第2章:敵地への進軍
打ち合わせは深夜まで続いた。俺は決定した行動予定を、居並ぶ面々に冷徹に言い渡していく。
「俺、ガーブ、オットーさんは正式な招待に基づき、ヴィアナさんの騎士団と共に王都マトリードへ向かう。十日後に国王アルフォンソに謁見。王都滞在は数日、往復を含めて一か月ほどの遠征になる。その間、この砦と傭兵団の全権はノイン、お前に預ける」
「えぇええっ!?わ、私ですかっ!?」
ノインが椅子から飛び上がらんばかりに驚愕の声を上げた。
「そうだ。団の運用に関しては、平常時の『第4作戦綱領』に従って統括してくれ。もし留守中に南部地域から突発的な協力要請があれば、ノイン、お前の裁量で対応して構わない。ただし、遠征や外に出す戦力は『団の三分の一』までだ。それ以上の出動要請があった場合は、まず間違いなく俺たちの隙を突く罠だと考えろ」
「は、はいぃぃ……!肝に銘じます!」
緊張でガチガチになっているノインの肩を、俺は叩いた。
「安心しろ。俺たちが不在の間は、大きな動きは起きないはずだ。何かあればヤミル、クリス、イエーガーさん、ゲルドさんら幹部陣と徹底的に話し合って決めろ。後で俺からも全員に直接言い含めておく」
俺は視線をハンスに戻す。
「ハンス、特務隊の半分は王都での四家の情報収集、もう半分は俺たちの周囲の護衛を固める。それからクリシュ・アラン。コーに伝言だ。彼が率いる直下の精鋭十二名を引き連れ、俺たちの二日遅れで王都へ向かうよう手配してくれ。王都の中には入らず、郊外に適当な拠点を築いて特務隊のセーフハウス(隠れ家)を作らせろ」
「了解」ハンスが短く応じる。
「オットーさん、商業的、あるいは法的な観点から何か補足はあるか?」
「いや、軍事的な配置としてはそれで完璧だと思うよ、シン君」オットーさんは老眼鏡を指で押し上げた。「問題は、そこから先……つまり私たち自身の『戦い』のほうだからね」
その通りだ。思い出すだけで頭が痛くなる。
王との謁見、そしてその後に控える貴族連中との醜い舌戦。一瞬でも気を抜けば、言葉の罠に嵌められてすべてを毟り取られるだろう。
「王都では、国王の出方は読めないが、宰相をはじめとする貴族どもは間違いなく俺たちをやり玉に挙げてくる。アギラドス公爵家を廃爵にし、俺たちが血を流して手に入れた南部の支配権を分捕ろうと、ありとあらゆる泥を投げつけてくるはずだ」
俺は不敵な笑みを深くした。
「だからこそ……先に全部投げ返してやるのさ。ヒスパニア王家にね。あの四家が二度と手出しできないような、最悪の形でな」
パシィン、と両手で強くテーブルを叩く。
「以上だ。出発は明日正午。各自、準備を怠るな。解散!」
俺の合図と共に、全員が一斉に立ち上がり、それぞれの任務へと散っていった。俺はノインを伴い、居残り組となる傭兵たちがたむろする兵舎へと向かった。
翌日、正午前。
アルカサル・デ・ラ・ミラーダ砦の広場に、馬のいななきと鎧の擦れる音が響き渡る。
「整列!傾聴!」
ヴィアナさんの鋭い号令の下、アギラドス家騎士団六百名から選抜された百五十名が整然と並んでいた。王都までの護衛を担う兵力だ。
俺の感覚からすれば、ただの社交の旅に百五十名は多すぎる。だが、ヴィアナさんは首を振った。
「貴族とは何よりも体面を繕う生き物です。これでも少なすぎるくらいです。今回は『南部平定から日が浅いため、万が一の反乱に備えて主力を砦に残した』という大義名分を立てて、どうにかこの数に抑えたのです」
その代わり、俺は自分の随員の数を徹底的に削らせた。最初、ヴィアナさんは俺の身の回りの世話役として十二人の従者を付けると言い張ったが、断固拒否した。自分の着替えや準備くらい自分でできる。だが、「高位貴族としての佇まいを維持するため」というオットーさんの宥めもあり、不承不承、最低限の従者二名を受け入れた。なお、この二名のほかに、ガーブの監視役(という名の教育係)として侍女二名が同行することになった。
王都マトリードまでの道のりは、主要な街道を進み、各地の宿場町を経由して通常なら六日の行程。十日後の謁見には余裕で間に合う旅程だったが、俺はそれを一日短縮し、「五日」で移動する強行軍を命じた。本当は三日ほどで駆け抜けたかったのだが、従者や侍女たちの体力が持たないこと、そして「高位貴族が血相を変えて急ぎ旅をするのは体面が悪い」というヴィアナさんのやんわりとした拒絶に阻まれた。
まったく、おめでたいことだ。急ぐのには戦術的な理由がある。戦場(王都)へ少しでも早く着けば、それだけ情報収集や仕込みに有利になるという鉄則が、この騎士様には分かっていない。
だが、「王都は平時の戦場ではありません。それに、我々がどれほど早く着こうとも、宰相をはじめとする四家は最初から王都に陣取っているのです」と言われれば、それも一理あると譲歩せざるを得なかった。
その代わり、ハンスの特務隊だけは数日前から先行させ、王都の闇に潜り込ませていた。
王都への旅路は、ある意味で新鮮であり、同時に最悪だった。
普段の傭兵の旅といえば、野宿か、さもなければ村落の近くにテントを張るのが常識だ。集落の近くであれば食材を買い付けられるし、近くの酒場で一杯引っかけることもできる。だが、武装した傭兵集団が町の中に入るのは、住民から激しく忌避される。
そのため、今回の旅のように毎夜立派な町の中で宿泊し、しかも「貴族専用の高級宿」に泊まるなど、俺の人生において初めての経験だった。そして、おそらく二度とないだろう。
「楽しめたか」と聞かれれば、答えは断じて否だ。
俺たち傭兵は、地面に薄い布切れ一枚を敷いて寝るのが日常だ。あんなふかふかの柔らかいベッドに温かい毛布を掛けられて、まともに眠れるわけがない。横になった瞬間、身体が底なし沼に沈み込んでいくような奇妙な感覚に襲われ、一睡もできなかった。結局、俺はベッドから這い出し、床に直接毛布を敷いて眠る羽目になった。
そして夜が更けると、俺の部屋にはオットーさんとハンスが音もなく滑り込んでくる。
周辺の警戒状況、砦に残してきた団の様子、四大貴族の最新の動向、王都マトリードの世論、流言飛語。ハンスは昼間に仕入れたあらゆる情報を、役に立つものからくだらない噂話に至るまで、すべて俺の前に並べ立てた。
そこからハンス自身の冷徹な推測が述べられ、表舞台の政治・商業交渉に長けたオットーさんが精査する。俺はその二人の意見を聞きながら、次の最善手を考察した。
「事実」と「私見」、そして「事実」と「真実」の違い。それらを明確に切り分ける重要性を、俺たちは数々の死線の中で学んできた。巷に流布している噂話そのものが、誰かの意図によって意図的に選別されている可能性があるからだ。
時には、隣の部屋から寝ぼけているガーブを叩き起こし、彼女の野生の直感を聞くこともあった。
ガーブは目をこすり、「うーん、よく分かんないけどさ……」とあくびをしながら、とんでもないことを口にした。
「俺たちの周りをウロチョロして監視してる奴らさ、あの『四家』の回し者じゃない気がするんだよね」
そう言い残し、彼女は再びソファでスースーと寝息を立て始めた。
俺とハンスは、一瞬言葉を失って顔を見合わせた。
「四家の手の者ではないとするなら……」俺は顎に手を当てた。「まさか、フランク王国のオルレアン伯爵の刺客か?」
「いや」ハンスが首を横に振る。「もしオルレアンの奴らなら、ガーブの奴は今頃、嬉々として大刀を引っ提げて首を狩りに飛び出しているはずだ。彼女の野生の嗅覚がそうでないと言うなら、違うのだろう」
「では、一体どこの……」
沈黙の中、オットーさんが静かに茶器を置き、口を開いた。
「……もしかすると、ヒスパニア王家そのものの目かもしれませんね」
「王家が、俺たちを監視していると?」
「あくまで推測ですがね、シン君。王家は……私たちの華々しい活躍を、そしてアギラドス公爵家の再興を、そもそも望んでいないのではないですか?」
オットーさんのその考察は、盤面に全く新しい致命的な条件を突きつけた。
ヒスパニア王室レオン家の歴史を脳内で手繰る。
今から四百年前、マナ・ラルタル海峡を渡ってきた異民族コルディア人によって、ヒスパニアは国土の三分之二以上を強奪された。それ以来、歴代の領主たちは長い年月をかけて土地を奪還してきた。
それこそが『国土回復運動』。これを提唱し、諸侯の陣頭指揮を執ってきたのがレオン家だ。二百年前、当時の王は王都マトリードを奪還。さらなる南方地域の完全攻略を掲げ、実の王弟にその先鋒を命じた。王弟は王位継承権を放棄して臣下に下り、アギラドス家を起こして単身、不毛の南部へと赴いた。
それから二百年、アギラドス家は世代を超えて血を流し、徐々に南方地域を取り戻してきた。一見すれば、当時の王の英断による見事な役割分担に見えるが――。
「当時の王が、実の王弟に南部攻略を命じた真の意図は何だったのか」
力を付けつつあった実弟を王宮から追い出すための牽制だったのか。それとも……『南部で野垂れ死ね』という、合法的な流刑だったのか。
二百年前の確執が今なお尾を引いているのか、あるいは南部奪還が完全に完了した『今』だからこそ、その確執が往時よりも激化しているのか。
王室にとって、念願であった南部地域を解放する最高の栄誉を、王家ではなくアギラドス家が独占することが我慢ならなかったとしたら?
だからこそ、十五年前に先代当主を家族ごと暗殺したのだとしたら?
アギラドス家を完全に根絶やしにし、その広大な南部地域を王家の直轄領として没収するために。
「オットーさん、レオン家――ヒスパニア王家の現在の直轄領って、どれくらいだっけ?」
オットーさんは手元の懐から帳面を取り出し、目を細めた。
「レオン家の純粋な直轄領は……王都マトリードの周辺地域一帯のみ。国土全体の十分の一以下だね。極めて少ない」
「領地だけで言えば、国内の諸侯の中でも下から数えた方が早いな。だが……」
「そう、領地は少ないが、経済規模はヒスパニアでダントツのトップだ。国中の産業の成果物や税が、このマトリードに一極集中する構造になっているからね」
「では、レオン家が諸侯を従える『求心力』の源泉は何だ?」
「彼らは自らを、古代ロマヌス帝国の正統なる後継者であると自負している。その最高権威の証としてレオン家に代々伝わっているのが……『証のコイン』だと言われているがね」
俺は思わず胸元に手をやった。
シャツの下、首から紐で吊るしているあの古びたコインの存在が、にわかに皮膚を焼くような重みを持ち始めたのを感じた。
「ハンス、王室の過去の暗部について調べられるか?」
「……ここからでは無理だ。少なくとも、マトリードの王宮の奥深くに潜り込まなければ、確かな情報は掴めない」
「それもそうだな。では、今俺たちの周りをウロチョロしている王家の狗どもを捕まえるか?……いや、それは下策だな。こちらの察知を知らせる必要はない。適当に泳がせて、傭兵団の他愛もない与太話でも流させておけ」
「了解した」
「しかし、これが事実だとすれば皮肉なものだね」オットーさんが冷たい笑みを浮かべた。「四大貴族がアギラドス家を滅ぼそうと画策し、王室がそれを宥めようとしているのではなく……王室こそがアギラドス家の完全な破滅を望み、他家の大貴族どもが、王家のこれ以上の肥大化を防ぐために復権を支持している、という構図もあり得る」
「もしそれが真実なら……盤面は完全にひっくり返るな」部屋に重苦しい沈黙が流れた。
「……現状は静観だ。ハンス、目と耳を最大限に広げろ。王都に入ったら、コーの部隊にはいつでも動けるよう臨戦態勢での待機を命じてくれ」
ハンスは深く頷き、影のように部屋を出て行った。
「思っていた以上に、ヒスパニアのドブ川は深そうだね。シン君、闇に引きずり込まれないように気をつけなさいよ」
オットーさんはそう言って、ソファで完全に熟睡しているガーブの首根っこを掴み、部屋を後にした。
一人残された俺は、床の毛布に寝転びながら、さらに思考を深化させていった。窓の外、王都へと続く街道の夜が、不気味なほど深く静まり返っていた。




