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『緋色の傭兵団の物語』「西方動乱編」  作者: 嵗(sai)
第十七部:ヒスパニアの落日と影の序曲

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第1章:吹き溜まりの揺籃、戦場なき戦域

ヒスパニア王国への入国を果たした俺たちを待ち受けていたのは、歓迎の賛辞でもなければ、新たな戦火の煙でもなかった。ただ果てしなく広がる、乾いた赤土の地平線だけだった。


「さすがに、二五〇人を超える武装集団が一つにまとまって移動を続けるのは無理があるな……」


俺は地図を広げ、独りごちた。総勢二六六名。フランク王国での激戦を生き延び、ゲルマニア、ブリタニアを経てこの地まで辿り着いた「緋色の傭兵団」の現有戦力だ。これだけの人間が隊列を組んで進めば、どこへ行こうと「正規軍の侵攻」か「大規模な山賊の跋扈」にしか見えない。


俺は即座に斥候のハンスを呼び、近隣の村落や都市の配置、そして何より「かつての国土回復運動の遺物」――つまり、今は打ち捨てられて所有者のいない城砦や監視所の所在を徹底的に洗わせた。目指すべきは、俺たちの独立した拠点、すなわち足場だ。


だが、手頃な廃砦が見つかったからといって、勝手に不法占拠するわけにはいかない。そんな真似をすれば、ヒスパニア王家や地方領主から「討伐対象の賊」と見なされるのは火を見るより明らかだった。そのため、数理や交渉に通じたオットーさんには、周辺の村や町でその土地の所有権、あるいは過去の領主の系譜について調べを進めてもらった。


数日後、音もなく帰還したハンスが報告した。


「シン、この辺りはヒスパニアの北東辺境だ。中央の政争からも、南方の火種からも切り離されている。率直に言って、平穏すぎる」


ハンスの言葉通り、この一帯には「戦い」がなかった。彼がもたらした情報によれば、現在ヒスパニアで最も治安が不安定なのは、マナ・ラルタル海峡を望む南部地域。かつてコルディア首長国に支配され、未だに「聖流教徒」の根強い反抗や過激派による暴動が頻発している戦域だという。


(ならば、俺たちが牙を研ぐべき戦場は南部にあるか……)


俺が思考を巡らせていると、翌日、砂埃にまみれたオットーさんが戻ってきた。その表情は、商人特有の冷徹な計算高さに彩られていた。


「シン君。結論から言おう。この辺境では、俺たちの『商品』は売れない。南へ移動するべきだ。かつて南部平定の戦火の中で、聖流教徒の手によって血統を絶やされた地方貴族の領地がある。そこの街道沿いに、手頃な大きさの放棄された砦跡を見つけたよ。建物自体の保存状態も悪くない」


「そこまでの距離は、オットーさん」


「……ざっと、二七〇キロメートルというところかね」


オットーさんは事もなげに言ったが、俺は思わず天を仰いだ。二七〇キロ。この大所帯を引き連れての大移動だ。兵站の維持だけでも頭が痛くなる。


俺の苦い顔を見て、オットーさんはさらに言葉を重ねた。宥めるような、だが冷酷な現実を突きつける声だった。


「シン君、距離があるのは事実だ。だがね、ここに留まっていては、ただ持参金が目減りしていくだけだよ。自給自足の狩猟採集など、この人数では一ヶ月も持たない。すでに近隣の村々では噂が立ち始めている。『正体不明の武装集団が潜んでいる』とな。平和な土地において、軍隊はただの害悪であり、恐怖の対象でしかないんだよ」


胃の奥が痛むような感覚だった。オットーさんの指摘は恐ろしいほどに正しい。


「今の私たちにはね、シン君、売るべき『武力』という商品がありながら、それを欲する『市場』がないんだ。ここで無理に市場を創り出そうとすれば、それはマッチポンプの悪党、つまり山賊になるということだ。ならば、最初から買い手のいる市場へ赴くのが商売の鉄則だろう?」


「……分かりました、オットーさん。これ以上のじり貧は全滅を意味する。移動しましょう。全員に、南部への転進を伝えます」


俺は決断した。生き残るため、そしてこの大所帯の胃袋を満たすために。


それからの移動は、かつてフランクやゲルマニアで経験したような「敵から追われる敗走」ではなかった。斥候を厳重に放ちつつも、歩調は緩やかだった。野宿を重ね、狩猟隊が仕留めた獲物の毛皮や肉を途中の宿場町で売り払い、最低限の穀物に変える。そうして十日を費やし、俺たちは目的の地へと到達した。


その砦の名は――アタラヤ・デ・ラ・ジャヌーラ。


かつて一帯を統治していた領主が、聖流教徒の急襲によって暗殺され、そのまま歴史の表舞台から放棄された石造りの建造物だった。幸いにも、砦自体を巡る大規模な攻城戦は行われなかったらしく、壁面の傷は数百年分の経年劣化によるものだけだった。黒鉄期の無骨な建築様式は、未だに頑強な骨組みを保っている。


「おい、ぐずぐずするな! 瓦礫の撤去が先だ。建物の傾きと床の腐食を最優先で確認しろ!」


歩兵隊を率いるヤミル、ゲルドさんが工兵を中心に男たちに鋭い指示を飛ばし、砦の内部へと入っていく。


子供たちは「新しい秘密基地だ!」と歓声を上げ、拾った子狼と共に影を跳ねさせて走り回っていた。女性たちは、煤み溢れる台所の煤払いを始め、さっそくオットーさんに不足している調理器具や調味料のリストを突きつけている。


クリスとイエーガーさんは、手慣れた様子で弓兵や狩人隊を率い、周辺の生態系を探るべく森へと消えていった。


「……思っていた以上に頑丈だな。少し手を入れれば、立派な不落の城になる」


女性たちの要求に囲まれ、必死にメモを取っていたオットーさんに声をかけると、彼は頭をガシガシと掻きむしりながらため息をついた。


「建物はね、シン君。だが生活用品から家具、何より二〇〇人分の冬越しの備蓄を買い揃えるとなると、どれだけの金が飛ぶか……。ああ、計算するだけで頭が痛い」


そう言いながらも、オットーさんの目は死んでいなかった。算盤を弾く者の、活き活きとした光がそこにはあった。


到着した最初の夜、俺たちは砦の内部には入らず、その外周に陣取って野営を行った。クリスたちが仕留めてきた鹿や野鳥が焚き火で炙られ、香ばしい脂の匂いが平原の夜風に混ざる。久しぶりの豊かな食卓だった。底をつきかけていた酒も、今夜ばかりは全員に一杯ずつ振る舞われた。


皆の顔に生気が戻った頃合いを見計らい、俺は立ち上がった。


「全員、聞いてくれ」


ざわめきが収まり、炎に照らされた無数の目が俺に集まる。


「このアタラヤ・デ・ラ・ジャヌーラ砦を、これより『緋色の傭兵団』の正式な拠点とする。ここはヒスパニア南部の最北端。つまり、南から攻め寄せる聖流教徒や暴徒に対する、事実上の防波堤だ。明日、俺とオットーさんは北にある都市へ向かい、この地に新たな武力組織が誕生したことを公式に認知させる。ヒスパニアにおける、俺たちの旗揚げだ」


「「「おおおおお!」」」


歓声と、いくつかの拍手が夜空に響く。だが、俺はすぐに現実を突きつけた。


「だが、浮かれるのは早い。この砦はまだ、ただの雨風を凌ぐ石の塊だ。明日から本格的な拠点作りに移る。歩兵隊隊を中心に、南面の森から木を切り出し、家具や防壁の補強に回せ。北面の荒れ地は均して、自給自足のための畑を開墾する」


「……え、畑ぇ?」


一転して、傭兵たちから情けない声が漏れる。戦場を渡り歩く荒くれ者にとって、鍬を握るのは戦斧を振るうより退屈なのだ。


「支援隊はエドワードさん、イエーガーさんと共に馬車を出し、近隣から寝具や穀物、資材を買い付ける。クリスと弓隊は給食隊の指示に従って狩りだ。ただし、今日のように獲りすぎるな。肉を腐らせる余裕はない。クリシュ・アランの連中も、木材の伐採と工兵隊の支援に加わってくれ。一日でも早く快適なベッドで寝たければ、全員で手を動かすんだ。頼むぞ」


「特務隊の任務は?」


背後の暗闇から、ハンスの低い声が響いた。


「特務隊は周辺五キロの威力偵察と哨戒任務だ。いかなる小規模な不穏分子も見逃すな。異常があれば即座に全体で叩く。ハンス、任せたぞ」


「応、心得た」


「よし、明朝より行動開始だ。体力を残しておけ!」


「「「お、おう……」」」


どこか締まりのない、だが確かな連帯感を持った声が、ヒスパニアの冷え込む夜空へと消えていった。



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