第2章:市場の開拓、そして宿命の足音
翌朝、俺とオットーさんは砦から北へ約十二キロメートルほどの位置にある都市、バハ・ジャヌーラの門をくぐっていた。
都市は、魔那の減退した黒鉄期らしい、分厚い石造りの防壁と深い乾堀に囲まれていた。入り口には数人の衛所兵が立っていたが、旅装の俺たちを特に咎めることもなく、通行税を徴収しただけで通行を許可した。
「……人口は二、三〇〇〇といったところか。街道の結節点だな。東の王都と南の戦域、そして西の海洋国家群を結ぶ交易の中継地だ。市場の規模も小さくない。だが……」
オットーさんが鋭い視線を巡らせながら、低く呟いた。
「防壁の兵たちの足腰が軽い。あれは正規の訓練を受けた騎士や職業軍人じゃない。臨時に徴募された農民兵、あるいは名ばかりの衛士だね」
「ゲルマニアのような、組織化された『傭兵ギルド』の看板は見当たらないな。商人たちの寄り合い所は……あそこか」
俺の視線の先には、都市の中心広場に面した、一際立派な石造りの建築物があった。掲げられているのは『商人会議所』の紋章。
「そのようだね。まずはそこの有力者たちから情報を引き出そう。新参者がこの地で『商売』を始めるための、挨拶回りだ」
オットーさんは不敵に微笑み、衣服の埃を払って歩き出した。
だが、最初の商談の結果は、惨憐たるものだった。
原因は明確だった。このヒスパニア王国において、「傭兵」という存在の社会的地位が、ゲルマニアやブリタニアとは根本的に異なっていたのだ。国境線が入り乱れ、武力の売買が日常化している中央アゼリア周辺とは違い、この国における「傭兵」とは、食い詰めたごろつき、あるいは略奪を生業とする無頼漢の同義語でしかなかった。
「私たちは、ただの用心棒や山賊の端くれを求めてはいないのですよ、お若い方」
会議所の代表は、値踏みするような目で俺たちを見下していた。憮然としそうになるのを、俺は奥歯を噛み締めて堪えた。初心に帰るべきだった。ゲルマニアで初めて緋色の旗を掲げた時も、俺たちは「使い捨ての死に損ない」としか見られていなかったのだから。
結局、俺たちの存在を市井に周知することだけは認められたが、具体的な護衛や討伐の依頼をその場で勝ち取ることはできなかった。実績のない武力など、不発の魔導兵器と同じで、不気味なだけだ。
俺たちは商人会議所を後にし、次いで都市の最高権力者である領主館へ向かった。オットーが正規の手続きを踏み、公式な面会を求めた。
領主の対応もまた、冷淡なものだった。アタラヤ・デ・ラ・ジャヌーラ砦に俺たちが居座ることについては、「不法占拠を咎めるだけの兵力が割けない」という消極的な理由から、不承不承ながら黙認された。しかし、俺たちの戦力としての価値については完全に保留。体裁としては「勝手に野垂れ死ぬが良い」と言わんばかりの態度だった。
「まあ、最初なんてあんなものさ、シン君。実力を知らない相手に、大金を払う馬鹿はいない」
領主館を出た後、オットーさんは苦笑交じりに言った。俺は「確かにそうですね」と頷きつつ、内心で(特務隊のガーブを連れてこなくて本当に良かった)と胸を撫で下ろしていた。彼女がこの場にいれば、今頃「なら、俺の刃、試してみる?」と、自慢の大刀を領主の首筋に突きつけていただろうから。
ともあれ、法的拠点は確保した。あとは時間をかけて、この地に俺たちの価値を認めさせていけばいい――。
そう思っていた時期が、俺にもあった。
「いやっほう!! 待ちかねたぜ、この時をよぉ!」
現在、俺はガーブを筆頭とする特務隊の面々と共に、西へと向かう街道を全力で馬を走らせていた。ガーブは満面の笑みを浮かべ、久々の血の匂いに狂喜している。
事の発端は、バハ・ジャヌーラの街を出ようとした、まさにその瞬間だった。正門近くで、血相を変えた商人たちと野次馬の人だかりができていた。
「何事だ?」
俺が声をかけると、野次馬の一人が青い顔で答えた。「西の街道で、大規模な盗賊の襲撃があったらしい」と。
襲われたのは、西の都市からバハ・ジャヌーラへ向かっていた商隊の馬車三両。賊の数は約十八名。商隊が雇っていた私設の護衛三人。彼らは抵抗する間もなく切り伏せられ、商品もろとも馬車を奪われた。命からがら逃げ延びた六人の行商人たちが、衛所へ駆け込み、泣き叫びながら状況を訴えているところだった。
だが、街の衛兵たちの反応は鈍かった。
「我々の任務は都市の城壁を守ることであり、管轄外の街道警備に割く兵力などない。自業自得だ」
実際、彼らには遠征するだけの練度も余裕もないのだろう。
「あの荷が戻らなければ、俺たちは全員破産だ! 頼む、誰か助けてくれ!」
行商人たちが地面に跪き、衛兵の衣服に縋り付く。衛兵たちは不快そうにその手を振りほどき、冷酷に背を向けた。
その時、俺の背中をオットーさんがそっと押した。
「シン君。これ以上の『市場調査』は不要ですね。買い手がそこに転がっていますよ」
「……そうですね」
俺は一歩前に出ると、絶望に暮れる商人たちの前に立ちはだかり、声をかけた。
「おい。その奪われた荷物、俺たちが取り返してやったら、いくら報酬を支払える?」
商人たちが、信じられないものを見るような目で俺を見上げた。あまりに唐突で、場違いな提案だったからだ。
「ああ、自己紹介が遅れたな。俺は『緋色の傭兵団』の副団長、シンだ。最近、この近くに拠点を構えたばかりの、文字通りの傭兵さ。傭兵ってのはな、荒事のプロだ。盗賊退治、魔獣の間引き、商隊の護衛、あるいは戦争の代行。報酬次第で、詐欺と暗殺以外のあらゆる血生臭い仕事を請け負う。どうだ? ここで一つ、俺たちと正式な『契約』を結ばないか?」
「た、頼む! 荷を取り返してくれ! 報酬は、取り戻した商品の二割を出す!」
「商談成立だ」
俺は不敵に笑った。
その後、商人会議所の執務室へ強制的に代表を連れ込み、オットーさんの立ち会いのもとで迅速に正式な依頼書を作成させた。生存者のうち、まだ動ける商人を一人道案内として馬車に乗せ、俺たちは砦へ引き返すと、ガーブら特務隊を招集して現場へと急行した。
襲撃現場に残された蹄の跡と、重い荷馬車の轍を追うのは、ハンスの追跡術をもってすれば容易だった。痕跡は、かつて国土回復運動で放棄された、荒野の廃村へと続いていた。
村の入り口、焚き火を囲んで強奪した酒を煽っていた盗賊たちの野営地が視界に入った。
さて、どのように包囲し、効率的に無力化すべきか――。俺が戦術を組み立てようとした、まさにその瞬間、風を切り裂く突風が俺の横を通り過ぎた。
「お前らぁ! 楽しそうじゃねえか! アタシも混ぜろよおおお!!」
ガーブだった。彼女は馬の背から跳躍すると、手にした身の丈ほどもある大刀を一閃させた。凄まじい金属音と共に、最前方にいた盗賊二人の身体が、文字通り空中へと吹き飛んだ。
「チッ、ガーブが絡むと作戦も何もあったもんじゃねぇ。遅れんな、突撃!」
アインツ、フィーアが後に続き、一気に乱戦へと突入する。
いや、これを乱戦と言い換えるのは、あまりに盗賊たちに同情が過ぎる。訓練された特務隊の刃の前で、それはただの「一方的な屠殺」だった。ガーブの大刀が閃くたびに、鉄錆の匂いが荒野を満たしていく。日頃の「退屈」という名の鬱憤を晴らすかのような、容赦のない蹂躙だった。
わずか数分の後。十八人の盗賊は、一人として息をしていなかった。
返り血を浴びて満足そうに息を吐くガーブが、山積みにされた荷馬車の前で、腰を抜かしている行商人に満面の笑みを向けた。
「おっちゃん! これがアンタたちの荷物か? 傷一つつけずに取り戻してやったぜ!」
商人は、ガチガチと歯の根を鳴らしながら、ただ何度も首を縦に振ることしかできなかった。恐怖と、それを上回る圧倒的な救済の光に、声すら出ないようだった。




