第四章 郡山から仙台へ――見た松、見ぬ里(一)
元禄二年五月一日(新暦六月十七日)、芭蕉と曾良は郡山を発ち、福島へ向かいます。歌枕(古い和歌に詠まれた名所)に残る名と、目の前の土地の姿とを見比べていく一日です。
なお、第四章は四分割とし、順次投稿いたします。
一 浅香山
松尾芭蕉と河合曾良が泊まった郡山の宿は、むさ苦しかった。
板の間は硬く、戸の隙間から夜気が入ってくる。曾良は夜のうちに一度だけ目を覚まし、戸の外をうかがった。雨の気配はなかった。ただ、遠くで犬が吠え、それがいつまでも止まなかった。
五月一日。日の出のころに宿を出た。
芭蕉は曾良より先に起きて、笠の紐を結び直していた。
「発ちますか」
「ああ」
「今日は福島まででしょう」
「そうなる」
曾良が行李(旅行用の荷物入れなどに用いられた籠)を担ぎ、芭蕉は先に戸口へ出た。空は晴れ上がり、朝の空気はまだ冷たかった。
郡山の町を抜けると、道はすぐに田の中へ出た。水を張った田が続き、遠くの山裾には霧が残っている。街道にはもう人の姿があった。馬方(馬を扱い、荷や人を運ぶ人)、行商人、村へ戻る者。誰もが自分の用のために歩いている。
芭蕉は黙って歩いた。須賀川で過ごした日々は、思い返せば長かった。田植えの歌、可伸の庵の栗の木、夕立の雷、石河の滝。あれほどのことがあったのに、いまは足もとの道だけが確かだった。
一里半(六キロほど)来て、日和田の宿を過ぎた。五、六町(六百メートルほど)ばかり先で、道の右手に小さな山が見えてきた。一里塚のそばである。
「あれが浅香山でしょう」
「ああ」
浅香山。古くから歌に詠まれてきた名である。こうした古歌の名所を、歌枕という。左手は谷になっていて、かつては安積の沼と呼ばれた所だという。だが目に映るのは、一面の田だった。沼はところどころに、わずかに残るばかりである。谷という谷から水が湧き出るので、どの谷にも田が開けているのだった。曾良は足を止めて谷を見渡した。昔は、このあたりがすべて沼だったのだろう、と思った。
芭蕉は、田の水に映る山を見ていた。
あさか山影さへ見ゆる山の井の浅くは人を思ふものかは。
采女(宮中で帝に仕えた女官)の歌である。山の井の水は浅いが、私の想いは浅くはない、という意味だ。だが、歌にある山の井清水は、ここではない。この道から西へ三里(十二キロほど)入った帷子村にあるというが、それが古の山の井かどうかは、はっきりしないらしい。曾良は帳面を開き、その村の名を書きつけた。
芭蕉は、もうひとつの歌を思った。
みちのくの安積の沼の花かつみかつ見る人に恋ひやわたらむ。
ちらりと見ただけの人を、恋い続けることになるのだろうか、という歌である。花かつみ。陸奥国を治める長官、陸奥守として下った藤原実方は、端午の節句(五月五日)に菖蒲がないのを嘆いて、代わりに安積の沼の花かつみを軒に葺かせたと聞く。その端午まで、あと四日だった。
畦に、腰を曲げて水の加減を見ている男がいた。
「ちと尋ねるが、このあたりに、かつみという草はあるか」
男は顔を上げ、首をひねった。
「かつみ、でござりますか。菖蒲や葦ならいくらもありますが、その名は聞いたことがありません」
「そうか。いや、すまぬ」
男はまた腰を折って田に向かった。
「ほかの者にも聞いてみますか」
曾良が言った。
「いや、よい」
芭蕉は笠を傾けて、山から目を離した。
「福島までは長い。歌枕は逃げぬが、日は暮れる」
歌の中にだけ咲いている草が、この国のどこかにあるのだろう。そう思いながら、芭蕉は歩き出した。
二 黒塚
二本松の町はずれに、亀ガイという町があった。二人はそこで街道を右へそれた。右は田、左は山際の道を一里(四キロほど)行くと、阿武隈川の岸に出る。供中の渡しという舟渡しである。
舟は流れに少し押されながら、対岸へ向かった。川の水はまだ多く、棹を取る船頭の腕が、ときどき強く張った。
渡った先に、小さな塚があった。
土が盛られ、その上に杉が植えられている。近くには観音堂があり、堂のうしろには大岩が畳み上げたように重なっていた。堂の縁から、天台宗の別当(寺を預かる僧)が出てきて、二人を迎えた。
「黒塚をご覧になりたいと」
「あの杉の所か」
「はい。あの杉を植えた所は、鬼を埋めた所であろうと申します」
曾良は、堂と岩と塚の位置を目で測っていた。
「では、古の黒塚は、これでございましょうな」
「私どもは、そう伝えております」
別当は、それ以上は言わなかった。
芭蕉は塚の前に立った。風が吹き、杉の葉が鳴った。
みちのくの安達が原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか。
黒塚に鬼が籠もっていると聞くが、それは本当か、と詠んだ歌である。芭蕉は、能の謡曲『安達原』に描かれた鬼女を思った。旅の山伏が一夜の宿を乞うた庵の主は、糸を繰る老婆である。老婆は薪を取りに出るあいだ、奥の閨(寝室)を覗いてはならぬと言い置いた。約束を破って覗いたのは、山伏の供の強力(荷を担ぐ従者)であった。その者が見たのは、人の死骸が山と積まれた閨であった。
だが、目の前にあるのは、小さな塚と、杉と、静かな観音堂だった。堂のうしろの岩は、風雨に面を削られて黙っている。あの岩の組み合わさったところが、謡にいう岩屋であろうか。
芭蕉は岩に近づき、しばらく見ていた。鬼の姿はなかった。いるはずもなかった。
「曾良」
「はい」
「お前は、何を書く」
「場所と、聞いたことを」
「それでよい」
芭蕉は手を合わせ、塚に背を向けた。
二人は渡しを戻り、舟着の岸から細い道を伝って村の中へ入った。福岡村というところで、二本松から来る本道に出た。
芭蕉は日の傾きを見た。空はまだ明るかったが、福島は遠かった。
「急ぎましょう」
「ああ」
三 郷ノ目
八丁目を過ぎると、道は信夫郡に入った。福島藩の領地である。家並みが濃くなり、街道を行き交う人馬も増えてきた。
福島の町まで五、六町というところに、郷ノ目村がある。ここで曾良が先に立ち、神尾氏の門を叩いた。
出てきた奥方は、二人の名を聞くと、静かに頭を下げた。
「主人は、三月二十九日に江戸へ出向きまして、留守にしております」
奥からは、年かさの女も出てきた。主人の母だという。奥方と母は旅の者を門の内に通し、茶を一杯ずつ出した。芭蕉は、不在の家へ押しかけた詫びを言い、江戸を出てからの道のりを少し話した。
「御主人にお目にかかれず、残念でございました」
芭蕉が言うと、奥方は静かに答えた。
「いずれ、道が交わることもありましょう」
芭蕉は茶を飲み干し、長居をせずに立った。奥方と母が門まで出て、二人を見送った。
すぐに福島の町へ入った。日はまだ少し残っていた。宿は清潔で、座敷には夕方の光が差していた。
曾良は草鞋を脱いで、足の裏を見た。
「今日は、よく歩きましたな」
「黒塚へ回ったぶんが長かった」
「一里ほど、余分でした」
「明日は文字摺石だ」
「それから、佐藤庄司の旧跡へ。飯坂の湯は、その先です」
「湯には入る」
曾良の口もとがゆるんだ。芭蕉は草鞋を干すように言い、自分も足を洗った。その夜、二人は早く休んだ。
【あとがき】
この話では、古歌に詠まれた名所と、芭蕉たちが目にした土地の姿とのずれを描いた。
◆ 歌と伝承について
「あさか山影さへ見ゆる山の井の浅くは人を思ふものかは」は『大和物語』に見える歌。「浅香山」は「安積山」とも書く。山の井清水の場所を、曾良の日記は帷子村としているが、古跡かどうかは確定していない。
「みちのくの安積の沼の花かつみかつ見る人に恋ひやわたらむ」は『古今和歌集』の歌。花かつみが具体的にどの植物を指すかは諸説あり、確定していない。藤原実方が端午に花かつみを葺かせたという話も、確定した史実ではなく伝承として扱った。曾良の日記に花かつみ探しの記載はなく、『おくのほそ道』では人々に尋ね歩くが、本作では農夫に一度尋ねるにとどめた。
黒塚では、曾良の日記に記された現地の塚と、謡曲『安達原』の鬼女の物語を区別した。謡曲で閨を覗くのは山伏本人ではなく、供の強力である。『拾遺和歌集』の詞書は名取郡の黒塚を記すため、二本松の黒塚と同一とは断定していない。
芭蕉と曾良の会話や心理、現地での細かな動作は小説上の創作である。




