第3章:黄金獅子宮の洗礼
情勢の剣呑さを孕みながらも、俺たち一行はついにヒスパニア王都マトリードへと到着した。
マトリード――ヒスパニアの政治の中枢であり、すべての富が集約される人口六万八千の巨大城塞都市。
国王を輩出するレオン家の居城『黄金獅子宮』を中心に、貴族街、商工人街、町人街が三重の堅牢な城壁によって厳重に区切られている。
俺たち一行は、その第一領、都市全体を覆う無骨な外壁の前に立っていた。
「なるほどな。この城壁の造り……外敵を打って出るためのものじゃない。強固な殻に閉じこもり、中に引きこもるための設計だ」
傭兵としての視点で漏らした俺の呟きに、隣の馬車からヴィアナさんが鋭い視線を飛ばしてきた。
「シン殿。いえ、これからは『シンシオ様』と呼ばせていただきます。どこに誰の耳目があるか分かりません。その無頼な言動は一切慎んでください」
「分かってるよ」
俺は、着せられた豪奢だが窮屈な貴族服の襟元を指でつまみ、不機嫌に答えた。
今の俺は、傭兵のシンではない。名門の忘れ形見、シンシオ・デ・アギラドスとしてこの地に立っている。
身体に馴染まない一級品の絹の服に身を固められ、ガーブやオットーさんといった気心の知れた仲間たちから引き離され、ヴィアナさんがどこからか手配した、金箔の施された大層な馬車の中に押し込められていた。
やがて一行は正門へと到達し、厳めしい甲冑をまとった城門衛士たちに遮られた。
先頭を進む我が騎士団の騎馬武者が、鮮やかなアギラドス家の紋章旗を掲げ、朗々と声を張り上げる。
「我らはアギラドス家、ならびにアギラドス家騎士団である!ヒスパニア国王陛下の正式なる招致に応じ、王都へ参上仕った!」
衛士は旗と勅状を確認すると、無言で重厚な鉄の門を開いた。俺たちの馬車は、ゆっくりと都市の内部へと進んでいく。
正門から王城『黄金獅子宮』へと続く中央広軸は、驚くほど道幅が広かった。その道の両側には、きらびやかな儀礼用の鎧に身を包んだ近衛兵たちが等間隔に並び、押し寄せる群衆を槍で抑え込んでいる。
馬車の窓から外を窺うと、集まった街人たちのざわめきが聞こえてきた。
だが、その歓声には明らかな「不自然さ」があった。声が低く、熱がない。不思議なほど静かすぎるのだ。
俺たちは言っちゃなんだが、長年この国を苦しめてきた南部地域を解放した「英雄」のはずだ。もっとこう、地響きのような大歓声で迎えられるか、薔薇の花びらでも散らされるか、せめて野次馬が殺到してもおかしくない。かつてゲルマニアで見たアレク・フォン・ミューラーの凱旋パレードと比べても、群衆の反応はあまりにも冷淡で、怯えているようすら見えた。
(……情報統制か、あるいは事前の触れ回りで俺たちを『危険分子』とでも印象付けたか。後でハンスに確認させるか)
一行は二つ目の城壁を抜け、いよいよ王城を囲む三つ目の内壁へと至る。
俺たちの接近に合わせ、巨大な木製の城門がギギギと重々しい音を立てて開いた。その門の正面、石畳の上に、一人の冷徹そうな文官姿の男が直立していた。
男は進み出て、馬車に向けて慇懃無礼な声を上げる。
「アギラドス様ご一行、ご無事の到着をお慶び申し上げます。恐縮ではございますが、ここからは『徒歩』にてお進みくだされ。陛下の神聖なる居城にございますれば」
そう宣うと、男は事務的に一礼した。
観念して馬車から降りる。他の面々もそれぞれ馬や馬車から降り立った。すると、文官はさらに冷淡な調子で言葉を続けた。
「陛下の居城にお入りいただけるのは、正式に謁見を許された方のみ。ヴィアナ騎士爵、シンシオ・デ・アギラドス様、そして傭兵団長のガーベラ、副団長のオットー。以上の四名のみ。……その他の随員、衛兵の方々は、これより門外にて待機されよ」
ほう。
「これは王室の『しきたり』か?それとも……俺たちだけに課された特別な処置か?」
俺がヴィアナさんに視線を送ると、彼の表情は怒りで僅かに震えていた。やはり、明らかな嫌がらせ、あるいは隔離の類だ。
一歩前に出て色をなして抗議しようとするヴィアナさんを、俺は手で制した。ここで揉めるのは敵の思う壺だ。ヴィアナさんは俺の意図を察し、悔しげに唇を噛みながら、百五十の騎士たちを門の外へと退去させた。
騎士たちが閉め出された瞬間、背後で近衛兵たちが即座に門を閉じ、槍を交差させて固めた。完全に退路を断たれた形だ。
「それでは、陛下のおわす謁見の間へご案内いたします。……ああ、その前に、お腰のものをすべて預からせていただく」
文官は事務的に手を差し出した。
俺は肩をすくめ、腰に差していた飾りのついた細剣を外して近衛兵に渡した。これは事前に「双剣の代わりにこれをつけておけ」とヴィアナさんから渡されていた、実戦には使えないなまくらだ。痛くも痒くもない。
だが、ガーブは親の仇でも見るかのような凶悪な顔で睨みつけながら大刀を渡し、ヴィアナさんもまた、無念そうに愛剣を手放した。
それを見届けた文官は、薄い笑みを浮かべた。
「では、こちらへ。私の後に遅れずつ行進されよ」
文官は踵を返し、薄暗い王宮の奥へと俺たちを誘い始めた。
王宮の内部は、成金じみた豪奢さに満ちていた。
床にはどこまでも続く深い赤色の絨毯が敷き詰められ(権力者はどうしてこうも赤を敷きたがるのか)、至る所に大層な花が生けられた高級な花瓶や、過去の栄光を誇張した巨大な絵画が飾られている。ヒスパニア王家レオン家の財力をこれでもかと見せつける佇まいだ。
だが……漂う空気がどこか古びており、カビ臭い。きらびやかではあるが、窓が少なく、決定的な「陰湿な暗さ」が建物の骨組みから滲み出ていた。
隣を歩くガーブが「ほへー……」と文字通り口を開けて周囲を見回している。何を血迷ったか、彼女は直立不動で並ぶ全身鎧の近衛兵の前に歩み寄り、その仮面の目の前でひらひらと手を振ってみせた。
「おーい、生きてるー?中身入ってる?」
「止めろ、ガーブ」
俺は彼女の首根っこを掴んで強引に引き剥がした。近衛兵の目が兜の隙間でピクリと動いたのが分かった。余計な火種を起こすな。
長い廊下や回廊を、ひたすら歩き続ける。何度も角を曲がり、階段を上り下りした。だが、ある地点で俺の傭兵としての空間把握能力が警報を鳴らした。
「……おい。ここ、さっきも通ったな?」
ガーブが不意に声を上げた。
そう、この案内人の文官、俺たちをわざと迷路のような構造の中に引きずり回し、王城の同じ区画をぐるぐると歩かせているのだ。子供騙しの嫌がらせか。
ガーブの指摘を無視できなくなったのか、文官は前を向いたまま、冷え切った声で吐き捨てた。
「……指定された刻限よりも『早く』参内されたのは貴方方だ。まだ謁見の間には、諸侯の方々がお揃いでない」
「何だと!?それで公爵家の血を引くお方を、意味もなく歩かせているというのか!礼を失するにも程がある!」ヴィアナさんが激昂し、文官の背中に怒声を浴びせた。
文官はピタリと足を止め、首だけを後ろに180度回すかのような不気味な角度で俺たちを振り返った。
「宮廷の『しきたり』を弁えぬ、境界の無頼どもが。ここでは、この王宮のルールこそが絶対。不満があるならば、お引き取りになられても構いませんよ?」
それだけ言うと、文官は再び冷然と歩き出した。
ほう、しきたり、ね。
王宮においては「時間前に行動すること」自体が落ち度とされ、咎められるわけだ。要するに、偉いと思っている特権階級の連中ほど、周囲を待たせて最後に悠々とやってくる。早めにやってきて待つような連中は「自身の立場が低い」と見なされ、舐められる。逆に、ゆっくり遅れてやってくれば「不遜である」と詰る大義名分にするのだろう。
なるほど、腐りきった古い宮廷の縮図がここにあった。フランク王国の王室も、おそらくこれと似たようなドブ川なのだろう。
しばらく歩いた後、文官が品定めするような調子で独りごちた。
「……そろそろ頃合いか。では、謁見の間へ向かう。くれぐれも陛下に対し、その薄汚い野性の無作法を晒さぬよう」
男はそう言って、ひときわ巨大で豪奢な装飾が施された、二人の重装騎士が守る大扉の前で立ち止まった。
文官が声を張り上げる。
「陛下に謁見を望む者、アギラドス家ゆかりの者ども、入場と拝謁の許しを賜り、ここに参内いたしました!」
重装騎士の手によって、巨大な扉が左右にゆっくりと開け放たれた。それと同時に、室内の奥から、俺たちの入場を告げる、腹の底に響くような朗々とした布告の声が響き渡った。
「ヒスパニア南部地域よりコルディア人を駆逐し、マナ・ラルタル海峡へと追いやる偉業を成したる者!在りしアギラドス家騎士団・騎士団長ディエゴ・デ・ヴィアナ殿!その偉業の矛先となりて先兵の役を果たしたる、緋色の傭兵団団長ガーベラ、ならびに副団長オットー!――そして!」
案内役の声が一瞬、いやらしく歪んだ。
「アギラドス公爵家の血を引きし、先代当主の忘れ形見を名乗りし者――シンシオ・デ・アギラドス、入場!!」
「名乗りし者」、か。
あからさまな悪意と侮蔑が込められたその物言いに、俺の口元は自然と吊り上がった。にやりと笑みが溢れる。歓迎されていないなど、最初から骨身に染みて分かっている。
改めて理解した。
ここは宮廷ではない。俺たちにとっての、新しい「戦場」だ。




