第四章 郡山から仙台へ――見た松、見ぬ里(四)
元禄二年五月五日から七日(新暦六月二十一日から二十三日)。仙台で会いたい人には会えず、土地の俳人・加衛門の案内で、歌枕を巡ります。
十一 三千風を尋ねて
五月五日、端午。
軒の菖蒲が風に揺れていた。二人は朝から、別々に動いた。
芭蕉は、知人にあてた書状を携えて宿を出た。
曾良は、須賀川の知人から預かった書状を届けに、大町の甚兵衛の家へ向かった。だが、甚兵衛は留守だった。書状を家の者に預けて、曾良は宿へ戻った。
しばらくすると、その甚兵衛が、様子を見がてら宿を訪ねてきた。
「須賀川からのお便り、たしかに受け取りました」
「お留守のところへ、失礼しました」
挨拶のあと、曾良は尋ねた。
「ところで、大淀三千風殿は、いま仙台におられますか」
三千風は、奥州の俳諧に名の知られた人である。曾良には、この町で必ず尋ねたい名のひとつだった。
甚兵衛は首を振った。
「三千風様のことは、私どもにはよく分かりません。ただ、国分町から立町へ入った左の角に、北野屋の加衛門という方がおられます。三千風様のお弟子で、書物の商いをなさっている。あの方なら、ご存じでしょう」
曾良は、すぐに立った。教えられた角の家は、宿から遠くなかった。
北野屋は書林(本屋)で、店先には書物が積まれていた。奥から出てきた加衛門は、物静かな男だった。曾良が名乗り、三千風のことを尋ねると、加衛門は頷いた。
「三千風先生は、いま旅に出ておられまして、仙台にはおりません」
「いつ戻られるのか」
「それは、先生ご自身にも、決まっていないのではないかと。私は、留守を預かる身でして」
曾良は礼を言った。
「江戸から、芭蕉翁がお見えと伺いました」
加衛門が言った。
「私は、俳号を加之と申します。絵も描きます。この土地の歌枕は、年ごろ、ひととおり調べてございます。よろしければ、私がご案内いたしましょう」
曾良は、宿へ戻った。芭蕉は先に戻っていて、笠を壁にかけていた。
「三千風には、会えなかったか」
「仙台を発って、旅に出ておられるそうです。いつ戻られるかも分からぬと」
「そうか」
芭蕉は少し黙った。
「ただ、加衛門という人に会いました。三千風の弟子で、書物屋をしていますが、絵も描く。歌枕の調べに明るく、案内を申し出てくれました」
「それは、ありがたい」
「七日ならば、手があくそうです」
「頼もう」
芭蕉は、窓の外の菖蒲を見た。
「会いたい者に会えぬ旅でも、会える者には会える」
「はい」
曾良は帳面を開き、今日の出来事を書きはじめた。
十二 亀が岡八幡
五月六日。天気はよかった。
二人は、亀が岡の八幡宮(現・亀岡八幡宮)へ参った。伊達家ゆかりの社である。城の追手門から入り、参道をたどる。木々のあいだに社殿が見えた。芭蕉は手を合わせ、長くそこに立っていた。
帰りかけたところで、俄かに雨が降り出した。二人は近くの茶室に駆け込んだ。
中には、同じように雨を避けた参詣の者が何人かいた。誰も多くを話さず、ただ雨の上がるのを待っている。芭蕉は縁に腰を下ろし、濡れていく参道を見た。
「急に降りましたな」
「晴れていたのにな」
雨は、ほどなく上がった。濡れた石畳に日が戻り、木々の葉が光った。二人は茶室を出て、宿へ戻った。
十三 加衛門の案内
五月七日。快晴だった。前日の雨が空気を洗い、仙台の町は朝から明るかった。
約束のとおり、加衛門が宿に来た。小さな帳面を懐に入れ、足ごしらえも軽い。
「歌に詠まれながら、いつのまにか、どこがその場所か分からなくなった名所がございます。年ごろ、古い書物や土地の者の話をたよりに、ここであろうという所を探してまいりました」
「確かかな」
芭蕉が尋ねると、加衛門は少し笑った。
「確かとは申せません。ただ、あてずっぽうはいたしておりません」
「それで十分だ」
加衛門の案内で、まず権現宮に参った。それから玉田、横野と見て回り、つつじが岡の天神に詣でた。曾良は加衛門の言う順に、場所の名を帳面に書き留めていった。
加衛門は、行く先々で足を止め、聞き知ったことを一つずつ話した。
「ここは、昔からこう言い伝えられております。もっとも、これも私が調べた限りのことで」
「聞こう」
芭蕉は、そのたびに頷いた。加衛門の言葉は控えめで、断言を避けていた。だが、その控えめさのなかに、長い年月、足で歩いて確かめた者の手触りがあった。
昼を過ぎて、木の下に入った。
松の林である。日の光はほとんど届かず、空気が冷えていた。足もとの草には、前日の雨の露がまだ残っている。
「ここを、木の下と申します」
みさぶらひ御笠と申せ宮城野の木の下露は雨にまされり。
『古今和歌集』の東歌(東国の歌)である。宮城野の木の下の露は、雨よりもひどく濡れる、どうか笠をお召しください、と詠んでいる。昔も、これほど露が深かったのだろう。快晴の日だというのに、歩くうちに、袖が湿った。
林を出て、薬師堂に寄った。古の国分尼寺(国ごとに置かれた尼寺)の跡と聞く。
堂の前で、芭蕉はしばらく立っていた。
「ここに国分尼寺があったのか」
「そう伝わっております」
芭蕉は頷き、堂の屋根をしばらく見上げていた。
帰り道、空が曇りはじめた。
十四 夜の来訪
夜に入って、加衛門が甚兵衛を連れて宿を訪ねてきた。
「夜分に、すみません」
「いや、構わぬ」
芭蕉は二人を座敷に通した。加衛門は礼を述べ、それから、懐から短冊と横長の紙を取り出した。
「厚かましいお願いですが、一筆、いただければ」
芭蕉は二人それぞれのために、短冊と横物に書をしたためた。墨が乾くのを待ち、それぞれに渡した。
「ありがたく頂戴いたします」
加衛門は深く頭を下げ、持参した包みを開いた。
水で戻して食べる干飯が一袋。そして、草鞋が二足。
草鞋の緒は、紺に染めてあった。
「あやめの色に染めてございます。端午は過ぎましたが、旅の足もとに、せめて」
芭蕉は草鞋を手に取り、緒の色を灯にかざした。
「風流なことをする」
芭蕉は加衛門に向き直り、声に出して詠んだ。
あやめ草足に結ばん草鞋の緒
端午のあやめ草を、草鞋の緒として足に結ぼう、という句である。
加衛門は、はにかむように目を伏せた。
加衛門は、さらに巻いた紙を差し出した。広げると、松島と塩竈の所々が、墨と淡い色で描かれていた。
「見ぬうちから、ご覧に入れるのは、野暮かとも思ったのですが」
「いや。道連れが増えた」
芭蕉は絵を巻き直し、膝の上に置いた。
「塩竈と松島の宿には、私から添え状を書いておきました。明朝、海苔と一緒にお届けします」
「何から何まで」
「旅は、まだ長うございますから」
加衛門と甚兵衛が帰ったあと、芭蕉は草鞋を壁にかけた。紺の緒が、灯の中で濃い色をしていた。
外では、雨が降りはじめていた。
「夜になって、降りましたな」
「降ったな」
「明日は、仙台を発ちます」
「ああ」
「晴れるといいですな」
「晴れる」
曾良は少し笑った。
「言わねば、出られませぬ」
芭蕉も笑った。
雨音が、部屋の中に響いていた。
明日は仙台を発ち、塩竈へ向かう。その先に、松島がある。
芭蕉は絵の巻物の上に手を置き、目を閉じた。
【あとがき】
仙台では、会いたい相手に会えない一方、土地をよく知る案内人との縁が結ばれる。史料に残る旅程を骨格にしながら、加衛門との対話や、絵・添え状・草鞋の受け渡しなど、記録にない細部を物語として補った。
◆ 句・歌について
「みさぶらひ御笠と申せ宮城野の木の下露は雨にまされり」は『古今和歌集』の東歌。露の深い木の下を詠む歌で、本文では、前日の雨上がりでも袖が湿る林の様子に重ねた。
「あやめ草足に結ばん草鞋の緒」は『おくのほそ道』に載る芭蕉の句。加衛門が端午の菖蒲にちなみ、紺色の緒を染めた草鞋を贈る場面は創作である。
◆ 人物・場所について
三千風の件について、曾良の日記は、所在を尋ねても知る者がなかったことまでを記す。「旅に出ている」という加衛門の言葉は創作である。本作では『おくのほそ道』の加右衛門と日記の加衛門を同一人物とみなした。絵、添え状、干飯、草鞋など贈り物の細部や会話は小説上の創作。
亀が岡八幡。 日記は五月六日の参詣と俄雨を記すが、『おくのほそ道』の仙台段には出てこない(宮城野・玉田・横野・つつじが岡・木の下・薬師堂・天神が記される)。本章は日記に従い、社名も日記の表記「亀が岡八幡」を採った。現在の亀岡八幡宮にあたる。『おくのほそ道』が取り上げなかった理由は分からない。
日記は、訪ねた薬師堂を「国分尼寺の跡」と記している。ただし現在の遺跡比定では、薬師堂は陸奥国分寺跡に位置し、国分尼寺跡は東へ約六百メートル離れている。本文では当時の認識を描き、現在の比定とは分けた。




