第8章:混沌を断つ刃、あるいは真夜中の乱戦
ヴィアナの部屋を飛び出した俺の頭の中は、最悪の泥泥にかき混ぜられていた。
(俺がヒスパニア王室に連なる公爵家の跡取り? とんだ貴種流浪譚だ、笑わせやがる!)
中庭の片隅で足を止め、激しい呼吸のまま夜空を見上げる。
俺たちの目的は、フランク王国のオルレアン伯爵を討ち、使い捨てられた『憂国の騎士団』の仇を執ることだ。そのためにゲルマニア公国のアレク大公に渡りをつけ、ブリタニアのイライザ女王の力をもぎ取った。ヒスパニアからも、利用できるものはすべて利用してやるつもりだった。
だが、それはヒスパニア王室の懐に入り込み、『ヒスパニア王国』の軍勢を動かしてフランクを攻める、なんて大層な話じゃねぇ。俺は、一人の傭兵としてオルレアンの首を獲りたいんだ。
ポケットの中で、冷たい金属の感触を探り当てる。取り出したのは、おやじから「お前の身元を示すかもしれないから持っておけ」と言われていた古代ロマヌス帝国のコインだ。
「ちくしょう……。身元なんて分かって欲しくもなかった。これじゃあ今までの計画が全部ご破算だ」
アギラドスの人間として動けば、それは完全な国家間の戦争になる。
そうなれば、ガーブ、ハンス、ヤミル、クリス、そしてオットーさんと共に築き上げてきた『緋色の傭兵団』としての復讐ではなくなってしまう。俺たち(・・・)の手で奴を地獄へ送るために、どれほどの血を流して準備してきたと思っている。
「俺のせいで、すべてが台無しになるなんて言わせねぇ……」
だが、あの場にはオットーさんもガーブもいた。今更知らなかったことにはできない。どうすればこの最悪の絡み目を断ち切れる?
「クソッ……、気が高ぶって頭が回らねぇ!」
考えても拉致があかない。こういう時は、脳の思考を強制的に叩き切るしかない。
「コナル!フィニアン!コーマック!」
月明かりの下で黙々と木刀を振るっていた、クリシュ・アランの三人に怒鳴り散らす。
「武器を持て!仕合おう!」
俺は刃を潰した模擬刀を二本ひったくり、驚く彼らの懐へと突進した。
「おい、シンが狂ったぞ!」「本気だ、防げ!」
鋭い金属音が夜の静寂を切り裂く。三人がかりの猛攻が俺を襲うが、今の俺にはその痛覚すら心地よかった。
「俺も混ぜて!」
地響きのような声と共に、身の丈ほどもある大刀の模擬刀を肩に担いだガーブが乱入してきた。
「おう! 来い!女狼!」
そこからは、敵味方のない完全な乱戦となった。
緋色の傭兵団の鍛錬は、一対一の綺麗なものではない。戦場で最も遭遇する確率の高い「多対多の乱戦」を基本とする。さらに、クリシュ・アランの流儀を取り入れ、打ち所が悪ければ骨が折れる模擬刀を実戦さながらの速度で振り回す。気を抜けば大怪我、あるいは死に直結する修羅場。これこそが、結成当初の5人から続けてきた、俺たちの強さの源泉だ。
戦場に対する恐怖を麻痺させ、異常な状況下でも胆力と考動力を発揮させるための狂気の訓練。今この速度についてこられるのは、遊撃隊のアインツやフィーア、そしてクリシュ・アランの面々くらいだ。だが、戦死者を絶対に出さないために、工兵隊や後方支援、そしてノイン以外の全員に、日頃からこの地獄を味あわせていた。
俺とガーブ、対するクリシュ・アランの三人。そこへ気配もなくヤミルとアインツが刃を突き出して参戦する。
訓練の終了条件は、最後の一人が残るまで。
――そして、今回も最後に立っていたのは、凶悪な笑みを浮かべたガーブだった。
俺は彼女の強烈な廻し蹴りをまともに喰らい、泥のついた地面に文字通り転がされていた。
「いえい!俺の勝ちぃ!」
両手を挙げて喜ぶガーブを見上げながら、俺は仰向けに寝転がったまま吐き捨てた。
「相変わらず……とんでもねぇ化け物だぜ、お前は」
大の字になって荒い息を整えていると、視界を遮るように影が落ちた。眼鏡の奥の目が、静かに俺を見下ろしている。オットーさんだ。
「シン君。少々、話があります」
「……あの話なら、一切聞く耳はねぇよ」
不機嫌を隠さずに顔を背ける。身体を動かして毒を抜いたつもりだったが、彼の顔を見た瞬間に現実が引き戻される。だが、この問題は先送りにはできない。何かしらの結論を出さなければ、俺たちの足が止まる。それは分かっていた。
「……ハンス、ヤミル、クリス。それにイエーガーさん、ゲルド、ノインも呼んでくれ」
俺は地面を蹴って立ち上がり、衣服の土を払った。
「しかたねぇ。袋小路にはまる前に、全員でぶち壊すぞ」
数分後、砦の会議室には傭兵団の幹部、そして砦の主であるヴィアナ騎士団長が顔を揃えていた。
雑談を交わしながら入ってきた仲間たちも、俺とオットーさんのただならぬ表情、そして直立不動のヴィアナの姿を見るや、瞬時に押し黙った。室内に、肌を刺すような緊張感が満ちてゆく。
オットーが静かに口火を切った。
「皆に集まってもらったのは、極めて重要な知らせと、それに伴う我が団の今後の方針を決定するためです」
誰もが固唾を呑んで次の言葉を待つ。
「知らせというのは、ここにいるシン君の『出自』についてです。彼の本名は、シンシオ・デ・アギラドス。ヒスパニア王室に連なる名門、アギラドス家の正統なる跡取りです」
室内の空気が一瞬で凍りついた。全員の視線が、俺とヴィアナの間を激しく往復する。
ヴィアナが一歩前へ出て、重々しく告げた。
「オットー殿の言葉に偽りはない。ここにおられるシン殿は、15年前に消息を絶った我が主君のご嫡男だ。彼が持つロマヌス帝国のコイン、そして身体的特徴がその揺るぎなき証拠。我らアギラドス騎士団は、彼を正式な当主としてお迎えしたいと考えている」
爆発的なざわめきが起こるのを、オットーが手を挙げて制した。
「ヴィアナ団長の説明によれば、アギラドス家は200年前、コルディア首長国から南部を奪還する任を帯びて興された公爵家です。任務完遂の暁には、南部の3分の1の領地支配を委ねられる約束だった。しかし、それを快く思わない他派閥の貴族らの陰謀により、15年前に先代当主と二人の子が暗殺された。かろうじて逃げ延びたのが、当時幼子だったシン君です」
オットーはヴィアナを一瞥し、さらに続けた。
「後継者が生死不明のままでは他家に領地を委ねるわけにもいかず、この10年間、南部は王室直轄領として暫定的にヴィアナ団長に管理が委ねられていた……。そして今日、天の配剤か、シン君がこの地に至り、身元が判明した。彼は、ヒスパニア南部の正統なる次代領主。それが、動かせぬ事実です」
「……それじゃあ、何かい」
沈黙を破ったのはヤミルだった。その目は、明らかに戸惑いと、拒絶の色を帯びていた。
「シンは団を抜けて、ここの偉い領主様になっちまうのか?俺たちの目的……オルレアンを討つって誓いは、どうなるんだよ、シン!」
クリスも、ハンスも、鋭い視線を俺に突きつけてくる。昨日まで同じ泥をすすり、肩を組んで笑っていた仲間が、一瞬にして遠い雲の上の存在になってしまう――そんな恐怖と裏切りへの警戒が、室内の温度を急速に下げていく。
「シンはシンだよ。何も変わらないじゃん」
ガーブが、拍子抜けするほど淡々と言った。
「ええっと、アガラギス?だか何だか知らないけどさ。どこの家の子だろうが、シンは俺たちの仲間でしょ。オルレアンを討つ、それに変わりなんてないよ」
その一言で、皆の肩の力がわずかに抜けた。
「ガーブ、アギラドス家だ」
「あー、そう、アゲラドス家ね」
わざとなのか天然なのか、彼女のおかげで脳の毒気が完全に抜けた。俺は一歩前へ出た。
「みんな。俺は『緋色の傭兵団』のシンだ。今後も、それは絶対に変わらねぇ」
「そうは言ってもよぅ、領主様ってのは領地から離れられねぇもんだろ」
工兵隊のゲルドが髭をむしりながら反論する。
「身分って格もある。今まで通り、はい傭兵です、なんて訳にいくかよ」
「領主になれば、の話だろ。俺はなるつもりはねぇ」
俺の言葉に、ヴィアナの目が大きく見開かれた。
「ヴィアナ団長には悪いが、俺は傭兵だ。アレク大公やイライザ女王のような統治者にはなれねぇし、なる気もねぇ。俺が領主として軍を動かせば、それは国同士の戦争だ。そんな綺麗事でオルレアンの首を他の国に渡してたまるか。俺たちは、俺たちの手で奴を討つ。そのために、《《国家》》という仕組みを利用してやるんだ。今までと何も変わらねぇ」
ヴィアナが反論しようと口を開くが、オットーがそれを手で制した。
「シン君。その傭兵としての決意は素晴らしい。だが、君にはアギラドスを信奉する騎士たち、そしてこの南部の民の未来を考慮する『義務』がある」
「知ったことか!」
「おや、冷徹な君にしては珍しい感情論だね。……ならば、どちらかを選ぶのではなく、両方やればいい」
「あ?」俺はオットーの顔を睨みつけた。
「南部地域の問題を完璧に解決し、かつ、傭兵としてオルレアンを討つ。君率いる『緋色の傭兵団』なら、それが可能だ」
オットーは不敵に微笑み、一歩、俺に近づいた。
「では、私の『試算』を告げましょう。シン君、君はアギラドス家を正式に継承しなさい。そして――その領有権を、そのままヒスパニア王室に『熨斗を付けて返還』するのです」
会議室の全員が息を呑んだ。ヴィアナさえもが驚愕に目を見張っている。
「その見返りとして、ヒスパニア王室から軍事的な特権をもぎ取る。アギラドス騎士団を、合法的に君の私兵として手に入れるのです。そのためには、まずこの南部を、王室が泣いて喜ぶほどの『完璧に安定した不変の領土』に仕立て上げねばなりません」
オットーの言葉は、熱を帯びて加速する。
「シン君、君たちが創り上げた『緋色の傭兵団』の本当の強みは何だ?単なる戦闘集団か?違う。多種多様な『職能集団』である点だ。ヤミルの歩兵、クリスの弓兵、クリシュ・アランの武技。それだけではない。イエーガーたちの狩猟技術、ゲルドの土木工学、ノインの発明、物理管理。そして私のような、数字と法を扱う者。アギラドス騎士団は戦う術しか知らず、戦後の事後処理や民政には疎い。だが、我々には民が自活し、自衛するためのシステムを構築するノウハウがある」
ヤミルがポン、と膝を叩いた。
「なるほどな……!俺たちはただ殺し合いをしてきたんじゃねぇ。ゲルマニアでもブリタニアでも、生き残るためのコミュニティを作ってきたんだ」
クリスも目を輝かせる。
「うん、ヤミルの言う通り。やることは何も変わらない。今まで通り、私たちの得意なことをやるだけだね」
ガーブが我が意を得たりと頷く。
「ほらぁ、何も変わらない。シンがアガリデスになってもさ」
「ふっ……」
不意に笑いがこみ上げてきた。張り詰めていた肩の力が完全に抜ける。
「そうだな。何も変わらねぇ。変えずに、今まで通りの泥臭いやり方で圧倒してやろう。――『緋色の傭兵団』としてな」
俺は全員を見据え、地図を指差した。一瞬で、部屋の空気が戦場のそれに変わる。
「これより方針を伝える!期間は半年だ。最初の3か月で、この南部地域からコルディア人の武装勢力を完全に掃討する。続く3か月で、各地の集落に防衛拠点を築き、街道の安全を確保し、民間に衛士の組織を教導して生活環境を底上げする!」
「「「「おう!!」」」
「半年後、完璧に平定された南部地域をヒスパニア王家に叩き返し、その足で――オルレアンを討ちに行くぞ!」
「「「「おおおおおッ!!」」」
俺はヴィアナに向き直った。
「ヴィアナ騎士団長。あんたの期待するような高貴な領主様にはなれなくて悪い。だが、俺たちの目的のため、一時的にその神輿に乗ってやる。その代わり、半年後には爵位も領地もすべて王家に返すぞ」
ヴィアナは静かに目を閉じ、深い溜息ののち、晴れやかな笑みを浮かべた。
「……承知いたしました。それが、我が主アギラドス当主のご決断なれば。
我ら騎士団も、己の路を決めねばな。あなたと共に奈落へ征くか、この地に骨を埋めるか……。
私個人は、どこまでもあなたに供奉いたします。元騎士の傭兵、悪くない響きだ」
ヴィアナはその場に膝を突き、深々と頭を垂れた。
「あなた様に、我が剣と忠誠を」
「よしてくれ、俺はあんたの主になる気はねぇよ。……だが、『仲間』としてなら歓迎する。立ってくれ、ヴィアナさん」
差し出された俺の手を、ヴィアナは両手で強く握り締めた。
「ありがたき幸せにございます、シン殿」
そこからの『緋色の傭兵団』の進撃は、疾風怒濤、そして苛烈を極める多忙さだった。
ハンスの特務隊とクリスの弓隊半数が各地の村々に潜入し、住民の愚痴、酒場の噂話、主婦の心配事からコルディア人の動向にいたるまで、あらゆる情報を徹底的に収集した。砦の壁に張り出された南部地図は、アレク大公のやり方を真似て、瞬く間に情報ピンで埋め尽くされていく。
敵の拠点が判明すれば、ヴィアナ率いる騎士団と、ガーブ、クリシュ・アラン、特務隊の混成部隊が電撃的に出撃し、容赦なくこれを圧殺した。
戦闘が終わるや否や、ゲルドとノイン率いる工兵隊が、破壊された村の再建に着手する。防壁を築き、井戸を掘り、衛士の訓練所を建てる。イエーガーの狩人隊は害獣を駆除しつつ食料を調達し、オットーの文官チームは役場の帳簿を精査して経済の血液を循環させた。困窮した地域では、後方支援隊による大規模な炊き出しが行われ、民衆の心は急速に『アギラドス』へと傾いていった。
「クソ忙しすぎて死ぬわ!」ヤミルは書類と武器を両手に抱えて怒号を上げ、
「クリス様、これをお持ちに!」と、クリスの元には村のご婦人方からの貢ぎ物が絶えなかった。
ガーブは「次はどいつの骨を折ればいい?」と笑いながら戦場を渡り歩き、付き従うアインツとフィーアが「ガーブさん、少しは休んでください!」と悲鳴を上げる。
そして半年後。
俺たちは、ヒスパニア最南端――マナ・ラルタル海峡に面した、最後の不法占拠都市『シウダ・デ・マナ・ラルタル』を、完全に包囲していた。




