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「君なら黙って記録するだろう」と王子殿下はおっしゃいましたので 〜議事録令嬢は未来の女公爵様の記録官になります〜  作者: 神居 朔
第一章

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第6話 寄付品でしたら、返せますね

「それは、私の寄付品です」


 ロザベル・ミード嬢は、そう言った。


 倉庫の中で。


 王立孤児院宛ての古い荷札が残った小麦粉の袋を前にして。


 私は書いた。


 ロザベル・ミード嬢、王立孤児院宛て物資について「私の寄付品」と発言。


 ペン先が少しだけ引っかかった。


 紙にも、困ることがあるらしい。


「寄付品」


 アデライン様は、ゆっくりと繰り返した。


「ええ」


 ロザベル嬢は胸元に手を当てた。


 昨日と同じ仕草だった。


 けれど、昨日の白い手巾はない。


「私は孤児院の子どもたちのために、ミード商会から物資を寄付しようとしていました。それを盗品のように扱われるなんて、あんまりです」


 バルク卿が、かすかに息を吐いた。


 助かった、という顔だった。


 助かっていないと思う。


 たぶん。


「そう」


 アデライン様は微笑んだ。


 優しい笑みだった。


 優しいので、私は少しだけ嫌な予感がした。


「寄付品なのですね」


「はい」


「王立孤児院の子どもたちへの」


「もちろんです」


「では、今すぐ届けましょう」


 ロザベル嬢の表情が止まった。


 バルク卿も止まった。


 倉庫番は、止まる前から動いていなかった。


「え?」


「寄付品なのでしょう?」


 アデライン様は言った。


「王立孤児院の子どもたちのために用意した小麦粉、豆、薬草、毛布。ならば、今すぐ孤児院へ届けても問題ありませんね」


「そ、それは」


「問題がありますか」


 ロザベル嬢は口を開いた。


 閉じた。


 もう一度開いた。


 言葉が出てこない。


 言葉というものは、出る時は勝手に出るのに、必要な時ほど詰まるらしい。


「アデライン様」


 私は小さく言った。


「寄付品として届ける場合も、数量と品目、荷札の貼り替え履歴、元の宛名を記録しておく必要があります」


「ええ。お願いします」


「あと、寄付者名も」


 ロザベル嬢が私を見た。


「寄付者名?」


「はい」


 私は帳面を見下ろした。


「ロザベル様の寄付品として届けるのであれば、王立孤児院の記録には、ロザベル・ミード嬢より寄付と残ります」


「そ、それは困ります」


「困るのですか」


 アデライン様が聞いた。


 ロザベル嬢は唇を噛んだ。


「いえ、困るというか、その、私は目立ちたくなくて」


「昨日の夜会では、ずいぶん目立っていらしたけれど」


 アデライン様の声は、柔らかかった。


 柔らかい刃物というものがあるなら、たぶんこういう声だと思う。


「寄付者名を伏せることもできます」


 私は言った。


 ロザベル嬢の顔が、少し明るくなる。


「ただし、その場合は匿名寄付として記録されます。元の荷札が王立孤児院宛てであったこと、ミード商会倉庫に保管されていたこと、寄付者名を伏せる希望があったことも、併記します」


 明るくなった顔が、また暗くなった。


 忙しい顔だった。


「あなた、わざとやっているでしょう」


 ロザベル嬢が言った。


「いいえ」


 私は少し考えた。


「たぶん」


「たぶん?」


「記録係として必要な確認をしています」


 ロザベル嬢は泣きそうな顔をした。


 泣きそうなのか、泣きそうに見せているのかは、私にはわからない。


 ただ、昨日より少し下手だった。


「ミラさん」


 アデライン様が言った。


「物資は孤児院へ。帳簿と受領書は写しを取り、原本は封をして宰相府へ提出します」


「承知しました」


「異議のある方は?」


 誰も答えなかった。


 沈黙。


 これは記録しなくてもいい沈黙だろうか。


 少し迷って、私は書いた。


 関係者一同、異議なし。


 すると、倉庫の入口から声がした。


「その封印、宰相府で引き受けましょう」


 若い男性だった。


 濃い茶の髪を後ろに流し、飾り気の少ない上着をきっちり着ている。目つきは柔らかいが、手にしている書類の角は一枚も乱れていなかった。


 こういう人は、たいてい怖い。


 机の上が整っている人と同じ種類の怖さである。


「エドウィン補佐官」


 アデライン様が名を呼んだ。


「早かったですね」


「ロシュフォード家の馬車が王立孤児院へ向かったと聞きましたので」


 エドウィン様は軽く礼をした。


「その後、王宮慈善局の馬車が慌てて南へ走った。追う理由としては十分です」


 バルク卿が、わかりやすく目を逸らした。


 私は書いた。


 バルク卿、エドウィン補佐官の発言後、視線を逸らす。


「……細かいですね」


 エドウィン様が私の手元を見て言った。


「申し訳ありません」


「謝ることではありません」


 彼は、ほんの少し笑った。


「その細かさで、子どもたちのパンが戻る」


 私は返事に困った。


 褒め言葉だった。


 たぶん。


 褒め言葉は、いつも少し扱いにくい。


「ミラ・ノートン嬢ですね」


「はい」


「昨夜の議事録、宰相府で拝見しました」


 私は背筋を伸ばした。


「不備がありましたでしょうか」


「いいえ」


 エドウィン様は言った。


「不備がなさすぎて、何人かが眠れなかったようです」


 それは褒め言葉なのだろうか。


 だとしたら、少し物騒である。


 アデライン様が、小さく笑った。


「エドウィン補佐官。封印を」


「承知しました」


 宰相府の係官たちが倉庫へ入ってくる。


 麻袋に封をする者。

 木箱の数を数える者。

 受領書を写す者。


 私はその横で、数量を書き続けた。


 小麦粉、十二袋。

 豆、八袋。

 薬草、三箱。

 毛布、二十枚。


 文字にすると、ただの品目になる。


 でも、リナの手の中にあった小さなパンを思い出すと、ただの品目ではなかった。


「ミラさん」


 アデライン様が隣に立った。


「はい」


「孤児院へ戻す物資の一覧、あなたの字で一枚作ってくださる?」


「孤児院用ですか」


「ええ。子どもたちが、自分たちのものだとわかるように」


 私は一瞬、手を止めた。


 子どもたちが、自分たちのものだとわかるように。


 その言葉は、なぜか胸の奥に残った。


「承知しました」


 私は新しい紙を出した。


 王立孤児院返還物資一覧。


 そう書いた。


 返還。


 寄付ではない。


 もともと届くはずだったものが、帰るだけである。


 ロザベル嬢が、その文字を見て顔を伏せた。


「私は……」


 小さな声だった。


「私は、知らなかったのです」


 アデライン様は彼女を見た。


「何を?」


「お父様が、孤児院のものを……そんなことをしていたなんて」


 その声が本当かどうかは、私には判断できない。


 でも、昨日の夜会で彼女が証言を変えたことは記録にある。


 今日、寄付品だと言ったことも記録にある。


 人の涙は乾く。


 記録は乾いたあとに残る。


「ロザベルさん」


 アデライン様は静かに言った。


「知らなかったことは、罪ではありません」


 ロザベル嬢が顔を上げた。


「ですが、知らなかったことにして逃げるのは、別の罪です」


 ロザベル嬢の肩が震えた。


「あなたが本当に知らなかったのなら、今ここで選びなさい。ミード商会を守るのか、孤児院へ返すのか」


 倉庫の中に、冷たい朝の光が差し込んでいた。


 ロザベル嬢は、長い沈黙のあと、かすれた声で言った。


「……返します」


 私は書いた。


 ロザベル・ミード嬢、王立孤児院宛て物資の返還に同意。


「声が小さいですね」


 エドウィン様が言った。


 ロザベル嬢はびくりとした。


「返します。孤児院へ、返してください」


 私はもう一度書いた。


 今度は少しだけ、字が濃くなった。


「では、運びます」


 アデライン様が言った。


 その横顔は綺麗だった。


 けれど、飾られている綺麗さではない。


 荷車の泥も、倉庫の埃も、誰かの嘘も、まとめて踏んで進む人の顔だった。


 エドウィン様が、私の紙を覗き込む。


「良い字ですね」


「ありがとうございます」


「少し怒っている字です」


 私は手元を見た。


「字に出ていますか」


「出ています」


「それは困ります」


「困らなくていい」


 エドウィン様は、静かに言った。


「怒るべきところで怒れる記録官は、信用できます」


 また、返事に困ることを言われた。


 私は紙の端をそろえた。


 紙の端は、いつも私より落ち着いている。


 その時、倉庫の外から馬のいななきが聞こえた。


 次の瞬間、護衛が駆け込んでくる。


「アデライン様。王宮から使者です」


 アデライン様は、眉一つ動かさなかった。


「誰から?」


「王太子殿下より」


 バルク卿が、わずかに顔を上げた。


 ロザベル嬢は息を呑んだ。


 私はペンを持ち直した。


 昨日から、王子殿下のお名前はよく出る。


 本人がいない時ほど、よく出る。


 護衛が差し出した封書には、王家の紋章が押されていた。


 今度は、署名も封蝋もある。


 アデライン様が封を切る。


 読み終えた彼女は、私に手紙を渡した。


「ミラさん。読み上げて」


「よろしいのですか」


「ええ。記録に残すべき内容です」


 私は手紙を受け取った。


 王太子殿下の署名。


 整った文字。


 昨日より、少し乱れた筆跡。


 私は読み上げた。


「アデライン・ロシュフォード。昨夜の件について、内密に話し合いたい。記録係は連れてくるな」


 倉庫の中の視線が、私に集まった。


 私は手紙を見下ろした。


 記録係は連れてくるな。


 なるほど。


 そこだけは、とてもわかりやすかった。


 アデライン様が微笑んだ。


「ミラさん」


「はい」


「行きましょう」


「私もですか」


「もちろん」


 彼女は、王家の封書を私の帳面の上に置いた。


「連れてくるなと言われた相手ほど、連れていく価値があります」


 私は少しだけ考えた。


 そして、書いた。


 王太子殿下、内密の話し合いを求める。

 ただし、記録係の同席を拒否。


 最後の一文は、自然と濃くなった。


 たぶん、少し怒っている字だった。

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