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『緋色の傭兵団の物語』「西方動乱編」  作者: 嵗(sai)
第十八部:沈黙の山脈、開かれた災厄

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第5章:反吐の出る社交、そして真の仲間

「だから、全部返すぜ。南部地域の利権も、公爵家の名前もな。そんなもん、俺には必要ねえ」


静まり返った謁見の間に、俺の冷徹な言葉だけが硬く響き渡っていた。あまりの衝撃に、誰も声を出すことすらできない。


「後はあんたらの好きにすればいい」俺は周囲の硬直した貴族どもを顎で指した。「そこにいる物欲しそうな貴族どもに切り売りしてもいいし、山分けにしてもいい。……何なら、一番領地が少なくて困ってる、あんたの直轄領にすればいい。諸侯の揉め事が嫌なら、王の権力で好きに差配しな。欲しいんだろ?王家の威信を支える、確固たる『財政基盤』がさ」


その言葉が、ようやく宰相グスマンの脳に届いたらしい。奴は顔にドス黒い血を上らせ、狂ったように怒鳴り散らした。


「貴様ッ!!何たる不敬!何たる口の利きようか!……ヒスパニアの命運を握る南部地域を、まるで子供の玩具のように投げ出すとは!あの地が持つ戦略的・経済的重要性を理解しているのか!アギラドス公爵家の地位を何と心得るッ!!」


グスマンが青筋を立てて激高する姿を、隣のガーブが冷え切った目で見つめ、ポツリと呟いた。

「たかだか、ヒスパニアっていうちっぽけな国の中の、貴族の内輪揉めでしょ?くだらな」


「貴様らッ!!」

グスマンが激しい衝撃に口をパクパクと金魚のように開閉させる。


ガーブがさらに余計な毒を吐く前に、俺が言葉を遮って引き取った。


「一つの狭い国の中で、貴族どもがちっぽけな領地を巡って醜く足を引っ張り合っている。あんたらには、それが世界のすべてであり、さぞ重大な死活問題なんだろうさ。だがな……もう少し、国の外に目を向けたらどうだ?」


俺は冷徹な視線で、居並ぶ大貴族どもを威圧した。


「フランク王国、ゲルマニア公国、そしてブリタニア四国連合王権国。特に、ゲルマニアの軍事改革と、ブリタニアの工学技術の進化は、これから世界を大きく変える。うかうか内輪揉めに現を抜かしていりゃあ、ヒスパニアなんて国は、一瞬で時代の潮流に飲み込まれて消え失せるぜ?」


「……貴様は、外の世界から来た男だったな」

玉座の上から、国王アルフォンソが低く呟いた。


「ああ」俺は頷く。「国土回復運動。その最後の泥臭い後始末は、俺たち傭兵が締めてやった。後は、あんたら特権階級の連中で、この国をどうしていくか……精々、その腐りかけた頭でよく考えるんだな」


「くっ……」

沈黙の後、壇上から奇妙な声が聞こえてきた。


「くっ……くっ、くっ、ははははは!」


見上げれば、国王アルフォンソが、玉座の上でのけ反るようにして狂ったように笑っていた。

「これが『傭兵』という生き物か。面白い、実に面白いな」


王はひとしきり笑うと、一瞬でその瞳から笑いを消し、立ち上がった。


「グスマン、もう良い。これ以上の問答は無益だ」


アルフォンソ王はそれだけ言うと、俺たちに二度と視線をくれることなく、謁見の間の奥へと足早に去っていった。

俺たちを除くすべての貴族が、慌ててその場に平伏し、王の後姿を見送った。


王の気配が完全に消え去り、謁見の間が解散の空気に包まれると、宰相グスマンが怒りに肩を震わせながら、俺たちの前に足音を荒げてやってきた。


「……貴様。精々、これからの身の上に気をつけることだな」


捨て台詞を残し、グスマンは踵を返した。俺が怪訝な顔をしていると、奴は振り返り、「そんな顔をするか。意外と年相応のガキだな。まあ良い、着いて参れ。貴様らの待機部屋へ案内する」と忌々しげに促した。


俺たち四人が歩き出そうとしたその時、背後から重厚な声が掛かった。


「待て。……少し、話をしたい」


声をかけてきたのは、先ほど真っ向から俺の復権に反対した、東部の大貴族アントニオ・デ・アルバ伯爵だった。

俺たちは足を止める。


「あんたがアルバ伯爵か。何か用か?領地なら、さっき王様に全部差し上げたところだが」


「お主……シンとか言ったな」アルバ伯爵は険しい顔で俺を凝視した。「お主、本当に南部地域の莫大な利権、公爵位という至高の栄誉が、惜しくはないのか?」


「……自分の手で勝ち取ったわけでもない看板をありがたがる趣味は、俺にはないんでね」


アルバ伯爵は意外そうに眉をひそめ、それから深く溜息をついた。


「皮肉を言いよる。……いや、だが、お主の言う通りだ。実を言えば、儂らとて、望んで南部を欲しているわけではないのだ」


気づけば、彼の後ろには、北部の大領主アルバロ・デ・メンドーサ侯爵と、西部のロドリゴ・デ・サントス子爵も静かに佇んでいた。

「市井で、儂らがどのように言われているか、聞いておろう?」


「ああ、大体な」俺は肩をすくめた。「四大貴族が南部の権益を欲しがり、アギラドス家の復権を邪魔して、先代を暗殺した……とかいう、ありきたりな噂話だろ」


「……それを、事実だと思うておるか?」

「さあな。だが、火のないところに煙は立たない、とも言うだろ?」


「人の家の軒先で、勝手に火を焚きつけて煙を喜んでおる黒幕がおる、ということよ」

アルバ伯爵のその言葉に、俺の思考が急速に回転する。


「……それが、レオン家《王室》だと?」


「さてな。()()()()、そこまでは分からんよ」


そう言ったアルバ伯爵の表情は、極めて真剣だった。後ろの二人の大領主も、同様に重々しく頷いている。


「おっと、宰相殿を待たせてもいかんな。シン殿……あえて、シン殿と呼ばせてもらおう。王都にいる間、一度儂の屋敷へ来ぬか。美味い酒で歓待しよう。ではな」


アルバ伯爵はそれだけ言い残し、優雅に去っていった。メンドーサ侯爵もそれに続く。


だが、最後に残ったサントス子爵だけは、去り際に俺たちをねめ回すような、蛇のような陰湿な視線を向け、俺がその視線に気づいた瞬間、フイと目を逸らして足早に立ち去った。


(……サントス子爵、あいつの視線だけは、アルバやメンドーサとは明らかに異質だな。覚えておこう)


俺たち四人は、先を行くグスマン宰相の後を追い、再び薄暗い回廊を歩いていた。

俺は少し歩調を緩め、隣のヴィアナさんに話しかけた。


「ヴィアナさん、すまない。せっかく念願の男爵に昇爵したっていうのに、肝心のアギラドス家を、俺の独断で潰しちまって」


ヴィアナさんはフッと優しく微笑み、手に持った授爵の書状を見つめた。


「いえ……事前に貴方の『企み』と意思を聞いておりましたから。それほど残念には思っていませんよ」


「これで、アギラドス家騎士団とは名乗れなくなったな。……今後は『ヴィアナ騎士団』とでも名乗ったらどうだ?」


「団名、ですか……」ヴィアナさんは少し寂しげに目を伏せた。「我々は元々、アギラドス家の家臣。南方地域平定のために集められ、カバジェーロ(騎士)に叙せられた者の集まりです。お抱え騎士が他家に奉公することは滅多にありませんが、南部を熟知している我々は、引き続き騎士団の『機能』として存続させられるでしょう。……いや、むしろ増員されるかもしれませんね。まあ、私の手を離れるでしょうが」


ヴィアナさんは、冷徹に宮廷の先を見通していた。

「……男爵位を賜ったことで、私は確実に現在の騎士団の指揮権から切り離されます。おそらく、アギラドス騎士団は解体され、近衛や他地域から選抜されたレオン家に忠実な騎士たちが加入し、新たな『南方統括騎士団』として再編されるでしょう。アギラドス家に忠誠を誓う古参の者は除隊させられ、王室の直轄軍として立て直されるはずです」


ヴィアナさんは寂しげに言った。俺が何かを言おうとする前に、彼は誇らしげに胸を張った。

「ですがシン殿、気になさるな。アギラドス騎士団は、その歴史的使命を完全に全うしたのです。アギラドス家最後の当主、シンシオ・デ・アギラドス様の御前で、南部の平定を完遂できた。それだけで、我らの忠義は報われたのです」


ヴィアナさんの騎士としての高潔な覚悟に、俺は熱いものが込み上げるのを感じた。言葉を飲み込み、俺はあえて不遜な態度で言った。


「ならば――」


「え?」


俺は足を止め、ヴィアナさんの正面に立った。そして、かつて彼が俺に叩き込んだ貴族の礼法を精一杯真似て、厳かに声を張り上げた。


「ディエゴ・デ・ヴィアナ、アギラドス家騎士団長。貴殿と騎士団のこれまでの栄誉を称える。アギラドス家に仕え、南方地域平定の激戦において幾多の戦場を勝利に導き、我が家の名誉を最後まで守り抜いた功績……アギラドス家最後の当主、シンシオ・デ・アギラドスとして、心より感謝する。――本当によくやってくれた。ご苦労であった」


ヴィアナさんは目を見開き、それから感極まったようにその場に跪いた。


「は……っ!」

「そして」俺は悪戯っぽく笑った。「これをもって、貴殿の騎士団長の任を解く」


「はっ!……は?」


「国宮廷の狸どもに解任されるくらいなら、アギラドス家当主直々にクビを言い渡される方が、幾分マシだろ?」


「はは……っ。そうですね。仰る通りです、我が主」


「――で、ここからは傭兵としての話だ」

俺は跪くヴィアナさんの前にしゃがみ込み、その無骨な手を握りしめた。


「今後のことなんだが、もし良ければ……俺たちの『緋色の傭兵団』の一翼を担っちゃくれないか?これは当主としてじゃなく、緋色の傭兵のシンとしての、本気のスカウトだ。受けてくれるか?」


ヴィアナさんは驚愕に目を見張り、それから破顔した。


「――是非に!喜んで、お供いたします!」


ヴィアナさんは俺の手を、両手で壊れんばかりに強く握り返した。


「あー、言っておくが、傭兵団じゃ主従関係はなしだ。これからは『仲間』としてよろしくな」


「分かりました!騎士団の古参の中にも、志を同じくする者が幾人もおります。彼らにも声をかけ、改めてシンの元へ参集いたしましょう!」


ヴィアナさんは興奮のあまり、一向に俺の手を離してくれない。


その様子を後ろで見守っていたオットーさんが、呆れたように、だが嬉しそうに呟いた。

「まったく……シン君は本当に人を乗せるのが上手いんだから。ヴィアナさん、これからは同じ釜の飯を食う仲間として、よろしくお願いしますね」


「こちらこそ、オットー殿!」


ヴィアナさんはようやく俺の手を放し、今度はオットーさんと力強い握手を交わした。


その一連の光景を見ていたガーブが、ジト目で俺を指差した。

「……シン、人誑し《ひとたらし》」


「そうですね」オットーさんが悪ノリして微笑む。「とびっきりの人誑しですよ、我が団のシン君は」


「あ、見ろガーブ!シン、耳が真っ赤になってるぞー!」


「うるせえ、お前ら!」

俺は自分の耳が猛烈に熱くなるのを自覚し、足早に歩き出した。


そんな俺たちの騒がしいやり取りを、前方で立ち止まっていたグスマン宰相が、底の知れない静かな瞳で見つめていた。


「……歓談は終わったかね?よろしいか」


「ああ、すまない。今行く」


俺たちは再び歩き出し、回廊の突き当たりにある重厚な扉の前へと到着した。グスマンが扉を開け、「入れ」と顎で示す。


内部は、宮廷を訪れた賓客や官僚たちが面会を待つための、豪奢な客間だった。


「こちらでしばらく待機していろ」

グスマンはそう言い放つと、自らも部屋の中央にある高級なソファの一つに腰掛けた。


やがて部屋付きの給仕が全員分の温かい茶を配り、静かに退室していく。


宰相グスマンは茶器を手に取り、上品に一口啜った。

「皆も茶を飲むと良い。冷めぬうちにな」


しばらくの間、誰も言葉を発せず、ただ茶を啜る音だけが室内に響く。重苦しい沈黙。


俺たちをこの部屋に連れてきたのは良いとして、なぜ最高権力者であるはずのグスマン宰相自身が、未だに俺たちの目の前に居座っているのか。その理由が分からなかった。


オットーさんが静かに茶器を置き、グスマンを真っ直ぐに見据えて促した。


「――グスマン宰相。我々をここに足止めし、自ら同行されたということは、何か『裏の話』があるのですね?始めていただけませんか。我々傭兵も、色々と夜の用事(情報収集)がございますので」


グスマンはオットーさんを一瞥し、不気味な低い笑い声を漏らした。

「あまり年寄りを急かすものではないよ、傭兵の副団長殿。……まあ、良いじゃろう」


グスマンは茶器を卓上に置き、その昏い瞳を俺たちに向け、静かに語り出した。

「我らとて、この西方の地で起きている変革の兆しを、知らぬわけではないのだ。――当然、お主たちの『真の正体』のこともな」


宮廷の最深部で、毒蛇の牙が静かに剥かれようとしていた。



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