第二章 日光から白河へ ――旅心定まる (改稿版)
第二章は、旧暦三月二十七日に千住を発った日から、四月二十一日に白河の関を越えるまでの二十数日間。日光、黒羽、那須を経て、芭蕉と曾良が北へ進みます。
長いので、途中で区切りたい方は、一〜八の見出しを目安にしてください。
千住で門人たちと別れた松尾芭蕉と河合曾良は、北へ向かった。
一 北へ向かう道
三月二十七日。
千住を離れると、道の両側に続いていた見送りの人影も、少しずつ少なくなった。
芭蕉は歩いた。
背中に視線を感じていたが、振り返らなかった。振り返れば、深川から続いてきた別れが、もう一度始まるように思えた。
曾良は先を歩いている。
人の声が遠のき、道の両側に畑が増えていった。春の野は、まだ枯れ色を残している。土を起こす農夫の姿が、ところどころに見えた。
江戸を出たばかりだというのに、道はもう江戸のものではなかった。
夕方、春日部に入った。
宿へ上がると、曾良は濡れた草鞋を脱ぎ、荷をほどいた。芭蕉は火鉢の前に座り、草鞋の裏についた泥を見ていた。
「初日から、ずいぶん汚れましたな」
曾良が言った。
「道が汚れていた」
「道のせいにされますか」
芭蕉は草鞋を手に取った。
泥の間に、小さな草の種が挟まっている。
「人も、歩けば何かがつく」
「人が草鞋のようでは困ります」
「旅に出れば、少しは変わる」
曾良は返事をしなかった。
翌二十八日は、雨で明けた。前夜から降り続いた雨は、朝のうちにようやく上がり、二人は宿を出た。
道は濡れていた。
水たまりを避けながら歩いていると、また雨が降り始めた。細い雨は次第に強くなり、笠を叩く音が途切れなくなる。
利根川のほとりの栗橋の関所に差しかかったときも、雨は降っていた。
役人が二人を見た。
曾良が少し姿勢を正す。
だが、手形を求められることも、事情を問われることもなかった。
関所を抜けてから、曾良が笠を上げた。
「もっと問われるかと思いました」
「問われれば、答えるほかない」
「旅は、歩くだけでは済みませんな」
「歩くだけで済む旅なら、迷う者はない」
昼前、雨が止んだ。
泥に足を取られながら歩き続け、二人は間々田に泊まった。
三月二十九日。
朝のうちに間々田を出た。
小山を過ぎ、飯塚へ向かう。
室の八島へ寄った。
古くから、水の上に煙が立つ名所として、歌に詠まれてきた土地である。芭蕉は池のほとりに立った。
水面は風に揺れていた。
歌にあるような煙は立っていない。岸には泥があり、水辺には草が生えている。
曾良が言った。
「思っていたより、普通の池ですな」
芭蕉は答えなかった。
池の水が揺れている。
その揺れを見ているうちに、昔の歌が、景色の中ではなく、自分の記憶の中にあることに気づいた。
芭蕉は水面から目を離した。
二人は室の八島を離れ、壬生へ出た。楡木を通り、道端の塚を見る。源義経を奥州へ導いたという商人、金売り吉次の塚である。
塚は土の上にあった。
草が生え、風が吹いている。
そこに、義経を奥州へ導いた男の面影はなかった。
夕方、鹿沼へ入る頃には、空が曇り始めていた。
江戸を出て、まだ三日。
それでも、江戸はすでに遠かった。
翌日は日光へ向かう。
北へ向かう道だけが、先に続いていた。
二 日光山、そして滝
四月一日。旧暦では、この日から夏である。
前夜から小雨が降っていた。
雨は止んでは、また降った。道の両側に木々が増え、空が近くなった。
昼頃、日光へ着いた。
そのとき、雨が止んだ。
杉木立の間に、社殿が見えた。
濡れた杉の幹は黒く、枝の間から差す光は薄かった。芭蕉は足を止めた。
日光山。古くから山岳信仰の聖地とされ、徳川家康を神として祀る東照宮もある山である。江戸を出てから初めて立つ、大きな聖地だった。
東照宮を拝する。
人の手で造られた社殿は華やかだったが、杉木立は何も語らず、ただそこに立っていた。
芭蕉は社殿を見上げ、それから杉を見た。
「大きな御宮ですな」
曾良が言った。
「ああ」
「それでも、杉の方が古そうです」
芭蕉は答えなかった。
その夜は、上鉢石町の五左衛門という者の家に泊まった。正直一途で、損得を考えずに旅人をもてなす男だという。
主人が二人の旅装を見た。
「江戸から日光まで、ずいぶん歩かれましたな」
「歩いたのは我らです」
芭蕉が言った。
「道が歩かせたとも言えます」
主人は少し考え、それから笑った。
曾良が言った。
「この人は、疲れると分からぬことを申します」
芭蕉も笑った。
翌二日。
天気は快晴だった。
朝のうちに宿を出る。
裏見の滝へ向かう道は、次第に細くなった。人の声が遠のき、木々を渡る風の音が近くなる。
やがて、水の音が聞こえた。
裏見の滝。かつては、落ちる水の裏側へ回り込んで眺めることができたという。
滝は高い岩壁から落ちていた。
白い水が岩に当たり、飛沫となって風に散っている。
芭蕉は滝を見上げた。
曾良は何も言わずに立っていた。
滝の音が、二人の間を埋めていた。
芭蕉はしばらく動かなかった。
夏の初めに、僧が山や堂にこもって修行をする、夏行という習わしがある。滝の音に包まれていると、その修行の始まりに身を置いているような心地がした。
芭蕉は矢立を取り出した。
「暫時は滝に籠るや夏の初」
句を書き留める。
筆をしまう。
滝の音は、二人が歩き出しても耳に残った。
午後、玉入へ向かう。
途中、雷雨になった。
空が暗くなり、山の向こうで雷が鳴る。雨が道を叩き、木の葉から落ちる雫が肩にかかった。
ようやく宿へ着いたが、屋根から雨が漏っていた。
曾良が天井を見上げる。
「ここで休めというのは、どういう意味でしょう」
「休める場所で休む」
「場所が休ませてくれればよいのですが」
二人は、村の長である名主の家へ頼み込み、そこに泊めてもらった。
夜になっても、雨は止まなかった。
三 黒羽の人々
四月三日。
快晴。
玉入を立ち、大田原を経て黒羽へ向かう。
昨日の雨が嘘のように、空は晴れていた。濡れた草から新しい匂いが立ち、道端の水たまりに青空が映っている。
黒羽の町からさらに進み、余瀬へ入る。
鹿子畑翠桃の家があった。
翠桃は黒羽の俳人で、黒羽藩の家老、浄法寺図書の弟である。兄とともに江戸にいた頃、芭蕉の門に入った。
門の前に立つと、翠桃が出てきた。
「よくお越しくださいました」
芭蕉は頭を下げた。
「久しいな」
「お待ちしておりました」
家の中へ通される。
湯気の立つ椀が出された。江戸を出てから、宿で簡素な膳を取る日が続いていた。温かな汁を口にすると、張っていた身体の力が抜けた。
疲れが、そこで初めて身にしみた。
曾良は黙って箸を動かしている。
翠桃が笑った。
「曾良殿は、いつも静かですな」
「静かなのではなく、食べているのです」
芭蕉が言うと、曾良は箸を止めずに答えた。
「先生のように、食事の最中まで考え事をしているよりは健全でしょう」
「何を考えている」
「早く食べてください。冷めます」
家の中に笑いが起きた。
翌四日。
図書のもとへ招かれた。
俳号を桃雪という。藩主に代わって城を預かる城代家老でありながら、自らも芭蕉の門下の俳人だった。
図書は、黒羽の人々と芭蕉をつないだ。
どの道を通るか。
どこに寺があるか。
誰を訪ねればよいか。
地名だけだった土地に、人の顔が加わっていった。
五日。
雲巌寺へ向かう。
黒羽の山あいにある禅寺である。かつて、芭蕉の禅の師、仏頂和尚が、この寺の奥に庵を結んで山ごもりをしたという。
山道を進むにつれて、人家が少なくなった。木立の奥へ入るほど、世の中の音が遠くなる。
庵が見えた。
古びた庵だった。
屋根は傷み、壁は風雨に晒されている。人の気配はなかった。
曾良が立ち止まった。
「ここに、かつて人がいたのでしょうか」
「いた」
「今はおりません」
芭蕉は庵を見た。
人が去った後も、庵は残っている。
だが、残ったものは、昔の姿をそのまま保っているわけではない。木は腐り、屋根は傾き、山の景色に埋もれかけている。
それでも、なくなってはいない。
木をつつく鳥の木啄でさえ、この庵には手をつけなかったのか。
芭蕉は筆を取った。
「木啄も庵は破らず夏木立」
句を書き留める。
風が吹いた。
木立の葉が揺れ、庵の屋根に影が動いた。
帰路、芭蕉は一度だけ振り返った。
庵は木々の間に残っていた。
四 雨の黒羽
四月六日。
雨が降り始めた。
雨は九日まで止まなかった。
道へ出れば、草鞋が泥を吸った。宿にいても、軒から落ちる雫の音が続いた。
六日、七日、八日。
日が過ぎるたび、荷を解いたままにしておく時間が長くなった。
九日、光明寺へ招かれた。
昼から夜まで滞在した。人の声があり、食事があり、句を交わす者がいた。
帰る頃には、外は暗くなっていた。
雨の夜道を戻る。
提灯の光が、濡れた地面の上で揺れていた。
十日、ようやく雨が止んだ。
だが、十一日にはまた小雨が降った。
芭蕉は余瀬の翠桃の家へ戻った。晩方には強い雨になった。
十二日、図書が訪ねてきた。
「篠原へ参りませんか」
「雨がまた来る」
「来る前に行きましょう」
十三日は天気がよかった。
余瀬の俳人、津久井翅輪の訪問を受け、八幡へ参詣した。
十四日、また雨になった。
図書が重箱を持って訪ねてきた。
蓋を開けると、旅の宿では見ない料理が並んでいた。
芭蕉は箸を取った。
「ここにいると、旅を忘れそうだ」
「忘れてくださればよいのです」
図書が言った。
「忘れたまま、ここにおられてもよいでしょう」
芭蕉は答えなかった。
雨は、旅の足を止めた。
人の情は、心を止めた。
十五日。
雨が止んだ。
曾良は持病のため、図書のもとへは同行しなかった。芭蕉は出かける前に、その部屋へ寄った。
「一人で大丈夫か」
「先生が一人で歩くよりは」
「私は迷わぬ」
「道の途中で、何かを見つけて立ち止まることはあります」
「それは旅だ」
「病み上がりを置いていく旅人です」
芭蕉は笑った。
笑ったが、すぐには部屋を出なかった。
曾良を残して歩くのは、これが初めてだった。
「夕方には戻る」
「雨が降らなければ」
「降らぬ」
「それは先生には決められません」
芭蕉は返事をせず、外へ出た。
空は明るかった。
黒羽に長く留まった。
ここが嫌になったわけではない。
むしろ、ここにいる理由が増えていた。
だからこそ、出なければならなかった。
五 黒羽を出る
四月十六日。
天気がよかった。
芭蕉は図書の館から余瀬へ移り、そこから旅立つことになった。
図書の手配で馬が用意され、使いの弾蔵が道案内についた。
昼近くになっていた。
馬に荷を載せる。
図書が手綱を渡した。
「野間までお使いください」
「世話になった」
「礼は、先へ進まれることで」
芭蕉は馬に乗った。
別れの言葉は短かった。
長く話せば、足が止まる。
黒羽を離れる。
馬は野間までだった。
そこで馬を返す。
馬が去っていく。
蹄の音が遠くなると、道は静かになった。
ここから先は、また歩きだった。
高久へ向かう。
しばらくすると、雨が降り出した。
曾良が空を見た。
「最後まで雨ですな」
芭蕉は答えなかった。
濡れた道を歩き、高久の名主、覚左衛門の家へ入る。
図書からの書状が添えられていた。
覚左衛門は書状を読み、二人を部屋へ案内した。
旅の途中で、人の手が道をつないでくれる。
その手を離れても、書状だけは残っている。
十七日。
雨。
覚左衛門のもとに、もう一泊する。
芭蕉は戸口に立ち、雨の向こうを見た。
那須の山は雲に隠れていた。
まだ見ぬ道は、その先にある。
六 地震の朝
四月十八日。
夜明けのころ、地震があった。
宿が揺れた。
戸が鳴り、梁が軋む。芭蕉は目を覚ました。
曾良も起きていた。
二人は、揺れが収まってからもしばらく黙っていた。
「崩れませんでしたな」
曾良が言った。
「まだ分からぬ」
「外へ出ますか」
「雨だ」
曾良は戸の方を見た。
芭蕉も見た。
宿は、まだ立っていた。
朝のうちに雨が止み、空が明るくなった。
昼になって、高久の宿を出る。
少し進むと、空は晴れた。
馬が一頭、松子村まで送られてきた。
そこまで乗り、馬を返す。
松子村から湯本までは、歩いた。
湯本は、古くから知られた那須の温泉場である。
山道の木々は、昨日までと変わらず立っている。だが、土地の下で何かが動いた後だと思うと、足元を見る目が変わった。
湯本へ着いたのは午後だった。
宿の主人も、五左衛門といった。日光で泊まった五左衛門とは、名が同じだけの別人である。
翌十九日。
天気は快晴だった。
朝飯のあと、道中に付き添ってきた図書の家来、角左衛門を黒羽へ戻す。
「黒羽の皆に、よろしく伝えてくれ」
芭蕉が言った。
角左衛門は頭を下げ、来た道を戻っていった。
その背中が見えなくなった。
黒羽は、もう後ろにある。
午前、湯泉神社へ参詣する。
神主の越中が出迎えた。
宝物を見せてもらう。
屋島の合戦で、扇の的を射抜いたと語られる弓の名手、那須与一。その与一のものと伝わる品々だった。
鏑矢、征矢、檜扇、宣旨、縁起。
芭蕉は、黙ってそれらを見た。
鏑矢は何も語らない。
それでも、そこに与一の名が重ねられている。
神社を出て、殺生石へ向かう。
硫黄の匂いが強くなった。
石の周囲には夏草が生えている。
緑の草。
荒れた石。
鼻に残る匂い。
伝説を思うより先に、匂いが身体へ入ってきた。
芭蕉は石を見た。
九尾の狐が化けた玉藻前は、討たれたのち、石になったと伝わる。それがこの殺生石である。毒気を吐き、近づく鳥や獣の命を奪うという。
物語は、石の上にはなかった。
石の周りに立つ人々の記憶の中にあった。
芭蕉は筆を取った。
「石の香や夏草赤く露あつし」
句を書き留める。
風が吹いた。
草が揺れ、硫黄の匂いが流れた。
七 遊行柳
四月二十日。
朝、霧が降りていた。
山の道は白く霞んでいる。
朝のうちに霧が晴れた。
湯本を出る。
山道を進み、芦野へ向かう。
芦野の町を抜け、八幡の大門をくぐると、左手に柳があった。
遊行柳。
芭蕉が敬慕する歌人、西行が歌に詠んだと伝わる柳である。
芭蕉は足を止めた。
柳の向こうに田がある。
田では、人々が田植えをしていた。泥に足を入れ、一株ずつ、苗を植えていく。
曾良が柳を見た。
「歌に詠まれた柳ですな」
「ああ」
「思っていたより、近い」
芭蕉は動かなかった。
田の人々は、二人を見なかった。
苗を植え、泥を払い、一枚の田が、少しずつ緑に変わっていく。
やがて、最後の苗が植えられた。
それまで、芭蕉は柳の下を離れなかった。
芭蕉は筆を取った。
「田一枚植て立去る柳かな」
句を書き留める。
風が吹いた。
柳の枝が揺れた。
二人は歩き出した。
道はさらに北へ向かう。
関明神が見えてきた。
下野と陸奥の国境である。
関東の方に一社。
奥州の方に一社。
二つの社の間は、わずかだった。
茶屋があり、人の往来がある。
境は、道の上に線を引いたようには見えない。
それでも、その先は奥州だった。
二人は旗宿へ向かった。
暮れる前、小雨が降り始めた。
その夜、旗宿に泊まる。
芭蕉は戸口から暗い道を見た。
明日は関を越える。
八 関の向こう
四月二十一日。
霧雨が降っていた。
朝のうちに雨が止み、宿を出ると、宿の主が声をかけた。
「古の関の明神へ参られてはいかがです」
「白河の関ですか」
「そう伝わっております」
白河の関。都の人々が、みちのくへ入る門として、古くから歌に詠んできた関である。ただ、芭蕉の時代にはすでに廃れ、その跡がどこだったのかも、はっきりしなくなっていた。
道を進む。
住吉と玉嶋を一所に祀る宮がある。
古い関の明神だという。
芭蕉は社を見た。
ここが、かつての白河の関なのか。
確かなことは分からない。
曾良が言った。
「古関の跡については、別の伝えもあります」
「どちらが正しい」
「分かりません」
社がある。
道がある。
山がある。
それだけだった。
宿の主が言った。
「昔の人は、関を越えるとき、衣を改めたそうです」
芭蕉は道端の卯の花を見た。
白い花が、朝の光の中に咲いている。
曾良が一枝を手折り、頭の上にかざした。
「これで晴着になりますな」
そして、句を詠んだ。
「卯の花をかざしに関の晴着かな」
芭蕉は花を見た。
江戸を出てから、幾度も雨に止められた。
人に迎えられた。
古い寺を訪ねた。
古い石を見た。
柳を見た。
そのどれも、昔そのものではなかった。
だが、昔そのものが現れないからといって、歩く意味がなくなるわけではない。
失われたものは、失われたまま残る。
その前に立ち、今の自分の目で見る。
それが、旅なのかもしれなかった。
曾良はもう歩き出していた。
「参りましょう」
「ああ」
芭蕉は卯の花を見た。
白い花が、風に揺れている。
二人は関の向こうへ進んだ。
道は、まだ見えないところまで続いていた。
芭蕉は歩いた。
今度は、迷わなかった。
【あとがき】
第二章では、芭蕉と曾良が日光から白河まで進んだ二十数日の旅を描いた。道中の会話や心情は創作である。
◆ 句について
「暫時は滝に籠るや夏の初」
読みは「しばらくは たきにこもるや げのはじめ」と読まれることが多い。夏行は、夏の初めの一定期間、僧が山や堂にこもって修行すること。滝の音に包まれて立つうちに、ほんの束の間、その夏行に入ったような心持ちになった、という句である。実際の滝を詠みながら、その場で生じた精神的な感覚を句にしている。
「木啄も庵は破らず夏木立」
読みは「きつつきも いおはやぶらず なつこだち」。木啄はキツツキのこと。木をつつく鳥でさえ、この庵だけは壊さずにおいた、という意味である。仏頂和尚への敬意を、少し滑稽味のある見立てで表した句とも読める。
「石の香や夏草赤く露あつし」
読みは「いしのかや なつくさあかく つゆあつし」。石から立ちのぼる硫黄の香。熱気をはらんだ露を載せた夏草が、赤く染まっている、と読める。伝説の九尾の狐を描いた句ではなく、伝説の舞台に立った身体感覚を詠んだ句である。
「田一枚植て立去る柳かな」
読みは「たいちまい うえてたちさる やなぎかな」。「立去る」の主語を芭蕉自身とし、田植えが一枚分終わるまで柳の下にとどまり、ようやく立ち去ったと読むことができる。ただし、立ち去る主体については、田植えを終えた人々とする解釈などもある。本作では前者を採った。
「卯の花をかざしに関の晴着かな」
読みは「うのはなを かざしにせきの はれぎかな」。白河の関では、古人が関を越える際に衣装を改めたという故事が伝えられていた。しかし二人に晴着はない。そこで白い卯の花を頭にかざし、晴着の代わりとした。この句は芭蕉ではなく曾良の作である。
◆ 人物について
上鉢石町の五左衛門は、のちに『おくのほそ道』で「仏五左衛門」と呼ばれる人物。旅人を正直一途にもてなす人として描かれているが、詳しい素性は分かっていない。
鹿子畑翠桃の本名は豊明、浄法寺図書の名は高勝。兄弟はともに江戸で芭蕉に入門した、古くからの門人である。翠桃は余瀬の自宅で芭蕉たちを迎え、図書は自邸に招いて、黒羽滞在の中心となって支えた。津久井翅輪は余瀬に住む俳人で、翠桃や桃雪らとともに芭蕉を囲んだ。高久の覚左衛門は、図書の書状を受けて芭蕉と曾良を泊めた名主である。二人は雨のため、この家に二泊した。十九日に黒羽へ戻された角左衛門は、道中に付き添った図書の家来で、別人である。曾良の日記では、宿主の覚左衛門も「角左衛門」と記されているため、混同されやすい。
曾良が持病のため、十五日に図書のもとへ同行しなかったことは、『曾良随行日記』に記されている。その場面の会話は創作である。
仏頂和尚は、芭蕉が深川の頃に参禅した禅僧とされている。
◆ 場所について
千住から日光までの道を現在の地名で言えば、足立区から、埼玉県春日部市・久喜市(栗橋)、栃木県小山市、栃木市、壬生町、鹿沼市を経て、日光市へ至る。室の八島は、現在、栃木市の大神神社の境内に残る。裏見の滝は日光市にある。
雲巌寺は大田原市にあり、鎌倉時代に開かれた禅寺として知られる。芭蕉が訪れた山居の跡は、当時すでに「跡」だった。黒羽は現在の大田原市黒羽、高久は那須町高久にあたる。殺生石と遊行柳(芦野)は、ともに現在の那須町にあり、殺生石では今も硫黄の匂いが漂う。
◆ 白河の関について
芭蕉と曾良が訪れた元禄二年当時、白河の関はすでに廃絶しており、正確な位置は確定していなかった。作中で曾良に「分かりません」と言わせたのは、この事情による。
現在の白河関跡は福島県白河市旗宿にある。のちに白河藩主の松平定信が記録や伝承を調べ、寛政十二年(一八〇〇)にこの地を白河関跡と判断した。その後の発掘調査などを経て、昭和四十一年(一九六六)に国の史跡に指定されている。
芭蕉が見た「白河の関」と、後世に確定された「白河関跡」は、同じ名前を持ちながら、その成立過程は同じではない。
古い名所を訪ねても、昔そのものが現れるわけではない。寺も、庵も、柳も、関も、そこに残っているのは過去そのものではなく、過去を伝える現在の姿である。それでも、人はそこへ行く。何が失われ、何が残ったのかを、自分の目で確かめるためなのかもしれない。
第二章の最後で、芭蕉は「今度は、迷わなかった」と歩き出した。その先には、いよいよみちのくが待っている。




