第7話 記録係は同席します
王太子殿下からの封書には、こう書かれていた。
内密に話し合いたい。
記録係は連れてくるな。
私はその一文を、三度読んだ。
読み間違いではなかった。
記録係は連れてくるな。
とてもわかりやすい文章である。
わかりやすい文章は好きだ。
内容が好きかどうかは、別の問題だけれど。
「ミラさん」
アデライン様が言った。
「あなた、来られる?」
「私でよろしければ」
「あなたでなければ困ります」
即答だった。
困る。
そういう言い方をされると、断るための言葉が紙の隅へ逃げてしまう。
エドウィン補佐官が、王太子殿下の封書を確認していた。
「宰相府としても、ミラ嬢の同席を勧めます」
「勧めるのですか」
「ええ」
彼は封書を丁寧に畳んだ。
「記録を拒む話し合いほど、記録が必要です」
それは、かなり正しい。
正しすぎて、少し怖い。
アデライン様は馬車へ向かった。
「では、行きましょう」
「どちらへ」
「王宮です」
私は鞄を抱え直した。
昨日から、王宮という場所があまり好きではなくなっている。
床は光りすぎているし、偉い方々は発言を消したがる。
ただ、紙はどこでも紙だ。
それだけは助かる。
◇
王宮の小応接室は、夜会の大広間よりずっと静かだった。
静かすぎて、時計の針の音がよく聞こえる。
王太子殿下は、すでに中にいた。
昨日より顔色が悪い。
けれど、服装は整っていた。
人は追い詰められても、襟だけは正せるらしい。
「アデライン」
殿下は立ち上がった。
そして、私を見た。
正確には、私の手元の帳面を見た。
「なぜ、その女がいる」
私は書いた。
王太子殿下、記録係ミラ・ノートンの同席について不満を表明。
「殿下からの封書に、記録係を連れてくるなとありましたので」
アデライン様が微笑んだ。
「必要だと思いました」
「私は内密に話したいと言った」
「内密にする理由を、まず記録いたしましょう」
殿下の口元が引きつった。
私は少しだけ同情した。
アデライン様は、綺麗な言葉で逃げ道を塞ぐ。
逃げ道の方も、塞がれる前に逃げればいいのにと思う。
「エドウィン補佐官まで」
殿下は今度、エドウィン様を見た。
「これは私とアデラインの問題だ」
「昨夜の議事録削除命令、学院評議会記録の否認、孤児院予算に関わる署名の疑義が出ております」
エドウィン様は静かに言った。
「すでに私的な問題ではありません」
「署名の件は誤解だ」
殿下は早かった。
まだ誰も詳しく言っていない。
私は書いた。
王太子殿下、孤児院予算署名の件について、説明前に「誤解」と発言。
殿下がこちらを睨んだ。
私は目を伏せた。
睨まれるのは苦手だ。
でも、書かない理由にはならない。
「ミラ嬢」
エドウィン様が小さく言った。
「机を使ってください。膝の上では書きにくいでしょう」
私は顔を上げた。
彼は、私の前に小さな書き物机を寄せてくれていた。
いつの間に。
「ありがとうございます」
「仕事道具は、大切にした方がいい」
その言い方は、私ではなく、私の仕事を見ているようだった。
なぜか、少し胸が落ち着かなくなった。
困る。
書きやすくなったのに、書きにくい。
「話を戻します」
アデライン様が言った。
「殿下。昨夜の件について、何を内密にしたかったのですか」
王太子殿下は、深く息を吸った。
「婚約破棄は、撤回してもよい」
私はペンを止めかけた。
止めなかった。
王太子殿下、アデライン・ロシュフォード嬢との婚約破棄撤回の意思を示す。
「撤回」
アデライン様は繰り返した。
「はい。撤回してもよい、とのことです」
私は補足した。
殿下が嫌そうな顔をした。
「いちいち読み上げるな」
「承知しました。王太子殿下、記録内容の読み上げを拒否」
「そうではない!」
「殿下」
アデライン様が遮った。
「婚約破棄は、殿下が大広間で宣言なさいました」
「だから撤回すると言っている」
「私が受け入れるとは申し上げておりません」
小応接室の空気が、少し重くなった。
殿下は信じられないものを見る顔をした。
「アデライン。君は、自分の立場をわかっているのか」
「ええ」
アデライン様は静かに頷いた。
「だからこそ、もう殿下の隣には戻りません」
綺麗な声だった。
冷たいのではない。
よく磨かれているのだと思った。
「私に恥をかかせる気か」
「昨夜、私に恥をかかせる場を用意したのは殿下です」
アデライン様は言った。
「けれど、私は恥とは思いませんでした。あの場で終わったのは婚約であって、私自身ではありませんもの」
私は書きながら、少しだけ息を忘れた。
アデライン様は、誰かの隣に収まるための人ではない。
自分の名と領地と責任を背負って立つ方が、ずっと似合う。
「では、何が望みだ」
殿下の声が低くなった。
「金か。爵位か。王家からの謝罪か」
「王立孤児院に、本来の予算と物資を戻すこと」
アデライン様は即答した。
「学院評議会の記録を正式に調査すること。昨夜の証言誘導について、関係者全員から聞き取りを行うこと。議事録削除命令について、殿下ご自身が宰相府へ説明すること」
「そんなことをすれば」
殿下は唇を噛んだ。
「私の立場が」
「ええ」
アデライン様は微笑んだ。
「ご自分の発言ですもの。お背負いください」
私は、ペンを持つ指に力が入った。
少しだけ、字が濃くなった。
エドウィン様が私の紙を見て、小さく笑った気がした。
見ないでほしい。
怒っている字は、あまり見せたくない。
「私はロザベルに騙されていたのだ」
王太子殿下が言った。
突然だった。
私は書いた。
王太子殿下、ロザベル・ミード嬢に騙されていたと主張。
「ロザベルが泣いて訴えた。アデラインに虐げられたと。私は彼女を守ろうとしただけだ」
守る。
便利な言葉だ。
使う人によっては、誰かを殴る棒にもなる。
「殿下」
私は思わず口を開いていた。
アデライン様とエドウィン様が、同時にこちらを見る。
困る。
見ないでほしい。
けれど、もう声は出てしまった。
「昨夜、ロザベル様が証言を訂正した時、殿下はその発言を遮りました」
王太子殿下の顔がこわばった。
「孤児院の物資についても、まだロザベル様本人の関与は確定していません。ですが、殿下は今、先に彼女へ責任を移そうとなさいました」
「貴様、私を責めるのか」
「いいえ」
私は首を横に振った。
「順番を確認しています」
殿下は言葉を失った。
エドウィン様が、静かに言った。
「大事な確認です」
その一言で、私はなぜか少し救われた。
誰かが私の書いた線を、指で押さえてくれたような気がした。
「ミラ嬢の指摘は、宰相府でも確認します」
「補佐官まで、その女の肩を持つのか」
「肩ではありません」
エドウィン様は答えた。
「記録を見ています」
胸の奥が、変なふうに跳ねた。
困る。
今は、跳ねる場面ではない。
「もうよい」
王太子殿下は立ち上がった。
「話し合いは終わりだ」
「承知しました」
私は書いた。
王太子殿下、話し合いの終了を宣言。
「書くな!」
「終了も記録対象です」
殿下がこちらへ一歩踏み出した。
その瞬間、エドウィン様が私の前に立った。
大きく動いたわけではない。
ただ、一歩。
それだけで、殿下の視線から私が外れた。
「殿下」
エドウィン様の声は、低かった。
「宰相府預かりの証人に近づかないでいただきたい」
証人。
私のことらしい。
記録係より、少し重い。
紙束を一枚増やされた気分だった。
王太子殿下は、悔しそうに奥歯を噛んだ。
その時、扉の外から声がした。
「失礼いたします」
王宮侍従だった。
顔色が悪い。
今日、顔色の悪い人が多い。
「国王陛下より、お呼び出しでございます」
王太子殿下の表情が変わった。
アデライン様も、エドウィン様も黙った。
私はペンを握り直した。
「どなたを、でしょうか」
侍従は一瞬ためらった。
それから、答えた。
「アデライン・ロシュフォード様、エドウィン補佐官、ならびに記録係ミラ・ノートン嬢を」
私の名前があった。
まただ。
最近、私の名前は思ったよりよく紙に乗る。
王太子殿下が小さく笑った。
「父上の前でも同じことが言えるかな、記録係」
私は少し考えた。
国王陛下の前。
できれば行きたくない。
とても行きたくない。
けれど、呼び出しは記録に残る。
たぶん、欠席も残る。
私は帳面を閉じ、立ち上がった。
「恐れ入ります」
王太子殿下が眉をひそめた。
「何だ」
「陛下のお言葉も、記録対象でしょうか」
王太子殿下の笑みが消えた。
アデライン様が、静かに微笑んだ。
エドウィン様は、私の書き物机からインク壺を持ち上げた。
「必要でしょう」
彼は言った。
「あなたの手が止まらないように」
それは、とても実務的な言葉だった。
実務的なのに、なぜか少しだけ、耳に残った。
私は鞄を持った。
どうやら今日は、国王陛下まで記録することになるらしい。




