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「君なら黙って記録するだろう」と王子殿下はおっしゃいましたので 〜議事録令嬢は未来の女公爵様の記録官になります〜  作者: 神居 朔
第一章

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第5話 ミード商会倉庫にて

 配送先、ミード商会倉庫。


 その文字を読み上げた瞬間、バルク卿は笑った。


 かなり無理のある笑い方だった。


「偶然です」


「まだ何も聞いていません」


 私は言った。


 バルク卿の笑みが止まった。


 早かった。


「ミードという商会は王都にいくつもございます。昨日の令嬢と関係があるとは限らない」


「昨日の令嬢」


 私は書いた。


 バルク卿、ロザベル・ミード嬢を「昨日の令嬢」と表現。


「書くな!」


「承知しました。では、発言記録中止要求」


「もういい!」


 いいらしい。


 よくはなさそうだった。


 アデライン様は、受領書を見つめていた。


 怒鳴らない。

 急がない。

 ただ、紙の上にある線を、逃がさない目をしている。


「院長」


「は、はい」


「この品は、届きましたか」


 院長は受領書を見た。


 小麦粉。

 豆。

 薬草。

 毛布。


 それから、食堂の方を見た。


 子どもたちは、薄いスープの前で黙っている。


「……届いておりません」


 小さな声だった。


 けれど、紙に乗せるには十分だった。


 私は書いた。


 院長、受領書記載の物資について未受領と証言。


「では、倉庫へ行きましょう」


 アデライン様が言った。


 バルク卿の顔色が変わった。


「今からですか」


「今からです」


「令嬢が商会の倉庫などに」


「孤児院に届くはずだったパンと毛布があるかもしれない場所です」


 アデライン様は、手袋をはめ直した。


「行かない理由がありますか」


 バルク卿は答えなかった。


 答えないことも、時々答えになる。


     ◇


 ミード商会の倉庫は、王都の南側にあった。


 孤児院から遠い。


 遠すぎる。


 小麦粉や豆が、わざわざここで迷子になるには、馬車代がかかりすぎる距離だった。


 倉庫の前には、荷馬車が三台並んでいる。


 木箱。

 麻袋。

 香辛料の匂い。

 湿った縄の匂い。


 その中に、薬草の匂いが混じっていた。


「これはこれは、ロシュフォード様」


 倉庫番らしき男が、慌てて帽子を取った。


 目は笑っていない。


 口だけが忙しかった。


「何かお探しで?」


「王立孤児院宛ての物資です」


 アデライン様が言った。


 男の口が止まった。


 やはり、口は目より先に疲れる。


「そのようなものは」


「ありませんか」


「ええ、もちろん」


「まだ帳簿も見ていませんのに」


 男は汗をかいた。


 今日は汗を見る日らしい。


 アデライン様は倉庫の奥へ歩いた。


 護衛が扉を開ける。


 倉庫番が止めようとしたが、アデライン様の一瞥で足が止まった。


 中は暗かった。


 積まれた木箱の横に、麻袋が並んでいる。


 私は一つの袋の前で足を止めた。


 封の上に、新しい荷札が貼られている。


 ミード商会寄付品。


 その下に、古い紙の端が少しだけ残っていた。


 爪で剥がす。


 王立孤児院。


 私は黙って、アデライン様に見せた。


 アデライン様はそれを見ても、表情を変えなかった。


 ただ、倉庫番を見た。


「寄付品?」


「そ、それは、当商会が慈善事業として」


「王立孤児院宛ての荷札の上から貼ったものを?」


 倉庫番がバルク卿を見た。


 バルク卿は倉庫の壁を見ていた。


 壁は助けてくれない。


 私は書いた。


 倉庫番、回答に詰まり、バルク卿を見る。


「ミラさん」


「はい」


「中身を確認して」


「よろしいのですか」


「私が責任を取ります」


 その言い方が、少しずるかった。


 責任を取る、と簡単に言える人は少ない。


 言えるだけでなく、本当に取りそうな人はもっと少ない。


 私は麻袋を開けた。


 小麦粉だった。


 白い粉が指先につく。


 食堂で見た黒パンを思い出した。


 昨日より大きいです。


 リナの声が、耳の奥に残っている。


 私は指についた粉を見た。


 これは、パンになるはずだった。


 誰かの朝食になるはずだった。


 それが、倉庫で商会の寄付品にされている。


 私は、少しだけ息を吸った。


 怒るのは得意ではない。


 でも、書く手は止まらなかった。


 王立孤児院宛て荷札の上に、ミード商会寄付品の新荷札。

 中身、小麦粉。

 受領書記載品目と一致。


 倉庫番が後ずさった。


「お待ちください。それは、私の一存では」


「誰の指示ですか」


 アデライン様が聞いた。


「それは」


「誰の指示ですか」


 二度目は、少しだけ声が低かった。


 倉庫番は、ついに膝を折った。


「ミード商会の旦那様です。ロザベルお嬢様の、お父上です」


 バルク卿が目を閉じた。


 閉じても遅い。


 私は書いた。


 倉庫番、物資の荷札貼り替えについて、ミード商会主の指示と証言。


「バルク卿」


 アデライン様が振り向いた。


「王宮慈善局は、この倉庫を通すよう指示しましたか」


「私は、通常の手続きを」


「はいか、いいえで」


 アデライン様の声は静かだった。


 でも、逃げ道はなかった。


 バルク卿は唇を噛んだ。


「……はい」


 私は書いた。


 バルク卿、王立孤児院宛て物資をミード商会倉庫経由としたことを認める。


 ペン先が少し震えた。


 これは、昨日の夜会よりひどい。


 昨日は名誉の話だった。


 今日は、パンの話だ。


 毛布の話だ。


 薬の話だ。


 黙っている子どもたちの話だ。


「この物資は、今すぐ孤児院へ運びます」


 アデライン様が言った。


「ですが、これは証拠品で」


 バルク卿が言いかけた。


「証拠なら写しを取れば足ります。子どもの食事は写しでは足りません」


 倉庫の中が、静かになった。


 私は顔を上げた。


 アデライン様は、倉庫番でも、バルク卿でもなく、麻袋を見ていた。


 あの方は、証拠を見ている。


 でも、それだけではない。


 その先で待っている誰かを見ている。


「ミラさん」


「はい」


「数量を記録して。孤児院へ戻す分、証拠として封をする分、王宮へ提出する写し分。すべて分けます」


「承知しました」


「それと」


 アデライン様は、少しだけ笑った。


「粉がついています」


「え」


 私の頬に、小麦粉がついていた。


 たぶん袋を開けた時だ。


 恥ずかしい。


 よりによって、こういう時に。


 アデライン様は手袋を外し、指先でそっと払ってくださった。


 一瞬、近かった。


 香水ではなく、冷たい朝の空気の匂いがした。


「……ありがとうございます」


「働いた証拠です」


 そう言われると、少し困る。


 粉も記録対象に入るのだろうか。


 入れないことにした。


 その時、倉庫の外が騒がしくなった。


 馬車の音。

 慌てた足音。

 誰かが扉を開ける。


「お父様!」


 聞き覚えのある声だった。


 昨日、白い手巾を目元に当てていた声。


 ロザベル・ミード嬢が、倉庫の入口に立っていた。


 彼女は私たちを見た。


 小麦粉の袋を見た。


 荷札を見た。


 そして、アデライン様を見た。


「どうして……」


 その声は震えていた。


 演技かどうかは、私には判断できない。


 だから、記録しない。


 けれど次の一言は、記録した。


「それは、私の寄付品です」


 私はペンを止めた。


 アデライン様が、ゆっくりと振り返る。


「ロザベルさん」


 その声は優しかった。


 優しかったので、余計に怖かった。


「では、説明していただけますね」


 ロザベル嬢の顔から、血の気が引いた。


 私は新しい紙を出した。


 どうやら今日は、まだ終わらない。

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