第四話 本能寺の変
第四話 本能寺の変
京の都に潜伏して半年。
柘植朔太郎は相変わらず無所属のまま、泥をすするような日々を送っていた。
一 街の用心棒
当時、京の周辺では織田の治世の隙を突いた野盗が横行し、大店の商人を襲う事件が頻発していた。
朔太郎は手元の銭が底をつきかけると、食い詰めた浪人や町の若者数人をわずかな銭で雇い入れた。
「道幅の狭い路地に追い込め。槍衾の形を作れば、素人の野盗など怖るるに足らん」
己の武力で力押しするのではない。かつて伊賀で培った圧倒的な配置と指図。
朔太郎の仕掛けた罠にはまった野盗どもは、手も足も出ずに撃退された。商人たちから十分な報酬を受け取り、雇った浪人たちに小銭を分配して己の懐も潤す。
半年で蓄えた路銀は一貫五百文。宿の行李に大半を隠し、一人で生きるには十分な日銭を得ながらも、朔太郎の心は常に冷めていた。
二 六月二日、早朝の激震
天正十年、六月二日。薄明の京の空を、不穏な地鳴りが揺らした。
宿をとっていた油小路の旅籠を出た朔太郎は、即座に異常を察知する。
早朝の街に充満する、焦げ臭い火の匂いと重金属の擦れる音。すぐ目と鼻の先から上がる激しい叫び声。
「……合戦か? 京のど真ん中で?」
朔太郎が槍を手に走り出すと、油小路蛸薬師に位置する本能寺の方角から凄まじい黒煙が立ち上っていた。
街道を埋め尽くしていたのは、水色桔梗の旗印を掲げた凄まじい数の軍勢――明智光秀の兵であった。
「織田の者を逃すな!」「火を放てッ!」
三 誤解の刃
燃え上がる本能寺。その熱気が街道まで押し寄せてくる。
かつて伊賀を焼き払った宿敵・織田信長が、目と鼻の先で炎に包まれているのだ。
だが、朔太郎に感慨に浸る時間など与えられなかった。
「あそこに槍を持った手練れがおるぞ! 織田の残党だ! 斬れッ!」
煙の中、長槍を構えて状況を見定めていた朔太郎の姿が、明智の先鋒隊の目に留まった。信長を討ち漏らすまいと血眼になった明智兵たちが、十数人で一斉に槍を突きのけて襲いかかってきたのだ。
「待て! 俺は織田の兵ではない!」
朔太郎の叫びは、戦場の狂気にかき消された。
明智兵の槍が、容赦なく朔太郎の喉元と胸を狙って肉薄する。
「チッ……話を聞く気もなさそうだな!」
四 炎の中の無刀
朔太郎は瞬時に腹を括った。
迫る明智兵の槍先を、柳生で盗んだ『無刀の理』で間一髪かわし、柄で相手の腕を打擲する。
すかさず自身の長槍を回転させ、狭い路地を利用して三人の腿を連続で穿った。
「ぐわぁっ!?」
「横に広がるなと言ったはずだ、素人どもが!」
乱戦の中であっても、朔太郎の頭脳は冷徹そのものだった。狭隘な路地に明智兵を誘い込み、集団の死角を突いて次々と足止めしていく。
燃え落ちる本能寺から天を突く火柱を見上げながら、朔太郎は吐き捨てた。
「俺の五百人を踏みつぶした天下人が、こんな路地裏の不意打ちであっけなく死ぬか……笑わせるな」
追手を撃退した朔太郎は、宿から手早く路銀を回収すると、大混乱に陥る京の街を背に再び走り出した。
信長が死んだ。天下の盤面が、根底から崩壊したのだ。




