第4章:玉座の前の化かし合い
開け放たれた謁見の間の敷居をまたぎ、俺は室内を冷徹に睥睨した。
そこにいたのは、百人近い貴族の男女だ。きらびやかな衣装と宝石で身を飾った有象無象が、部屋の中央から奥にかけて、家格の順にすし詰めに並んでいる。そして壁際を埋め尽くすのは、完全に武装した近衛兵の列だ。
俺たちが一歩進むごとに、左右から「ひそひそ、ひそひそ」と、小蝿の羽音のような陰湿な囁き声が押し寄せてきた。
侮蔑、品定め、そして隠しきれない嫉妬。
「見ろ、あれが噂の……」
「汚らわしい餓狼め、ただの野良傭兵ではないか」
「戦功を立てるために傭兵の力に頼るなど、騎士の誇りを失った恥知らずめ」
「アギラドス公爵位を騙る、どこの馬の骨とも知れぬ無頼の輩が……」
「上手いこと立ち回りおって、南部の利権を独占する気か!」
渦巻く負の感情。だが、どれもこれも想定内の言葉ばかりで、怒りすら湧いてこない。
俺は左右の仲間の様子を窺った。オットーさんは目を細め、完全に感情を殺した無表情を維持している。彼は場数を踏んでいるから心配ない。だが……問題はガーブだ。
彼女の顔を見ると――笑っていた。
引きつった、肉食獣が獲物を噛み殺す直前の凶悪な笑みだ。
(やべえな……完全にキレる一歩手前だ。面白くないのは百も承知だが、頼むからここで大刀を振り回すのだけは勘弁してくれよ、肥溜めにまみれるのは御免だ)
内心でひやひやしながらも、ヴィアナさんの後ろに従って前進する。
玉座の手前、およそ二十歩の距離に達したところで、ヴィアナさんが厳かに足を止め、その場に深く膝を折った。俺たちもそれに倣って跪く。
その瞬間、室内のざわめきがピタリと途絶え、耳が痛くなるほどの沈黙が降りた。
だが……誰も声をかけてこない。
階段の上の連中は、俺たちを跪かせたまま、ただの見世物として沈黙の時間を引き延ばしているのだ。精神的な優位を誇示するための、実につまらない宮廷の常套手段。
「……ぎりっ」
隣から、ガーブの猛烈な歯ぎしりの音が聞こえてきた。限界だ。これ以上引き延ばせば、彼女の拳が床の石畳を粉砕する。
(おい、そこの髭面のオッサン、早く何とか言え!)
こちらの殺気が伝わったのか、ようやく玉座の右脇、二段下に控えていた宰相ドミンゴ・デ・グスマンが、傲然と声を張り上げた。
「――表を上げよ」
俺は静かに顔を上げた。
六段高い壇上、豪奢な玉座に腰掛け、不遜に足を組んで俺を見下ろしている男と、真っ正面から視線がぶつかった。
ヒスパニア国王、アルフォンソ・デ・レオン。
やせ細った体躯に、神経質そうな鋭い輪郭。黒髪に昏い眼。戦場で剣を交え、己の血を流したことなど一度もなさそうな、貧相な男だ。
だが……こいつの瞳の奥には、戦場の猛獣とは異なる、底の知れない仄暗いドス黒い何かが蠢いていた。
(なるほど、こいつの主戦場はここか。このカビ臭い宮廷という名の戦場で、血生臭い暗殺と裏切りを繰り返して、その玉座を守ってきたわけだ。お前から漂う、濁った血の臭いが鼻につくぜ)
激しい嫌悪感に、吐き気が込み上げてくる。一刻も早くこの場を立ち去りたいが、そうもいかない。
アルフォンソ王と俺が、火花を散らすような睨み合いを続けていることに、宰相グスマンが気づいた。奴はその緊張感を愉しむように、邪悪な薄笑いを浮かべた。こいつもまた、同類の毒蛇だ。
グスマンはわざとらしく咳払いをし、朗々と声を上げた。
「コホン!神に祝福されし祖国ヒスパニア、コルディア人から聖なる国土を回復すべく大志を掲げられたレオン家の正統なる国王。ヒスパニアすべての民の父にして絶対なる庇護者――アルフォンソ・デ・レオン陛下!」
グスマンは王に向けて深く一礼し、再び俺たちをねめつけた。
「ここにおわすはまず、アギラドス家騎士団・騎士団長ディエゴ・デ・ヴィアナ騎士爵にございます。彼の者は、ヒスパニア南部地域よりコルディアの残党を一掃すべく、陛下が示された聖なる王命を完遂せし忠義の臣にございます」
国王アルフォンソは俺から視線を外し、ヴィアナさんを冷淡に見下ろすと、グスマンに向けて顎で短く指示を出した。
「……ディエゴ・デ・ヴィアナ」グスマンが言葉を継ぐ。「偉大なる国王陛下は、汝の此度の武功を高く評価された。よって、汝に『男爵』の爵位を授ける。謹んでこれを拝受せよ」
「ははっ!ありがたき幸せ!」
ヴィアナさんは跪いたまま頭を垂れた。グスマンの背後に控えていた文官が進み出て、授爵の書状をヴィアナさんに差し出す。ヴィアナさんは立ち上がってそれを受け取ると、一礼して後ろへと下がった。
「次なるは」グスマンの声が、明らかに一段低い、侮蔑の色を帯びたものに変わる。「アギラドス家騎士団の要請に応じ、南部平定の戦端において助力した市井の徒――『緋色の傭兵団』団長ガーベラ、ならびに副団長オットーにございます」
周囲の貴族たちから、クスクスと小馬鹿にしたような笑い声が漏れる。
オットーさんがガーブの脇腹を肘で小突いた。ガーブは不承不承、のろのろと立ち上がり、一歩前に出て不器用に膝を突いた。オットーさんもそれに続く。
国王アルフォンソは、彼女たちには一瞥もくれず、退屈そうに目を閉じている。
「汝ら市井の無頼の身でありながら、望外にもこの神聖なる謁見の間にて陛下への拝謁が叶ったこと、至高の栄誉として感謝するが良い。汝らには、その骨折りに応じて金一封を賜る。謹んで拝受せよ」
「……はぁーい」
静まり返った室内に、ガーブの気の抜けた、地を這うような返事が小さくこだました。
立ち上がるガーブの目尻には、じわリと涙が浮かんでいる。それを見たオットーさんが素早く進み出て、重みのある金貨の袋を受け取り、二人で元の位置へと下がった。
宰相グスマンは、ガーブが王の恩情に感激して涙を流したのだと勘違いし、満足げに鼻を鳴らした。
だが、隣にいる俺とオットーさんには分かっていた。
ありゃあ……ただの「あくび」を必死に噛み殺した涙だ。
「そして――最後は」
グスマンの声が、冷酷なトーンへと変貌する。
「自身をアギラドス家の正統なる後継者、シンシオ・デ・アギラドスであると主張する……『シン』と名乗る者にございます」
「名乗る者」、二度目だ。徹底して俺を偽物扱いしたいらしい。
俺は静かに立ち上がり、一歩前に出た。そして、跪くことなく、壇上の国王アルフォンソを真っ直ぐに見上げた。
王の前に立ち尽くす俺の不遜な態度に、謁見の間がにわかに「無礼な」「跪け!」と蜂の巣をつついたような騒ぎになる。
だが、グスマンが声を荒らげるよりも早く、目を閉じていた国王アルフォンソが、ゆっくりとその昏い両眸を開いた。
「……貴様。アギラドスの血を引くと申したな?」
低く、だが驚くほどよく通る声。
俺は何も答えない。腕を組み、ただ王を見据え返した。
グスマンが苛立たしげに口を挟む。
「直答を許されているのだ!陛下のお言葉に速やかに答えよ!」
「……自分から『アギラドスの血を引いている』なんて言った覚えは、一度もないんだがな」
俺の言葉に、貴族たちが息を呑む。
アルフォンソ王の細い眉がピクリと動いた。
「ならば、貴様がアギラドスであるという証明をして見せよ」
「だから、自分でそう名乗った覚えはない、と言っている。……ただ」俺はシャツの襟元を少し緩めた。「手元に、古代ロマヌス帝国の古いコインがあるだけだ」
「何だと!?」
グスマンの顔が驚愕に変色した。それと同時に、国王アルフォンソの瞳の奥の昏い光が、一瞬で鋭い「刃」へと変貌したのを、俺は見逃さなかった。
「そのコインとやら……陛下にお見せしろ!」グスマンが命令する。
だが、俺は動かない。腕を組んだまま、グスマンの言葉を完全に無視した。
「重ねて命じる!そのコインを速やかに陛下へ差し出せ!」
「断る」俺は冷淡に言い放った。「俺はあんたの臣下でも部下でもない。あんたの命令に従う義務も義理も、これっぽっちも持ち合わせていないんでね」
「貴様ぁっ!!」グスマンが激高し、顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「このコインはな」俺はグスマンを無視し、王だけを見つめて言葉を続けた。「ある大切な女性から『肌身離さず持っていろ、誰にも見せるな』と言われて渡されたものだ。だから、誰にも渡さない」
「――ならば、余にも見せぬと?」
国王アルフォンソが、初めて感情の乗った声を出した。
「ああ」
国王は組んでいた足を解き、ゆっくりと玉座から立ち上がった。そして階段を一段ずつ降り、俺の目の前、手を伸ばせば届く距離にまで近づいてきた。
近衛兵たちが一斉に剣の柄に手をかける。
王は俺の顔を、至近距離からじっと覗き込んできた。その鋭い視線が、俺の髪、瞳、そして骨格をねめつける。
ふむ、と王は小さく鼻を鳴らした。そして何事もなかったかのように踵を返し、再び階段を上って玉座へと座り直した。
「……そのコインとやら、見る必要はなくなった」
アルフォンソ王は再び不遜に足を組んだ。
「その傲岸不遜な髪、燃えるような眼、不細工な容貌、そして何より……王を前にしても微塵も揺らがぬその不遜極まる物言い。かつて余を苛立たせた、あのアギラドスそのものよ」
王は皮肉めいた冷笑を浮かべ、両手を広げた。
「諸侯よ、喜ぶが良い。この者は確かにアギラドスの息子だ。余が認めよう。貴様は……今日この瞬間から、シンシオ・デ・アギラドスだ。断絶しかけていた古き公爵家の、新たな当主の誕生である」
謁見の間に、困惑に満ちたパラパラとした薄い拍手が響いた。王は頬杖をつきながら、その様子を極めて冷淡に愉しんでいる。
だが、その茶番を切り裂くように、一人の大貴族が列から進み出た。
「――お待ちくだされ、陛下!」
声を上げたのは、東部の大領主、アントニオ・デ・アルバ伯爵だった。
宰相グスマンが待ってましたとばかりに追従する。「アルバ伯爵殿、何事か」
「陛下、恐れながら進言の許しを!このような、どこの馬の骨とも知れぬ、傭兵を家業とするような下賤の者が名門公爵家を継ぐなど、ヒスパニアの法度において断じて許されるべきではありません!」
アルフォンソ王は、感情の読めない顔で「続けよ」と顎で促した。
「アギラドス家は、我がアルバ家と同じく、建国以来このレオン家を支えてきた誇り高き名門中の名門!如何に先代とその血族が不慮の死を遂げたとはいえ、家門の存続のためだけに、このような無頼の餓狼を公爵に叙爵するなど……臣下の一人として、到底承服いたしかねます!」
アルバ伯爵は顔を紅潮させ、語気を強めた。
「何より、アギラドス家は広大な南部地域を統治する最大の権益を持つ家柄。このような王法も知らぬ者に、南部の統治という重責が全うできるはずがございません!陛下、何卒、お考え直しを!」
頭を下げるアルバ伯爵の後ろから、呼応するようにさらに三人の大貴族が前に進み出た。
「陛下、臣メンドーサも同じく、この者をアギラドス公爵に据えることには猛烈に反対いたします!」
「西部を預かる臣サントスも、到底同意しかねます!」
「サントス子爵、メンドーサ侯爵、そなたらもか」宰相グスマンが我が意を得たりとばかりにニタリと邪悪に笑い、王に上奏した。「陛下。見ての通り、我が国を支える四大貴族のうち三家が、陛下のご決断に反対を唱えております。……かく言う私も、彼らの意見に賛同せざるを得ません」
形勢は一気に「シン排斥」へと傾いた。だが、アルフォンソ王の目は、諸侯の言葉などハナから聞いていないかのように、ただ真っ直ぐに俺だけを射抜いていた。
「――おい。奴らはああ言っているが、貴様はどう思う?」
急展開だな、おい。
もう少し時間をかけて、裏でネチネチと嫌がらせをしてくるかと思ったが、当事者どもがここまで露骨に、直截に俺の復権に反対してくるとは。いい歳をして、こいつらは直情的すぎるのではないか?
……いや、待てよ。
これほど単細胞な連中が、十五年前に非の打ち所のない完璧な「先代暗殺計画」を実行できるだろうか?
やはり、あの事件の真の黒幕は――。
「……国王陛下。確認だが、俺は今、アギラドス公爵家を『継いだ』ということで間違いないんだな?」
「余がそう宣言した。二言はない」王が答える。
よし、言質は取った。
俺はその場で、あえて大袈裟に片膝を突き、深々と頭を垂れてみせた。その突然の恭順な態度に、王も貴族どもも一瞬、面食らったように静まり返る。
「古代ロマヌス帝国の正統なる血を引き、連綿たるヒスパニア王国を統べる偉大なる国王陛下。我、シンシオ・デ・アギラドス、此度のご決断に心より感謝し、御身に忠誠を誓うものであります」
アルフォンソ王の目が、途端につまらなそうな、興醒めした冷たい光へと戻っていく。操り人形が一つ増えただけか、とでも思ったのだろう。
だが、俺の「本番」はここからだった。
俺は顔を上げ、立ち上がると、謁見の間全体に響き渡る声で言い放った。
「――よって、アギラドス公爵家当主としての最初の政務を行う。アギラドス家は、ヒスパニア南部地域におけるすべての領有権、ならびに統治権を完全放棄し、これをすべてレオン家、すなわち国王陛下へと『一括返上』する」
「……は?」
宰相グスマン、そしてアルバ伯爵をはじめとする四大貴族の当主たちが、文字通り間の抜けた顔で硬直した。
アルフォンソ王だけが、瞳の奥に強烈な興味の光を宿して身を乗り出してきた。
「ほう……?南部の肥沃な利権を、すべて余に差し出すと?」
「アギラドス家当主として、正式に上奏いたします。――さらに付け加えるならば、我がアギラドス公爵家そのものの『廃爵』を、ここに願い出る」
「「「「な、何だと……っ!?」」」」
貴族ども、兵士ども、そして謁見の間に集う有象無象のすべてが、完全に絶句した。
「元々、公爵家なんて大層な看板は俺のもんじゃねぇ。先代当主が俺の親父だっていう記憶もなけりゃ、未練もねぇ」
俺は驚愕に震える貴族どもを鼻で笑い、王を見据えた。
「そもそもアギラドス家ってのはさ、二百年前、当時の兄王子が王位争いを嫌って、実の弟を厄介払いするために『南部で死ね』と押し付けた不毛の土地だろ?知らねえけどな。そんな呪われた看板も土地も、俺には必要ねえんだよ」
俺は両手を広げ、アルフォンソ王に向けて不敵に言い放った。
「だから、全部返すぜ、王様。南方地域の莫大な利権も、公爵家っていう重たい名前もな。そんなもん、傭兵の俺の人生には、一文の価値もないんでね」




