第二十二話 忍びの拳(いぬ)
第二十二話 忍びの拳
毛利二万の軍勢を完膚なきまでに叩きのめし、丹波の国境から追い散らしてから数日。
激戦の爪痕が残る山道を行軍していた朔太郎は、草むらの陰で一足の足止めを食らっていた。
「……む」
長槍を手に屈み込んだ朔太郎の視線の先にいたのは、くしゃりと潰れた顔に、クリクリとした大きな黒い瞳を持つ、一匹の異様な小犬であった。
毛色は香ばしい小麦色、顔の真ん中だけが黒い。
戦火に巻き込まれて親を失ったのか、泥まみれになりながら、朔太郎の黒塗りの当世具足をぶひぶひと鼻を鳴らして嗅いでいる。
「なんだ、そのブサイクな面は」
朔太郎は冷ややかに言い放ちながらも、その首ねっこをひょいとつまみ上げて持ち上げた。
1 秘密兵器の選定
砦へ連れ帰った朔太郎は、本丸の広間でその小犬を畳の上にぽんと置いた。
「きゃあぁっ!? なにこの犬、超かわいいーっ!」
女子バレー部や家庭科部の女子生徒たちが一斉に目を輝かせて群がってきた。
「鼻ぺちゃ! パグじゃん、パグ!」
「気安く触るな」
朔太郎が長槍の柄で生徒たちを冷たく制した(魅力五十)。
「これはペットではない。我が丹波軍の新しい『忍び(忍者犬)』だ」
「「「ええーっ!?」」」
生徒たちどころか、控えていた旧・伊賀の忍びたちまでがズッコケそうになった。
「殿……正気ですか? 忍びの犬といえば、足の速い柴や甲斐犬、狼の血を引く猛犬が常。このような脚が短く、顔の潰れた犬など……」
「バカめ」
朔太郎は忍びの頭領を冷ややかな目で見下ろした(智謀八十)。
「猛犬は一目で警戒される。だが、この奇妙で愛くるしい面を見ろ。敵陣に紛れ込んでも、誰も兵器とは思うまい。小型ゆえに草むらに隠れやすく、鼻も利く。敵の油断を誘い、内部を探る隠密として、これ以上の兵器があろうか」
徹底的な合理主義。
しかし、抱え上げられたパグは、朔太郎の冷酷な解説など知る由もなく、「ぶひっ」と間抜けな声を上げて朔太郎の返り血のついた頬を舐めた。
2 忍犬・「丸」の特訓
それからの数日間、丹波の砦では前代未聞の「忍犬特訓」が開始された。
「良いか。気配を消し、敵の番兵の股ぐらを潜り抜けよ」
朔太郎が真顔で指示を出すと、パグはトコトコと短い脚で走り、忍びたちの張った縄をすり抜けて見事に裏手へ回り込んでみせた。
「……素晴らしい。教え込まざるして、すでに隠密の素質がある」
真剣な表情で頷く朔太郎。
「いや、ただ短足だから縄の下を潜れただけじゃないスか……?」
遠目で見守る野球部員たちがボソッと突っ込む。
朔太郎はこのパグに『丸』と名付け、自らの懐に入れて肌身離さず連れ歩くようになった。
食事のときも、軍議のときも、朔太郎の膝の上には常に「ぶひぶひ」と胸を鳴らす丸の姿があった。
3 小さな相棒
夜。誰もいなくなった本丸の縁側で、朔太郎は一人、月を見上げながら長槍の手入れをしていた。
膝の上では、丸が丸くなって気持ちよさそうに息を吐いている。
かつて、五百の部下を死なせ、たった五百文の銭だけを握りしめて暗闇を走っていた夜。
誰とも情を交わさず、冷酷な計算(統率九十・政務八十五)だけで生きていくと誓った。
「……お前も、行き場を失ったクチか」
朔太郎は誰にも聞こえないような低い声で呟き、ゴツゴツとした無骨な指先で、丸の柔らかい頭をそっと撫でた。
丸は薄目を開け、満足そうに朔太郎の手のひらに顔をすり寄せる。
冷徹な仮面の裏に隠された、男の僅かな温もり。
4 西国の動揺と新しい影
その頃、毛利二万を追い払われた羽柴秀吉と黒田官兵衛のもとに、さらなる衝撃の報せが届いていた。
『毛利軍、丹波の未知の兵器と異様な要塞の前に壊滅的敗北。丹波の朔太郎、ますます勢力を拡大中』
「毛利の二万すら退けたというか……!」
大阪城で秀吉が顔を歪める。
「しかも噂によれば、奴の傍らには、見たこともない奇妙な黒鼻の『妖術犬』が寄り添い、陣を導いているとか……」
「……どこまで底が知れぬ男だ、柘植朔太郎」
官兵衛が苦々しく噛み締めた。
最強の現代知識を得た五百の高校生。
そして、新たに加わった一匹の「忍者犬・丸」。
天下人・秀吉を震え上がらせる丹波の怪物・柘植朔太郎の伝説は、可愛らしくも恐ろしい相棒を得て、さらに加速していくのであった。




