは、狂気とも歓喜ともつかぬ歪んだ笑みを浮かべ、いつまでも笑い続けていた。



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