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第一章 旅立ち ― 深川の春 (改稿版)

元禄二年(一六八九年)。江戸時代前期、松尾芭蕉《まつお ばしょう》は門人の河合曾良《かわい そら》を伴い、江戸を出て奥州・北陸をめぐる旅に出た。のちに『おくのほそ道』として知られる旅である。


目的は一つではない。松島を訪ねること。能因《のういん》や西行《さいぎょう》といった昔の歌人の足跡をたどること。古歌に詠まれてきた名所、すなわち歌枕《うたまくら》を、自分の目で確かめること。


本作は、現存する史料と研究を土台に、記録に残らない会話や心情を小説として描く歴史紀行小説である。作中の日付は旧暦。不定期連載。

一 深川を発つ


元禄二年三月二十七日。旧暦では、春も終わりのころである。


深川《ふかがわ》の朝は、まだ明けきっていなかった。


東の空は朧《おぼろ》にかすみ、有明《ありあけ》の月は光を収めかけている。


門人の杉風《さんぷう》が貸してくれた別宅、採荼庵《さいとあん》の戸を開けると、明け方の冷気が室内まで入り込んできた。


松尾芭蕉《まつお ばしょう》は庭に出た。


しばらく、動かなかった。


数え年で四十六。句を詠み、教える俳諧《はいかい》の師匠として、世に名を知られた身である。


その男が、今日、ここを出る。


それだけは、もう決めていた。


旅の支度は、すでに整えてあった。


行李《こうり》には、柿渋《かきしぶ》を引いた紙で仕立てた防寒着、紙子《かみこ》を畳んで収めた。北へ向かう旅では、まだ寒い夜もあろう。浴衣と雨具も添えてある。


腰には、筆と墨壺を一つにした携帯用の筆記具、矢立《やたて》を提げる。書き付けに使う紙と替えの筆は油紙に包み、荷の底に入れた。


旅に必要なものは、これで足りるはずだった。


だが、それだけではなかった。


辞退しきれず受け取った餞別《せんべつ》が、荷の中に混じっていた。旅先で役立ててほしいと渡された品々である。


皆の気持ちは有難かった。


だが、身一つで発つつもりだった荷は、思ったより重くなっていた。


芭蕉は行李を眺め、それから部屋を見回した。


長く暮らした草庵、芭蕉庵《ばしょうあん》は、すでに人に譲ってある。ここもまた、江戸での暮らしの最後の場所だった。


ここを出れば、いつ戻るとも知れない。


惜しむ気持ちがないわけではなかった。


だが、惜しめば足が止まる。


「御支度は、お済みですか」


背後から声がした。


杉風である。


芭蕉の古くからの門人《もんじん》で、魚問屋《さかなどんや》の主人。芭蕉の暮らしを長く支えてきた男だ。


芭蕉は振り返った。


「済んだ」


杉風は行李を見た。


「荷は重うございませんか」


「かまわん」


「道中は長うございます。江戸を離れれば、今までのように必要なものがすぐ手に入るとは限りませぬ」


「心得ている」


「そうでございましょうな」


杉風はそれ以上、何も言わなかった。


ただ、行李の紐を一度だけ確かめた。


芭蕉は、その手元を見ていた。


やがて、曾良《そら》が入ってきた。


河合曾良。芭蕉より五つ年下の四十一歳。地理に通じ、旅の実務に長けた門人で、この旅に同行する、ただ一人の供である。


「そろそろ参りましょう」


「ああ」


曾良は行李を持ち上げた。


「これは私が」


「重くはない」


「承知しております。ですが、私が持ちます」


芭蕉は少しだけ曾良を見た。


「そうか」


曾良は返事をせず、荷を担いだ。


別宅の外には、門人たちが集まっていた。


親しい者たちの多くは、昨夕から集まっていた。


皆、芭蕉が旅に出ることは知っていた。しかし、その旅がどこまで続くのか、いつ帰るのかについては、誰も知る由もなかった。


「師匠」


一人が進み出た。


芭蕉が顔を上げる。


「何だ」


「道中、くれぐれも御身を大切に」


芭蕉は頷いた。


「ああ。ありがとう」


別の門人が口を開いた。


「奥州の道には、まだ雪の残っているところもあるとか」


「そうらしいな」


「宿も、江戸ほどにはございません」


「それも聞いている」


門人は、その先の言葉を探して口を閉じた。


芭蕉は一人一人の顔を見た。


「心配してくれるのは有難い。だが、旅に出る者に苦労を言い聞かせても仕方あるまい」


「……はい」


「戻れば、また話そう」


門人は頭を下げた。


芭蕉の言葉を、幾人かは約束のように受け取った。


だが、芭蕉自身が、いつ帰ると心に定めていたのかは、誰にも分からなかった。


やがて、外から船頭《せんどう》の声がした。


舟が来ている。


芭蕉は別宅を出た。門人たちも後に続いた。


前を流れる水は濁っている。春の川風はまだ冷たく、岸辺の葦《あし》を細かく揺らしていた。


舟に乗り込む。


曾良が先に荷を収め、芭蕉が続いた。


見送りに来た者たちのうち、何人かも同じ舟に乗り込んだ。残った者たちは岸に立ち、舟の行方を見守った。


船頭が竿を入れる。


舟が、静かに岸を離れた。


深川の町並みが、ゆっくりと後ろへ流れていく。


見慣れた家並み。川辺の小屋。荷を積んだ舟。朝餉《あさげ》の煙。戸を開ける人の姿。


どれも、昨日までと変わらない。


変わったのは、その景色を眺めている自分の方だった。


芭蕉は岸を見たまま、振り返らなかった。


振り返れば、別れがいよいよ形を持つように思えた。


舟は隅田川《すみだがわ》へ出た。


川幅が広がり、風が強くなった。


芭蕉は笠を押さえた。


春の風が、顔を撫でていく。


空はまだ朧だった。


有明の月は薄れ、その下に富士の峰がかすかに見えた。上野、谷中《やなか》の方には、花を落とした梢が霞んでいる。


いつまた、あの景色を見ることができるだろう。


芭蕉はしばらく見つめ、やがて目をそらした。


二 千住の別れ


やがて、千住《せんじゅ》が近づいた。


舟が岸へ寄せられる。


船頭が竿を置いた。


芭蕉は立ち上がった。


曾良が荷を持つ。


二人は舟を降りた。


岸の土は、まだ湿っていた。


舟に乗ってきた者たちも岸に上がった。


ここで、別れる。


誰も、すぐには動かなかった。


ここまで来て、道の遠さが胸に迫った。


江戸を離れることと、知った顔を後にすることは、同じではなかった。


やがて、一人が頭を下げた。


それに続いて、皆が頭を下げた。


芭蕉は手を上げた。


別れの言葉を口にすれば、その先が続かなくなる気がした。


何人かは、目を拭っていた。


芭蕉は、その顔を一人ずつ見た。


長く世話になった者。


句を交わした者。


まだ若く、これから多くを学ぶ者。


この中の誰と、いつまた会えるのか。


考えたところで答えはなく、声をかける言葉も決まらなかった。


芭蕉は川へ目を向けた。


さきほどまで乗っていた舟が、ゆっくりと離れていく。


春の水面に、朝の光が細く揺れていた。


水の中を、白い影が上流へ上っていく。白魚《しらうお》だった。


その後ろで、小さな鮎《あゆ》の子らが、行く影を見送るように、流れの中に留まっている。


上っていくのは、自分だ。


留まって見送るのは、岸に立つ者たちだ。


曾良が、芭蕉の腰の矢立にちらりと目をやった。


芭蕉はそれに気づいたが、何も言わなかった。


矢立を外し、筆を抜く。懐に挟んでいた紙を取り出した。


口の中で句を整え、低く詠んだ。


「鮎の子のしら魚送る別哉」


曾良は黙って川を見ていた。


芭蕉はその句を紙に書き留め、筆を矢立に収めた。


見送りの者たちは、まだそこにいた。


「参りましょう」


曾良が言った。


「ああ」


芭蕉はもう一度、手を上げた。


今度も、言葉は添えなかった。


二人は歩き始めた。


道は北へ続いている。


その先には何があるのか、まだ誰にも分からなかった。


芭蕉は歩いた。


深川は、もう見えなかった。

【あとがき】


第一章では、元禄二年三月二十七日の旅立ちを描いた。


◆ 句について


「鮎の子のしら魚送る別哉」


読みは「あゆのこの しらうおおくる わかれかな」。


鮎の子が、川を上る白魚を見送っている。そんな別れであることよ、という句である。白魚を旅立つ芭蕉、鮎の子を見送る門人たちに重ねる解釈がある。


『続猿蓑《ぞくさるみの》』巻下「旅」に、詞書《ことばがき》「留別《りゅうべつ》」を付して収められている。


『おくのほそ道』を知っている方なら、千住の別れの句として、


「行く春や鳥啼き魚の目は泪」


を思い浮かべるかもしれない。『おくのほそ道』本文に採用されているのはこちらの句である。


一方、「鮎の子」の句は、実際の旅立ちに際して詠まれた句とする研究がある。千住に着いてからの作か、向かう途中の作かは確定していない。本作は旅立つ者と見送る者の別れを描くため、この句を採用した。なお、本文の川の情景は創作である。


◆ 人物と土地について


この時、芭蕉は数え年で四十六歳、曾良は四十一歳、杉風は四十三歳。


曾良は旅の行程や宿泊地を記した『曾良随行日記《そらずいこうにっき》』を残し、芭蕉の紀行文学と実際の旅路を比べる重要な史料となっている。


杉風は杉山杉風《すぎやま さんぷう》。屋号を鯉屋《こいや》といい、芭蕉の活動を物心両面から支えた。深川の芭蕉庵を提供したことでも知られる。


採荼庵は杉風の別宅で、跡は現在の東京都江東区深川一丁目、海辺橋《うみべばし》付近にある。千住は現在の足立区北千住周辺にあたる。


◆ 日付について


旧暦の三月二十七日は、新暦に直すと一六八九年五月十六日にあたる。作中で上野・谷中の花が散っているのはそのためである。


なお、旅立ちの日付には史料の食い違いがある。『おくのほそ道』は「弥生も末の七日」とする一方、『曾良随行日記』の伝来本文は「三月廿日」と読める。日記の「廿七日」から「七」が脱落したとする解釈が有力で、本作は三月二十七日を採った。

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