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「君なら黙って記録するだろう」と王子殿下はおっしゃいましたので 〜議事録令嬢は未来の女公爵様の記録官になります〜  作者: 神居 朔
第二章

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第32話 叔父様が守ったもの

 翌日の家門広間には、七部の記録が並んでいた。


 昨日、アデライン様が決めた数だ。


 当主席に一部。


 分家側に一部。


 法務顧問に一部。


 会計室に一部。


 北部代官所に一部。


 家政部に一部。


 そして、私の前に一部。


 同じ紙が七つある。


 少し多い。


 でも、一つ消されても六つ残る。


 そう考えると、悪くない。


「全員、そろいました」


 モーリス様が告げた。


 アデライン様が頷く。


「始めましょう」


 ヴィクター様は昨日と同じ席にいた。


 服装もほとんど変わらない。


 深い緑の上着。


 銀の留め具。


 分家筆頭として、長くこの家にいた人の姿。


 ただ、今日は笑っていなかった。


「北部再建費について、最終確認を行います」


 アデライン様が言った。


「確認する事項は四つです」


 私は読み上げる準備をした。


「第一に、救済金がどこへ動いたか」


 一枚目。


「第二に、私宛の報告がなぜ届かなかったか」


 二枚目。


「第三に、リーヴェ村の橋がなぜ三年間架からなかったか」


 三枚目。


「第四に、それらと叔父様の後見提案に関係があるか」


 ヴィクター様の指が、机を一度叩いた。


「昨日と同じ話を繰り返すのか」


「いいえ」


 アデライン様は答えた。


「昨日は叔父様の説明を聞きました」


 視線を上げる。


「今日は、叔父様の説明を記録と照らします」


 私は最初の資料を取った。


「ミラさん」


「はい」


「お願いします」


 立ち上がる。


 人前で話すことには、まだ慣れない。


 できれば座って書いていたい。


 でも、今日はそうもいかない。


「北部再建費について確認します」


 私は一枚目を読む。


「三年前の洪水後、リーヴェ村、オルタ村、灰谷村を対象とした救済金が承認されました」


 金額。


 用途。


 支給日。


 すべて読み上げる。


「帳簿上は、全額支給済みです」


 次の紙。


「しかし、現地では仮橋、倉庫、種麦のいずれも、予定された形では履行されていませんでした」


「それについては説明した」


 ヴィクター様が言う。


「再配分だ」


「はい」


 私は答えた。


「ですので、再配分先を確認しました」


 ヴィクター様が黙る。


「代官所床修繕。銀器購入。分家関係者の滞在費。その他、領地救済と直接関係しない支出が確認されています」


「一時的な移動だ」


「返還日は?」


 ヴィクター様が私を見る。


「何?」


「一時的な移動であれば、戻す予定があったと思います。返還予定日を教えてください」


「財政状況を見て判断する予定だった」


「書面はありますか」


「ない」


「返還額を定めた記録は?」


「ない」


「返還担当者は?」


 ヴィクター様の口が止まった。


「記録上、確認できませんでした」


 私は言った。


 そして座った。


 論破したいわけではない。


 ないものを、ないと確認しただけだ。


 アデライン様が続ける。


「次を」


 私は二枚目を取った。


「三年前、先代公爵は北部再建費に関する報告について、『アデラインにも写しを送付すること』と指示しています」


 先代公爵の指示控え。


 家政部受付簿。


 会計室送付簿。


 内便簿。


 順番に並べる。


「写しは作成されました。会計室から送付されました。しかし、アデライン様付き書記室には届いていません」


「それも説明した」


 ヴィクター様が言う。


「王家へ嫁ぐ者に、不要な負担をかけるべきではないと判断した」


「はい」


 私は最後の記録を置く。


「そのため、分家管理室で止められました」


 ローデン・メイア様の証言。


 分家管理印。


 そして、ヴィクター様の執務机から発見された原本。


「叔父様」


 アデライン様が言った。


「一つ確認します」


「何だ」


「私に不要だと判断したのなら、なぜ捨てなかったのですか」


 ヴィクター様の眉が動いた。


「公爵家の書類を捨てるわけにはいかない」


「では、なぜ家政部へ返さなかったのですか」


「保管しただけだ」


「なぜ叔父様の施錠された引き出しに?」


「重要書類だからだ」


「私には不要なのに?」


 沈黙。


 私はペンを置かなかった。


 ヴィクター様はしばらくアデライン様を見ていた。


「何が言いたい」


「まだ何も」


 アデライン様は答えた。


「確認しているだけです」


 私と同じことを言った。


 少しだけ嬉しい。


「次へ」


 三枚目。


 二年前の工事停止指示。


 私は読み上げる。


「『継承問題が決着するまで待て。今着工すれば、誰の功績になるか不明確だ』」


 広間に、その文章が響く。


「昨日、叔父様はこれについて、本家と分家の責任区分を意味したと説明されました」


「その通りだ」


「では、その後の記録を確認します」


 私はリーヴェ村から届いた嘆願書を並べた。


 一通。


 二通。


 三通。


 七通。


「工事延期後、リーヴェ村から七通の嘆願が届いています」


「知っている」


「そのうち、責任区分について回答したものは?」


 ヴィクター様は答えない。


「ありません」


 私は続けた。


「工事再開予定日を伝えたものもありません。延期理由を説明したものもありません」


「現場の処理に問題があった」


「昨日も、そう説明されました」


 私はもう一枚取った。


 昨日の工事停止命令。


『ロシュフォード公爵位継承が正式に完了するまで、当主権限を要する新規支出および工事命令を停止する』


「そして昨日、同じ橋が再び止められました」


 二年前。


 昨日。


 二枚の命令書を並べる。


「どちらも、継承問題を理由にしています」


 ヴィクター様の表情が変わった。


 ほんの少しだけ。


「偶然でしょうか」


 私は聞いた。


「質問の仕方に悪意がある」


「では、訂正します」


 私は紙を見る。


「二年前と昨日、同じ橋について、継承問題を理由とした工事停止が行われた。これは事実でよろしいですか」


「……事実だ」


「記録します」


 書いた。


 それだけ。


 アデライン様が四枚目を取った。


 今度は自分で持った。


「最後です」


 未処理一覧作成指示。


『アデライン帰還後、再建費未処理一覧を提出。負債額を明示し、後見の必要性を強調すること』


「叔父様は昨日、これも私を支えるためだったと説明しました」


「そうだ」


「では、順番を確認しましょう」


 アデライン様は立ち上がった。


「三年前、救済金が承認された」


 一枚置く。


「その一部が、本来とは異なる用途へ動いた」


 一枚。


「その事実を含む報告が、私へ届く途中で止められた」


 一枚。


「リーヴェ村の橋は、継承問題を理由に延期された」


 一枚。


「そして私が帰還した後、未完了の再建事業を『負債』として一覧にし、後見の必要性を示そうとした」


 最後の一枚。


 五枚の紙が、一直線に並んだ。


 広間が静まり返った。


「叔父様」


 アデライン様が言った。


「これも、すべて偶然ですか」


「違う」


 ヴィクター様は答えた。


 思ったより強い声だった。


「必要だった」


 立ち上がる。


「何度言えばわかる。私はこの家を守ろうとした」


 昨日と同じ言葉。


 けれど、今日は少し違って聞こえた。


「兄上は、君に甘かった。王家へ嫁ぐ娘に領地の情報まで与え、家政に口を出させた」


 ヴィクター様の声が広間に響く。


「そして兄上が亡くなり、君は婚約を破棄されて戻ってきた。王宮で騒ぎを起こした直後にだ」


 アデライン様は動かない。


「そんな君に、いきなり公爵家のすべてを渡せと言うのか?」


「だから、叔父様が管理した?」


「そうだ」


「私に知らせず?」


「必要なことだった」


「領民にも知らせず?」


「領民すべてに家政を説明する当主などいない!」


 初めて、ヴィクター様の声が荒れた。


 広間が静まる。


 ヴィクター様は一度息を吸った。


「アデライン。君は若い」


 今度は低い声だった。


「記録を並べれば、世の中が正しくなると思っている」


 私を一瞬見る。


「だが、家を動かすのは紙ではない。力だ。人脈だ。妥協だ。時には、誰かに知らせず決めなければならないこともある」


 誰も口を挟まない。


「私がいなければ、兄上の死後、この家はどうなっていたと思う?」


 ヴィクター様は家臣たちを見る。


「分家をまとめたのは私だ。商会との取引を維持したのも私だ。王家との関係が崩れた後、他家からの干渉を防いだのも私だ」


 何人かの家臣が目を伏せた。


 たぶん、全部が嘘ではない。


 ヴィクター様は、本当に働いてきたのだ。


 だから、厄介だった。


「私はロシュフォードを守った」


 ヴィクター様は言った。


「君が王宮にいる間も。君が戻ってきてからも」


 アデライン様は、しばらく黙っていた。


 それから、一枚の紙を手に取った。


 ヴィクター様の後見提案書。


「叔父様」


「何だ」


「私は、叔父様が何もしてこなかったとは思っていません」


 ヴィクター様が少し驚いた顔をした。


「父が亡くなった後、分家をまとめてくださったことも、取引先を繋いでくださったことも事実でしょう」


「なら」


「だからこそ」


 アデライン様の声が冷たくなる。


「残念です」


 ヴィクター様が黙った。


「叔父様には、この家を支える席が最初からあった」


 アデライン様は言った。


「奪う必要などなかった」


「奪ってなど」


「では、なぜ私に届くものを止めたのですか」


「それは」


「なぜ領民に説明しなかったのですか」


「だから」


「なぜ橋を架ける時期を、誰の功績になるかで決めたのですか」


 ヴィクター様の口が閉じる。


「なぜ、未完了になった事業を私の負債として示し、その直後に自分を後見人として提案したのですか」


「家を守るためだ!」


 ヴィクター様が机を叩いた。


 乾いた音が広間に響いた。


 アデライン様は瞬きもしなかった。


「いいえ」


 静かな声だった。


「叔父様が守ったのは、ロシュフォードではありません」


 誰も動かなかった。


「ロシュフォードを守っている自分の席です」


 ヴィクター様の顔から、表情が消えた。


「家を守るためなら、橋が架かってもよかったはずです」


 アデライン様は続ける。


「領民が救われてもよかった。私に報告が届いてもよかった。叔父様以外の誰かが功績を得てもよかった」


 一歩、前へ出る。


「それでは困ったのでしょう?」


 ヴィクター様は答えない。


「叔父様が必要だと証明するには、問題が解決してはいけなかった」


 私はペンを握る手に力を入れた。


「だから、橋は三年架からなかった」


 静かだった。


 誰も紙をめくらない。


 誰も咳をしない。


「それを私は、家を守ったとは認めません」


 アデライン様は席へ戻った。


「決議に移ります」


 法務顧問が立ち上がる。


「第一。ヴィクター・ロシュフォードによる後見提案」


 家臣たちの視線が集まる。


「却下に賛成する者」


 手が上がった。


 一人。


 二人。


 五人。


 会計室。


 家政部。


 本家家臣。


 そして最後に、分家側からも二人。


 過半数を超えた。


「後見提案、否決」


 私は書いた。


「第二。分家による本家会計および領地事業への独自介入権限」


 再び採決。


「停止」


 書く。


「第三。北部再建費の目的外支出分」


 会計責任者が金額を読み上げた。


「関係会計を再監査し、分家関係支出について返還請求」


 書く。


「第四。トレバー・ハル」


 元代官が顔を上げた。


「調査終了まで職務停止を継続。帳簿改変および救済金目的外使用について法務審査へ」


 トレバー様は何も言わなかった。


「第五」


 法務顧問が一度、アデライン様を見る。


「ロシュフォード公爵位継承について」


 広間の空気が変わった。


「先代公爵の指名、家内評議の承認、王家提出書類の準備状況を確認し、アデライン・ロシュフォードを継承者として最終手続きへ移行する」


 ヴィクター様が顔を上げた。


「待て」


 初めて、焦りが見えた。


「その決議は」


「叔父様」


 アデライン様が言った。


「異議は記録します」


 ヴィクター様が黙る。


「どうぞ」


 私は新しい頁を開いた。


 しばらくして。


 ヴィクター様は、ゆっくり椅子へ座った。


「……異議はない」


 私は書いた。


 ヴィクター・ロシュフォード、公爵位継承手続き移行について異議なし。


 文字にすると、短かった。


 三年間より、ずっと短い。


 法務顧問が宣言する。


「以上をもって、本日の決議を終了します」


 広間の空気が緩んだ。


 でも、アデライン様は座ったままだった。


「もう一件あります」


 皆が止まる。


 アデライン様はオーウェン村長を見る。


「リーヴェ村の橋について」


「はい」


 村長が立ち上がる。


「本日の工事報告は?」


 モーリス様が紙を確認した。


「朝の時点で、主桁二本の固定まで完了しております。予定通り進めば、明日午後には仮橋の通行確認が可能です」


 アデライン様は頷いた。


「では、明日行きます」


「アデライン様が?」


「完成したか確認します」


 村長の目元が少し緩んだ。


「承知しました」


 アデライン様は立ち上がる。


 評議は終わった。


 叔父様の後見も終わった。


 分家が勝手に橋を止めることも、もうできない。


 でも、アデライン様が最初に確認したのは、自分の公爵位ではなかった。


 橋だった。


 私は七部目の記録を閉じる前に、最後の一行を書いた。


 リーヴェ村仮橋、翌日通行確認予定。


 まだ、完成とは書かない。


 記録は、先に喜んではいけない。


 明日、本当に人が渡ったら書く。


 今度こそ。


 誰かが「処理済み」と書いたからではなく。


 川の向こうへ、人が渡ったのを見てから。

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